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六章
2 白銀の太陽と紅い月
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真祈は美しい。
見目だけの話ではない。
嫌悪を知らぬ故に全てを受け入れる広い海のような心、敵となったものに一切の葛藤なく振るわれる神の雷霆が如き処刑。
伝統的な信仰を逸脱し、その懐に甘え、その冷徹さに自分では叶えられないカタルシスを見出してしまった島民は少なくない。
路加もその一人『だった』。
父と母と共に、祭壇の前に座る。
二人は今でも、空磯ではなく真祈に希う。
路加は秘かに、祈りの時間は有沙を悼む時間にあてていた。
今日も病院の業務が終われば林へ行き、犯人の手掛かりを探さなくてはならない。
真祈に頼まれなくたって探していただろう。
ほとんど言葉を交わすことはなかったが、路加の人生に大きな足跡を残していった女の最期を、少しでも知りたかった。
診療所に出勤すると、朝いちばんから鎮神が待合室に一人で居た。
「どうされました、鎮神様」
「えっと、裁縫で使い痛みしたせいか、手首が痛くて……湿布とかもらえたらなって」
そう言いながら鎮神は辺りを見回し、周囲に誰も居ないと知れると、長椅子を立ち上がって距離を詰めてきた。
「真祈さんから伝言です。
有沙さんが危害を加えられた現場から息を引き取った現場までのルートを特定してください。
迷ったときは、陽の当たるところを探せって……」
唐突すぎる言葉に戸惑い、聞き返そうとすると、鎮神は黙って首を横に振り、座ってしまった。
しかし真祈が有沙の死について何かを掴んだことは間違いない。
路加は鎮神と視線を交わし、小さく頷いた。
太陽の運行のように淀みなく、その熱で真下の草木が輝こうが枯れようが知ったことではないといった面持ちで、真祈は日々を過ごしている。
艶子は有沙の死後、自室に籠るか仕事で息をつく暇もないほど動き回るかの極端になったように思う。
田村はそんな 宇津僚家に干渉しないよう努めているらしい。
鎮神も、一度抱いてしまった深夜美への恐怖を表に出さないようにするので必死だった。
当の深夜美は、今まで通りの優しさを鎮神たちに向けていた。
映画館で想像したことを全て否定してしまいたくなるほどに。
長閑な午後、ミシンやデザイン画の前を離れた鎮神は、喉を潤そうと一階へ下りた。
すると縁側の日陰に、シェーズロングに身を預けて詩集を読み耽る深夜美の姿があった。
陽の光で澄み渡る青空の下、なぜか彼の肉体には温度が感じられなかった。
薄手とはいえ黒く長い丈の服を着ているにも関わらず、青白い肌は汗一つかかず、そのくせじっとりと湿るような艶を帯びている。
鎮神に気付くと、深夜美は懐っこい笑みを浮かべた。
しかしそれは彼の戦化粧であり、自分は深夜美にとって敵なのだろう。
彼は有沙を殺した犯人――しかも血液を酸に変えてしまうという残忍極まる能力者かもしれない。
しかし鎮神が深夜美の優しさに幾度か救われたのも事実だ。
なぜ彼は世界の敵となったのだろう。
なぜ世界が彼の敵となったのだろう。
疑っていることを悟られまいとするために近付かないでいると、余計に怪しまれるかもしれない。
鎮神は深夜美にそれとなく話しかけた。
「詩がお好きなんですね」
深夜美はいつもと変わらず、朗らかに答えてくれる。
「そうだね。散文も良いけど、韻文は情報量が絞られるぶん、より普遍的で、誰がいつ読んでも何かしら感じるものがあると思うんだ」
「なんか大人っぽいですね」
「そう? 鎮神くんだって音楽好きだろう? 歌詞カード眺めたりしないの?」
