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85、冷遇王女の脱出婚【本編最終話】

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「────イーリアス、様。
 何だか、身体に力が入りません」


 何度目かのくちづけを終えて、イーリアス様が唇を離した時、私は自分の身体に力が入らないことに気づいた。
 イーリアス様の膝の上から退けない。どうしよう……。


「なんと申し上げて良いか……いちいち殿下はお可愛らしい」


 そっと私を抱き上げると、また景色が見えるようにソファに優しく座らせるイーリアス様。

 …………その目に見つめられていると意識すると、急にドキドキが止まらなくなる。
 何でもできそう、と思ってた高ぶりから急に我に還ってしまった感じなのかしら。


「お茶を頼みましょう。
 ゆっくり温かいものを飲めば、きっと治るでしょう」


 イーリアス様が注文してくださって、間もなく、お茶が客室に運ばれてきた。
 一口、温かい紅茶を飲み、幸せを噛み締める。


「それにしても、結婚してから、すごくたくさん望みが叶いました」


 つい、言葉がこぼれてくる。


「ゆっくりと過ごす時間も、読書も、観劇も、博物館に行くのも、旅行も……それからくちづけも。
 もっと言えば、望むことさえできなくなってたのに……おしゃれを楽しむこともできて、友達もできて……イーリアス様のおかげで安全に日々を送ることができて。
 大嫌いだった自分の身体のことも、今はそんなに悪くないかなって思えるようになってきました」


 そう、本当に少し前までの自分には想像もできなかった変化が、たくさん起きている。

 ────トリニアスの王城を出発する日。
 私は、物理的にだけじゃなく、精神的にもトリニアス王国を脱出しようと密かに決意した。
 それは都合良く使われる自分との決別、という意味だった。

 だけど、イーリアス様との結婚を通して、あの時思っていたよりも遥かに多く、トリニアスで自分にかけられてきた呪縛が解けていった。

 父の死を遅らせ、ウィルヘルミナに王位をつなぐことができて良かった。
 母に心からさよならを言えて良かった。

 わからないままのことはあるし、心の傷は残っているけれど、私はこれでもう身も心もトリニアス王国を脱出できた気がする。


「していただいたことだけではありません。
 イーリアス様のそばにいられると本当に安心して、夫婦でいられることを実感する度嬉しくて……。
 すごく、すごく、幸せです。
 私と結婚してくださって、ありがとうございました」


 くちづけをすることができた。
 きっとこれから先、また時間はかかるかもしれないけど、今以上にイーリアス様の愛情に応えられるようになる。
 ────夫婦の営みまでできるようになったら、それはどれほど素敵だろう。

 少しだけ耳を赤くしたイーリアス様は、しばらく、言葉に迷っていたようだったけれど、

 
「…………それはこちらの台詞です、殿下」


ゆっくりと手を伸ばし、私の頬に触れる。

 心地よいその大きな手に、私は自分の手を重ねる。


「貴女に出会えたことは、人生最大の奇跡でした。
 ともに過ごす時間も、見せてくださるさまざまな顔も、貴女がもたらす出来事も、ひとつひとつがかけがえのない宝物です。
 愛しています。殿下」

「私も、愛しています」


 2人、どちらからともなく唇を重ねあった。
 くちづけは新鮮で甘くて、どこか切なくて、でも回数を重ねる度に身体に馴染んでいく。


「────そういえば、イーリアス様。ご相談があるのですが」

「何でしょうか」

「夫婦ですので、殿下と呼ぶのはそろそろ…………どうぞ、アルヴィナとお呼びいただけませんか」

「……………………いえ。それはさすがに」

「ずっとこちらに尽くしていただいてばかりで、まだ何もお返しできていませんし、対等ではないように思うのです。
 それに、イーリアス様もその……ホメロス公爵家のご家族やミス・メドゥーサが、お名前だけで呼んでいらっしゃるのもうらやましくて……」

「そちらは、最初からイーリアスと呼び捨てていただければと思っておりますが」

「……!!
 それは……呼ばせていただけるなら嬉しいです、けど……そう呼んだら私の『殿下』呼びも変えていただけるのですか?」

「……………………いえ。それはさすがに」

「………………………………」


 じっ、と、イーリアス様を見つめてみる。
 少し、たじろいだ、気がする。表情の変化がやっぱり少ないので、あくまでも『気がする』の範囲。
 夫の整った顔につい見とれてしまいそうになるけど、負けずに、見つめ続ける。


「………………アルヴィナ…………様、でいかがでしょうか」


 根負けしたイーリアス様の口から出てきた言葉。


(………………ッ!)


 様、が後付けでも、イーリアス様の低音の声で言われると、思った以上にドキドキして心臓にきてしまった。

 名前を呼ばれること、そして『殿下』と『様』でもこんなに印象が変わるなんて。
 というか、イーリアス様の声、すごく良いんだわ。今さらだけど。


「どうかなさいましたか?」
「いえっ! ……その、大丈夫です、嬉しくて、ですので」
「わかりました、アルヴィナ様」
「………………!!」


 深呼吸を何度もして自分を落ち着けながら、ああ、やっぱり私この人に恋をしているんだわ、と、これも今さらなことを実感するのだった。



【冷遇王女の脱出婚 完】
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