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Chapter6 憤怒の髪
第62話 屋上の攻防
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「栄ちゃん先輩、危ない!」
光る巨大な腕が一人の男子を掴み、黒い蒸気を発しながら迫りくる者から遠ざけた。ほんの少しでも距離を取るのが遅ければ、少年は黒い蒸気を発する者に引き裂かれていたことだろう。
握り締められていた巨大な拳が開かれ、中の男子がそっと地上に降り立つ。
地上と言っても、ここは建造物の屋上であって正確には地上ではないのだが、足が着く地であると考えれば地上であると言えるだろう。
「サンキュー、彩香。さすがだぜ、超可愛い!」
「分かってることいちいち言わなくてもいいから、ほら、次来るよ!」
黒い蒸気を発する者、怒髪天突は空高く飛び上がり、栄作に向けて高速落下する。
なんとかここまで持ちこたえた栄作ではあるが、彼はいまだ力を発現できていなかった。
身体能力も常人で、特殊な能力も持ち得ない栄作に、怒髪の攻撃をかわす術は無かった。
ただし、栄作には――である。
「ぼさっとすんな!」
怒髪の突き出した右腕が栄作に触れようとした刹那、光る脚が割り込み怒髪の身体を蹴り飛ばした。なによりも重く、なによりも硬い怠惰の脚である。
「いやぁ、助かりました瑠野さん。相変わらず美しいっすね」
「アンタよくそんなんで生きてたね。私達、来てから助けてばっかなんだけど」
「必死に逃げ回ってましたから、なんとか! でも、こっから違いますよ。二人が来てくれたんだ、反撃開始っす」
「て言っても、アンタ何の力もないんだろう? 殺されるだけだって」
「でしょうね。それでも、やらなきゃならないんすよ。女性二人が闘ってんすから、男の俺が縮こまっているわけにはいかんでしょう」
「へぇ」
瑠野は感心した。
闘えば栄作は死ぬ。
それは間違いないだろう。誰の目から見ても明白だ。確定された未来と言ってもいい。
しかし、それを分かっていながら、栄作は闘う、と言う。
生死を度外視して闘わなければならない、と言う。
栄作の覚悟を愚かだという者もいるだろう。嘲笑する者もいるだろう。死ねば全てを失うのだから。
瑠野はふと思った。きっとあの男は彼を見ても何も思わないのだろう。何も感じないのだろう、と。
それこそ愚か。
栄作は、覚悟を決めた。くだらない理由で覚悟を決めた。格好良いではないか。
理由などどうであれ、覚悟を決めた者の姿は、眩しく映るほどに格好良いではないか。そう思ったから、だから瑠野は――
「よし、アタシも付き合うよ。思ってたよりアンタいい男だった」
「あはは、惚れてくれてもいいっすよ」
「生きてたら考えとく」
「まじ!? よっしゃ、だったらなにがなんでも勝たなきゃな!」
両の拳を天に突き上げ栄作は吠えた。
言葉にはなっていない、獣の雄たけびのように。
「栄ちゃん先輩、瑠野。彩香も忘れないでね。三人であいつを倒そう」
力を持つ女性二人が、なんの力も持たない男子を挟むようにして構える。
じろり、と怒髪の目が三人を睨みつけた。人間の姿ではあるが、異様さと威圧感は悪魔のそれと同等である。
黒時がいない悪魔との戦闘。
それは、ベルフェゴールに立ち向かった彩香と駄紋の時と同様に早々に決着がついた。
結果も変わらず、人間側の敗北。
そしてその敗北は、すぐさま一人の命を奪おうとしていた。
ここはラブホテルの屋上である。先述の通り、地上と言うにはいささか語弊のある場所だ。
もしここが本当に語弊もなにも無く、誰が見ても地上であると言えるような場所であったならば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