「ああ、それならやります」
「なら同じだよ。必ずしも縦書きの古典的名作じゃなくていい。
思惟することはそれだけで素晴らしい」
閉じた本を胸に押し当て、夢見るように紅い瞳を細める。
その紅が一瞬脳裏に灼けつくような気がして鎮神は瞬いた。
少し会話を交わしてから、鎮神は台所へと立ち去る。
水を飲み、シンクに手をつくと、途端に心臓が高鳴り、脚が震え出した。有沙の惨い最期の記憶と、深夜美への疑念。
それを両方抱いたまま深夜美の前に立つのは、あまりに恐ろしい。
真祈はきっとこの事件を追い、犯人と戦うつもりだ。
信仰を守るという指令を組み込まれた生物なのだから。
鎮神はそのような真祈のありようを、良いとも悪いとも思わない。
ただ、自分の力を受け入れるきっかけをくれた真祈を、残酷な戦いの中に一人送り出すのは絶対に嫌だ。
真祈の神話になら、どこまでも付き合おう。
好きな人のためならば、相手がどんなに強くても、たとえ一時的に屈することがあったとしても、背を向けて逃げる気などさらさら起きない。
自分がこれほどまでの情熱を誰かに対して向けることができるなんて知らなかった、と一人苦笑した。
――何も読みとれなかった。
深夜美は顰めた顔を詩集で隠す。
深夜美を前にしていながら、鎮神は一切の動揺を示さなかった。
他者の感情に苦しくなるほど同調できてしまう自分が何も感じなかったのなら、鎮神は本当に何も知らずに何気なく話しかけてきただけなのだろう。
駄目もとで、鎮神を洗脳して、真祈が自分を疑っているかどうか話させようと試してみたが、案の定弾かれた。
それに、もし相手が少しでも恐怖や怒りを向けてきたならば、こちらの呪力は強くなるはずだがその様子も無い。
何も知られていないのなら、明日の予定を変更する必要は無い。
芽吹いた憎しみを刈りとり、呪詛の糧とするのだ。
そしてじきに、世界はこの手に落ちる。
見目だけの話ではない。
嫌悪を知らぬ故に全てを受け入れる広い海のような心、敵となったものに一切の葛藤なく振るわれる神の雷霆が如き処刑。
伝統的な信仰を逸脱し、その懐に甘え、その冷徹さに自分では叶えられないカタルシスを見出してしまった島民は少なくない。
路加もその一人『だった』。
父と母と共に、祭壇の前に座る。
二人は今でも、空磯ではなく真祈に希う。
路加は秘かに、祈りの時間は有沙を悼む時間にあてていた。
今日も病院の業務が終われば林へ行き、犯人の手掛かりを探さなくてはならない。
真祈に頼まれなくたって探していただろう。
ほとんど言葉を交わすことはなかったが、路加の人生に大きな足跡を残していった女の最期を、少しでも知りたかった。
診療所に出勤すると、朝いちばんから鎮神が待合室に一人で居た。
「どうされました、鎮神様」
「えっと、裁縫で使い痛みしたせいか、手首が痛くて……湿布とかもらえたらなって」
そう言いながら鎮神は辺りを見回し、周囲に誰も居ないと知れると、長椅子を立ち上がって距離を詰めてきた。
「真祈さんから伝言です。
有沙さんが危害を加えられた現場から息を引き取った現場までのルートを特定してください。
迷ったときは、陽の当たるところを探せって……」
唐突すぎる言葉に戸惑い、聞き返そうとすると、鎮神は黙って首を横に振り、座ってしまった。
しかし真祈が有沙の死について何かを掴んだことは間違いない。
路加は鎮神と視線を交わし、小さく頷いた。
太陽の運行のように淀みなく、その熱で真下の草木が輝こうが枯れようが知ったことではないといった面持ちで、真祈は日々を過ごしている。
艶子は有沙の死後、自室に籠るか仕事で息をつく暇もないほど動き回るかの極端になったように思う。
