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六章

11 恐れの先に勇気は天翔ける

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 炎のような赤に意識を燃やされる。
 それを動力に憎悪の化身となって駆ける。
 この胸の内に比べれば、辺りを取り巻く炎など温い。

『鎮神様はまだこの島に連れて来られた悲しみが癒えていないようで、
気丈に振る舞ってはおられますがやはりお辛そうで……』
 反響する声が感情を揺さぶる。

 宇津僚うつのつかさ家の言いなりに、私は鎮神しずか二ツ河ふたつがわ島に攫った加害者になった。
 娘と同じくらいの年若い少年を、死を選ぶまで追い込んだ。
 
 私が死ねば償えるのだろうか――嫌だ、死にたくない。
 私にはまだ守らねばならない家族が居る。
 悪いのは宇津僚家、人の心を持たない真祈まき

 真祈を殺せばいい。



 与半よはんもまた深夜美みやびに操られ、士師宮ししみや家に火を放ち閉じ込めた鎮神と真祈を直接始末するために、火中へ飛び込んでいた。
 精神に侵入され操られているといっても、畢竟ひっきょう、真祈を嫌悪しているのは与半自身。
 箍を外され、願望に身を任せる快楽は凶刃として真祈に叩きつけられる。
 炎と刃の中心で、魔性を帯びた完璧な姿かたちはみるみる傷ついていく。

 
 鎮神は既に腹から多量の血を零しながら灼けつく床の上に倒れ伏している。
 真祈も絞られた雑巾のように引き裂かれた脚が自重に負けつつあった。

 死に瀕していても、なぜか真祈は憎らしい笑みを浮かべる。
 彼らにとって人間は『黒頭』という下級種族に過ぎない。
 二ツ河島の住人は彼らに与えられた土地で奉仕することで罪を贖う機会を得た『罪人』で、生まれてから死ぬまで、そして死んでも奴隷だ。
 暗い気持ちの湧かぬ方がおかしい。


 同じく深夜美に操られてここに来た漁師仲間が、真祈の心臓を目掛けて刃物を振り下ろす。
 それを皮切りに与半たちもめいめいに得物を振るった。
 
 真祈は四方から切り刻まれるが胸の前に手を翳し、敢えて掌に受止めることで致命傷になりかけた包丁を確実に止めた。

「自分たちの生き死にも、現し世も空磯からいそも、私にはどうだっていい。
 ただ、目の前にある有害は取り除かなくてはならない」
 甲まで貫通した刃を握りしめ、真祈は包丁を奪い取る。
 掌から包丁を抜き去ると、火の海に飛び込んで姿を眩ませ、ふいに躍り出ては人々の背後を衝いて奇襲を喰らわせる。

 しかし火に焼かれながら肉で肉を砕いて戦うなど長くは保たず、真祈はすぐに崩れ落ちる。


 このまま刃を振り下ろせば、二ツ河島は心を持たぬ悪魔から逃れられる。
 与半に迷いは無かった。
 
 それなのに、突如として手が動かなくなる。

 正確には、倒れた真祈を刺し殺さんと下方へ込めた力と拮抗する形で、上方への不可視の力が与半の手を縫い留めているのだ。
 見れば、他の島民たちも同じ『力』に動きを封じられている。


「恐怖は勇気の翼を与え給う……
 おれはずっとこの能力が大嫌いだったけど……こいつに『カーレッジウィングス』って名前をあげようと思う。
 異形の証だとしても……自分の一部だから」

 少年の声と共に、赤黒い灼熱の世界の中で一つの影が伸びあがる。
 
 田村の屍から奪った銛を辺りの炎で熱し、腹の傷に当てながら、鎮神が起き上がってくる。
 その右手は真っ直ぐに与半たちを指している。

「おれは真祈さんと一緒に深夜美さんを止めに……いや、殺しに行く。
 真祈さんのこと、守りたいから」

 炎を照り返して、深夜美とは似て非なる暖かな朱に灯る瞳が与半を射る。

「貴方たちが深夜美さんに洗脳されてることは分かってるけど……
どいてくれないのなら容赦はしない!」


 与半たちの手に、さらなる見えない力が加わり、凶器が自らの顎に向けられた。


「鎮神……その能力、成長しているのですね……
 深手を負いながらも、同時に複数の物体に念を込めるとは」
 血の泡が混じった口で、真祈が言祝ぐように言った。


 ――なぜだ。
 鎮神と真祈は信頼しあっているように見える。
 これでは深夜美の話と違う。
 与半が抱いた鎮神への罪悪感、真祈への憤りは、何だったというのか。

 憎悪が戸惑いに塗り替わる。
 赤に占められていた脳内が灰色になっていく。
 急速に自身を取り囲む炎が恐ろしくなってきた。

 与半の皮膚の下を奔るものがある。
 何かは分からないが、それは与半の思考に反応しているようであった。


『私が嫌がる彼を連れて来て、あの真祈の妻として差し出したはずなのに……
鎮神は、真祈のために戦っている』

 彼らが分かり合えるはずなど無いと案じるつもりで決めつけていた。
 自分は食堂で、深夜美にもっともらしい嘘を吹き込まれ思い込みを加速させられたのではないか。

『この炎は、間違っていた』
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