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22、戦士王と修道士王
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馬車に乗って修道院から街まで行くのだが、遠くにピレネーの山が見える以外、黄土色の大地とくすんだ緑の草や木しか見えない単調な景色が続き眠くなったきた。
「退屈しているようだな」
聞き覚えのあるアラゴンの王、ラミロ2世の声がした。僕は14歳の時、ラミロ2世とその子孫の亡霊と知り合った。僕が医者の家に引き取られることが決まり、昨夜は送別会というわけでもないけど、今まで知り合った4人の亡霊が僕の部屋に来てくれた。それぞれに別れの言葉を告げ、涙を流したのだが、その翌日にこのように話をするのは変な気がする。もちろん馬車にはニコラス先生や護衛の人も乗っているので、ラミロ2世は姿は見せない。僕の頭の中に声が聞こえるだけだ。
「退屈しのぎに私の生涯についてまた話そう」
ウトウトしながらラミロ2世の話を聞いていた。
あの時はまだ父が生きていたから、私は6歳、兄は19歳くらいだった。父であるアラゴン王サンチョ・ラミレスは私たち兄弟を呼んでこんな話をした。
「もうわかっていると思うが、お前たち2人は兄ペドロがいるから王になることはできない。王にはなれないが、お前たちにはそれぞれ最高の役割を与えよう。アルフォンソよ、お前には戦士となる才能がある。軍隊を率いてアラゴンをさらに大きく強い国にして欲しい」
「任せて下さい、父上。必ずアラゴンを強大な国にしてみせます」
「そしてラミロよ。お前は聖職者となって国を支えて欲しい」
「聖職者となるのですか?」
「私はローマに巡礼に行き、サン・ペドロの家臣になると誓った。私の息子が聖職者として神に仕えてくれれば、こんなにうれしいことはない」
「わかりました父上、立派な聖職者になります」
当時の私は聖職者になるということがどういうことか、よくわかっていなかった。
「だが、もしもペドロが後継者を残さずに亡くなったならば、お前たちが王となる可能性もある。その時はどのような手段を使ってもよい、必ずアラゴンを守り、王家の血筋を後世に残してくれ」
「わかりました父上」
私はその意味がよくわからずに無邪気に答えていた。
私が18歳の時、王位を継いでいた兄ペドロが亡くなり、兄アルフォンソがアラゴン王になった。私は修道士として亡くなった兄の葬儀に参加したが、戴冠式に出席することはなかった。兄弟であっても、聖職者となった者が王家の行事や祝賀会に参加することは許されない。私は兄の活躍を修道院の中で噂で聞くだけであった。
「アルフォンソ王が、カスティーリャの女王と結婚されました」
「サラゴサの包囲が始まりました」
「サラゴサが降伏しました」
「アンダルシアへの遠征が始まりました」
「コルドバやグラナダに住むキリスト教徒をイスラム教徒から解放しました」
最初の頃、兄の活躍を聞いて私も心の中で喜んだ。だが、修道士は自分の感情を見せてはいけない。何を言われても何も感じないように訓練しているので、やがて兄の活躍を聞いても何も感じなくなっていた。
「アルフォンソ王は、テンプル騎士団などの騎士団にアラゴンの土地と財産をすべて寄進するという遺言を残されました」
「アルフォンソ王が亡くなられました!」
修道院長となった頃には、外へ出ることはほとんどなくなっていた。だが、兄の葬儀には参加しなければいけない。葬儀が終わった時、そこにいた者が皆私の前に跪いた。
「今日からあなたがアラゴンの王です、陛下」
「アラゴン王?兄上の遺言はどうなった?」
「貴族たちは皆反対しました。そして王家の血を引く陛下に即位していただきたいと話し合って決めたのです」
私がラミロ2世として王になったのは47歳、在位は3年だけであった。貴族たちは修道院育ちで馬にも乗れず剣を持ったこともない私を馬鹿にして各地で反乱が起きた。力のない私はある策略を思いついた。ウエスカに大きな鐘を作るために寄付を募りたいと貴族達を呼び集め、1人ずつ部屋に入れて反乱に加わっていた者はその場で刑を言い渡し首を刎ねた。直接私が手を下したわけではないが、殺された貴族の首は鐘のように高く積み上げた。そして私は急いで結婚した。相手はフランス貴族の娘で子持ちの未亡人である。娘が生まれるとすぐに離婚し、娘の結婚を決めるとすぐに王位は幼い娘に譲り、住み慣れたサン・ペドロ・エル・ビエホ修道院で暮らすことにした。だが、全く元通りというわけにはいかない。
「ウエスカの鐘の惨劇を知っているか?」
「残虐非道な王は貴族の首を切って見せしめにしたそうだ」
「前のアルフォンソ王は英雄であった。だが次の修道士王は・・・」
「大きな声で言うな!王はまだ生きている。首を切られるぞ」
