23 / 78
Chapter2 暴食の腹
第22話 三体目の悪魔
しおりを挟む
「ん? あ!? げほげほ、はあ。灰ヶ原先輩、目が覚めたんですね」
二つのボールを組み合わせたような体型をした男は、口の中にある食料を急いで飲み込み喋りかけてきた。
なんでこいつは俺の名前を知っているんだ、と思ったと同時に黒時は思い出した。そうだこの男は学校の屋上で見た男だ、と。両手に食べ物が一杯入ったビニール袋をぶら下げてやって来た男だ、と。
だが、それを思い出したところで、彼が自分の名前を知っている理由にはならなかった。
少年は食べる手を止めて、黒時と向き合いながら話し出した。
「あ、すいません軽々しく呼んでしまって……名前は彩香先輩から聞きました。あと悪魔のことも栄ちゃん先輩から。すごいですね先輩たち、悪魔と闘ってるだなんて。そりゃあ、暴漢なんかを恐れるわけないですよね」
暴漢……ああ、と黒時は思い出す。目の前のこの男は路地で助けた男だった。確か名前は……
「知らないな」
「え?」
「名前」
「あ、ああ、そうですよね、すいません。灰ヶ原先輩はずっと寝てましたから知りませんよね。ごめんなさい、僕の名前は望印蜀駄紋っていいます。それと、お礼も言ってませんでしたね……、助けてくれてどうもありがとうございました」
駄紋はいつもの感じで頭を下げる。それはもう本当にいつもの感じで。だから、黒時には彼が何をしているのかいまいち分からなかった。
「別に助けるつもりだったわけじゃないし、お礼なんていらない。それより、俺にも何か食べ物をくれないか?」
「え? 食べ物……ですか?」
「ああ、腹が減ったんだ」
「…………」
駄紋は肉の厚みでつぶれた目を異様なまでに見開き、呆然と天を見つめだした。天と言っても室内なので天井ではあるが。
口を半分開いた駄紋のその表情は笑っているようにも見える。
突如、貯蔵室の明かりが明滅しだした。一瞬の闇と一瞬の光を交互にもたらし、まるで何か危険信号を発しているかのようである。しかし、黒時は気にすることはなかった。そんなことよりも、早く空腹を満たしたい、そればかりであった。
黒時は駄紋から食べ物を受け取ろうとして、右手を差し出した。ごく普通に、ごく自然に右手を差し出した。駄紋はその差し出された右手をじっと見つめる。見つめる。見つめる。
――見つめる。
そして、冷蔵庫の中を探り、駄紋が黒時に手渡しのは。
一枚のレタスの葉であった。
*
「大変だよ!」
「大変です!」
「ああ、大変だ」
しばらくの休息を終えた後、一〇一号室、つまりは黒時の使用していた部屋に全員集合し、妬美、彩香、黒時の三人がそれぞれ困惑した表情で言った。栄作は三人の迫力に気圧されながらも事情を聞いていく。
「わ、分かったからよ! 一斉に喋るなって。で、何が大変なんだ? えーと、じゃあ、黒時から」
「腹が減ったんだ、非常に。これは、すごく大変だ」
「知るかよ! 適当になんか食い物探してこい!」
「いや、探しには行ったんだが、結果はレタスの葉一枚だった……」
「なんでだよ! どこをどう探したらレタスの葉一枚だけが見つかるんだ!? 逆にすごいぞ、それ」
「レタスの葉一枚じゃ、腹は満たされない。たとえ、丸々一個あっても俺はレタスじゃ……、せめてキャベツなら……」
「んなわけあるか! どうした黒時、腹が減り過ぎておかしくなったのか? お前のキャラらしくねぇぞ」
「ロール……キャベツ……」
「……よしもういい、次、彩香!」
「あのぉ、黒時先輩のベッドに入って寝てたんですけどぉ、先輩、何もしてくれてないんですよねぇ。何で?」
「それも知るか! ていうか、お前何してんだよ! 何を平然と男と一緒に寝てるわけ!? そういうのやめてくんない!? 周りが迷惑すんだよ! それに、黒時が手を出さないからって、大変でもなんでないだろ!」
「あー、栄ちゃん先輩ぎゃあぎゃあ喚かないでよ。うるさい」
「誰のせいだよ! ああもう、次……さすがに先生はこの二人みたいにふざけた話じゃないっすよね?」
「ああ、もしかしたらこの先、大問題にもなりかねない非常事態だ」
「な、何があったんすか?」
静まり返った部屋の中に、ごくり、と栄作が生唾を飲み込む音が響いた。
「貯蔵室の食料が全部なくなっていた」
「え? 全部って……、全部っすか?」
「ああ」
