哀―アイ―

まるちーるだ

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8.八節

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新月、これが何度目の宴だか茨木童子には分からなかった。ただ茨木童子が楽しみになった宴からは十年、百二十回目の宴だ。茨木童子はいつもと変わらぬように宴を抜け出して、石畳を上がった。洞窟の前には老婆鬼と子鬼がいつものように待っていた。洞窟に子鬼を連れて入いった。それと同時に茨木童子は胸に違和感を覚える。言いようのない何かがそこに感じた。

「かあさま?」

不安げに揺れる子鬼の黄金色の瞳に我に返った。茨木童子は子鬼と両瞳を合わせ、そして唇を動かした。

「朱野、ここに居て、絶対にここから出ないでね?」

子鬼がゆっくりと頷くのを確かめた茨木童子は早足で洞窟を出、そして石畳を下り始めた。子鬼はその足音が遠退くのをただ聞いていた。

「茨木童子、なんだ戻って来たのか?」

虚ろな黄金色が揺れる。酒呑童子の目の前にいるのはどう見ても人であった。白い服、それが山伏であるのに気付くのには暫しの時間が必要であった。

「そいつ等は誰だ?」

茨木童子は眉を顰めながら山伏たちを見据える。しかし山伏たちは一切の身動きをせずに視線を返した。こんな人を見たのは初めてであった。

「客人だ。」

酒呑童子の言葉を思わず疑った。これだけ長い時を共にした酒呑童子の客人は初めてであった。

「ほぉ、我らの宴に人が耐えきれるのか?」

面白そうに茨木童子の口が歪む。周りの鬼達も歪ませたが、山伏の一人が前に出た。そして酒呑童子の目の前にある肴を平然とした様子で平らげた。流石に鬼達は驚いた。

「今宵、我らのような人を招き入れて頂いたことに感謝いたす。礼にこの酒をお渡ししよう。」

山伏たちの頭らしき男が酒呑童子の前に酒を並べる。その様子に酒呑童子は口元を歪ませながらその男を瞳に捉える。酒呑童子の目に捕らえられた人は抗う術などはない。

「なら客人、先にそれを飲め。」

酒呑童子の言葉に操られるように男は酒を杯に酌み、迷うことなくその身に流し込んだ。山伏は何ら変わりなく元の席に戻った。

「如何した酒呑童子殿。毒など入っておらぬ。」

山伏の口元も酒呑童子同様に歪んだ。その様子に酒呑童子は声を上げて笑った。周りの鬼達はどうしていいのかわからないままでいる中、茨木童子だけは眼孔を光らせていた。

「客人自ら毒味してくれたようだ。皆飲め!」

酒呑童子の許可と共に鬼達は酒に群がった。茨木童子はその様子を人事のように見据えていた。

「茨木童子殿も如何ですか?」

一人の山伏が杯に酌んだ酒を差し出した。此処で断るのは酒呑童子の体面に関わると判断した茨木童子は酒を口に含んだ。その宴は徐々に眠る者が出始めた。いつもと変わらない光景だが、茨木童子は自らの違和感を覚え始めた。胸が熱い。息が苦しい。動くことが適わぬ。そう思った時、悲鳴が響いた。断末魔の如き声に視線を向ければ動けなくなった鬼が山伏に切り捨てられていた。

「貴様等、何者だ?」

視点の合わない黄金色の瞳で山伏の姿を捕らえた酒呑童子はそう問うた。さすれば山伏たちは口々に自らの名を名乗った。山伏の頭は自らを源頼光と名乗った。その名に茨木童子の月色の瞳は揺れた。

「貴様ぁ!」

絶叫の如き雄叫びが響いた。茨木童子は自らの言霊で自らの身体を操り、その山伏姿の武士に襲いかかった。油断していたのか、武士の一人の腕をその刃に掛けるが、背中から男に切り捨てられた。痛みを感じ、身体が痺れるように熱くなった。

「茨木、童子?」

誰かが小さく呟いた。茨木童子の視界には地に臥す自らの手が、腕が細く小さくなるのが見えた。そして目の前に影が落とされる。

「お前だったのか。」

今までに聞いた事のない程に優しさに満ちた声が茨木童子の耳に入り込む。茨木童子が一度顔を上げればそこにはあの夜に見た酒呑童子が居た。いたたまれなくなった茨木童子は視線を逸らす。

「俺の首ならくれてやる。だが茨木童子には手を出すな。」

耳を疑う言葉に茨木童子は真っ直ぐに酒呑童子を見てしまった。その黄金色の瞳に映るのは双角の銀の女鬼であった。

「こんなに近くにいたのだな。」

酒呑童子の両手が茨木童子の頬に当てられた。視線が逸らせないように真っ直ぐに見据えられる。

いとした。茨木童子。」

その言葉が紡がれると共にその背中から刀が振り下ろされる。鮮やかな赤が咲き、茨木童子を見据えていた首が転がる。茨木童子の目にはその姿を見たくないと言うかのように流れ出すものがあった。

「我を、殺せ。」

静かなる空に投げられたのは女鬼の言葉であった。しかしその言葉に動くモノはこの部屋にはいなかった。

「我は、」

呟きのような、小さな声。しかしそれは誰の耳にも響き渡った。

「我は茨木童子、都人を幾人も喰らった鬼ぞ!」

涙が止まらぬ茨木童子の視界にひとりの男が入り込んだ。真っ直ぐに真意な黒瞳で異形の鬼を見据えた。

「確かにお前は茨木童子、都人を喰らった罪人。」

断言するような男の言葉に茨木童子は「なれば、」と反論した。しかしその男は茨木童子に構うことなく言葉を紡ぐ。

「しかしその前に主は酒呑童子との約束によって生かされたただの女だ。」

絶望のような言葉が投げられる。武士と言う人は必ず約束を守る。例えそれが敵であろうとも。茨木童子はこの場で自分を殺してくれる者は居ないと悟った。

「ふ、ははは。」

壊れたような笑い声が部屋に響いた。涙で歪んだ茨木童子は転がり落ちるモノを見ながら笑った。酒呑童子の遺した言霊に生きるつもりなどは微塵もなかった。

「灰燼と化せ!」

断末魔よりも美しき声で叫びが上がる。山伏姿の武士たちは自らへの被害に身構えたが、何も起きなかった。恐る恐る視線を茨木童子へ向ければ、その足から風に吹かれるように消えていく。言葉の通り、風に攫われる灰燼のように。消えゆく身体で手を伸ばし、転がり落ちる酒呑童子の首をその胸に抱いた。

「我もいとした。酒呑童子よ。」
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