94 / 117
八章
1 楼夫の秘策
しおりを挟む
感傷と自己を切り離し、単純な『災厄』となって侵攻する。
それがこの戦いに臨む際の礼儀だ。
哀れな悪役などという立場に甘えることは許されない。
いくら虐げられていたとはいえ、悪の道を選び取ったのは自分自身だ。
貧しさからくる飢えを凌ぐために盗みを働くのとは訳が違う。
深夜美が求めたものは、腹の足しにもならない夢。
母が語ってくれた寝物語の世界、闇の住人たちの栄華。
それを顕現させるためならば、軋む心など構いはしない。
起きなくては。
まだ私は神を喰らってはいない。
最強の呪物になっていない。
邪悪なる夢の星図を描きあげてはいない。
深夜美を貫く無数の凶器が床と平行になるように、意識の無い矮躯をそっと横たえてやってから、楼夫はほうと息を吐いた。
楼夫は深夜美を抱えて魞戸地区まで逃げて来て、ルッコラ農家に身をひそめることにしたのだ。
幸い、深夜美は命を落としてはいない。
素人目に見ても太い血管をいくつも破壊されているのが分かり、なぜ生きているのか説明がつかないような状態だが、大切な人の生存の前には理屈などどうでもいい。
傷口に負担がかからないよう、背から腹から喉から突き出ている鎗を鋸で切り落とし、少しでも軽くしてやる。
そのうち、深夜美が緩やかに目を覚ました。
「深夜美様……!」
声にならない声で歓喜を叫ぶと、黒い血が溜まって濁った瞳は虚空を見つめたまま意外そうに見開かれた。
「楼夫? ……居てくれた、のか」
「ええ。私はここにおります」
コップに用意しておいた水を少し垂らしてからガーゼやハンカチで優しく目元を拭ってやると、汚れの落ちた紅い瞳はようやく楼夫の姿を認めた。
途端にその眼を燃えるように輝かせ、深夜美は勢いよく起き上がる。
「真祈たちは?」
「あ、ええと、ヒビシュたちに彼らを襲うよう命令して私たちは何とか撤退したのですが……
あちらも消耗しているとはいえ、ヒビシュたちに真祈たちを殺せたかというと……
それに、深夜美様が気を失っておられる間に私がヒビシュを使役したということは、私の能力について気付かれたと思います……
申し訳ございません」
しどろもどろになりながら楼夫が答える。
撤退において自らが独りで下した判断が深夜美にとって不利益なことを発生させていないか、不安でならなかった。
しかし杞憂だったらしい。
「謝る必要は無い、楼夫は最善の方法で私を救ってくれた」
「そ、そうですか」
「私の方こそすまなかった。
ふがいない負けを見せてしまって……」
深夜美は再び苦痛に顔を歪め、体を起こそうと手を突く。
それを楼夫が制した。
「無理に動かないでください。
失礼ながら、どうしてその傷で生きておられるのか、ちょっと分かりかねるくらいです」
「それはおそらく、私がルルーの民の性質に近付きつつあるからだ。
アサルルヒは呪いによってルルーの民に進化する。
ルルーの民は日光に弱い他は不老不死の存在だ。
黒頭に比べると少し頑丈でもある」
しかし、と深夜美は歯噛みする。
「まだ私は完全ではない。
決戦に向けて疑似的な不老不死を作りだすためには、治癒能力を発現するほかない。
呪いを回収するために早く行動しなくては、手を束ねていては……」
さすがに命が尽きてしまう、とでも続くのだろうか。
呪いを回収するなどと言うが、その身体で動くのは危険だ。
楼夫は息を呑む。
愛される喜びを、そして誰かを愛する勇気を与えてくれた救世主は深夜美だ。
残酷さと繊細さ、凶暴性と無力感を抱きながら藻掻く小さな革命者。
それが、ただ神に祝福されているというだけの権威に負けていいはずがない。
「貴方は私の手をとって、勝つと宣言してくれた……
ならば今度は私が貴方に約束します。
私が深夜美様を勝たせる!
