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56、王女は手紙の意味に気づく

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「よくある話です。
 わざわざ爵位の継げない次男坊との結婚をしても良いと言うのには、元々裏があったというだけの」

「裏?」

「まず、彼女の家が、ホメロス公爵家とのつながりが欲しかったということ。その時も祖父は宰相を務めておりましたから。
 加えて、2つ上の兄はもともと病弱でした。兄に万一のことがあれば私が将来公爵になる、という点も計算に含まれていたようです」


 ……王族や貴族の政略結婚ではよくある戦略だ。


「しかし私は士官学校志望でした。
 卒業には最低でも3年かかります。
『“行き遅れ”といわれる歳になってしまう』
と彼女の家は反対したのですが……仮にも家族を持つ身になるなら、なおさら仕事を得てからでなくてはと私は考えておりました。
 結果、正式な婚約を見送りつつ、私は士官学校に入ったのです」


 うなずいた。
 貴族令嬢とその家が行き遅れと呼ばれることを恐れる気持ちもわかるけれど、イーリアス様の方が地に足ついた考えだと私は思う。


「しかし、私の士官学校入学後間もなく、我が国の王妃陛下と折り合いの悪かった祖父は、宰相の座を退くことを決めました。
 また早くに結婚した兄に息子が産まれたので、私が爵位を継ぐ可能性は大きく減りました。
 そういった事情がいろいろあって、彼女とその両親は、他の結婚相手を考え始めたようです」

「それは……サブリナさん自身の意思だったのでしょうか?」

「どうでしょう。正直、いまもわかりません」


 ここまでの言葉からは、元恋人の妻に喧嘩を売る勝ち気な女性というよりも、ただ流されがちな受け身の女性に聞こえた。


「それから、士官学校の1年目の終わり、たまたま他国との武力衝突があったため、実習で戦場に出ることになりました。
 最初に顔に傷を負ったのはこのときのことです。
 王都に帰還してすぐに彼女に会いに行ったのですが、彼女は私の傷を見て恐ろしいと言い、結婚をやめたいと言い出したのです」

「! 酷い……」

「そのときに彼女の側に立ったのが、後に私の上官になるライト大尉でした」

「では、そのときには、サブリナさんとライト大尉はもう……」

「だと思います。
 彼女の家も承知の上でした。
 爵位を継がない可能性の方が高くなった若造の私よりは、年齢が多少上でもすでに爵位を持ち、社会的地位のあった彼の方が良かったのでしょう。
 のちに社交界で、『私はとても親孝行な結婚をした』と彼女が吹聴していたと聞きました」


 親孝行な結婚、か。
 その言葉にひどく胸がざわついた。

 正式な婚約ではなかったとはいえ、結婚の約束をした人に不義理をして、さらにそれを顔の傷のせいにして。

 淡々とイーリアス様は語るけれど……恐ろしい目に遭ってどうにか命からがら帰ってきたのに、恋人に傷を理由に別れたいと言われ、その恋人にはすでに新しい男性がいて……どれだけ傷ついたことだろう。

 確かに家の意向通りの結婚であれば、『親孝行』ではあるんでしょう。そのあとイーリアス様の方が大きく出世したのは計算外だっただろうけれど。


「酷いです。許せない!」

「昔のことです。殿下がお心を痛めることはありません」

「私にとっては大切な人が酷いことをされたのです。怒ってはいけませんか」

「そのお言葉だけで十分です。今は殿下がいらっしゃるのですから」

「………………でも………………」

「それより、何か手紙を渡されたと聞きましたが」

「…………ごめんなさい、読まずに破り捨ててしまいました」


 とっさに嘘をついてしまった。

 内容のことは、正直言えなかった。
 イーリアス様は、すでに何か周りから言われたりしているのかしら?
 私に言わずに我慢してしまう人だから……。


「とにかく、今回のことはライト大尉に強く抗議しておきます。また彼女が来ても、何も話すことはありません」

「はい。
 私もイーリアス様に酷いことを言った女性なんかに負けません」


 ────イーリアス様の話が終わって、私は一度寝室に戻った。
 レターデスクの引き出しを開け、手紙の続きに目を通す。

『……私は彼の将来が心配なのです』

 彼女は白々しく、そう繰り返す。

 イーリアス様の話を聞いたあとだと、どんな顔をしてこの手紙を書いたのかと怒りばかりが湧いてくる。


(イーリアス様と結婚した私に、離れろと言いたいの? 彼を裏切ったあなたが?
 どういうつもりかはわからないけど、酷い嫌がらせだわ)


 やっぱり、この手紙に書いてあることも信用できない。

 思わず手紙を握りしめようとしたそのとき、ふと私の鼻をある匂いがくすぐった。


(…………?)


 鼻を手紙に近づける。
 覚えのある香りだ。
 ベネディクトのものでも、トリニアスのものでもない、これは……。


(サクソナの香水…………!!)


 母の母国、サクソナ連合王国の香水だ。
 ほとんど国の外には出回っていないというその香水を、いつもつけていたのは、私の記憶にある限り1人きり。


 トリニアス王国王妃。
 私の母だ。


(…………この手紙をサブリナさんに書かせたのは……王妃陛下なの?)


 どうやって?
 ベネディクト王国がトリニアスに諜報員を送り込んでいるように、トリニアス側もベネディクトに誰かを送り込んでいるの?


(いえ、トリニアス軍や王家の諜報力は弱いものだったわ。
 誰か送り込んでいるとしたら、王妃陛下個人が……?)


 そしてそれは、軍にまで及んでいる?
 そして、どう調べたかわからないけどイーリアス様の元恋人までつかんでいる?

 ……背筋が、ゾワッとした。


(いいえ。イーリアス様が結婚証明書に〈誓約魔法〉をかけてくださっているのだもの、大丈夫。
 王太子殿下や宰相閣下も味方してくださる。
 絶対、私はイーリアス様のそばから離れない。誰がなんと言おうと……)


 そう何度も自分に言い聞かせながら、私は忌まわしい手紙をにらんだ。


   ◇ ◇ ◇
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