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六章
1 憤怒の戦化粧
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ある白昼、鎮神は真祈に連れられて、島の中心部にある神門地区を歩いていた。
ゴスファッションとの調和もへったくれもない爽やかな柄のトートバックを持たされ、寂しい商店街を浮世離れした美形と連れだって行くという、珍妙な光景だ。
今朝起きると、既に真祈が部屋に居て、鎮神を連れ出したのだ。
有沙の死で感傷的になっている、などということが真祈に限ってあるとは思えない。
訳も分からぬまま、深夜美がどこかへ出かけて行った少し後に、二人で宇津僚家を出てきたというわけだ。
半歩前を進む真祈の髪が、太陽光を緑色に照り返して、水面のように揺らめいている。
空よりも海よりも、堂々と歩む真祈に目を奪われていた。
しかし真祈の方は、鎮神に対して振り向きもしない。
以前二人で出掛けた時よりも口数が少なく、何かを考え込んでいる様子であった。
これが単なるデートなんてものではないということは容易に想像できた。
店の並ぶ通りを外れ、敷かれたアスファルトがすっかり割れてしまい雑草の苗床になった横道へと、真祈は進んで行く。
それを追って鬱蒼とした道へ入ると、何やら古びた四角い建物が見えた。
「これは……?」
「ずいぶん昔に廃業した映画館です」
真祈の柔らかく大きな手が鎮神の手指を絡めとり、廃墟へ誘う。
チケットや菓子を売っていたと思しきロビーは、自然に還りつつあった。
崩れた屋根から射し込む光が、舞い上がる埃を白く可視化する。
その先、一つ扉をくぐった先にある肝心の映写室は無事に人工の闇を保っていた。
「映画、三本しか無いんですけど、『怪奇ピーマンマン』『忍城VSメガシャーク』『夢見る神殿』のどれが見たいですか」
真祈に問われて、鎮神は引き攣った笑みを浮かべた。
少なくとも二本は、題名を聞いただけでB級パニック映画と予想できてしまう。
「うーん……『夢見る神殿』がいいかな……」
「分かりました。
じゃあ映写機をセットしてきますので、適当に座っててください」
真祈を見送り、鎮神は丁度真ん中辺りの椅子に座って待った。
暫くしてスクリーンに光が投げかけられ、真祈が戻って来て鎮神の隣に座る。
そして始まったのは、あまりにも雑なCG及び着ぐるみの蛸が、海はもちろん陸へ空へと縦横無尽に暴れまわり、その蛸を崇める狂信者たちと共に破壊の限りを尽くすという映画であった。
哀愁さえ漂うチープな画面、緩急ガタガタのテンポなどが、鑑賞者の正気を削いでいく。
ちゃんと三本のフィルムの各タイトルを把握していたということは、真祈はこの場所や映画たちを馴染みとしているのだろう。
真祈の審美眼を心配していた時、真祈が口を開いた。
「鎮神、この映画面白いですか?」
スクリーンの光と、それを反射して薔薇色に輝く髪が屈託ない表情を照らしている。
いくら真祈が悲しみを感じないとはいえ、そのセンスを真っ向から否定するのは躊躇われた。
「え……うん、凄く独特な雰囲気が……笑いを誘うっていうか……」
「正直に言ってください」
「いや、まあ、これより出来の良い映画なんてごまんとあるけど……」
「つまり?」
「お、面白くはないです」
「それは良かった」
目一杯気を遣ってどっと疲れている鎮神をよそに、真祈はなぜか嬉々として例のトートバッグを漁る。
「実は映画鑑賞に来た訳ではないのです。
どこに目があるか分かりませんので、一応遊んでいるふりをしていました……これを見てください」
出て来たのは、薄めの教科書くらいにはなる書類の束であった。
大きなクリップでひとまとめにされ、その表には数枚の写真が挟まっている。
