上 下
9 / 90

9、王女は汽車を満喫する

しおりを挟む
   ◇ ◇ ◇


 まずサロンに戻った私たちはアフタヌーンティーを頂いた。

 香り高い紅茶。
 一口大のケーキやタルト。
 その他初めて名前を聞くお菓子。
 それらは見た目にも美しく、夢のように美味しくて素晴らしかった。


 それから、遊戯室に移動する。


「イーリアス様は、ビリヤードのご経験は」

「家に台がありましたので、子どもの頃から遊んでおりました。学生時代は友人たちとよくやったものです」


 そう言ってイーリアス様が打つ玉は、まるで引き寄せられるように狙った玉を弾き、落とす。
 玉を打つイーリアス様も、まっすぐに疾駆する玉の動きも、惚れ惚れするほど美しい。


 基本的なキューの持ち方、構え方、玉の打ち方を、ひとつひとつ、イーリアス様がおしえてくださる。


「……前方の手は、中指、薬指、小指、それから手の平でしっかりとテーブルに固定をします。
 利き腕の肩と肘と頭はキューの真上に置き、身体の角度は90度を心がけてください」

「はいっ」

「変則的な体勢で打つやり方もあります。玉の位置によっては自分自身の身体が邪魔になってしまったり、理由は様々ですが。
 たとえば、このような」


 イーリアス様はテーブルに軽く座るようにして、背中側にキューを置き、やや背をそらした姿勢でスマートに玉を打つ。
 その体勢に、なぜか妙にドキッとした。
 玉は別の玉を綺麗に弾き、弾かれた玉はスーッと吸い込まれるように穴に落ちていく。


「お、お上手ですねっ」どうしてだろう、まだドキドキしている。


「では、殿下も打ってみていただけますか」

「はいっ……ええと……基本的な構えで、前の手はしっかり固定。利き腕の肩と肘と頭はキューの真上に……」


 身体は90度……胸がやっぱり邪魔……。
 だけど、なんとかなる。大丈夫。やってみよう。


 カツン……。


 玉がコロンと不格好に転がる。


「気にせず、根気よく何度もやってみてください」

「はいっ」


 何度も、何度も、繰返し繰返し打ってみた。


「もう少し、頭の位置が右の方が良いかもしれません」

「は、はいっ」


 イーリアス様の助言を聞きながら少しずつフォームを直して、数えきれないほど打って、ようやく思ったとおりに玉がまっすぐ転がり始める。
 そして打った玉が狙った玉に当たる。
 それがとっても気持ちいい。すごく。


 コーン……


 やがて、私が打った玉が、ある玉の芯をとらえて弾く。
 弾かれた玉はまっすぐに転がり、ビリヤード台の角にある穴へスーッと転がり……


 カコーン……


 穴に玉が落ちていくその音が、私には天上の音楽にも等しく聞こえた。


「─────やったぁ!!! 入りました!!! 私、玉を入れられました!!」


 嬉しさのあまり、思わず私は叫んでいた。直後、すぐ我に還る。


「……あ、すみませんっ。大声で叫んでしまって」


(私ったら、気持ちが浮わつきすぎ! イーリアス様はお祖父さまをトリニアスに殺されかけたのよ!)


 私、さっきから普通に遊んで満喫してしまって……。
 下へも置かないもてなしをしてくれているのは、きっと王女だから。
 けれど、イーリアス様にも思うところあるんじゃないかしら。

 恐々イーリアス様の整った顔をうかがう。
 やっぱり、表情変化がない。わからない……と思ったら。


「……私も、初めて玉を入れられたときはとても嬉しかったものです」


 そう言ってくださった言葉は、なんだかとても柔らかく、優しく聞こえた。


   ◇ ◇ ◇


 それから。
 再び食堂車で美味しいディナーも満喫し、バーでお酒もちょっとだけ頂いて、満ち足りた気持ちで寝室に連れられる。
 侍女がそこに待機していた。


「どうぞ、ごゆっくりお休みください」

「今日は1日ありがとうございました。イーリアス様もお休みなさい」


 自分の部屋に入るイーリアス様を見送り、侍女の手伝いでさっと入浴して夜着に着替え、私はベッドに入った。


(……今日は、本当に楽しかった……)


 寝転がってじっとしていると感じる、汽車の振動さえ、幸せだ。
 すぐに寝付けるかと思ったけど、楽しかったことをひとつひとつ鮮やかに思い出してしまう。

 こんなに楽しい1日ってどれぐらいぶり……?
 生まれて初めてかもしれない。


(……同じ車両にイーリアス様の寝室もあるんだわ)


 もう、部屋に戻ったらすぐにお眠りになったのかしら。
 それとも何かお仕事でもされているのかしら。

 私と一緒にいるときは常に私の相手をしてくれているけれど。
 ん、もしかして、その間は仕事ができなくて、予定より仕事が押していたりとか……。


(……どうしよう、イーリアス様の仕事を溜めさせてしまっていたら。私、何かお手伝いできるかしら?)


 ちょっと心配になったり、


(まぁでも……軍事関係のお仕事だと、元敵国王女の私が触れると問題もあるでしょうし)


 そんな風に自分を納得させたり。

 そういえば明日は早く起きると良いとイーリアス様は言っていたし、私も早く会いたい。そんなことを思いながら私は眠りに落ちていった。


   ◇ ◇ ◇


 翌朝。
 まだ少し微睡んでいたいような時間……カーテン越しに差し込む朝の光を感じ、私は跳ね起きた。
 私の起床より早く待機していた侍女が入ってきて、早々に着替える。


(朝からいったい、何があるのかしら??)