人々の囁きと積み重ねられた首の幻影に毎晩苦しめられながら、私はそれでも修道院長として20年以上生き続けた。
ラミロ2世の長い生涯の夢を見て目を開けた時、まだ馬車の中にいた。
「退屈しているようだな」
聞き覚えのあるアラゴンの王、ラミロ2世の声がした。僕は14歳の時、ラミロ2世とその子孫の亡霊と知り合った。僕が医者の家に引き取られることが決まり、昨夜は送別会というわけでもないけど、今まで知り合った4人の亡霊が僕の部屋に来てくれた。それぞれに別れの言葉を告げ、涙を流したのだが、その翌日にこのように話をするのは変な気がする。もちろん馬車にはニコラス先生や護衛の人も乗っているので、ラミロ2世は姿は見せない。僕の頭の中に声が聞こえるだけだ。
「退屈しのぎに私の生涯についてまた話そう」
ウトウトしながらラミロ2世の話を聞いていた。
あの時はまだ父が生きていたから、私は6歳、兄は19歳くらいだった。父であるアラゴン王サンチョ・ラミレスは私たち兄弟を呼んでこんな話をした。
「もうわかっていると思うが、お前たち2人は兄ペドロがいるから王になることはできない。王にはなれないが、お前たちにはそれぞれ最高の役割を与えよう。アルフォンソよ、お前には戦士となる才能がある。軍隊を率いてアラゴンをさらに大きく強い国にして欲しい」
「任せて下さい、父上。必ずアラゴンを強大な国にしてみせます」
「そしてラミロよ。お前は聖職者となって国を支えて欲しい」
「聖職者となるのですか?」
「私はローマに巡礼に行き、サン・ペドロの家臣になると誓った。私の息子が聖職者として神に仕えてくれれば、こんなにうれしいことはない」
「わかりました父上、立派な聖職者になります」
当時の私は聖職者になるということがどういうことか、よくわかっていなかった。
「だが、もしもペドロが後継者を残さずに亡くなったならば、お前たちが王となる可能性もある。その時はどのような手段を使ってもよい、必ずアラゴンを守り、王家の血筋を後世に残してくれ」
「わかりました父上」
私はその意味がよくわからずに無邪気に答えていた。
私が18歳の時、王位を継いでいた兄ペドロが亡くなり、兄アルフォンソがアラゴン王になった。私は修道士として亡くなった兄の葬儀に参加したが、戴冠式に出席することはなかった。兄弟であっても、聖職者となった者が王家の行事や祝賀会に参加することは許されない。私は兄の活躍を修道院の中で噂で聞くだけであった。
「アルフォンソ王が、カスティーリャの女王と結婚されました」
「サラゴサの包囲が始まりました」
「サラゴサが降伏しました」
「アンダルシアへの遠征が始まりました」
「コルドバやグラナダに住むキリスト教徒をイスラム教徒から解放しました」
最初の頃、兄の活躍を聞いて私も心の中で喜んだ。だが、修道士は自分の感情を見せてはいけない。何を言われても何も感じないように訓練しているので、やがて兄の活躍を聞いても何も感じなくなっていた。
「アルフォンソ王は、テンプル騎士団などの騎士団にアラゴンの土地と財産をすべて寄進するという遺言を残されました」
「アルフォンソ王が亡くなられました!」
修道院長となった頃には、外へ出ることはほとんどなくなっていた。だが、兄の葬儀には参加しなければいけない。葬儀が終わった時、そこにいた者が皆私の前に跪いた。
「今日からあなたがアラゴンの王です、陛下」
「アラゴン王?兄上の遺言はどうなった?」
「貴族たちは皆反対しました。そして王家の血を引く陛下に即位していただきたいと話し合って決めたのです」
私がラミロ2世として王になったのは47歳、在位は3年だけであった。貴族たちは修道院育ちで馬にも乗れず剣を持ったこともない私を馬鹿にして各地で反乱が起きた。力のない私はある策略を思いついた。ウエスカに大きな鐘を作るために寄付を募りたいと貴族達を呼び集め、1人ずつ部屋に入れて反乱に加わっていた者はその場で刑を言い渡し首を刎ねた。直接私が手を下したわけではないが、殺された貴族の首は鐘のように高く積み上げた。そして私は急いで結婚した。相手はフランス貴族の娘で子持ちの未亡人である。娘が生まれるとすぐに離婚し、娘の結婚を決めるとすぐに王位は幼い娘に譲り、住み慣れたサン・ペドロ・エル・ビエホ修道院で暮らすことにした。だが、全く元通りというわけにはいかない。
「ウエスカの鐘の惨劇を知っているか?」
「残虐非道な王は貴族の首を切って見せしめにしたそうだ」
「前のアルフォンソ王は英雄であった。だが次の修道士王は・・・」
「大きな声で言うな!王はまだ生きている。首を切られるぞ」
人々の囁きと積み重ねられた首の幻影に毎晩苦しめられながら、私はそれでも修道院長として20年以上生き続けた。
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