上 下
2 / 90

2、王女は睡眠不足で夜会に臨む

しおりを挟む
   ◇ ◇ ◇


 ────1週間後。
 王城で夜会が開かれた。

 滞在中のベネディクト王国の一行をもてなす夜会だ。
 私含め王家が勢ぞろいし、それから高位貴族たちが出席する盛大なものとなった。

 大広間でシャンデリアがきらめくその下で、私は1人、ため息をついている。


(…………なんで夜会のドレスって胸元を出すのがマナーになってるのかしら)


 望んだわけじゃない露出の多いイブニングドレス。周囲からの目。
 まだまだ睡眠不足で働かない頭を振り絞り、私は人目と、寄ってくる男性を避け、会場の隅をあちこち移動していた。


「ねぇ見て、あちらの王太子殿下! 素敵だわ……!」
「本当になんてお美しい殿方なのかしら! ため息が出るわ」
「婚約者はいらっしゃるのかしら?」「ああ、一言でもお話ししたい…!!」


 女性のささやき声があちこちで交わされる。
 それは、会場のなかにいる、ある人物を指していた。

 ベネディクト王国のクロノス王太子殿下だ。

 艶やかな銀髪、アイスブルーの瞳。神々しささえ覚える白皙はくせきの美貌。
 誰もが息を呑む絶世の美男子で、細いフレームの眼鏡をかけている。
 天から遣わされた神獣のようなそのオーラに、会場内の女性たちがうっとりと見とれていた。
 いまだ敵国である国の王子に。


 ────2年半前、トリニアス王国はベネディクト王国領のゼルハン島に侵攻した。

『重要な交易拠点としてベネディクト王国に巨万の富をもたらしているが、軍が常駐しておらず商人たちばかり。すぐに奪い取れるはずだ』

 ……と、軍部が暴走して、父も説得されて追認してしまったのだ。
 まったく道理のない暴挙で、私も父を止めたけれど力及ばなかった。

 結果は散々なものだった。

 まず、武装していた商人たちから相当強い抵抗に遭う。
 彼らは自国軍が来るまでの時間を稼ぎ、島の民間人を守って船で脱出。
 そこにベネディクトと同盟国の軍が駆けつけ、トリニアス側は壊滅。
 多くの戦死者を出し、停戦を申し出たのだった。


 それから2年半……。

 トリニアス王国側(主に父と兄と重臣たち)は、戦争を仕掛けたのはこちらなのに、賠償金を何度も値切りながら、早く戦前どおりの国交をと求めた。しかも軍はあちこちの属国に展開したまま。
 交渉はズルズルと延びて“停戦”はいつまでも“終戦”にならなかった。
 それに決着をつけるべく、いまこの国には、ベネディクト王国の王太子殿下と数名の要人が来訪している。

 このまえ助けてくれたイーリアス・クレイド・ホメロス将軍もその一行の1人。
 私の顔は『肖像画で拝見しました』とのこと。

 父や兄は、妹たちをクロノス殿下に近づけ、あわよくば政略結婚やハニートラップによって譲歩させ国交回復を……と狙っていたようだが、うまくいっていないらしい(第3王女ウィルヘルミナは婚約で途中脱落)。

 それで私にも色仕掛けに加われと言ってくる。
 真剣に和平交渉しに来ている人たちに、正直失礼だと思う。


 そんなことを考えていたら。
 ────後ろから女の手が延びてきて私の胸を鷲掴みにした。


「────!!!?」ゾッとした。

「お姉さまっ! 今日も素晴らしく大きなお胸ですわねっ」


(やめて!!! やめてやめて!!)

 息ができない。
 過去の恐怖が、私の身体をガチガチに固めてしまう。
 相手が妹だとわかっていても。


「うらやましいですわ! 私もこれぐらい実ればいいのに」


 無邪気なセリフに背筋が凍る。
 喉がふさがって声が出せない。
 会場の端にいたせいで、周りはトリニアス貴族だらけ。
 微笑ましい光景だとでも言いたげに、あるいはいやらしいものを見下すように笑っている。
 誰も止めてくれない。


(止めて。お願いだから。誰か助けて……!!!)


「ちょ!? い、痛!!」


 私の胸が無礼な手から解放され、妹が悲鳴をあげる。
 おそるおそる後方を見て、私はぎょっとした。
 身体の大きな男性が、妹────16歳の第4王女エルミナの腕を捻りあげている。

 再びのイーリアス・クレイド・ホメロス将軍だった。
 妹が甲高い声で叫ぶ。


「痛、痛い!! ……な……なによ!! 私を誰だと思っているのよ!? 離しなさい!! 痛いじゃないの!!」

「いくら同性とはいえ、女性の胸に無遠慮に触れるような無体な真似は見過ごしかねます」

「やめ、痛いってば! 放して!!」


 妹の叫び声に呪縛が解かれたように、はっ、と、私は息を吸った。
 口が動く。身体が動く。喉も。


(…………助かった…………)


 また、助けてくれた。

 ホメロス将軍の大きな傷のある整った顔には表情がほとんど現れず、冷徹な恐さをかもし出している。
 だけど威圧感のあるその姿が、今は頼もしかった。


「────僭越せんえつながら、周りの皆様の態度にも疑問を抱かざるを得ぬのですが。
 現王家の中で、ただ1人嫡出で正統なお立場である王女殿下です。
 その危機、臣下ならば身を呈してお守りするべきではないのですか?」


 その強面こわもての彼が周囲の紳士淑女たちをねめつけ諭し始めたところで、私はあわてた。


「ありがとうございます、ホメロス将軍閣下。もうよろしいですわ」

「御身に別状ありませんか?」

「ええ。本当に、ありがとうございました。おかげで大変助かりましたわ」


 そう言うと、やっとホメロス将軍は妹の腕を放す。

 痛そうに腕を押さえ、そそくさと逃げようとするエルミナの肩に私は手を置いて、


「────二度とするなと言ったでしょう?」


低い声でささやくと、ひゃっ、と変な声をあげて彼女は逃げていった。


 同時に、周囲の紳士淑女も気まずそうにその場を去っていく。
 私たちの周りには、一時的に人がいなくなった。


「お顔色がよろしくないように見受けられます。椅子にお掛けになっては?」

「そうですわね……少し、休ませていただきます」


 エルミナは悪気がないのだと思うけど、私はをされると、一気に体調が悪くなる。
 呼吸がしづらく、吐き気がして気分が悪くなってしまう。

 近くに置かれたソファに、私は腰かけた。

 ホメロス将軍はその場を離れたが、すぐに戻ってきた。
 手には……厚手のショール?


「城の方に借りて参りました」
「……あ、ありがとう……ございます」


 ぱさり、と、肩にかけてくれる。温かい。
 私はそのショールを胸周りにまで回した。
 ドレスのせいで上の方が露出した胸────兄曰く、『デカブツ』────を覆うことができて、ほっと一息つく。


(……夜会のマナーだからであって、好きで胸元出してるわけじゃないのに)


 今夜も周囲の男女から向けられてきた好奇と嫌悪の目を思い出しては、ついムカムカしてしまう。

 そんな私から、少し離れてホメロス将軍は座った。
 少し離れてくれて助かった。やっぱり、彼の大きな身体は───いえ、男の人は、恐いから。

 私は改めて彼をしっかりと見る。

 緑がかった暗い灰色アッシュの短髪に、淡めのヘーゼルの瞳。
 その整った顔に負った大きな傷は、よく見ると複数の火傷と斬り傷が混ざっている。
 戦場で負ったのだろうか。


「あの、お気遣いくださりありがとうございます、ホメロス将軍」

「イーリアスでかまいませんが」

「いえ、将軍とお呼びいたしますわ。我が国の者がお見苦しいところを重ねてお見せしてしまい、申し訳ない限りですわ。それから」


 そうだ、これもお礼を言おうと思っていたのだ。


「あの時、父に何か言ってくださったのでしょう? あれから人員が回って、とても助かりましたわ」

「そうですか。それならば良かったですが」

「ええ。毎日2時間ほどしか眠れませんでしたのが、最近は4時間眠れるようになりましたの!」

「…………恐れながら王女殿下、それはまだ足りていないと愚考いたします」


 表情の変化は相変わらずほとんどないけれど、しっかりと私の目を見て話してくれる。


 どうせ私は、夜会からの退出を許されていない。
 そしてここにいる限り、胸目当ての殿方ばかりが話しかけてくるだろう。

 それなら、ホメロス将軍としばらく話している方がいい。


「殿下、何か飲まれますか? ────いや、あまりお眠りになっていないのでしたら、酒はおやめになった方が良いですね」

「そう……ですわね。度数の低いものを1杯だけいただきますわ」


   ◇ ◇ ◇
しおりを挟む
感想 38

あなたにおすすめの小説

政略結婚だけど溺愛されてます

紗夏
恋愛
隣国との同盟の証として、その国の王太子の元に嫁ぐことになったソフィア。 結婚して1年経っても未だ形ばかりの妻だ。 ソフィアは彼を愛しているのに…。 夫のセオドアはソフィアを大事にはしても、愛してはくれない。 だがこの結婚にはソフィアも知らない事情があって…?! 不器用夫婦のすれ違いストーリーです。

