89 / 117
七章
10 傲慢な道標
しおりを挟む
誰にも望まれず、祝われず生まれた、自分が人間だと思い込んでいた化け物。
規則正しく打ち寄せる波間に偶然生まれてしまった、調和を乱すばかりの取るに足らない、無価値で無益な一泡沫こそが自分。
「それでも……真祈さんは……おれのことを……」
激痛に顰めた眉に逆らって、鎮神は目を開く。
真祈もまた蟲の群れに絡めとられていたが、その銀髪の間隙が外宇宙の色に染まると、放たれた雷で拘束を尽く薙ぎ払う。
「怒り……利害を無視して起こる攻撃的情動。
恐怖……非合理な撤退と安全確保の欲求」
歌うように言いながら真祈は、拘束を破られて表情を歪める深夜美に近付いて行く。
「どちらも持たない私は、貴方のお口には合わないようですね」
深夜美を守るために、ヒビシュと化した小町と将太が真祈へ襲い掛かる。
しかし真祈は一瞬の迷いもなく雷で二人を切り裂くと、深夜美にも連射する。
「真祈さんは『おれ』のことなんか見ちゃいないよ」
唐突に『鎮神』の声が降り掛かってきた。
鎮神は再び、蛹から現れたもう一人の自分に目線を移す。
彼は挿し入れた吻で言葉や記憶を直接脳に流し込んでくる。
いつだって無慈悲に目的を達成してきた真祈の完璧すぎる後ろ姿が流れ込んでくる。
有無を言わせずに鎮神を二ツ河島に連れて来て平穏な日々を奪った張本人。
万物に対して等しく無感動な紫色の瞳。
全てを受け入れる代わりに何物にも執着しない、全てを愛しながら誰も愛さない完全無欠の心――
心というよりは単なる思考回路。
「無力だから真祈さんに縋ってるだけじゃないか、馬鹿なおれ。
それは愛なんかじゃない。
母さんみたいな人間は心があるぶんいつ裏切るか分からなくて怖いから、
真祈さんみたいな分かりやすい機械人形に依存して孤独を抜け出したつもりになってるだけだ……」
つらつらと語りながら、『鎮神』は鎮神の額に自身の額を重ねてきた。
こつんという小気味よい音はせず、蕩けた肉が粘着質な音を立てて滴った。
「生きてても仕方ないだろう?
真祈さんと共に居ることなんて虚しいだけだろう?
くだらない命なら、深夜美さんにあげちゃえばいいじゃないか。
まともな人間ぶるための仮面が壊れたのならば、
今度は心の内にある暗い影から悪の仮面を作ればいい」
蛹の背中側が裂け、萎びていた翅に体液が送られていく。
銀の翅は徐々に張り広げられて蝶の特徴的な姿を成していく。
「悪の仮面は『おれ』にはよく似合うことだろう」
最後に見たのは、息を荒げながらも一心不乱に深夜美を追い詰める真祈の、遠い後ろ姿だった。
抗う力を強制的に削がれた鎮神は、終いに蟲たちに全身を覆い尽くされた。
黒い蟲の群れの中にあったのは、赤い呪詛の海だった。
これは深夜美の力そのものであり、犠牲となった者たちが深夜美を憎む心の集合体なのだろう。
王は誰かと、闇が問いかけてくる。意識の最奥では浸食されていく自己を冷静に知覚できているにも関わらず、凄まじい呪力の流入を止めることが出来ない。
真祈を殺さなくては、という思念が脳を染め上げていく一方で、
自分は何を言っているんだ、と追いやられた理性が叫ぶ。
真祈は今もらしくないほどに跳び回り、深夜美と戦っているというのに。
ふいに違和感を覚えた。
鎮神はてっきり、真祈は深夜美を追い詰めて体力を削ってから一息に仕留める機を窺っているのだと思っていた。
しかし真祈も深夜美と同じように走り回ってどんどん一人で突出して行き、同様に体力を奪われているのは、効率を重んじる真祈らしくない。
疑問が膨らみ、頭を占めていた呪力が少し晴れる。
真祈には既に勝利への道筋が見えているのだ。
しかし未だ決着をつけられないのは――それが真祈一人では出来ないことだから。
真祈の目的は体力差をつけて敵を仕留めることではなく、敵と鎮神たちを分断すること。
深夜美は勘が良いのでその真意にとっくに気付いていたかもしれないが、
深夜美の察しの良さを見抜いていたからこそ真祈は猛攻に出て、決して後手に回らないよう喰らいついているのだ。
全くこちらを振り向かない、遠い後ろ姿。
しかし真祈は、鎮神たちに託していたのだ。
「――いいや。おれが殺すべき相手は、深夜美さんだ」
規則正しく打ち寄せる波間に偶然生まれてしまった、調和を乱すばかりの取るに足らない、無価値で無益な一泡沫こそが自分。
「それでも……真祈さんは……おれのことを……」
激痛に顰めた眉に逆らって、鎮神は目を開く。
真祈もまた蟲の群れに絡めとられていたが、その銀髪の間隙が外宇宙の色に染まると、放たれた雷で拘束を尽く薙ぎ払う。
「怒り……利害を無視して起こる攻撃的情動。
恐怖……非合理な撤退と安全確保の欲求」
歌うように言いながら真祈は、拘束を破られて表情を歪める深夜美に近付いて行く。
「どちらも持たない私は、貴方のお口には合わないようですね」
深夜美を守るために、ヒビシュと化した小町と将太が真祈へ襲い掛かる。
しかし真祈は一瞬の迷いもなく雷で二人を切り裂くと、深夜美にも連射する。
「真祈さんは『おれ』のことなんか見ちゃいないよ」
唐突に『鎮神』の声が降り掛かってきた。
鎮神は再び、蛹から現れたもう一人の自分に目線を移す。
彼は挿し入れた吻で言葉や記憶を直接脳に流し込んでくる。
いつだって無慈悲に目的を達成してきた真祈の完璧すぎる後ろ姿が流れ込んでくる。
有無を言わせずに鎮神を二ツ河島に連れて来て平穏な日々を奪った張本人。
万物に対して等しく無感動な紫色の瞳。
全てを受け入れる代わりに何物にも執着しない、全てを愛しながら誰も愛さない完全無欠の心――
心というよりは単なる思考回路。
「無力だから真祈さんに縋ってるだけじゃないか、馬鹿なおれ。
それは愛なんかじゃない。
母さんみたいな人間は心があるぶんいつ裏切るか分からなくて怖いから、
真祈さんみたいな分かりやすい機械人形に依存して孤独を抜け出したつもりになってるだけだ……」
つらつらと語りながら、『鎮神』は鎮神の額に自身の額を重ねてきた。
こつんという小気味よい音はせず、蕩けた肉が粘着質な音を立てて滴った。
「生きてても仕方ないだろう?
真祈さんと共に居ることなんて虚しいだけだろう?
くだらない命なら、深夜美さんにあげちゃえばいいじゃないか。
まともな人間ぶるための仮面が壊れたのならば、
今度は心の内にある暗い影から悪の仮面を作ればいい」
蛹の背中側が裂け、萎びていた翅に体液が送られていく。
銀の翅は徐々に張り広げられて蝶の特徴的な姿を成していく。
「悪の仮面は『おれ』にはよく似合うことだろう」
最後に見たのは、息を荒げながらも一心不乱に深夜美を追い詰める真祈の、遠い後ろ姿だった。
抗う力を強制的に削がれた鎮神は、終いに蟲たちに全身を覆い尽くされた。
黒い蟲の群れの中にあったのは、赤い呪詛の海だった。
これは深夜美の力そのものであり、犠牲となった者たちが深夜美を憎む心の集合体なのだろう。
王は誰かと、闇が問いかけてくる。意識の最奥では浸食されていく自己を冷静に知覚できているにも関わらず、凄まじい呪力の流入を止めることが出来ない。
真祈を殺さなくては、という思念が脳を染め上げていく一方で、
自分は何を言っているんだ、と追いやられた理性が叫ぶ。
真祈は今もらしくないほどに跳び回り、深夜美と戦っているというのに。
ふいに違和感を覚えた。
鎮神はてっきり、真祈は深夜美を追い詰めて体力を削ってから一息に仕留める機を窺っているのだと思っていた。
しかし真祈も深夜美と同じように走り回ってどんどん一人で突出して行き、同様に体力を奪われているのは、効率を重んじる真祈らしくない。
疑問が膨らみ、頭を占めていた呪力が少し晴れる。
真祈には既に勝利への道筋が見えているのだ。
しかし未だ決着をつけられないのは――それが真祈一人では出来ないことだから。
真祈の目的は体力差をつけて敵を仕留めることではなく、敵と鎮神たちを分断すること。
深夜美は勘が良いのでその真意にとっくに気付いていたかもしれないが、
深夜美の察しの良さを見抜いていたからこそ真祈は猛攻に出て、決して後手に回らないよう喰らいついているのだ。
全くこちらを振り向かない、遠い後ろ姿。
しかし真祈は、鎮神たちに託していたのだ。
「――いいや。おれが殺すべき相手は、深夜美さんだ」
20
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
魔法のせいだからって許せるわけがない
ユウユウ
ファンタジー
私は魅了魔法にかけられ、婚約者を裏切って、婚約破棄を宣言してしまった。同じように魔法にかけられても婚約者を強く愛していた者は魔法に抵抗したらしい。
すべてが明るみになり、魅了がとけた私は婚約者に謝罪してやり直そうと懇願したが、彼女はけして私を許さなかった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる