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6年目 もりそば、河川敷のチューハイ(1)

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 改札の向こうに今橋さんが見えた。なにかの店のハロウィンフェアの電子広告が出ている柱に寄りかかって、イヤホンをしてスマートフォンを触っていた。
 めぐるが改札を抜けたとき、今橋さんは顔を上げた。こちらを見て右手を振った。眼鏡の陰とマスクで表情がわかりづらいけれど、きっと笑っていると巡は思った。
 今橋さんはイヤホンを片方外して、お疲れ様ですと言った。
「ごめんなさいお待たせしちゃって」
「いーえ全然、僕こそごめんなさいね金曜の昼日中に」
「や、振休とりそびれてたんで、いいんです」
「なんか、マスクしてると印象違いますね、やっぱり」
「それはお互いで」
 今橋さんはイヤホンをスマートフォンに巻きつけて、丸ごと胸ポケットにしまった。左肘に引っかけていた紙袋を右手に持ち直し、巡の目の高さまで持ち上げた。
「これね今年近所にできた洋菓子屋のね、いけるんですよウイスキーに、ココアフィナンシェ」
「あ、どうも、俺なんにも用意してないんですけど」
「いえいえ。めぐるさんはねいつも鞄が大きいから、そんな邪魔にならないかなあと思った次第で」
 巡は肩から下げた鞄に紙袋をしまいながら、それほど大きくもないと思った。今橋さんは今日も胸ポケットにスマートフォン、ズボンの右ポケットに財布だけのスタイルで、それと比べれば大荷物と言えなくはない。
「それでねめぐるさん、今日の一応の目標は川風に吹かれてちょいと一杯なわけですけど、でもねこっち来ていただいたらわかるとおりで」
 今橋さんに促されて歩くとすぐ、駅舎から隣のビルに繋がる歩道橋に出た。小さなバスロータリーと鳥に似たモニュメントが見え、その向こうの灰褐色のアーケードを今橋さんは指さした。
「いい感じの商店街があるんで、まずはあのあたりから探検してみようかと」
 くらしの仲町商店街と書いてある、そのアーケードを車窓から何度も見たことがあると巡は気づいた。

 歩道橋を降り、先に駅舎1階のコンビニに入った。最低限のものだけ買っていこうと言い合い、巡はレモンチューハイひと缶とサラダチキンバーを2本、今橋さんは季節限定のぶどうチューハイをひと缶と太いかにかまを2本買った。今橋さんが自分の分のビニール袋を直接肘に引っかけたので、俺持ちますよと言ってみたけれど、いーえいいえと断られた。
「僕ねあのアーケード、めぐるさんちに行くたんび電車から見てたから、いつかこの駅で降りてみねばと思っていたので今日は嬉しいです」
「俺も見えてたのさっき思い出したんですけど、なんでかな、ノーマークでした」
 今橋さんと巡とは、電車で乗り換え1回、徒歩含めて片道40分ほど離れたところでそれぞれ暮らしている。ここは乗換駅から3つ、今橋さんの家に寄った駅だ。会おうと思えばいつでも会える距離ではあるけれど、この1年半はどうにも、お互いに言い出すきっかけが少なかった。
 アーケードをくぐるとさっそく店頭にダンボール入りの商品を積んでいる日用雑貨店があったので、巡は軒先で屈み込んだ。100円均一の皿、300円均一の茶碗とコップ、どれでも10円の扇子と古本。100円均一の箱から手のひらほどの大きさの皿を2枚とり、真後ろに立っている今橋さんに見せる。
「これかわいくないですか、飲んだくれたペンギンの皿と、こっちなんでしょうねこのバッドばつ丸もどきは」
 今橋さんも腰を曲げ、巡の肩越しに、バッドばつ丸もどきの皿に触った。
「確かに、サンリオのバッタもんの風情です」
 巡は両手に皿を持って店に入った。信楽焼のたぬきに似たおばあさんが店番をしていて、会計のあとにミルクキャラメルを2つくれた。
「キャラメルもらいました」
 今橋さんの手のひらにキャラメルをひとつ置く。
「ほんとだ。いま食べちゃったらやばいですかねご時世柄」
「いや、マスクの下でちょっとお菓子食べるくらい許してほしいとこで」
 今橋さんは右耳からマスクの紐を外して、隙間からキャラメルを口に放り込んですぐまたマスクをした。顎の線にぼつぼつと剃り残された髭が見えた。
「髭」
「あ、まじですか。リモートだとあんまばれないから処理甘くなってるんですよね」
 巡も今橋さんと同じ手順で、キャラメルを口に入れてマスクを直した。想像したより少し苦くて、最後に食べたのはいつだっただろうと考えた。

 喫茶店、美容室、聞いたことのない100円ショップ、輸入食品ストア。平日の昼としてはそこそこ賑わっているようではある。輸入食品ストアの表に正体不明の果物もしくは野菜の干したのがぶら下がっていて、値札に紫色のマジックで「大特価!!!!!」と書かれていた。
 井桁豆腐と看板の出ている店の前で、今橋さんはあーとうなった。入っていいですよと巡が促すと、いやあうちの近所の豆腐屋店畳んじゃってと言って扉をくぐった。
 店に入った今橋さんは、ステンレスの水槽に浮かんでいる豆腐を覗いたり袋入りの薄揚げを裏返して成分表示を見たりしたあと、パック入りの生湯葉を手にとってレジに向かった。湯葉に醤油とわさびを添えたのが好きだそうで、どんな居酒屋に入っても、メニューにあると必ず注文する。

 初めて会った、というよりは見かけたときも、生湯葉、その店のメニューでは湯葉刺しを今橋さんはつついていた。コの字型のカウンター席で隣り合ったおじさんに肩を組まれながら、芋焼酎のお湯割りを舐めて、反対隣のお姉さんの、前の男がいかに最低だったかについての話をへえへえと聞いていた。おじさんもお姉さんも小柄だったので、背の高い今橋さんはずいぶん体を丸めていた。その姿がよく馴染んでいて、コの字の角から眺めていた巡は、きっと常連なのだろうと思った。次に同じ店に行ったときに隣になって、僕はここ2回目でと言われた。
「そんなこと言ったらめぐるさんこそ、あれは一見の客の風格じゃなかったです」
 時おり2人で出かけるようになったあと、鳥貴族のキャベツ盛りを食べながら今橋さんはそう言った。湯葉刺しの店はごく普通の大衆居酒屋だったのだけれど、あの日大将が唐突に三線を弾きはじめ、気持ちよく酔っ払っていた巡はヤマ勘でカチャーシーを踊った。今橋さんの肩を抱いていたおじさんが、ビールの中瓶ともつ煮を奢ってくれた。
「しかもねえ、パンダの一行が地獄めぐりしてるTシャツを着てました」
「あー、地獄の針山で子パンダがスキージャンプしてる」
「あーじゃないですからね」

 今橋さんは湯葉のパックと保冷剤と、レジの横に置いてあった「ご自由にお取りください おいしいおからの炊き方」のカードを、肘からぶら下げているコンビニの袋に入れた。振り向いて巡を見、しばらくしてからあぁと言う。
「今日のその服、なんて書いてあるのかなって思ってました、じゅーだすってユダだ。じゅーだすあいすきゃろっと、イスカリオテのユダ。フォントがポップすぎてわかんなかったです」
 巡は今橋さんに背中を向けた。
「はい、だからほら背中は、銀貨30枚。6個かける5列で」
 グレー地にピンク色で「Judas Iscariot」、背中に同じ色で、30個のいびつな丸が並んだシャツだ。今橋さんは肩甲骨近くの丸に指の先で触れたあと、失礼と言って手を引っ込めた。
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