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第一章
Ⅱ-ⅰ
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「まだ分かんないだろ?」
タックが必死になってリンに言葉をかける。
「古かったんだし。人がここ最近入った感じもしなかったし。使う気なんてさらさら無いよ」
「分かってる。ただ、あんなにあって、ちょっとびっくりしちゃっただけ」
あの倉庫にあったのは、数えられないほどの火薬の塊、いわゆる爆弾だった。タックはそれが何なのかすぐには分からなかったようだが、リンは見た瞬間一瞬で分かった。見たことがあるのだ。あの鉄の塊が町を、人を焼き尽くす様子を……。
「それに、防壁だって、爆弾だって、要は戦の対策だろ?大差ないよ。だから、そんなに落ち込むことないって」
「ナリ村は戦をするの?」
「だーかーらー、どうして、こうも論旨を取り違えるかな」
それは、そういう人と一緒に暮らしているからだろう。疑問に思うほどのことでもない。
「戦はしない。もしそんな一大事が迫ってんだったら、大人達もこんな暢気に収穫なんてしてないって。それこそ、今頃避難だ、避難」
なるほど、それも一理ある。そもそもあんなおんぼろ倉庫なのだ。随分昔の戦か何かで使った余りなのかもしれない。
「だから、あれは忘れられていた火薬庫、いわゆる遺跡ってやつなんだよ。大発見だ!あーあ、収穫サボって北下りたのばれちゃうからみんなに自慢できないのが残念だなー」
タックがわざとらしく肩を落とす。励ましてくれようとしてくれていることが丸分かりだったが、リンはこの親切に甘えて励まされておくことにした。一日に何度も凹んでいては体がもたない。それに、せっかくあの場所へ連れて行ってくれた友人に罪悪感を持たせても悪い。
「ふふ、全然落ち込んでなんかいないよ。もう、タックは大げさだな。むしろ、なんだか楽しかった。ありがとね」
「うわ、元気になんの早っ!なんか気持ち悪いな」
ペシッ!
「ああ、分かった。俺が悪かった」
どうやらリンの大事な友人は、違うところで罪悪感を持ったらしかった。それで大いに結構。むしろ好ましいくらいだ。
「そろそろお腹空いたね」
「それもそうだな。よし、俺の家来るか」
「ありがとう。でも、お母さんたちのところに戻る。わたしの分もお弁当あったはずだし」
太陽も下りに差しかかって、もうみんな食べ始めているだろうが、たとえ一人で食べることになるにしても、せっかく作ってもらったお弁当は無駄にはしたくない。
「そっか。じゃあ、俺も昼食済ませたらまた、リンの家の畑行くな」
そう言うとタックは朝も座っていた丸太から跳び下りると、目の前の湖に背を向けて、自分の巨木の方へ登っていった。ここで、畑までリンを送ろうとしないところがタックだ。面倒見が良いのか、悪いのか。そんな友人の背中を見送りながら、リンはリンで果樹園の方角へ少し破けてきた履物のつま先をむけるのだった。
「でね、でね、そこの木がね、文句言うんだよ。こんな未熟者に収穫されてたまるかって」
どうやらリンが戻ってきてからお昼にするという話になっていたらしく、リンが畑に着いたときも家族揃って収穫の真最中だった。一番にリンに気付いて駆け寄ってきたのは妹のナナで、それからはずっとこの調子である。収穫に参加できないリンに気遣って、普段村の人たちはあまりリンの前で収穫の話はしないが、ナナに限ってはその気遣いを期待してはいけないらしい。それに、姉であるリンに熱心に話をするナナはこんなにも純粋な目をしている。べつに、リンとて自分の目が濁っているだなんて思ったことはないが、それでも気遣いやお世辞の類はそれなりにわきまえているつもりだ。だから、そういう意味でナナの目は透き通っているのである。いずれ、その瞳には汚れとは違うかもしれないいろんな色が加わるのだろう。できれば鮮やかであってほしいと思うのは今、目の前でその瞳を見つめているリンには仕方のないことである。
「だから言ってやったの。そこの枝折っちゃうよって」