まず目に飛び込んできたのは、青一色を背景にした、少年のバストアップだった。
シンプルな丸襟のブラウスを着て立つ、気弱そうな子ども。
シチュエーションや彼の体格から察するに、十二歳が小学校の卒業アルバムのために撮った、といったところか。
ショートボブの黒髪、青白い肌、堅い表情――蘇芳色の上がり目。
二枚目の写真は、中学校の遠足か。
ほんの少し成長した彼が、相変わらず感情表現の乏しい顔で、ナップザックを背負ってはにかんでいる。
『今』と印象が違うが、面影はある。
三枚目、四枚目とめくるたびに、少年は見知った男に近付いていく。
とうとう彼が十八歳くらいになり、大学の学友らしき人達と並んで他愛もないスナップ写真に写り込むようになると、彼は髪を伸ばしはじめ、凛とした笑みを浮かべる『深夜美』になっていた。
その下にある資料も、全て深夜美の経歴を語るものであった。
「真祈さんは、深夜美さんのことを疑っているんですか……有沙さんを殺した犯人って」
「私には、宇津僚家に近付く者全てを疑い、秘密を守る義務がある。
有沙が殺される以前から、人を雇って深夜美さんのことを調べさせていました。
結果、彼の経歴に不審な点は無く、本人の談との矛盾も無い。
家庭環境については外部からは何の変哲もないように見られていたようですが、所詮外面ですから、それだけで北原家に不和が無かったと言いきることはできないでしょうし」
非情だが合理的な分析に、信頼と恐怖を感じつつ、鎮神は相槌を打つ。
「ただ、もし有沙を殺した動機が悪感情とすれば、私にそれを観測することはできない。
ですから鎮神、貴方はこの資料を見て何を読み取るのか、率直な意見が聴きたい」
真祈に乞われて、再び資料に目線を落とした。
暴れまわる蛸の灯りで、今は義父にあたる少年の顔は陰鬱に明滅を繰り返す。
個人的な感情だけで言えば、深夜美を疑いたくはなかった。
優しくも鋭く鎮神の欠落を見抜く彼のことを、慕っていると言っても良かった。
しかし今は私情を捨て、真祈の目になることに専念する。
資料の中に、どこかの会社のかなり古い社内報の写しが現れた。
社員として、鎮神がよく知る深夜美の姿があったので驚いたが、よく見ればそれは北原深海子――今は亡き、深夜美の母親であった。
そこで、はたと気付く。
鎮神はてっきり、幼い頃から内気そうだった深夜美の性格が大学に入った辺りで変わったように見えたのは、友人に恵まれたことや、折り合いの悪い親元を離れたためだと思っていた。
しかし深夜美の半生と見比べてみると、そうではないことに気付く。
十八歳といえば、深夜美が母を喪った年齢だ。
さらに深夜美は大学生の間は、経済的な事情故に実家で父と二人で暮らしていたらしい。
それで何故、笑顔が増えるのか。
「――逆、なのか?」
思わず呟いていた。
何が、といったふうに真祈が覗き込んでくる。
「幼い頃の方が、本当の深夜美さんで……笑顔の方が、抑圧の証なのかも……」
内気で優しい少年が、父に怯える日々でも歪まずに在れたのは、母が居たから。
唯一の支えを失ったとき、彼は誰にも心を許さないことで生き抜こうとした。
深夜美の笑顔は悦びではなく、戦化粧なのかもしれない。
記憶にある深夜美の笑顔が、歪む。
父と、運命と、世界と戦うために施した化粧。
しかし宇津僚家で幸せを見つけられたはずの深夜美がそれを解かないのは何故だ。
二ツ河島は彼にとって安らげる所ではなく、戦場なのか。
共に暮らし、慕っていた彼は『何』なのか。
確信に近い予感を覚えながらも、こんなものは感傷めいた憶測に過ぎないのだと自分に言い聞かせながら、思ったことを真祈に正直に伝えた。
真祈はそれを聞くと、少し考え込んだ後、何事も無かったかのように微笑んで、鎮神の頭をふわりと撫でた。
「ありがとう、鎮神。
せっかくですし、最後まで映画を見て行きましょう」