命の危機に瀕することはなかったのかもしれない。
先制攻撃と言わんばかりに強欲の腕を伸ばした彩香であったが、どうやら怒髪はそれを待っていたようで、巨大な光る腕を逆に掴み、そして上空へと放り投げた。
次に怒髪は、上空の彩香を心配して空を見上げている瑠野に狙いを定め、彼女が気付く前に腹部を一度殴りつけた。
血や吐物を吐き出しながら、まるで糸の切れた人形のように、瑠野の身体は崩れ落ちた。
最後は栄作だった。
隣で瑠野が殴られたことに気付いた栄作は、すぐさま迎撃の構えをとったが、時は既に遅く、栄作の身体は怒髪に蹴り飛ばされた後だった。
これが、彼を命の危機に追いやった要因である。
彩香のような縦の動きならば問題はなかったのだが、蹴り飛ばされた栄作の動きは横の動きであった。
建造物の屋上という場所で大きく横移動すれば、当然足場はなくなり、地ではなく宙へ足を着けることになる。
だがまあ、それは宙へ足を着けることができればの話であって、人間は到底そんなことはできやしない。だからつまり栄作は、そのまま、渇望する地上へと落下していくしかないのである。
「うおおぉぉぉ――! 死んで、たまるかぁ!」
根性、と言うべきものだろうか。
空中へ飛ばされた栄作は、まるで宙を泳ぐかのように必死に手足をじたばたさせ、ほんの少し建造物の方へと戻った。
そしてそれにより、指先を屋上の淵にかけることができたのである。しかし、無事生還とは言い切れない。
指先の力だけで身体を持ち上げることはできそうにもないし、それに栄作が落下していないことに怒髪が気付かないはずがない。
栄作の命は、いまだ死と隣り合わせなのである。
自分の力で助かることができないとなると、最早他人の力を借りるしか手はないわけだが、それも望みは薄い。
瑠野は先程の怒髪の攻撃で完全に意識を失っていたし、彩香は上空へと放り投げられている。
まだ意識のある彩香に期待したいところではあるが、それは少々酷な話だ。
彼女は今、身動きのとれない空中で、怒髪と対峙しているのだから。
歯を食いしばりながら必死に耐えている栄作の耳に、女性の悲鳴が聞こえた。疑いようもなく、それは彩香の悲鳴だった。
これで終わった、と栄作は悟る。何もかもが終わった、と悟る。
瑠野がやられ、彩香がやられ、次は栄作の番。
栄作は一度、下を向いた。
冷たい風が身体を通ったせいか、それとも恐怖のせいか、栄作の身体ががたがたと震えだす。
このまま下を向き続けていると気がおかしくなりそうだ、と感じた栄作は上を向いて潔く待つことにした。死刑執行人の姿が現れるのを、じっと待つことにした。
栄作の耳に小さな足音が届く。
それは、死へのカウントダウンの始まり告げる音だった。
残り――数カウント。
時が満ちれば、栄作の支えである指先は踏みつけられ、支えを失くした栄作の身体は重力に従って、自然の摂理に従って、その身を地上へと落としていくことだろう。
次第に栄作の耳に届く音が大きくなっていく。栄作の身体からは、どういうわけか大量の汗が噴き出していた。
残り――三カウント。
三、二、一。
本当に三カウントだったのかと思ってしまうぐらいに栄作にとっては長い時間だった。
まるで何時間も経過したような、別次元の中に迷い込んでしまっていたかのような、そんな感じであった。
しかし、だからと言って現実が変わるわけではない。
栄作の元へ向かってくる者がいなくなったわけではない。全てはそのまま――である。
けれど。
それでよかった。
何も変わらず、そのままであってくれて本当によかった、と栄作は心の底からそう思った。耳に届いていたあの音は、死へのカウントダウンなんかではなく、生への復帰時間だった。
屋上から顔を出し、栄作を見下ろすその者は、ゆっくりと、そしてしっかりと、栄作の支えである右手を握り締めた。