田村はそんな 宇津僚家に干渉しないよう努めているらしい。
鎮神も、一度抱いてしまった深夜美への恐怖を表に出さないようにするので必死だった。
当の深夜美は、今まで通りの優しさを鎮神たちに向けていた。
映画館で想像したことを全て否定してしまいたくなるほどに。
長閑な午後、ミシンやデザイン画の前を離れた鎮神は、喉を潤そうと一階へ下りた。
すると縁側の日陰に、シェーズロングに身を預けて詩集を読み耽る深夜美の姿があった。
陽の光で澄み渡る青空の下、なぜか彼の肉体には温度が感じられなかった。
薄手とはいえ黒く長い丈の服を着ているにも関わらず、青白い肌は汗一つかかず、そのくせじっとりと湿るような艶を帯びている。
鎮神に気付くと、深夜美は懐っこい笑みを浮かべた。
しかしそれは彼の戦化粧であり、自分は深夜美にとって敵なのだろう。
彼は有沙を殺した犯人――しかも血液を酸に変えてしまうという残忍極まる能力者かもしれない。
しかし鎮神が深夜美の優しさに幾度か救われたのも事実だ。
なぜ彼は世界の敵となったのだろう。
なぜ世界が彼の敵となったのだろう。
疑っていることを悟られまいとするために近付かないでいると、余計に怪しまれるかもしれない。
鎮神は深夜美にそれとなく話しかけた。
「詩がお好きなんですね」
深夜美はいつもと変わらず、朗らかに答えてくれる。
「そうだね。散文も良いけど、韻文は情報量が絞られるぶん、より普遍的で、誰がいつ読んでも何かしら感じるものがあると思うんだ」
「なんか大人っぽいですね」
「そう? 鎮神くんだって音楽好きだろう? 歌詞カード眺めたりしないの?」
「ああ、それならやります」
「なら同じだよ。必ずしも縦書きの古典的名作じゃなくていい。
思惟することはそれだけで素晴らしい」
閉じた本を胸に押し当て、夢見るように紅い瞳を細める。
その紅が一瞬脳裏に灼けつくような気がして鎮神は瞬いた。
少し会話を交わしてから、鎮神は台所へと立ち去る。
水を飲み、シンクに手をつくと、途端に心臓が高鳴り、脚が震え出した。有沙の惨い最期の記憶と、深夜美への疑念。
それを両方抱いたまま深夜美の前に立つのは、あまりに恐ろしい。
真祈はきっとこの事件を追い、犯人と戦うつもりだ。
信仰を守るという指令を組み込まれた生物なのだから。
鎮神はそのような真祈のありようを、良いとも悪いとも思わない。
ただ、自分の力を受け入れるきっかけをくれた真祈を、残酷な戦いの中に一人送り出すのは絶対に嫌だ。
真祈の神話になら、どこまでも付き合おう。
好きな人のためならば、相手がどんなに強くても、たとえ一時的に屈することがあったとしても、背を向けて逃げる気などさらさら起きない。
自分がこれほどまでの情熱を誰かに対して向けることができるなんて知らなかった、と一人苦笑した。
――何も読みとれなかった。
深夜美は顰めた顔を詩集で隠す。
深夜美を前にしていながら、鎮神は一切の動揺を示さなかった。
他者の感情に苦しくなるほど同調できてしまう自分が何も感じなかったのなら、鎮神は本当に何も知らずに何気なく話しかけてきただけなのだろう。
駄目もとで、鎮神を洗脳して、真祈が自分を疑っているかどうか話させようと試してみたが、案の定弾かれた。
それに、もし相手が少しでも恐怖や怒りを向けてきたならば、こちらの呪力は強くなるはずだがその様子も無い。
何も知られていないのなら、明日の予定を変更する必要は無い。
芽吹いた憎しみを刈りとり、呪詛の糧とするのだ。
そしてじきに、世界はこの手に落ちる。
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