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5年目 リモート飲みのカレーヌードル(2)
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ポテトチップスとチョコレート、両方の袋を開けてしまってから、買い込みすぎたことに気がついた。2人がかりで一晩かけて食べる量だった。
今橋さんはロング缶を3本空にして、そろそろ体を真っ直ぐにしているのが辛くなってきたようで、背もたれに上半身の体重をずっしりかけてさきイカを噛んでいる。
「どうですか巡さん、やっぱり人は減りましたか、通勤は」
「そうですね、まあ結果として楽なんですが」
今夜この話は2度目だし、たぶん前にも何度か電話でしたことがある。2人でだらだらと街を歩いているといくらでも新しい話題が出てくるので、こうも堂々めぐりの飲み会は新鮮だなと巡は思う。
「巡さんはでも、ご実家は近いからあんまりご心配もなさってませんかね」
「はい、まあ。今橋さんは遠方ですもんね」
「向こうこそ年寄りですから気をつけてほしいものですが、離れて暮らす家族というのはどうも気になるようでして、ああ、ちょっとすみませんお手洗い」
「はいどうぞ」
画面の中の今橋さんが立ち上がったので、巡も席を立った。カップ麺が食べたいと思った。電気ケトルで湯を沸かす。カエルが支える小さな画面をときどき振り返る。ゲーミングチェアの黒い背もたれだけが写っている。ライムチューハイの缶と湯を注いだカップ麺を持って席につくと、ちょうど今橋さんも、透明な液体の入ったジョッキを持って帰ってきたところだった。
「さすがに少し冷まそうかと思いまして」
「トニックですか」
「お察しのとおり」
巡はカップ麺の蓋を開け、まだ硬い麺をほぐして啜った。いつの間にか日付が変わろうとしている。今橋さんは続けた。
「ですからね、家で仕事できるならいっそこっちに帰ってきたらどうとか言うわけです。たしかにこちらの方がやや都会ですが、そういう問題ではないと思うんですが」
「え、帰るんですか」
巡は箸を置いた。
「え、まさか」
今橋さんはジョッキを置いた。
「これ以上遠くに行ってどうするっていうんです」
今橋さんは言った後、あ、とでも言うような顔をして、両手で口を覆った。耳が赤くなっているんじゃないかと巡は思ったけれど、カメラ越しではよくわからない。
交際を始めてから5年、一緒に住もうどころか、近くに引っ越そうという話すら、2人の間に出たことはない。それで困ったことはなかったけれど、今初めて、同じ家に暮らしていれば違ったかと考えている。寝間着と下着と歯ブラシをお互いの部屋に置けば、片道40分くらいなんということもなかったはずなのに。
巡は言った。
「俺も、今橋さんと離れるのは嫌ですよ」
画面の中で、今橋さんが繰り返しまばたきをする。気のせいかも知れないけれど、耳どころか頬まで赤く染まっている気がする。今すぐお互いの体を抱きしめ合って、そのまま2人で眠れたら良いのにと思う。
痛い。おかしいと思って目を開ける。回りを見渡して、自分が床で眠っていたことに気がついた。
毛布の1枚もかぶらず、ただ床に倒れて眠っていた。体を起こす。頭も首も肩も腰も痛い。カレーのにおいがする。
机を見た。真っ暗な画面のスマートフォンの横に、食べかけのカップ麺が残っていた。麺が水分という水分をすべて吸い込み、ぶよぶよにふくらんでいる。
巡はカップを手に取り、刺さっていた箸で麺をつまんだ。伸び切った上に冷めた麺はすすりづらくて、箸で口に掻き込めるだけ搔き込み、もくもくと奥歯で噛む。鼻を冷やすカレーのにおいのあと、油と小麦の味が舌に貼り付く。
麺を噛みながら、箸をカップに戻して空けた手で、カエルに持たせたままのスマートフォンのロックを解除する。1時48分に、今橋さんからメッセージが入っていた。
『お疲れのようですので解散とさせていただきましたが、ご記憶にあるでしょうか。あたたかくしてお休みになるようお気をつけください』
記憶にないし、一晩床でのびていた。巡は笑って、次のひとかたまりを口に入れた。また箸から手を離して、スマートフォンに入力する。
『全然覚えてませんし床で寝てました。でもまた飲みましょう。リモートのやり方はわかりました』
ぐずぐずとした麺をすべて、立ったまま胃に収める。今橋さんと話した夜を噛んで飲み下す。スマートフォンに通知がある。今橋さんだった。
『それはもちろんですが、やはりご一緒に飲む方が安心だと理解しました。僕も二日酔いです』
空になったカップと、昨日飲み干してそのままだったらしいライムチューハイとラムネサワーの缶をまとめて、キッチンの流しに運んだ。1つずつすすいで、それぞれしかるべきゴミ箱に捨てた。
部屋に戻り、スマートフォンをカエルの手から取り上げた。9時48分。寝直しても許される時間だと思う。ベッドに横たわった。床に痛めつけられた体をマットレスに預ける。
『その時はピザか湯葉ですね』
枕元にスマートフォンを置いて目を閉じた。昨夜の、たぶん耳を真っ赤にしていただろう今橋さんの顔を、この部屋で直接見たみたいに思い浮かべる。そのうちにまた、ほんの40分の距離くらい自由に出歩いて、あの頬に触ったり、あの指で触られたりすることになるだろう。少なくとも、2人はお互いにそれを望んでいるわけだから。