二人でチープな映画を見ていると、少し心が安らいだ。
恐怖をほんの少し忘れて、仄暗い匣の中、二人きりの世界に酔いしれていた。
ゴスファッションとの調和もへったくれもない爽やかな柄のトートバックを持たされ、寂しい商店街を浮世離れした美形と連れだって行くという、珍妙な光景だ。
今朝起きると、既に真祈が部屋に居て、鎮神を連れ出したのだ。
有沙の死で感傷的になっている、などということが真祈に限ってあるとは思えない。
訳も分からぬまま、深夜美がどこかへ出かけて行った少し後に、二人で宇津僚家を出てきたというわけだ。
半歩前を進む真祈の髪が、太陽光を緑色に照り返して、水面のように揺らめいている。
空よりも海よりも、堂々と歩む真祈に目を奪われていた。
しかし真祈の方は、鎮神に対して振り向きもしない。
以前二人で出掛けた時よりも口数が少なく、何かを考え込んでいる様子であった。
これが単なるデートなんてものではないということは容易に想像できた。
店の並ぶ通りを外れ、敷かれたアスファルトがすっかり割れてしまい雑草の苗床になった横道へと、真祈は進んで行く。
それを追って鬱蒼とした道へ入ると、何やら古びた四角い建物が見えた。
「これは……?」
「ずいぶん昔に廃業した映画館です」
真祈の柔らかく大きな手が鎮神の手指を絡めとり、廃墟へ誘う。
チケットや菓子を売っていたと思しきロビーは、自然に還りつつあった。
崩れた屋根から射し込む光が、舞い上がる埃を白く可視化する。
その先、一つ扉をくぐった先にある肝心の映写室は無事に人工の闇を保っていた。
「映画、三本しか無いんですけど、『怪奇ピーマンマン』『忍城VSメガシャーク』『夢見る神殿』のどれが見たいですか」
真祈に問われて、鎮神は引き攣った笑みを浮かべた。
少なくとも二本は、題名を聞いただけでB級パニック映画と予想できてしまう。
「うーん……『夢見る神殿』がいいかな……」
「分かりました。
じゃあ映写機をセットしてきますので、適当に座っててください」
真祈を見送り、鎮神は丁度真ん中辺りの椅子に座って待った。
暫くしてスクリーンに光が投げかけられ、真祈が戻って来て鎮神の隣に座る。
そして始まったのは、あまりにも雑なCG及び着ぐるみの蛸が、海はもちろん陸へ空へと縦横無尽に暴れまわり、その蛸を崇める狂信者たちと共に破壊の限りを尽くすという映画であった。
哀愁さえ漂うチープな画面、緩急ガタガタのテンポなどが、鑑賞者の正気を削いでいく。
ちゃんと三本のフィルムの各タイトルを把握していたということは、真祈はこの場所や映画たちを馴染みとしているのだろう。
真祈の審美眼を心配していた時、真祈が口を開いた。
「鎮神、この映画面白いですか?」
スクリーンの光と、それを反射して薔薇色に輝く髪が屈託ない表情を照らしている。
いくら真祈が悲しみを感じないとはいえ、そのセンスを真っ向から否定するのは躊躇われた。
「え……うん、凄く独特な雰囲気が……笑いを誘うっていうか……」
「正直に言ってください」
「いや、まあ、これより出来の良い映画なんてごまんとあるけど……」
「つまり?」
「お、面白くはないです」
「それは良かった」
目一杯気を遣ってどっと疲れている鎮神をよそに、真祈はなぜか嬉々として例のトートバッグを漁る。
「実は映画鑑賞に来た訳ではないのです。
どこに目があるか分かりませんので、一応遊んでいるふりをしていました……これを見てください」
出て来たのは、薄めの教科書くらいにはなる書類の束であった。
大きなクリップでひとまとめにされ、その表には数枚の写真が挟まっている。
まず目に飛び込んできたのは、青一色を背景にした、少年のバストアップだった。
シンプルな丸襟のブラウスを着て立つ、気弱そうな子ども。
シチュエーションや彼の体格から察するに、十二歳が小学校の卒業アルバムのために撮った、といったところか。
ショートボブの黒髪、青白い肌、堅い表情――蘇芳色の上がり目。
二枚目の写真は、中学校の遠足か。
ほんの少し成長した彼が、相変わらず感情表現の乏しい顔で、ナップザックを背負ってはにかんでいる。
『今』と印象が違うが、面影はある。
三枚目、四枚目とめくるたびに、少年は見知った男に近付いていく。
とうとう彼が十八歳くらいになり、大学の学友らしき人達と並んで他愛もないスナップ写真に写り込むようになると、彼は髪を伸ばしはじめ、凛とした笑みを浮かべる『深夜美』になっていた。
その下にある資料も、全て深夜美の経歴を語るものであった。
「真祈さんは、深夜美さんのことを疑っているんですか……有沙さんを殺した犯人って」
「私には、宇津僚家に近付く者全てを疑い、秘密を守る義務がある。
有沙が殺される以前から、人を雇って深夜美さんのことを調べさせていました。
結果、彼の経歴に不審な点は無く、本人の談との矛盾も無い。
家庭環境については外部からは何の変哲もないように見られていたようですが、所詮外面ですから、それだけで北原家に不和が無かったと言いきることはできないでしょうし」
非情だが合理的な分析に、信頼と恐怖を感じつつ、鎮神は相槌を打つ。
「ただ、もし有沙を殺した動機が悪感情とすれば、私にそれを観測することはできない。
ですから鎮神、貴方はこの資料を見て何を読み取るのか、率直な意見が聴きたい」
真祈に乞われて、再び資料に目線を落とした。
暴れまわる蛸の灯りで、今は義父にあたる少年の顔は陰鬱に明滅を繰り返す。
個人的な感情だけで言えば、深夜美を疑いたくはなかった。
優しくも鋭く鎮神の欠落を見抜く彼のことを、慕っていると言っても良かった。
しかし今は私情を捨て、真祈の目になることに専念する。
資料の中に、どこかの会社のかなり古い社内報の写しが現れた。
社員として、鎮神がよく知る深夜美の姿があったので驚いたが、よく見ればそれは北原深海子――今は亡き、深夜美の母親であった。
そこで、はたと気付く。
鎮神はてっきり、幼い頃から内気そうだった深夜美の性格が大学に入った辺りで変わったように見えたのは、友人に恵まれたことや、折り合いの悪い親元を離れたためだと思っていた。
しかし深夜美の半生と見比べてみると、そうではないことに気付く。
十八歳といえば、深夜美が母を喪った年齢だ。
さらに深夜美は大学生の間は、経済的な事情故に実家で父と二人で暮らしていたらしい。
それで何故、笑顔が増えるのか。
「――逆、なのか?」
思わず呟いていた。
何が、といったふうに真祈が覗き込んでくる。
「幼い頃の方が、本当の深夜美さんで……笑顔の方が、抑圧の証なのかも……」
内気で優しい少年が、父に怯える日々でも歪まずに在れたのは、母が居たから。
唯一の支えを失ったとき、彼は誰にも心を許さないことで生き抜こうとした。
深夜美の笑顔は悦びではなく、戦化粧なのかもしれない。
記憶にある深夜美の笑顔が、歪む。
父と、運命と、世界と戦うために施した化粧。
しかし宇津僚家で幸せを見つけられたはずの深夜美がそれを解かないのは何故だ。
二ツ河島は彼にとって安らげる所ではなく、戦場なのか。
共に暮らし、慕っていた彼は『何』なのか。
確信に近い予感を覚えながらも、こんなものは感傷めいた憶測に過ぎないのだと自分に言い聞かせながら、思ったことを真祈に正直に伝えた。
真祈はそれを聞くと、少し考え込んだ後、何事も無かったかのように微笑んで、鎮神の頭をふわりと撫でた。
「ありがとう、鎮神。
せっかくですし、最後まで映画を見て行きましょう」
二人でチープな映画を見ていると、少し心が安らいだ。
恐怖をほんの少し忘れて、仄暗い匣の中、二人きりの世界に酔いしれていた。
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