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六章

7 ぶつかり合う異能

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 赤い粘液が腐った床板をふやかしている。
 鎮神しずかが慌てて下がると、今度は靴の下で砂利を踏んだような音が鳴る。

 見下ろすと、それは白化した珊瑚のような物体であった。
 表面が溶けかかって、やけにすべすべしている。
 鎮神はこれと似たようなものを見たことがあった。有沙の骨だ。

「っ……血と骨……
 まさか、団さんのご両親の……!」

「彼らは溶かされているのに、まどかさんだけは気絶しているものの無事なようですね」
 荒くなる息と心音の向こうで、真祈まきの冷えた声が降った。


 真祈に抱き寄せられた団が唸ったと同時に、一面に広がっていた血が意志を持った生命体かのように床を這い、目指していた位置に辿り着くとぴたりと静止する。
「これ、真祈さんの能力?」
 初めて目の当たりにした、自分以外が行使する超常現象に、鎮神は見入る。
 真祈は頭を振って、腕の中の団を見下ろした。
「いいえ。団さんが無意識に発生させているものでしょう」
「どうしてですか? 団さんも、人間じゃない……ってこと?」
「ルッコラ畑で傷ついた貴方を発見して運んだ時に、流れ出た血が傷口や粘膜から混入したのだと思います。
 団さんだけが助かったのは、鎮神から得たカルーの民の血に守られた上に、
気絶していて精神的動揺を抱きようもなかったため、深夜美みやびさんの攻撃を無効化出来たという幸運が重なったお陰でしょう。
 そしておそらく彼の加護は、念写」

 真祈が説いている間にも、崩れ落ちた世界を用いた描画は進んでいく。
 やがてそれは、路加の顔を浮かび上がらせた。
 理知的な青年の首には、彼とは真逆に野性的な、異様に大きな眼をもつ蛇が巻き付いていた。

「鎮神、団さんのこと、お願い出来ますか」
 なぜか真祈は、抱えていた団を鎮神に押し付ける。
 腕力に自身は無いが、何か考えがあるのだろうと思い引き受けた次の瞬間、光と音が鎮神の五感を大きく震わせた。




 真祈と鎮神が消えていった士師宮ししみや家を、路加ろかは車内から見上げていた。
 二人の様子が気にかかり、何もできない自身がもどかしく、何度もシートから腰が浮く。

 その間、頭を過っていたのは、陰鬱な林を這う、粘った赤であった。
 有沙には悪いかもしれないが、好青年の深夜美の名が犯人として挙がったことが未だに信じられない。

 真祈への狂信により有沙の家族を殺めてしまったことで、他者を信じることに臆病になっている。
 また真祈を信じて突き進むことで、重大な過ちを犯してしまったら。
 この手が深夜美の髪を掴み、その青白い頸に刃を食い込ませていくのが見えるようだった。
 手に纏わりつく幻触は、ねっとりと重い。
 あの時はあんなに簡単に引き裂けてしまったのに。


 突然、路加の視界に、士師宮家の方から駆けてくる影が飛び込んで来た。
 鎮神が深刻そうな面持ちをして、路加に何事かを叫びながら近付いてくる。
 そのあまりの狼狽ぶりに路加が車外へ出て行くと、鎮神は肩に縋りついてきた。

「有沙さんと同じ……
 士師宮さんの家族三人とも、ドロドロに溶かされていて……! 
 深夜美さんはどこにも居なくて……
 真祈さんがここに残って見張るから、 
 鎮神と路加さんは島内放送で、深夜美さんを見つけ次第殺すように呼び掛けておけって言われて……!」

 気弱な少年は哀れなほどに震えている。
 路加は彼を宥めながら助手席へ導き、自身も運転席に着く。
「島内放送だね? 
 集会所で出来るから一緒に行こう。
 心配することはない、真祈さんはお強いですから」
 酷い状態の死体を見ただけでなく、その場に真祈を残して行くことに、彼は不安を覚えているに違いない。
 一度は死を選んだような繊細な少年である。
 言葉を選びながら優しく語り掛けて、車を発進させようとした。

 鎮神の姿がきっかけとなって、先ほどの話が頭に浮かぶ。
 深夜美は負の感情を呪いに変換してその身に蓄積し、無尽蔵に強くなっていく。
 そして呪いは彼の性質を反映して力を与える――幻覚や、洗脳のような。

 
 路加の思考に答えるように、視界の端で、鎮神の姿がビデオテープのノイズのようにぶれた。
 アクセルを踏み込もうとしていた足を止め、横目にその姿を盗み見る。

 鎮神の銀色の髪は黒に、薄墨色の瞳は紅蓮に、激しくも慎ましいゴシックファッションは、嬌艶な露出の多い服へ変わっていく。
 深夜美だ。
 深夜美がここに居る。


「……路加さん? 早く、集会所へ……」
 言いかけて、はたと深夜美は固まった。

 やがてその表情は、驚愕でも困惑でもない、狂喜に染まっていく。

宇津僚うつのつかさの血を取り込んでもいないのに、自力で私の幻覚を破ったのか? 
 たいした精神力だな、潮路加」

 肘掛けを乗り越え、鎮神のふりをしていたときの怯えようとは打って変わって、蛇が巻き付くかのように身を寄せて来る。
 女のように嫋やかな手指が、路加の顎を鷲掴んだ。
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