その瞳に一種の想いを馳せていたリンは少し前のめりになってしまった。
「それって、脅迫って言うんじゃない?」
「キョウハク……?」
「いや、何でもない」
幼さとは罪だ。あらゆる面において。そして、それが許されてしまうのである。怖いものだ。しかし、そういうリンもルルやモナから見れば幼い訳で、村長のジウから見ればその二人だって幼くなってしまう。この考えでいくと、どうやら人は一生罪であるらしい。困ったものだ。
「ねえ、お姉ちゃん、聞いてる?」
ナナがリンの腕をつかんで揺らす。リンはその見た目からは想像もできない力に少し驚きながら、折られずに済んだのであろうナナに脅されたという木に少し同情をした。
「もう……、すぐに難しいこと考えようとするの、お姉ちゃんの悪い癖だよ」
「癖って直らないから癖って……、分かった、分かった。お姉ちゃんが悪かったよ」
ナナの頭の上に掌を置いて、ひとまずは人が話しているときに考え込むのはやめようと思うのだった。
「なんだ、なんだ、リンが戻ったんだったら、さっさとお昼にするぞ」
いい汗をかいて、いくらか若返ったようにも見えるルルがお弁当を抱えてきた。家族全員で突っつきあえる特大のやつだ。
「もう、お父さんは腰が痛くて痛くて。ナナやルルが羨ましいな。この歳になるとやる気があっても体力がな」
やけに年寄りくさいことを言うルル。いつも国境壁で肉体労働に従事している人の言葉には到底思えない。そういえば、結局国境壁は見られずじまいだった。
「お父さんって何歳なの?」
ナナが無邪気な質問をルルにする。もう七つなのだから、そろそろ父親から答えが返ってくる質問とそうでないものの判断がついても良いような気もするが、そうは言っても、なかなか難しいのだろう。そして、案の上……
「二十六」
というとんでもない答えが返ってきた。
「へえ、お父さん、ニタちゃんのお父さんより若いんだ!」
「こら、ナナ、お父さんをそんなに簡単に信じちゃダメ。いい?見た目はそれで通るかもしれないけど、それじゃ、お父さんが十二歳のときにわたしが産まれたことになっちゃうでしょ?」
「お、リンも算数ができるようになったか!」
「もう十四ですから」
ルルにむかってリンはちょっとだけ胸を張ってみた。父親のとんちんかんな発言やからかいにも最近は言い返せるようになっていた。
――まあ、なんたって十四歳ですから。
さっきの自分の台詞には我ながら少しご満悦だ。
「で、本当はいくつなの?」
ちょっと調子に乗ったせいか、ついさっきまで答えてもらえないからしても無駄だとナナに対して心の中で少々の哀れみを送っていたはずのその質問を、リンは不覚にもルルにしてしまっていた。
「うーん、じゃあ、五十歳」
適当すぎる……。じゃあ、って何なのだ。じゃあ、って。
「お母さん、お父さんって何歳?」
お父さんに訊いていては拉致があかないと学習したらしいナナが、ちゃっかり一人でご飯を食べ始めていたモナに質問の矛先を変えた。モナは嘘をつかない。
「さあ」
呆れた。どうやらモナですらルルの年齢知らないらしい。モナのことだから答えを知っていて、ごまかしたということもないだろう。
「なんで、そんなに僕の歳にこだわるかな……。残念だけど、お父さんは何歳でもリンやナナとは結婚できないんだ。もうお母さんと結婚してるし」
「?」
ナナと同時に、よく分からないという表情を作るリン。この会話のどこをどう解釈すればリン達がルルと結婚したいという話になるのだろう。意味が分からない。
「水はないのか、水は」
ルルは年齢の話に興味をなくしたようで、モナに向かって飲み物を要求する。モナは無言で手持ちサイズの麻袋に手を突っ込むと
「あら、飲み切っちゃったみたい」
と一言。モナが水筒をわざとらしくひっくり返してみせる。それなら私が、と喉まで出かかった言葉をリンは飲み込む。これもモナの言いつけだ。お父さんにまで隠し事をするのは正直とても嫌だったが、その不快感を自覚したときにはもう隠してからしばらく経っていたので、今さらという気持ちが邪魔をして、どうにもこうにもできないまま隠し続けている。