 そっと、イーリアス様の寝室を覗いてみる。
 どうやらもう起きていらっしゃるようだ。
 早足に、私はサロンまで移動する。

 やはりサロンにイーリアス様はいた。


「ちょうど良いタイミングですよ。
 窓の外、進行方向をご覧になってください」

「そと?」


 私はガラス越しに外を見て……呆気にとられた。


「あれは、海、ですか? いえ、大河?」

「はい。ベネディクト国境に面する大河です。鉄道で大河を渡るのです」

「すごい……!!」


 幅の広い広い、青い青い水で満ちた大河の上を、汽車は勇ましく走っていく。
 大河に、線路を乗せた大きな橋がかかっているのだ。
 朝の光が、見渡す限りの水面に反射して輝く。


「きれい…………!!」


 感動に全身を震わせる。
 魂を掴まれる。
 技術力の差だとか国力の差だとか、そんなものが頭から吹っ飛ぶ美しさだ。
 小さなことがどうでも良くなってしまう。


(なんて素晴らしいの……奇跡のようだわ)


 朝食の支度ができたと呼び出しがあるまで、私はまるで小さな子どものように、窓ガラスにかじりついて外を見つめていた。


   ◇ ◇ ◇
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ゼラニウムの花束をあなたに

ごろごろみかん。
恋愛
リリネリア・ブライシフィックは八歳のあの日に死んだ。死んだこととされたのだ。リリネリアであった彼女はあの絶望を忘れはしない。 じわじわと壊れていったリリネリアはある日、自身の元婚約者だった王太子レジナルド・リームヴと再会した。 レジナルドは少し前に隣国の王女を娶ったと聞く。だけどもうリリネリアには何も関係の無い話だ。何もかもがどうでもいい。リリネリアは何も期待していない。誰にも、何にも。 二人は知らない。 国王夫妻と公爵夫妻が、良かれと思ってしたことがリリネリアを追い詰めたことに。レジナルドを絶望させたことを、彼らは知らない。 彼らが偶然再会したのは運命のいたずらなのか、ただ単純に偶然なのか。だけどリリネリアは何一つ望んでいなかったし、レジナルドは何一つ知らなかった。ただそれだけなのである。 ※タイトル変更しました

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】「お迎えに上がりました、お嬢様」

まほりろ
恋愛
私の名前はアリッサ・エーベルト、由緒ある侯爵家の長女で、第一王子の婚約者だ。 ……と言えば聞こえがいいが、家では継母と腹違いの妹にいじめられ、父にはいないものとして扱われ、婚約者には腹違いの妹と浮気された。 挙げ句の果てに妹を虐めていた濡れ衣を着せられ、婚約を破棄され、身分を剥奪され、塔に幽閉され、現在軟禁(なんきん)生活の真っ最中。 私はきっと明日処刑される……。 死を覚悟した私の脳裏に浮かんだのは、幼い頃私に仕えていた執事見習いの男の子の顔だった。 ※「幼馴染が王子様になって迎えに来てくれた」を推敲していたら、全く別の話になってしまいました。 勿体ないので、キャラクターの名前を変えて別作品として投稿します。 本作だけでもお楽しみいただけます。 ※他サイトにも投稿してます。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。

絶対に近づきません!逃げる令嬢と追う王子

さこの
恋愛
我が国の王子殿下は十五歳になると婚約者を選定される。 伯爵以上の爵位を持つ年頃の子供を持つ親は娘が選ばれる可能性がある限り、婚約者を作ることが出来ない… 令嬢に婚約者がいないという事は年頃の令息も然り… 早く誰でも良いから選んでくれ… よく食べる子は嫌い ウェーブヘアーが嫌い 王子殿下がポツリと言う。 良い事を聞きましたっ ゆるーい設定です

生まれたときから今日まで無かったことにしてください。

はゆりか
恋愛
産まれた時からこの国の王太子の婚約者でした。 物心がついた頃から毎日自宅での王妃教育。 週に一回王城にいき社交を学び人脈作り。 当たり前のように生活してしていき気づいた時には私は1人だった。 家族からも婚約者である王太子からも愛されていないわけではない。 でも、わたしがいなくてもなんら変わりのない。 家族の中心は姉だから。 決して虐げられているわけではないけどパーティーに着て行くドレスがなくても誰も気づかれないそんな境遇のわたしが本当の愛を知り溺愛されて行くストーリー。 ………… 処女作品の為、色々問題があるかとおもいますが、温かく見守っていただけたらとおもいます。 本編完結。 番外編数話続きます。 続編(2章) 『婚約破棄されましたが、婚約解消された隣国王太子に恋しました』連載スタートしました。 そちらもよろしくお願いします。

辺境の娘 英雄の娘

リコピン
恋愛
魔物の脅威にさらされるイノリオ帝国。魔の森に近い辺境に育った少女ヴィアンカは、大切な人達を守るため魔との戦いに生きることを選ぶ。帝都の士官学校で出会ったのは、軍人一家の息子ラギアス。そして、かつて国を救った英雄の娘サリアリア。志を同じくするはずの彼らとの対立が、ヴィアンカにもたらしたものとは― ※全三章 他視点も含みますが、第一章(ヴィアンカ視点)→第二章(ラギアス視点)→第三章(ヴィアンカ視点)で進みます ※直接的なものはありませんが、R15程度の性的表現(セクハラ、下ネタなど)を含みます ※「ざまぁ」対象はサリアリアだけです

この国の王族に嫁ぐのは断固拒否します

恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢? そんなの分からないけど、こんな性事情は受け入れられません。 ヒロインに王子様は譲ります。 私は好きな人を見つけます。 一章 17話完結 毎日12時に更新します。 二章 7話完結 毎日12時に更新します。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

処理中です...