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第21話 日渡瑠璃②-4
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なんでもいい。お礼じゃなくてもいい。何か、簡単に。言い慣れた、何か。すごくくだらなくて、馬鹿らしくてもいいから――彼と会話がしたい。
ずっとずっと。こんな苦しい想いをしたくなかったから、出来るだけ距離を置こうとしていた。でも、なんでだろう。そうしていたはずのなに、気付けば彼は、段ボールをどかせば私のすぐ隣にいる。お互いが同じタイミングで横を向けば、自然と目が合ってしまうほどに、近くにいる。
こんなにも。こんなにも近いのに。小さな声でも聞こえてしまうぐらいに、近いのに。私と彼との距離は、まともに会話をすることが出来ないくらいに遠い。これも、彼が悪い……、なんて。分かってる。悪いのは全部、私だ。思春期の彼が咄嗟に放った言葉に捉われて、妙な猜疑心を抱いている私なのだ。私が以前のように普通に話しかければきっと、彼も昔と変わらず言葉を返してくれるはず。そう、きっとそう。
何度も何度も心の中で反復して、自分に言い聞かせてみた。でも、やっぱり声をかけようとすると言葉に詰まる。今更お礼を言うのもどうかと思うので、「進捗はどう?」なんて当たり障りのない言葉を投げかけようとしても、喉の奥が蓋をされて、何も飛び出さないようにされている。
飛び出したそれが、大事故に繋がるかもしれない。私の脳と心が、それを看過することが出来ないようだ。
どうしたらいい。このまま二人で黙然と、作業を進めるしかないのだろうか。それが一番安全で、安心なのは分かっているけれど、それでも私の心の奥底ではもっと彼と――。
「無理……しなくてもいいと思う」
彼は、不意にそう言った。変に上擦った声で、段ボールの向こう側から、そう言ってきた。無理? 彼には私の心が読めるのだろうか、とも思ったがどうやら私は、気付かない内に椅子の軋む音が鳴るほどに身体を揺らして、そわそわとしていようだ。
はさみで紙を切る音とは違う、変な音を立てている私が気になって、彼は段ボールの横から私の方を見たのだろうか。そう思うと、とても恥ずかしくなってくるけれど、同時に嬉しくもなってくる。私の様子を見ただけで、私が何をしたがっているのか、彼は理解してくれたのだ。
彼の方へ視線を移しても、そこには机の上に置かれた段ボールしか映らない。椅子をずらして、ほんの少し立ち上がってみれば、彼の姿を見ることが出来るだろう。でも、彼の姿が映らなくても、私の心は既に満たされていた。彼が私に向けて言った言葉が、底まで見えるほどに空っぽになっていた私の心の器を満たしいっぱいにしてくれた。潤った心は徐々に身体を登ってきて、喉を塞いでいた蓋を溶かしていく。
彼は今、何を思っているのだろう。どんな顔をしているのだろう。分からないし分かりたいとも思わないけれど、あんな彼の口からは聞いたこともない高い声が飛び出したんだ。私と同じぐらいに緊張していたいに違いない。さっきの声を思い出して、思わず笑ってしまいそうになる。笑ってしまうけれど、彼は何時も、私に声をかけてくれるのだ。
「そっちこそ」
十年ぶりに、言葉を交わした。文章でもなく、大多数へ向けた言葉でもなく、一人と一人が、お互いに向けてのみ放った言葉が交わされた。交わされた二つの言葉の先に続く何かはないけれど、この静かな四角い空間の中に残る余韻は、あの頃の私たちではなく、はっきりと今の私たちを包み込んでくれている。
今は、これでいい。これで、十分だ。
私の心は、満たされた。それで、十分だろう。高校を卒業すればきっと、私たちは別々の場所で生活をすることになる。そうなれば、わざわざ連絡を取ることもなくなるだろうし、新しい出会いによって、お互いのことなど忘れ去ってしまう。
だから、これでいい。これだけで、満足しておかなくては。
「――あ」
そろそろメッセージカードに何か書いていこうかと思い、マジックを取り出そうとした私は、段ボールの中にマジックがないことに気が付いた。自分の筆箱に入っているのを使ってもいいけれど、彼もこのあと合流する花音ちゃんも持っているとは限らない。先生がまだ職員室にいるか分からないけれど、貰いに行った方が皆困らないかな。
「マジック、貰ってくるね」
「――ん」
二回目の短い会話を彼と交わして、私は教室内から出ていく。これぐらいの距離感が、一番心地良いと、そう思い込みながら。
ずっとずっと。こんな苦しい想いをしたくなかったから、出来るだけ距離を置こうとしていた。でも、なんでだろう。そうしていたはずのなに、気付けば彼は、段ボールをどかせば私のすぐ隣にいる。お互いが同じタイミングで横を向けば、自然と目が合ってしまうほどに、近くにいる。
こんなにも。こんなにも近いのに。小さな声でも聞こえてしまうぐらいに、近いのに。私と彼との距離は、まともに会話をすることが出来ないくらいに遠い。これも、彼が悪い……、なんて。分かってる。悪いのは全部、私だ。思春期の彼が咄嗟に放った言葉に捉われて、妙な猜疑心を抱いている私なのだ。私が以前のように普通に話しかければきっと、彼も昔と変わらず言葉を返してくれるはず。そう、きっとそう。
何度も何度も心の中で反復して、自分に言い聞かせてみた。でも、やっぱり声をかけようとすると言葉に詰まる。今更お礼を言うのもどうかと思うので、「進捗はどう?」なんて当たり障りのない言葉を投げかけようとしても、喉の奥が蓋をされて、何も飛び出さないようにされている。
飛び出したそれが、大事故に繋がるかもしれない。私の脳と心が、それを看過することが出来ないようだ。
どうしたらいい。このまま二人で黙然と、作業を進めるしかないのだろうか。それが一番安全で、安心なのは分かっているけれど、それでも私の心の奥底ではもっと彼と――。
「無理……しなくてもいいと思う」
彼は、不意にそう言った。変に上擦った声で、段ボールの向こう側から、そう言ってきた。無理? 彼には私の心が読めるのだろうか、とも思ったがどうやら私は、気付かない内に椅子の軋む音が鳴るほどに身体を揺らして、そわそわとしていようだ。
はさみで紙を切る音とは違う、変な音を立てている私が気になって、彼は段ボールの横から私の方を見たのだろうか。そう思うと、とても恥ずかしくなってくるけれど、同時に嬉しくもなってくる。私の様子を見ただけで、私が何をしたがっているのか、彼は理解してくれたのだ。
彼の方へ視線を移しても、そこには机の上に置かれた段ボールしか映らない。椅子をずらして、ほんの少し立ち上がってみれば、彼の姿を見ることが出来るだろう。でも、彼の姿が映らなくても、私の心は既に満たされていた。彼が私に向けて言った言葉が、底まで見えるほどに空っぽになっていた私の心の器を満たしいっぱいにしてくれた。潤った心は徐々に身体を登ってきて、喉を塞いでいた蓋を溶かしていく。
彼は今、何を思っているのだろう。どんな顔をしているのだろう。分からないし分かりたいとも思わないけれど、あんな彼の口からは聞いたこともない高い声が飛び出したんだ。私と同じぐらいに緊張していたいに違いない。さっきの声を思い出して、思わず笑ってしまいそうになる。笑ってしまうけれど、彼は何時も、私に声をかけてくれるのだ。
「そっちこそ」
十年ぶりに、言葉を交わした。文章でもなく、大多数へ向けた言葉でもなく、一人と一人が、お互いに向けてのみ放った言葉が交わされた。交わされた二つの言葉の先に続く何かはないけれど、この静かな四角い空間の中に残る余韻は、あの頃の私たちではなく、はっきりと今の私たちを包み込んでくれている。
今は、これでいい。これで、十分だ。
私の心は、満たされた。それで、十分だろう。高校を卒業すればきっと、私たちは別々の場所で生活をすることになる。そうなれば、わざわざ連絡を取ることもなくなるだろうし、新しい出会いによって、お互いのことなど忘れ去ってしまう。
だから、これでいい。これだけで、満足しておかなくては。
「――あ」
そろそろメッセージカードに何か書いていこうかと思い、マジックを取り出そうとした私は、段ボールの中にマジックがないことに気が付いた。自分の筆箱に入っているのを使ってもいいけれど、彼もこのあと合流する花音ちゃんも持っているとは限らない。先生がまだ職員室にいるか分からないけれど、貰いに行った方が皆困らないかな。
「マジック、貰ってくるね」
「――ん」
二回目の短い会話を彼と交わして、私は教室内から出ていく。これぐらいの距離感が、一番心地良いと、そう思い込みながら。
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