結局、ググの水遣り用のため池にある雨水を飲む訳には行かないので、朝の残りのパンなど昼食を飲み物無しで済ませると、リン以外の家族はまた収穫に取り掛かった。
そもそも昼食を食べ始めたのがいつもより遅かったので午後の作業はそう時間もかからないだろうと思い、リンは大人しく収穫を見ていることにした。
木族すなわち、木と意思疎通ができる民族は、世界広しと言えども他の民族と比べて極端に数が少ないらしい。しかも、そのほとんどが、この村にいるという話だ。理由はいたって単純で、どうしてか木族の血はとても弱いのだ。他の種族の人間と交わろうものなら、その子供は必ず相手方の能力を持って産まれてくる。要するに、木と話せない子が産まれてくるのだ。
だからという訳ではないが、この村の人達は村人同士で結婚することが多い。べつに、この村に、血を途切れさせてはいけないから村の者同士の結婚しか認めないなんていう堅苦しい掟がある訳ではない。むしろ、そういう点では村長のジウは寛容な方だ。旅人が住み着くことに関して嫌な顔ひとつしない。でも、やはり、自分の子供には掌から炎を発射するのでなく、暗闇の中でも全てを視認する優れた視力を持つのでもなく、木と話してほしいとこの村の人達は思うらしかった。それは親として当然の感情とも言えたし、木と話せる人間にしか分からない特別な感情だとも言えた。
正直、木と話せないリンにはよく分からない。でも、それとは関係無く、多くの人達から無族として認識され続けているリンとしては、自分の子供には何かしら能力を持って産まれてきて欲しいとは思っていた。
――無族
それは、特別な能力を持っていない種族のことだ。木族や風族などと同等に無族は無族で立派な種族なのだが、やはり他の種族とくらべて見下されることは多く、地元を離れると自分の種族を隠して生きている無族も少なくないらしい。事実、彼らは生きるのに必死だ。他族と一対一で勝負したのでは、勝ち目が無いので様々なもの――主に自衛のための兵器――を発明してきた。今日リンたちが見た爆弾や、その原料になる火薬も元はといえば無族の発明だ。無族の発明はあまり攻撃性を持たない能力を保持する種族に重宝されていた。
そして、リンはというと実は無族ではない。ルルとモナが木族だからリン自身能力が無くても木族だ、と言い張るのかというと、そういう訳ではない。そもそも種族というのは血筋ではなく、その人の持つ能力で決まるので、能力が無ければ誰がなんと言おうとリンは無族ということになってしまう。
だから、要するにリンは、木と話すのではない別の能力を持っているのだ。
「そうは言ってもね……」
そう言うとリンは自分の両の手をしげしげと見つめた。
リンは木族ではない。水族だ。
ただし、そのことをモナ以外の人間には隠している。理由は勿論、モナに言うなと言われているからだ。何故モナが、リンが水族であることを他人に隠したがるのかは分からない。いや、薄々その理由は感づいてはいるのだが、知らないものは知らない。ただ、とにかくそのせいで村のみんな、大事な友人のタックにでさえリンは無族だと思われていた。
「収穫はできなくても、水遣りぐらいはできるのにな……」
誰にも聞こえない声でリンはぼそりと呟く。
水族の能力を使えば、あんなため池は要らないのだ。リン一人であっという間に水やりを終えてしまうことができる。
「お姉ちゃーん!この子お姉ちゃんと同い年だって」
ここからではよく見えないが、沢山の汗が流れているのであろうその顔に満面の笑みを貼り付けている様子が容易に想像できる声でナナが叫ぶ。
「ちゃんと働きなよー!」
他人のこといえない身であるのは重々承知ながら、姉としてリンも叫び返す。さてはナナ、収穫ではなくて木との世間話に没頭しているらしい。困ったものだ。この調子ではあまり戦力にはなってないかもしれない。いや、かもしれないというか、朝の時点で大いに予想できていたことではあったのだが……。
まあ、そんなナナも含めてここからの景色は微笑ましいものだと言うことができた。そう、まぎれもなくリンにとって大切な時間、場所……。いつまでったっても変わらないのだろう。
タックが必死になってリンに言葉をかける。
「古かったんだし。人がここ最近入った感じもしなかったし。使う気なんてさらさら無いよ」
「分かってる。ただ、あんなにあって、ちょっとびっくりしちゃっただけ」
あの倉庫にあったのは、数えられないほどの火薬の塊、いわゆる爆弾だった。タックはそれが何なのかすぐには分からなかったようだが、リンは見た瞬間一瞬で分かった。見たことがあるのだ。あの鉄の塊が町を、人を焼き尽くす様子を……。
「それに、防壁だって、爆弾だって、要は戦の対策だろ?大差ないよ。だから、そんなに落ち込むことないって」
「ナリ村は戦をするの?」
「だーかーらー、どうして、こうも論旨を取り違えるかな」
それは、そういう人と一緒に暮らしているからだろう。疑問に思うほどのことでもない。
「戦はしない。もしそんな一大事が迫ってんだったら、大人達もこんな暢気に収穫なんてしてないって。それこそ、今頃避難だ、避難」
なるほど、それも一理ある。そもそもあんなおんぼろ倉庫なのだ。随分昔の戦か何かで使った余りなのかもしれない。
「だから、あれは忘れられていた火薬庫、いわゆる遺跡ってやつなんだよ。大発見だ!あーあ、収穫サボって北下りたのばれちゃうからみんなに自慢できないのが残念だなー」
タックがわざとらしく肩を落とす。励ましてくれようとしてくれていることが丸分かりだったが、リンはこの親切に甘えて励まされておくことにした。一日に何度も凹んでいては体がもたない。それに、せっかくあの場所へ連れて行ってくれた友人に罪悪感を持たせても悪い。
「ふふ、全然落ち込んでなんかいないよ。もう、タックは大げさだな。むしろ、なんだか楽しかった。ありがとね」
「うわ、元気になんの早っ!なんか気持ち悪いな」
ペシッ!
「ああ、分かった。俺が悪かった」
どうやらリンの大事な友人は、違うところで罪悪感を持ったらしかった。それで大いに結構。むしろ好ましいくらいだ。
「そろそろお腹空いたね」
「それもそうだな。よし、俺の家来るか」
「ありがとう。でも、お母さんたちのところに戻る。わたしの分もお弁当あったはずだし」
太陽も下りに差しかかって、もうみんな食べ始めているだろうが、たとえ一人で食べることになるにしても、せっかく作ってもらったお弁当は無駄にはしたくない。
「そっか。じゃあ、俺も昼食済ませたらまた、リンの家の畑行くな」
そう言うとタックは朝も座っていた丸太から跳び下りると、目の前の湖に背を向けて、自分の巨木の方へ登っていった。ここで、畑までリンを送ろうとしないところがタックだ。面倒見が良いのか、悪いのか。そんな友人の背中を見送りながら、リンはリンで果樹園の方角へ少し破けてきた履物のつま先をむけるのだった。
「でね、でね、そこの木がね、文句言うんだよ。こんな未熟者に収穫されてたまるかって」
どうやらリンが戻ってきてからお昼にするという話になっていたらしく、リンが畑に着いたときも家族揃って収穫の真最中だった。一番にリンに気付いて駆け寄ってきたのは妹のナナで、それからはずっとこの調子である。収穫に参加できないリンに気遣って、普段村の人たちはあまりリンの前で収穫の話はしないが、ナナに限ってはその気遣いを期待してはいけないらしい。それに、姉であるリンに熱心に話をするナナはこんなにも純粋な目をしている。べつに、リンとて自分の目が濁っているだなんて思ったことはないが、それでも気遣いやお世辞の類はそれなりにわきまえているつもりだ。だから、そういう意味でナナの目は透き通っているのである。いずれ、その瞳には汚れとは違うかもしれないいろんな色が加わるのだろう。できれば鮮やかであってほしいと思うのは今、目の前でその瞳を見つめているリンには仕方のないことである。
「だから言ってやったの。そこの枝折っちゃうよって」
その瞳に一種の想いを馳せていたリンは少し前のめりになってしまった。
「それって、脅迫って言うんじゃない?」
「キョウハク……?」
「いや、何でもない」