そして、彼は一言こう言ったのである。
「遅くなった」
栄作は、ほっと安堵した。
光る巨大な腕が一人の男子を掴み、黒い蒸気を発しながら迫りくる者から遠ざけた。ほんの少しでも距離を取るのが遅ければ、少年は黒い蒸気を発する者に引き裂かれていたことだろう。
握り締められていた巨大な拳が開かれ、中の男子がそっと地上に降り立つ。
地上と言っても、ここは建造物の屋上であって正確には地上ではないのだが、足が着く地であると考えれば地上であると言えるだろう。
「サンキュー、彩香。さすがだぜ、超可愛い!」
「分かってることいちいち言わなくてもいいから、ほら、次来るよ!」
黒い蒸気を発する者、怒髪天突は空高く飛び上がり、栄作に向けて高速落下する。
なんとかここまで持ちこたえた栄作ではあるが、彼はいまだ力を発現できていなかった。
身体能力も常人で、特殊な能力も持ち得ない栄作に、怒髪の攻撃をかわす術は無かった。
ただし、栄作には――である。
「ぼさっとすんな!」
怒髪の突き出した右腕が栄作に触れようとした刹那、光る脚が割り込み怒髪の身体を蹴り飛ばした。なによりも重く、なによりも硬い怠惰の脚である。
「いやぁ、助かりました瑠野さん。相変わらず美しいっすね」
「アンタよくそんなんで生きてたね。私達、来てから助けてばっかなんだけど」
「必死に逃げ回ってましたから、なんとか! でも、こっから違いますよ。二人が来てくれたんだ、反撃開始っす」
「て言っても、アンタ何の力もないんだろう? 殺されるだけだって」
「でしょうね。それでも、やらなきゃならないんすよ。女性二人が闘ってんすから、男の俺が縮こまっているわけにはいかんでしょう」
「へぇ」
瑠野は感心した。
闘えば栄作は死ぬ。
それは間違いないだろう。誰の目から見ても明白だ。確定された未来と言ってもいい。
しかし、それを分かっていながら、栄作は闘う、と言う。
生死を度外視して闘わなければならない、と言う。
栄作の覚悟を愚かだという者もいるだろう。嘲笑する者もいるだろう。死ねば全てを失うのだから。
瑠野はふと思った。きっとあの男は彼を見ても何も思わないのだろう。何も感じないのだろう、と。
それこそ愚か。
栄作は、覚悟を決めた。くだらない理由で覚悟を決めた。格好良いではないか。
理由などどうであれ、覚悟を決めた者の姿は、眩しく映るほどに格好良いではないか。そう思ったから、だから瑠野は――
「よし、アタシも付き合うよ。思ってたよりアンタいい男だった」
「あはは、惚れてくれてもいいっすよ」
「生きてたら考えとく」
「まじ!? よっしゃ、だったらなにがなんでも勝たなきゃな!」
両の拳を天に突き上げ栄作は吠えた。
言葉にはなっていない、獣の雄たけびのように。
「栄ちゃん先輩、瑠野。彩香も忘れないでね。三人であいつを倒そう」
力を持つ女性二人が、なんの力も持たない男子を挟むようにして構える。
じろり、と怒髪の目が三人を睨みつけた。人間の姿ではあるが、異様さと威圧感は悪魔のそれと同等である。
黒時がいない悪魔との戦闘。
それは、ベルフェゴールに立ち向かった彩香と駄紋の時と同様に早々に決着がついた。
結果も変わらず、人間側の敗北。
そしてその敗北は、すぐさま一人の命を奪おうとしていた。
ここはラブホテルの屋上である。先述の通り、地上と言うにはいささか語弊のある場所だ。
もしここが本当に語弊もなにも無く、誰が見ても地上であると言えるような場所であったならば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
命の危機に瀕することはなかったのかもしれない。
先制攻撃と言わんばかりに強欲の腕を伸ばした彩香であったが、どうやら怒髪はそれを待っていたようで、巨大な光る腕を逆に掴み、そして上空へと放り投げた。
次に怒髪は、上空の彩香を心配して空を見上げている瑠野に狙いを定め、彼女が気付く前に腹部を一度殴りつけた。
血や吐物を吐き出しながら、まるで糸の切れた人形のように、瑠野の身体は崩れ落ちた。
最後は栄作だった。
隣で瑠野が殴られたことに気付いた栄作は、すぐさま迎撃の構えをとったが、時は既に遅く、栄作の身体は怒髪に蹴り飛ばされた後だった。
これが、彼を命の危機に追いやった要因である。
彩香のような縦の動きならば問題はなかったのだが、蹴り飛ばされた栄作の動きは横の動きであった。
建造物の屋上という場所で大きく横移動すれば、当然足場はなくなり、地ではなく宙へ足を着けることになる。
だがまあ、それは宙へ足を着けることができればの話であって、人間は到底そんなことはできやしない。だからつまり栄作は、そのまま、渇望する地上へと落下していくしかないのである。
「うおおぉぉぉ――! 死んで、たまるかぁ!」
根性、と言うべきものだろうか。
空中へ飛ばされた栄作は、まるで宙を泳ぐかのように必死に手足をじたばたさせ、ほんの少し建造物の方へと戻った。
そしてそれにより、指先を屋上の淵にかけることができたのである。しかし、無事生還とは言い切れない。
指先の力だけで身体を持ち上げることはできそうにもないし、それに栄作が落下していないことに怒髪が気付かないはずがない。
栄作の命は、いまだ死と隣り合わせなのである。
自分の力で助かることができないとなると、最早他人の力を借りるしか手はないわけだが、それも望みは薄い。
瑠野は先程の怒髪の攻撃で完全に意識を失っていたし、彩香は上空へと放り投げられている。
まだ意識のある彩香に期待したいところではあるが、それは少々酷な話だ。
彼女は今、身動きのとれない空中で、怒髪と対峙しているのだから。
歯を食いしばりながら必死に耐えている栄作の耳に、女性の悲鳴が聞こえた。疑いようもなく、それは彩香の悲鳴だった。
これで終わった、と栄作は悟る。何もかもが終わった、と悟る。
瑠野がやられ、彩香がやられ、次は栄作の番。
栄作は一度、下を向いた。
冷たい風が身体を通ったせいか、それとも恐怖のせいか、栄作の身体ががたがたと震えだす。
このまま下を向き続けていると気がおかしくなりそうだ、と感じた栄作は上を向いて潔く待つことにした。死刑執行人の姿が現れるのを、じっと待つことにした。
栄作の耳に小さな足音が届く。
それは、死へのカウントダウンの始まり告げる音だった。
残り――数カウント。
時が満ちれば、栄作の支えである指先は踏みつけられ、支えを失くした栄作の身体は重力に従って、自然の摂理に従って、その身を地上へと落としていくことだろう。
次第に栄作の耳に届く音が大きくなっていく。栄作の身体からは、どういうわけか大量の汗が噴き出していた。
残り――三カウント。
三、二、一。
本当に三カウントだったのかと思ってしまうぐらいに栄作にとっては長い時間だった。
まるで何時間も経過したような、別次元の中に迷い込んでしまっていたかのような、そんな感じであった。
しかし、だからと言って現実が変わるわけではない。
栄作の元へ向かってくる者がいなくなったわけではない。全てはそのまま――である。
けれど。
それでよかった。
何も変わらず、そのままであってくれて本当によかった、と栄作は心の底からそう思った。耳に届いていたあの音は、死へのカウントダウンなんかではなく、生への復帰時間だった。
屋上から顔を出し、栄作を見下ろすその者は、ゆっくりと、そしてしっかりと、栄作の支えである右手を握り締めた。
そして、彼は一言こう言ったのである。
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