【二部開始】所詮脇役の悪役令嬢は華麗に舞台から去るとしましょう

蓮実 アラタ
恋愛
アルメニア国王子の婚約者だった私は学園の創立記念パーティで突然王子から婚約破棄を告げられる。 王子の隣には銀髪の綺麗な女の子、周りには取り巻き。かのイベント、断罪シーン。 味方はおらず圧倒的不利、絶体絶命。 しかしそんな場面でも私は余裕の笑みで返す。 「承知しました殿下。その話、謹んでお受け致しますわ!」 あくまで笑みを崩さずにそのまま華麗に断罪の舞台から去る私に、唖然とする王子たち。 ここは前世で私がハマっていた乙女ゲームの世界。その中で私は悪役令嬢。 だからなんだ!?婚約破棄?追放?喜んでお受け致しますとも!! 私は王妃なんていう狭苦しいだけの脇役、真っ平御免です! さっさとこんなやられ役の舞台退場して自分だけの快適な生活を送るんだ! って張り切って追放されたのに何故か前世の私の推しキャラがお供に着いてきて……!? ※本作は小説家になろうにも掲載しています 二部更新開始しました。不定期更新です

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?

雨宮羽那
恋愛
 元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。 ◇◇◇◇  名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。  自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。    運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!  なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!? ◇◇◇◇ お気に入り登録、エールありがとうございます♡ ※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。 ※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))

元王妃は時間をさかのぼったため、今度は愛してもらえる様に、(殿下は論外)頑張るらしい。

あはははは
恋愛
本日わたくし、ユリア アーベントロートは、処刑されるそうです。 願わくは、来世は愛されて生きてみたいですね。 王妃になるために生まれ、王妃になるための血を吐くような教育にも耐えた、ユリアの真意はなんであっただろう。 わあああぁ  人々の歓声が上がる。そして王は言った。 「皆の者、悪女 ユリア アーベントロートは、処刑された!」 誰も知らない。知っていても誰も理解しない。しようとしない。彼女、ユリアの最後の言葉を。 「わたくしはただ、愛されたかっただけなのです。愛されたいと、思うことは、罪なのですか?愛されているのを見て、うらやましいと思うことは、いけないのですか?」 彼女が求めていたのは、権力でも地位でもなかった。彼女が本当に欲しかったのは、愛だった。

【完】ええ!?わたし当て馬じゃ無いんですか!?

112
恋愛
ショーデ侯爵家の令嬢ルイーズは、王太子殿下の婚約者候補として、王宮に上がった。 目的は王太子の婚約者となること──でなく、父からの命で、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢を婚約者となるように手助けする。 助けが功を奏してか、最終候補にシャルロットが選ばれるが、特に何もしていないルイーズも何故か選ばれる。

最初から勘違いだった~愛人管理か離縁のはずが、なぜか公爵に溺愛されまして~

猪本夜
恋愛
前世で兄のストーカーに殺されてしまったアリス。 現世でも兄のいいように扱われ、兄の指示で愛人がいるという公爵に嫁ぐことに。 現世で死にかけたことで、前世の記憶を思い出したアリスは、 嫁ぎ先の公爵家で、美味しいものを食し、モフモフを愛で、 足技を磨きながら、意外と幸せな日々を楽しむ。 愛人のいる公爵とは、いずれは愛人管理、もしくは離縁が待っている。 できれば離縁は免れたいために、公爵とは友達夫婦を目指していたのだが、 ある日から愛人がいるはずの公爵がなぜか甘くなっていき――。 この公爵の溺愛は止まりません。 最初から勘違いばかりだった、こじれた夫婦が、本当の夫婦になるまで。

雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜

川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。 前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。 恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。 だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。 そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。 「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」 レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。 実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。 女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。 過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。 二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。

処理中です...