幼さとは罪だ。あらゆる面において。そして、それが許されてしまうのである。怖いものだ。しかし、そういうリンもルルやモナから見れば幼い訳で、村長のジウから見ればその二人だって幼くなってしまう。この考えでいくと、どうやら人は一生罪であるらしい。困ったものだ。
「ねえ、お姉ちゃん、聞いてる?」
ナナがリンの腕をつかんで揺らす。リンはその見た目からは想像もできない力に少し驚きながら、折られずに済んだのであろうナナに脅されたという木に少し同情をした。
「もう……、すぐに難しいこと考えようとするの、お姉ちゃんの悪い癖だよ」
「癖って直らないから癖って……、分かった、分かった。お姉ちゃんが悪かったよ」
ナナの頭の上に掌を置いて、ひとまずは人が話しているときに考え込むのはやめようと思うのだった。
「なんだ、なんだ、リンが戻ったんだったら、さっさとお昼にするぞ」
いい汗をかいて、いくらか若返ったようにも見えるルルがお弁当を抱えてきた。家族全員で突っつきあえる特大のやつだ。
「もう、お父さんは腰が痛くて痛くて。ナナやルルが羨ましいな。この歳になるとやる気があっても体力がな」
やけに年寄りくさいことを言うルル。いつも国境壁で肉体労働に従事している人の言葉には到底思えない。そういえば、結局国境壁は見られずじまいだった。
「お父さんって何歳なの?」
ナナが無邪気な質問をルルにする。もう七つなのだから、そろそろ父親から答えが返ってくる質問とそうでないものの判断がついても良いような気もするが、そうは言っても、なかなか難しいのだろう。そして、案の上……
「二十六」
というとんでもない答えが返ってきた。
「へえ、お父さん、ニタちゃんのお父さんより若いんだ!」
「こら、ナナ、お父さんをそんなに簡単に信じちゃダメ。いい?見た目はそれで通るかもしれないけど、それじゃ、お父さんが十二歳のときにわたしが産まれたことになっちゃうでしょ?」
「お、リンも算数ができるようになったか!」
「もう十四ですから」
ルルにむかってリンはちょっとだけ胸を張ってみた。父親のとんちんかんな発言やからかいにも最近は言い返せるようになっていた。
――まあ、なんたって十四歳ですから。
さっきの自分の台詞には我ながら少しご満悦だ。
「で、本当はいくつなの?」
ちょっと調子に乗ったせいか、ついさっきまで答えてもらえないからしても無駄だとナナに対して心の中で少々の哀れみを送っていたはずのその質問を、リンは不覚にもルルにしてしまっていた。
「うーん、じゃあ、五十歳」
適当すぎる……。じゃあ、って何なのだ。じゃあ、って。
「お母さん、お父さんって何歳?」
お父さんに訊いていては拉致があかないと学習したらしいナナが、ちゃっかり一人でご飯を食べ始めていたモナに質問の矛先を変えた。モナは嘘をつかない。
「さあ」
呆れた。どうやらモナですらルルの年齢知らないらしい。モナのことだから答えを知っていて、ごまかしたということもないだろう。
「なんで、そんなに僕の歳にこだわるかな……。残念だけど、お父さんは何歳でもリンやナナとは結婚できないんだ。もうお母さんと結婚してるし」
「?」
ナナと同時に、よく分からないという表情を作るリン。この会話のどこをどう解釈すればリン達がルルと結婚したいという話になるのだろう。意味が分からない。
「水はないのか、水は」
ルルは年齢の話に興味をなくしたようで、モナに向かって飲み物を要求する。モナは無言で手持ちサイズの麻袋に手を突っ込むと
「あら、飲み切っちゃったみたい」
と一言。モナが水筒をわざとらしくひっくり返してみせる。それなら私が、と喉まで出かかった言葉をリンは飲み込む。これもモナの言いつけだ。お父さんにまで隠し事をするのは正直とても嫌だったが、その不快感を自覚したときにはもう隠してからしばらく経っていたので、今さらという気持ちが邪魔をして、どうにもこうにもできないまま隠し続けている。
結局、ググの水遣り用のため池にある雨水を飲む訳には行かないので、朝の残りのパンなど昼食を飲み物無しで済ませると、リン以外の家族はまた収穫に取り掛かった。
そもそも昼食を食べ始めたのがいつもより遅かったので午後の作業はそう時間もかからないだろうと思い、リンは大人しく収穫を見ていることにした。
木族すなわち、木と意思疎通ができる民族は、世界広しと言えども他の民族と比べて極端に数が少ないらしい。しかも、そのほとんどが、この村にいるという話だ。理由はいたって単純で、どうしてか木族の血はとても弱いのだ。他の種族の人間と交わろうものなら、その子供は必ず相手方の能力を持って産まれてくる。要するに、木と話せない子が産まれてくるのだ。
だからという訳ではないが、この村の人達は村人同士で結婚することが多い。べつに、この村に、血を途切れさせてはいけないから村の者同士の結婚しか認めないなんていう堅苦しい掟がある訳ではない。むしろ、そういう点では村長のジウは寛容な方だ。旅人が住み着くことに関して嫌な顔ひとつしない。でも、やはり、自分の子供には掌から炎を発射するのでなく、暗闇の中でも全てを視認する優れた視力を持つのでもなく、木と話してほしいとこの村の人達は思うらしかった。それは親として当然の感情とも言えたし、木と話せる人間にしか分からない特別な感情だとも言えた。
正直、木と話せないリンにはよく分からない。でも、それとは関係無く、多くの人達から無族として認識され続けているリンとしては、自分の子供には何かしら能力を持って産まれてきて欲しいとは思っていた。
――無族
それは、特別な能力を持っていない種族のことだ。木族や風族などと同等に無族は無族で立派な種族なのだが、やはり他の種族とくらべて見下されることは多く、地元を離れると自分の種族を隠して生きている無族も少なくないらしい。事実、彼らは生きるのに必死だ。他族と一対一で勝負したのでは、勝ち目が無いので様々なもの――主に自衛のための兵器――を発明してきた。今日リンたちが見た爆弾や、その原料になる火薬も元はといえば無族の発明だ。無族の発明はあまり攻撃性を持たない能力を保持する種族に重宝されていた。
そして、リンはというと実は無族ではない。ルルとモナが木族だからリン自身能力が無くても木族だ、と言い張るのかというと、そういう訳ではない。そもそも種族というのは血筋ではなく、その人の持つ能力で決まるので、能力が無ければ誰がなんと言おうとリンは無族ということになってしまう。
だから、要するにリンは、木と話すのではない別の能力を持っているのだ。
「そうは言ってもね……」
そう言うとリンは自分の両の手をしげしげと見つめた。
リンは木族ではない。水族だ。
ただし、そのことをモナ以外の人間には隠している。理由は勿論、モナに言うなと言われているからだ。何故モナが、リンが水族であることを他人に隠したがるのかは分からない。いや、薄々その理由は感づいてはいるのだが、知らないものは知らない。ただ、とにかくそのせいで村のみんな、大事な友人のタックにでさえリンは無族だと思われていた。
「収穫はできなくても、水遣りぐらいはできるのにな……」
誰にも聞こえない声でリンはぼそりと呟く。
水族の能力を使えば、あんなため池は要らないのだ。リン一人であっという間に水やりを終えてしまうことができる。
「お姉ちゃーん!この子お姉ちゃんと同い年だって」
ここからではよく見えないが、沢山の汗が流れているのであろうその顔に満面の笑みを貼り付けている様子が容易に想像できる声でナナが叫ぶ。
「ちゃんと働きなよー!」
他人のこといえない身であるのは重々承知ながら、姉としてリンも叫び返す。さてはナナ、収穫ではなくて木との世間話に没頭しているらしい。困ったものだ。この調子ではあまり戦力にはなってないかもしれない。いや、かもしれないというか、朝の時点で大いに予想できていたことではあったのだが……。
まあ、そんなナナも含めてここからの景色は微笑ましいものだと言うことができた。そう、まぎれもなくリンにとって大切な時間、場所……。いつまでったっても変わらないのだろう。
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