今橋さんはロング缶を3本空にして、そろそろ体を真っ直ぐにしているのが辛くなってきたようで、背もたれに上半身の体重をずっしりかけてさきイカを噛んでいる。
「どうですか巡さん、やっぱり人は減りましたか、通勤は」
「そうですね、まあ結果として楽なんですが」
今夜この話は2度目だし、たぶん前にも何度か電話でしたことがある。2人でだらだらと街を歩いているといくらでも新しい話題が出てくるので、こうも堂々めぐりの飲み会は新鮮だなと巡は思う。
「巡さんはでも、ご実家は近いからあんまりご心配もなさってませんかね」
「はい、まあ。今橋さんは遠方ですもんね」
「向こうこそ年寄りですから気をつけてほしいものですが、離れて暮らす家族というのはどうも気になるようでして、ああ、ちょっとすみませんお手洗い」
「はいどうぞ」
画面の中の今橋さんが立ち上がったので、巡も席を立った。カップ麺が食べたいと思った。電気ケトルで湯を沸かす。カエルが支える小さな画面をときどき振り返る。ゲーミングチェアの黒い背もたれだけが写っている。ライムチューハイの缶と湯を注いだカップ麺を持って席につくと、ちょうど今橋さんも、透明な液体の入ったジョッキを持って帰ってきたところだった。
「さすがに少し冷まそうかと思いまして」
「トニックですか」
「お察しのとおり」
巡はカップ麺の蓋を開け、まだ硬い麺をほぐして啜った。いつの間にか日付が変わろうとしている。今橋さんは続けた。
「ですからね、家で仕事できるならいっそこっちに帰ってきたらどうとか言うわけです。たしかにこちらの方がやや都会ですが、そういう問題ではないと思うんですが」
「え、帰るんですか」
巡は箸を置いた。
「え、まさか」
今橋さんはジョッキを置いた。
「これ以上遠くに行ってどうするっていうんです」
今橋さんは言った後、あ、とでも言うような顔をして、両手で口を覆った。耳が赤くなっているんじゃないかと巡は思ったけれど、カメラ越しではよくわからない。
交際を始めてから5年、一緒に住もうどころか、近くに引っ越そうという話すら、2人の間に出たことはない。それで困ったことはなかったけれど、今初めて、同じ家に暮らしていれば違ったかと考えている。寝間着と下着と歯ブラシをお互いの部屋に置けば、片道40分くらいなんということもなかったはずなのに。
巡は言った。
「俺も、今橋さんと離れるのは嫌ですよ」
画面の中で、今橋さんが繰り返しまばたきをする。気のせいかも知れないけれど、耳どころか頬まで赤く染まっている気がする。今すぐお互いの体を抱きしめ合って、そのまま2人で眠れたら良いのにと思う。
痛い。おかしいと思って目を開ける。回りを見渡して、自分が床で眠っていたことに気がついた。
毛布の1枚もかぶらず、ただ床に倒れて眠っていた。体を起こす。頭も首も肩も腰も痛い。カレーのにおいがする。
机を見た。真っ暗な画面のスマートフォンの横に、食べかけのカップ麺が残っていた。麺が水分という水分をすべて吸い込み、ぶよぶよにふくらんでいる。
巡はカップを手に取り、刺さっていた箸で麺をつまんだ。伸び切った上に冷めた麺はすすりづらくて、箸で口に掻き込めるだけ搔き込み、もくもくと奥歯で噛む。鼻を冷やすカレーのにおいのあと、油と小麦の味が舌に貼り付く。
麺を噛みながら、箸をカップに戻して空けた手で、カエルに持たせたままのスマートフォンのロックを解除する。1時48分に、今橋さんからメッセージが入っていた。
『お疲れのようですので解散とさせていただきましたが、ご記憶にあるでしょうか。あたたかくしてお休みになるようお気をつけください』
記憶にないし、一晩床でのびていた。巡は笑って、次のひとかたまりを口に入れた。また箸から手を離して、スマートフォンに入力する。
『全然覚えてませんし床で寝てました。でもまた飲みましょう。リモートのやり方はわかりました』
ぐずぐずとした麺をすべて、立ったまま胃に収める。今橋さんと話した夜を噛んで飲み下す。スマートフォンに通知がある。今橋さんだった。
『それはもちろんですが、やはりご一緒に飲む方が安心だと理解しました。僕も二日酔いです』
空になったカップと、昨日飲み干してそのままだったらしいライムチューハイとラムネサワーの缶をまとめて、キッチンの流しに運んだ。1つずつすすいで、それぞれしかるべきゴミ箱に捨てた。
部屋に戻り、スマートフォンをカエルの手から取り上げた。9時48分。寝直しても許される時間だと思う。ベッドに横たわった。床に痛めつけられた体をマットレスに預ける。
『その時はピザか湯葉ですね』
枕元にスマートフォンを置いて目を閉じた。昨夜の、たぶん耳を真っ赤にしていただろう今橋さんの顔を、この部屋で直接見たみたいに思い浮かべる。そのうちにまた、ほんの40分の距離くらい自由に出歩いて、あの頬に触ったり、あの指で触られたりすることになるだろう。少なくとも、2人はお互いにそれを望んでいるわけだから。
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