「冷蔵庫の中身、全部?」
「ああ」
「袋の中も?」
「ああ」
「レタスは?」
「灰ヶ原君、今の君は喋らない方がいいと思う」
妬美は用心深い性格である。
それゆえ、といわけでもないけれど、むしろ、サバイバル的な状況下では一番重要とも言えるのだが、妬美はホテルに辿り着いて真っ先に食料と水分の在庫状態を調べていたのだ。たとえ身の危険がなかったとしても、食べ物や水がなければ命というものは簡単にその形を失ってしまう。
貯蔵室を調べた妬美は十分すぎるほどの食料と水があることを知った。それにもし少なかったとしても周辺の店から持ってくれば問題にはならない。金を払わず持ってきては万引きになってしまうが、今はそんなことを気にしている場合でもないだろう。
――つまり。
問題なのは、食料や水分の在庫というわけではなかったのだ。妬美が問題として呈しているのは、自分が確認した十分すぎるほどの食料や水が、少刻の間に全て消えているということだった。
「原因が分からなければ、別の場所から食料を持って来ることもできない。持って来ても、またすぐに消えてしまうだろうからね」
「一体何が起きたってんだよ……」
何が起きたのか。黒時には思い当たる節がある。しかし、それが原因とは考えにくい。さすがに一人の人間が貯蔵室の中身を空にするというのは、無理がある話だ。しかし、少刻前、あの場所にいた駄紋が原因を知っているという可能性は非常に高いだろう。
黒時は横目で駄紋を見やる。
彼はまるっこい体を小刻みに震わせ、何か怯えているような様子だ。仕方がない。こちらから尋ねてみるとするか、とそう思い黒時は言葉を発した。
「なあ、駄――」
――が。
「悪魔だよ! 悪魔が……、悪魔が、全部食べちゃったんだ!」
必死に叫ぶ駄紋。
それはまるで、悪事が見つかった子供のようだった。
ばきばき、と。何かが破壊される音が聞こえる。場所はすぐそば。エントランス。
栄作が急ぎ足で部屋の扉を開けて飛び出て行き、それに続いて全員がエントランスへと出て行った。
そして――
『悪魔とは僕のことかな? あはは、こんにちは。僕の名前はベルゼブブだよ。宜しくね』
新たな悪魔が現れたのだった。
二つのボールを組み合わせたような体型をした男は、口の中にある食料を急いで飲み込み喋りかけてきた。
なんでこいつは俺の名前を知っているんだ、と思ったと同時に黒時は思い出した。そうだこの男は学校の屋上で見た男だ、と。両手に食べ物が一杯入ったビニール袋をぶら下げてやって来た男だ、と。
だが、それを思い出したところで、彼が自分の名前を知っている理由にはならなかった。
少年は食べる手を止めて、黒時と向き合いながら話し出した。
「あ、すいません軽々しく呼んでしまって……名前は彩香先輩から聞きました。あと悪魔のことも栄ちゃん先輩から。すごいですね先輩たち、悪魔と闘ってるだなんて。そりゃあ、暴漢なんかを恐れるわけないですよね」
暴漢……ああ、と黒時は思い出す。目の前のこの男は路地で助けた男だった。確か名前は……
「知らないな」
「え?」
「名前」
「あ、ああ、そうですよね、すいません。灰ヶ原先輩はずっと寝てましたから知りませんよね。ごめんなさい、僕の名前は望印蜀駄紋っていいます。それと、お礼も言ってませんでしたね……、助けてくれてどうもありがとうございました」
駄紋はいつもの感じで頭を下げる。それはもう本当にいつもの感じで。だから、黒時には彼が何をしているのかいまいち分からなかった。
「別に助けるつもりだったわけじゃないし、お礼なんていらない。それより、俺にも何か食べ物をくれないか?」
「え? 食べ物……ですか?」
「ああ、腹が減ったんだ」
「…………」
駄紋は肉の厚みでつぶれた目を異様なまでに見開き、呆然と天を見つめだした。天と言っても室内なので天井ではあるが。
口を半分開いた駄紋のその表情は笑っているようにも見える。
突如、貯蔵室の明かりが明滅しだした。一瞬の闇と一瞬の光を交互にもたらし、まるで何か危険信号を発しているかのようである。しかし、黒時は気にすることはなかった。そんなことよりも、早く空腹を満たしたい、そればかりであった。
黒時は駄紋から食べ物を受け取ろうとして、右手を差し出した。ごく普通に、ごく自然に右手を差し出した。駄紋はその差し出された右手をじっと見つめる。見つめる。見つめる。
――見つめる。
そして、冷蔵庫の中を探り、駄紋が黒時に手渡しのは。
一枚のレタスの葉であった。
*
「大変だよ!」
「大変です!」
「ああ、大変だ」
しばらくの休息を終えた後、一〇一号室、つまりは黒時の使用していた部屋に全員集合し、妬美、彩香、黒時の三人がそれぞれ困惑した表情で言った。栄作は三人の迫力に気圧されながらも事情を聞いていく。
「わ、分かったからよ! 一斉に喋るなって。で、何が大変なんだ? えーと、じゃあ、黒時から」
「腹が減ったんだ、非常に。これは、すごく大変だ」
「知るかよ! 適当になんか食い物探してこい!」
「いや、探しには行ったんだが、結果はレタスの葉一枚だった……」
「なんでだよ! どこをどう探したらレタスの葉一枚だけが見つかるんだ!? 逆にすごいぞ、それ」
「レタスの葉一枚じゃ、腹は満たされない。たとえ、丸々一個あっても俺はレタスじゃ……、せめてキャベツなら……」
「んなわけあるか! どうした黒時、腹が減り過ぎておかしくなったのか? お前のキャラらしくねぇぞ」
「ロール……キャベツ……」
「……よしもういい、次、彩香!」
「あのぉ、黒時先輩のベッドに入って寝てたんですけどぉ、先輩、何もしてくれてないんですよねぇ。何で?」
「それも知るか! ていうか、お前何してんだよ! 何を平然と男と一緒に寝てるわけ!? そういうのやめてくんない!? 周りが迷惑すんだよ! それに、黒時が手を出さないからって、大変でもなんでないだろ!」
「あー、栄ちゃん先輩ぎゃあぎゃあ喚かないでよ。うるさい」
「誰のせいだよ! ああもう、次……さすがに先生はこの二人みたいにふざけた話じゃないっすよね?」
「ああ、もしかしたらこの先、大問題にもなりかねない非常事態だ」
「な、何があったんすか?」
静まり返った部屋の中に、ごくり、と栄作が生唾を飲み込む音が響いた。
「貯蔵室の食料が全部なくなっていた」
「え? 全部って……、全部っすか?」
「ああ」
「冷蔵庫の中身、全部?」
「ああ」
「袋の中も?」
「ああ」
「レタスは?」
「灰ヶ原君、今の君は喋らない方がいいと思う」
妬美は用心深い性格である。
それゆえ、といわけでもないけれど、むしろ、サバイバル的な状況下では一番重要とも言えるのだが、妬美はホテルに辿り着いて真っ先に食料と水分の在庫状態を調べていたのだ。たとえ身の危険がなかったとしても、食べ物や水がなければ命というものは簡単にその形を失ってしまう。
貯蔵室を調べた妬美は十分すぎるほどの食料と水があることを知った。それにもし少なかったとしても周辺の店から持ってくれば問題にはならない。金を払わず持ってきては万引きになってしまうが、今はそんなことを気にしている場合でもないだろう。
――つまり。
問題なのは、食料や水分の在庫というわけではなかったのだ。妬美が問題として呈しているのは、自分が確認した十分すぎるほどの食料や水が、少刻の間に全て消えているということだった。
「原因が分からなければ、別の場所から食料を持って来ることもできない。持って来ても、またすぐに消えてしまうだろうからね」
「一体何が起きたってんだよ……」
何が起きたのか。黒時には思い当たる節がある。しかし、それが原因とは考えにくい。さすがに一人の人間が貯蔵室の中身を空にするというのは、無理がある話だ。しかし、少刻前、あの場所にいた駄紋が原因を知っているという可能性は非常に高いだろう。
黒時は横目で駄紋を見やる。
彼はまるっこい体を小刻みに震わせ、何か怯えているような様子だ。仕方がない。こちらから尋ねてみるとするか、とそう思い黒時は言葉を発した。
「なあ、駄――」
――が。
「悪魔だよ! 悪魔が……、悪魔が、全部食べちゃったんだ!」
必死に叫ぶ駄紋。
それはまるで、悪事が見つかった子供のようだった。
ばきばき、と。何かが破壊される音が聞こえる。場所はすぐそば。エントランス。
栄作が急ぎ足で部屋の扉を開けて飛び出て行き、それに続いて全員がエントランスへと出て行った。
そして――
『悪魔とは僕のことかな? あはは、こんにちは。僕の名前はベルゼブブだよ。宜しくね』
新たな悪魔が現れたのだった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる