蟲籠の島 夢幻の海 〜これは、白銀の血族が滅ぶまでの物語〜

二階堂まりい

文字の大きさ
上 下
80 / 117
七章

1 只の、愛の歌

しおりを挟む
 深夜美みやびの携帯電話から連絡を受けて、楼夫たかおは仕度を整える。

 終わりの刻には、最強の呪物の誕生を祝うために目一杯着飾ると決めていた。

 野戦服をモチーフとしたゴシックなブラウスに、ハーネスを這わせ、タイを締める。
 ズボンは他のどれよりも引き締まった黒。
 レザーのハーフグローブ、堅い生地のロングコート、軍帽に革靴。

 かつてとは違う、本当の自分。
 深夜美にふさわしい私。
 もう荒津家にも、荒鏤あらるの地にも、戻ることはないだろう。
 半殺しで倉庫に投げ入れた父の現状にも興味は無い。

 これから堕ちていくのはどんな無何有むかう郷よりも甘く腐敗しきった、
なによりも矮小でなによりも遠大な呪いの海――深夜美の瞳の内。


 車で集会所に着くと、既に深夜美が到着していた。
 バイクを奪って乗って来たらしい。
 戦に向かうための笑みを浮かべて、楼夫を迎えてくれる。
「さあ、我が剣よ。
 赤き戦禍の運び手となりて、神を殺しに征かん」
 彼は残忍な計画を胸に、幼気に舞う。
 それを見て楼夫も微笑んだ。
「ええ、指揮をお願いいたします」
 そう言って楼夫は、着ていたロングコートと軍帽を深夜美に与える。
 彼にとってはやや丈の余る厳めしいコートに袖を通させ、戦意を鼓舞するために重厚な革の塊を戴かせる。

 ハイヒールを鳴らし、シースルーのレオタードに生白く薄い腹を透かして、髪とコートをはためかせ、
見目も内面も悪の総大将といったふうに染めあげた深夜美は歩みだす。

 集会所は無人で、鍵のかかった扉は深夜美が次々と腐食させ薙ぎ倒して、容易く進入できた。
 放送室に向かい、無線機をオンにすると、とうとう破滅が始まる。

二ツ河ふたつがわ島の皆様、こんにちは。
 宇津僚うつのつかさ家当主艶子が夫、そしてアサルルヒ及びルルーの民に連なる誇り高き赤松のすえ、深夜美だ。
 今まで貴方たちに見せていた善き隣人としての私は、全て偽り。
 我こそは戦乱、歴史の影に紡がれし赤き災厄、絶対悪! 
 さあ、私を恨み、恐れ、憎むがいい。 
 今、この島は私の蟲籠むしことなる!」

 芝居がかった宣戦布告が、島内放送として響きわたる。
 そして歓喜を、苦悩を、闘志を噛み締めるような重い一拍を置いたのち、深夜美は歌いだす。
 艶子から盗み出した安荒寿、それを逆再生したものだ。

 赤松家は、宇津僚家の者さえ幾千年もの間に忘れていた、安荒寿の本来の使い方を邪悪なる執念で語り継いできた――いずれ来たる復権の時のために。
 
 歌が詠じられるのに合わせて地底から母神の慟哭が噴き上がってくる。
 海が荒れ狂い、真昼の空は太陽が墜ちるよりも暗い闇に染まる。
 そして偽の月と金星が輝きだした。

「深夜美様に殺されるためだけに顕れるが良い……帝雨荼ていあまた
 窓の外を眺めながら楼夫は呟く。

 また、台風が来る前日のような不安と加虐心が鎌首を擡げている――いや、もはや不安はあるまい。
 今の楼夫は、災厄そのものたる男の剣だ。




 翔と星奈せいなは港でフェリーを待っていた。
 これで、二ツ河島へ行ける、鎮神しずかの安否がやっと分かる。
 二人の高揚など知らず、世界は通常通りに動いている。
 てきぱきと仕事を熟す人々が皆とを行き来し、それを祝うかのように、または監視し急かすかのように太陽が照りつけている。

 長閑さと暑さの両方にうんざりしつつベンチに座っていると、フェリー乗り場の職員らしき男が海を見て悲鳴をあげた。
 翔と星奈も声につられて海を見遣る。

 すぐに異変は見てとれた。
 海面を隔てた向こう側の闇に、無数の輝きがある。
 それが地上を嘲笑うかのように瞬いて、海を極彩色に染めあげる。
 赤潮の色や夜光虫の光とは全く違う、歓楽街じみた色とりどりの輝き。

 出ていた船は慌てて港に引き返してくる。
 異様な現象は二ツ河島方面の海に点在し、刻一刻と拡大していた。

 
恐慌に陥る港の隅で翔と星奈が愕然としていると、港で働いているであろう若者の一人が興奮した声をあげた。
「海の中にでけえ生き物が見えた!」
 
 彼ははしゃぎながら透明なアクリル水槽を持って来て、桟橋から身を乗り出して水槽を軽く海水に沈める。
 そうして透かした海中を覗き込んだきり、よほど面白かったのか顔を突っ込んだまま黙りこくってしまう。

 痺れをきらした仕事仲間が彼に近付いて行き、声をかける。
 しかし彼は水槽を注視したまま、返事も身動ぎもしない。

 仲間が肩を引っ張り、彼を振り向かせると同時に港は悲鳴で包まれた。
 頭蓋を皿にして顔面の肉を掻き混ぜたというように、水槽を覗き込んでいた男の顔は潰れていた。
 赤いのっぺらぼうのようになっても意識はあるらしく、急に五感のほとんどが消えたことに対して困惑しているような様子を見せた後、ほどなくして息絶えた。
 大量の血が滴っていたうえに、鼻も口も有って無いような状態だったのだ。
 失血死か窒息死といったところであろう。

「あの人は、海の異変の正体を知ってしまったんだ……」
 せり上がる胃酸を抑え込みながら、翔の口は直感に突き動かされる。
「自身の存在を知覚させることで命を奪う、そういうことが可能な次元の生物を見てしまったんだ。
 例えば、歴史上では神として認識されてきたような存在……とか」
 誰しもが一度は抱く、神とは何か、という疑問――その最も残酷な答えこそが、『これ』なのかもしれない。

 何より確かな事は、海の異変と騒ぎのせいで、二ツ河島へは渡れなくなってしまっということだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

パーフェクトアンドロイド

ことは
キャラ文芸
アンドロイドが通うレアリティ学園。この学園の生徒たちは、インフィニティブレイン社の実験的試みによって開発されたアンドロイドだ。 だが俺、伏木真人(ふしぎまひと)は、この学園のアンドロイドたちとは決定的に違う。 俺はインフィニティブレイン社との契約で、モニターとしてこの学園に入学した。他の生徒たちを観察し、定期的に校長に報告することになっている。 レアリティ学園の新入生は100名。 そのうちアンドロイドは99名。 つまり俺は、生身の人間だ。 ▶︎credit 表紙イラスト おーい

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...