作戦を聞いていただけますか」
それがこの戦いに臨む際の礼儀だ。
哀れな悪役などという立場に甘えることは許されない。
いくら虐げられていたとはいえ、悪の道を選び取ったのは自分自身だ。
貧しさからくる飢えを凌ぐために盗みを働くのとは訳が違う。
深夜美が求めたものは、腹の足しにもならない夢。
母が語ってくれた寝物語の世界、闇の住人たちの栄華。
それを顕現させるためならば、軋む心など構いはしない。
起きなくては。
まだ私は神を喰らってはいない。
最強の呪物になっていない。
邪悪なる夢の星図を描きあげてはいない。
深夜美を貫く無数の凶器が床と平行になるように、意識の無い矮躯をそっと横たえてやってから、楼夫はほうと息を吐いた。
楼夫は深夜美を抱えて魞戸地区まで逃げて来て、ルッコラ農家に身をひそめることにしたのだ。
幸い、深夜美は命を落としてはいない。
素人目に見ても太い血管をいくつも破壊されているのが分かり、なぜ生きているのか説明がつかないような状態だが、大切な人の生存の前には理屈などどうでもいい。
傷口に負担がかからないよう、背から腹から喉から突き出ている鎗を鋸で切り落とし、少しでも軽くしてやる。
そのうち、深夜美が緩やかに目を覚ました。
「深夜美様……!」
声にならない声で歓喜を叫ぶと、黒い血が溜まって濁った瞳は虚空を見つめたまま意外そうに見開かれた。
「楼夫? ……居てくれた、のか」
「ええ。私はここにおります」
コップに用意しておいた水を少し垂らしてからガーゼやハンカチで優しく目元を拭ってやると、汚れの落ちた紅い瞳はようやく楼夫の姿を認めた。
途端にその眼を燃えるように輝かせ、深夜美は勢いよく起き上がる。
「真祈たちは?」
「あ、ええと、ヒビシュたちに彼らを襲うよう命令して私たちは何とか撤退したのですが……
あちらも消耗しているとはいえ、ヒビシュたちに真祈たちを殺せたかというと……
それに、深夜美様が気を失っておられる間に私がヒビシュを使役したということは、私の能力について気付かれたと思います……
申し訳ございません」
しどろもどろになりながら楼夫が答える。
撤退において自らが独りで下した判断が深夜美にとって不利益なことを発生させていないか、不安でならなかった。
しかし杞憂だったらしい。
「謝る必要は無い、楼夫は最善の方法で私を救ってくれた」
「そ、そうですか」
「私の方こそすまなかった。
ふがいない負けを見せてしまって……」
深夜美は再び苦痛に顔を歪め、体を起こそうと手を突く。
それを楼夫が制した。
「無理に動かないでください。
失礼ながら、どうしてその傷で生きておられるのか、ちょっと分かりかねるくらいです」
「それはおそらく、私がルルーの民の性質に近付きつつあるからだ。
アサルルヒは呪いによってルルーの民に進化する。
ルルーの民は日光に弱い他は不老不死の存在だ。
黒頭に比べると少し頑丈でもある」
しかし、と深夜美は歯噛みする。
「まだ私は完全ではない。
決戦に向けて疑似的な不老不死を作りだすためには、治癒能力を発現するほかない。
呪いを回収するために早く行動しなくては、手を束ねていては……」
さすがに命が尽きてしまう、とでも続くのだろうか。
呪いを回収するなどと言うが、その身体で動くのは危険だ。
楼夫は息を呑む。
愛される喜びを、そして誰かを愛する勇気を与えてくれた救世主は深夜美だ。
残酷さと繊細さ、凶暴性と無力感を抱きながら藻掻く小さな革命者。
それが、ただ神に祝福されているというだけの権威に負けていいはずがない。
「貴方は私の手をとって、勝つと宣言してくれた……
ならば今度は私が貴方に約束します。
私が深夜美様を勝たせる!
作戦を聞いていただけますか」
20
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
魔法のせいだからって許せるわけがない
ユウユウ
ファンタジー
私は魅了魔法にかけられ、婚約者を裏切って、婚約破棄を宣言してしまった。同じように魔法にかけられても婚約者を強く愛していた者は魔法に抵抗したらしい。
すべてが明るみになり、魅了がとけた私は婚約者に謝罪してやり直そうと懇願したが、彼女はけして私を許さなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる