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第六話 街の秘密のかけら

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 商都たるネツィアの街は二つの顔を持つ。
 港周辺の商業区はせわしなくも活気に満ち物と人にあふれ金貨が経済を回す様は海を連想させ、住宅街のどこにでもあるありふれたしかし途切れることなく緩やかに続く営みはまさに大運河を思わせる。
 そんな住宅街の中にある、有力者の邸宅の立ち並ぶ閑静な上流住宅区の中でも特に瀟洒と評される館の応接間に小さな客人の姿があった。
 館の主の趣味の良さをうかがわせる落ち着いた調度品に囲まれた室内では、それぞれの前に置かれたカップが華やかな香りを立ち上らせていた。
 来客である少年達は、お茶とともに出されたお菓子に手もつけず相手の出方をうかがうが、主たる青年はどこ吹く風と言った雰囲気を漂わせるばかり。
 互いに沈黙を守ったまま、しばしの時が流れる。
 このまま黙っていても埒があかないと思ったのか、観念したかのように大きく頭を振ったファルが出されたお茶に口をつけると、「それで」と切り出した。
「わざわざ学校の帰りに待ち伏せしたりして、いったい何の用事があるのさ?」
「まぁ、今更偶然って言うのも、かなり無理があるよな」
 なぁ、と声をそろえる子供達に、青年が思わずと言った風に溜息を吐く。
「待ち伏せとは人聞きが悪いな。君達の中で、僕はどんな人間になっているのかね」
「聞きたい?」
「いや結構。また今度の機会にしよう」
 ちっ、とつまらなそうに舌打ちするファルを手を振ってあしらうと、自らもカップを引き寄せお茶の香りを楽しむ。
「特にこれと言った用事があるわけではないが、エイルから君達がまた何かたくらんでいると聞いて、手伝える事があるかと思ってね」
 断られるなどかけらも思っていないその様子に、ファルが伯爵の背後に控える初老の紳士に訴えるような視線を向けるが、申し訳なさそうな表情を返されるのみで終わってしまった。
 さてどうしたものか、と細かな細工が施された天井を見上げて考えを巡らす。
 別に手伝ってもらうのに何か問題があるわけではない。
 わざわざ頼む手間が省けたと考えればむしろ助かるのは確かではあるが、理屈ではわかっているものの苦手意識があるだけにそう簡単に割りきれるものでもない。
「そこまで悩まなくてもいいんじゃないか?」
 かなり本格的に悩む様子の相棒のこめかみを、ラズが呆れをにじませて小突く。
「この前も頼みたいことがあるって言ってただろ?この際、時間と体力と気力を無駄に使わなくてすんだと思えば」
 子供らしい遠慮のまったくない台詞に、さすがに少しばかり心外そうに眉根を寄せる伯爵の背後より微かな笑い声が聞こえた。
 振り返って軽く睨み付けてはみるものの、此方も気にした様子はまるでない。
「そうなんだけどさ、気持ちの準備がさ」
「あのな、妥協って知ってるか?人間、あきらめが肝心だぞ」
「流石にそれは失礼だと思うがね」
 青年貴族と老使用人の間で無言で繰り広げられる不毛な諍いの傍らで、子供達による歯に衣着せぬ会話が交わされる。
 あまりと言えばあまりの言われように思わず向き直り抗議の声を上げるが、子供達には相手にされない。
 幼い頃を知る老人に頭が上がるはずもなく、親しく構いすぎたが為に子供達から敬われる事もない様子からは、世間で評判の敏腕青年貴族の姿など微塵も感じられない。
 憮然とした表情でやや荒々しくお茶を飲む伯爵を無視して思案するファルだが、仕方がないとばかりに溜息をつくと、姿勢を正し向き直した。
 ただし、向き直した先は部屋の主にではなく、主の背後に控える家令に、であったが。





「こちらが当家が所有しているこの街の地図の内、もっとも新しいものともっとも古いものとなります」
 かさりと乾いたかすかな音を立てて地図が二枚、机の上に広げられる。
 地形や今に伝わるいくつか通りの名称などから確かに同じ街であることが伺えるものの、片方の地図からは当時は鮮やかに彩っていたであろう染料の褪せや古紙ならではの匂いが時代の流れを感じさせる。
 想定以上の緻密さに小さく感嘆の声をあげるファルが鼻がつきそうな程の至近距離から検分を始める。
 集中して地図を追っている為であろう、小さく口を動かしてはいるものの実際に声に出すことはない。
 真剣極まるその表情に、厄介事の気配を感じた幼馴染みがぼやくものの、すぐ傍に座る少年に届くことはない。
「地下水道の全体図は、やっぱりないよね」
「申し訳ございません。そこまでは流石に」
 ひとしきり確認してなお双方を見比べながらそう問うファルだが、申し訳なさそうに返ってくるのは予想通りの答え。一応聞いてみただけだから、と頭を振ると礼とともに笑顔を向ける。
「今度少しづつ自分で作るのも、面白いと思うけどね」
「自分で作っても迷うだろ、おまえは」
 少しは方向音痴の自覚を持って行動しろ、と身も蓋もない言葉を挟む相棒を無視して再度二枚の地図をのぞき込む。
「今と比べると、昔の方が地下水道の入り口が多かったんだな。家の近くにあった奴なんて使えれば便利だっただろうなぁ」
「そもそも、何でそんなに地下水道こだわるんだ?」
「別にこだわってるわけじゃないけどさ」
 もっともと言えばもっともなラズの問いかけに、少年が顔を上げて軽く肩を竦めてみせる。
「この街って、大昔の人達の街を利用し造られてるだろ?特に大運河とか大きめの水路なんて、元からあったものを修理したり使いやすいように作り替えたりして使ってるんだって」
 だから、と地図の乗せられたテーブルを指先で軽く叩いて言葉を続ける。
「もしかしたら誰も知らない遺跡に繋がってるかもしれないだろ?」
 そう言って顔を輝かせるファルに、脱力してラズがテーブルに突っ伏す。その反対側では微妙な笑みを浮かべた主従がそっと視線を逸らしていた。
 なんとも表現しづらい沈黙が、新しく淹れられた紅茶の香りと共に室内に漂う。
「まぁ、誰も知らないって言うのは半分冗談だけどさ、地下水路と遺跡が繋がってるって言うのは本当らしいんだ。昔は子供の遊び場になってた場所もあるらしいよ」
 あとは、隠し部屋とかもあるはずだと続けるファルの言葉に、佇む老人が静かに笑みを深める。
「そう言えば、大旦那様もよく探検だと仰っては街中を走り回っておられましたね」
「伯爵のお祖父さんが?」
「はい。大旦那様は当時から活動的でおられまして、街の子も使用人の子も関係なく友達付き合いをされておられました。無礼を承知で端的に申し上げれば、ガキ大将という呼び方がぴったりでした」
 過去を振り返る人特有の柔らかい表情で語る初老の執事の話を聞きながら、ファルが思案気な表情でつま先に視線を落とす。
「あのさ、今の話からすると爺やさんも伯爵のお祖父さんの探検につきあってたんだよね?その時に何か不思議な扉がある部屋とかなかった?」
「申し訳ありません。私は大旦那様より年下だったので、留守番を言いつかることも多かったので」
 なにぶん遠い昔のことでもあり記憶に残っていない部分もあると頭を下げる老人に、気にすることはないと礼を述べる。
「振り返ると本当に遠い昔の事でございますが、今のファル様と同じようなことを大旦那様もなさっておられましたね」
「ん?」
 さり気なさを装って口にされた言葉に、子供達が顔を見合わせる。今、この老人は何を言った?
 ちょっと待った、とラズが代表して手を挙げる。
「伯爵のお祖父さんとファルが同じ?」
 これと?と隣に座る相棒を指さしながら尋ねなおすラズに、老人が穏やかな表情で頷きを返した。
 いかにも迷惑そうな表情で突きつけられる人差し指を掌で押し返しながら青年貴族の表情を窺うファルだが、澄まして茶器を扱う姿からは内心を読み取ることはできない。
 一筋縄ではいかない性格の青年だけに表に見える反応のみで判断するわけにはいかないが、伯爵にとっては意外なことでも初耳の話でもないのであろう。それが孫であるがゆえか別の事情によるものかは判りかねるが、いずれにしても老人の言葉が単純に過去を懐かしんでのものであるわけがない。
 ふむ、と特に意味はないものの短く声をあげるとともに口元に手を添えて再度うつむく。
 手元にある情報と街の造りと歴史、今しがたの家令の言葉、これらの関連性をどう捉えるべきか。
 観察してみてはいるが、主従揃っての澄まし顔が崩れる様子はない。
 口元に手を当てたまま、くるりと考えを巡らせてため息を吐いた。 
 考えてはみたものの、考えるまでもないというべきか。
「何だかさ、喧嘩を売られてるよね」
 ファルにしては珍しい荒い言葉に、傍らに座る少年が目を丸くして向き直る。
 ふて腐れた顔の相棒の様子を見るに、怒るとまではいかないもののかなり機嫌を損ねていることは間違いないらしい。
 普段余り大きく感情を動かす性格ではないだけに見てとれるほどの不機嫌は珍しいが、今までの会話を振り返ってみてもファルが旋毛を曲げる要因はないように思える。
「何言ってるんだ?伯爵ならともかくじいやさんがわざわざそんなことをする筈ないだろ」
「伯爵がとかじいやさんがどうとかじゃなくて、大人全体が、だよ」
 眉根を寄せるファルの言葉に、ラズが今一つ納得していない表情で首を傾げる。
 テーブルを挟んだ向かい岸では、ともかくと評された青年がやや不服そうに反論しかけるものの、場の空気を読んで口を噤んだ。
 館の主のささやかな気遣いを脇に置いて、ファルが疑問符を受けべる親友に対し、多分だけどと前置きを付けて言葉を紡ぐ。
「大人達から、子供への挑戦状だと思うんだ」
「は?」
 先の発言に輪を掛けての相棒の突拍子もない言葉にさらに疑問符を増やすラズの鼻先に、ファルが指を突きつける。
「信じられないのも無理ないし阿呆らしいと思うのは、ぼくも同感だけど、間違えてはいないはずだ」
 言い切り、答え合わせをするように大人達に視線を向けてみるものの、あるのは素知らぬ顔ばかりである。
 面白くなさそうな表情のまま、突きつけた人差し指を天井に向け、くるりくるりと空中に円を描いてどのように説明するべきかと思案する。
 まずは共通認識が大事か、と結論付けて口を開いた。
「地下水道ってさ、誰でも探検してみたくなるよね」
「いや、わざわざ地下潜って探検したがる奴はそうそういないと思うぞ」
 開いたが、まず初めの相互理解の段階でつまずいてしまった。
 つい先ほどとは違った不機嫌さを顔に乗せるファルに、ラズがすまなかったと肩をすくめて詫びる。
 言いたいことは山ほどあれど、まずは話を進めるのが優先であろうと判断するラズである。おそらくは、似たようなことを考えたのであろう、仕方がないとばかりにファルが溜息を吐く様が軽く癪に障るが、説教は後回しだと自分を納得させる。
「この街ってさ、地下水道以外にも曰く付きの場所が結構あるんだよ。例えば鐘楼とか時計塔とか噴水広場とかね」
「お前がこの前探検に潜り込んでたお化け屋敷は?」
「あれはまた別。いや、まったく別かどうかは微妙だけどさ」
 ともあれ、あのお化け屋敷は変さ加減の方向性が違うと続ける親友に、ラズが眉間を抑える。
 この相棒をして変と言わしめる場所が近所にあるのを憂えるべきか、そこに好んで突撃をする自由人を咎めるべきか悩んでいるのであろう。
「自由気儘な幼馴染みを持って、君も苦労しているな」
「今、自分でもつくづく実感しているところなんだから、わざわざ口に出すなよ」
 およそ本気の同情で構成された伯爵の言葉に、ラズが隠せぬ疲労と共に頭を振る。
 この儘帰ってしまおうかとちらりと考えるも、話が進んでいない上に後々降り掛かるであろう手間を思うと、諦めざるをえない。
 気持ちを切り替えるべく、大きく息を吐きテーブルの上の茶器を手に取る。新しいお茶を淹れようと老人が動きかけるが、気にすることはないと断り、そのまま口をつけた。
 温度が下がり幾分香りが弱くなってしまっているものの、それでも広がる華やかさが気持ちを落ち着かせてくれる、気がしないでもない。
 やや気分が解れたところで、カップを手にしたまま目線でファルに続きを促す。
「鐘楼の鐘の内側には謎の暗号が刻まれている、時計塔と噴水公園のそれぞれの制御装置には秘密の仕掛けがある、地下水道は何処かにつながっていて、何かが隠されている」
 他にもまだあると指を折って数えあげられる曰くに、懐疑的であったラズも納得を通り越して呆れを覚えて肩を竦めた。
 確かに、これだけ取り揃えられれば興味を持つ子供が出てくるのも当然の話だ。
 日頃ファルに振り回されている自分ですら、並べられる言葉に面白そうと思うのだから、好奇心の固まりともなれば考えるまでもない。
 街の住人の気質を考えると、遊ばれていると言う推測もまず間違いないであろう。
 全くもって、面倒くさいことをしてくれるな、と言うのがラズの正直な感想である。
「ファルの推測はわかった。多分あっているんだろうなと思うけど、お前が拗ねる理由はどこにある?」
 むしろ拗ねる理由しかないと思いつつも訊ねる相棒に、お膳立てが過ぎると眉根を寄せたままのファルが端的に答えた。
 予想通りの返答に、頬杖をつきながらもう一つの答えがわかりきった問いかけを言葉に乗せる。
「それで、これからどうするつもりだ?」
「喧嘩を売られて受けない理由がどこにあるのさ?相手が思う以上に楽しめればぼくたちの勝ちなんだからさ」
 どちらにせよ楽しめるのであれば乗らない道理はないと胸を張るファルに、ラズが乾いた笑顔を浮かべて天井を仰ぎ見る。
 この先訪れるであろう厄介事に思いを馳せるとともに、ウィスとセリエも積極的に巻き込んでいこうと固く決意をする。
 何はともあれ、と目の前で繰り広げられる寸劇のようなやり取りをひとしきり楽しんだのち、子供たちの注意を惹くべく伯爵が大きく両手を打ち鳴らした。 
「皆それぞれに思うところがあるだろうが、少しはファルの力になれたと思って良いのかな?」
「うん、まぁね。街の古い地図や資料を幾つか見せて貰えればいいなって思ってたけど、それ以上に色々な話を聞かせてもらえたしね。あとは伯爵もそちら側だって、よくわかったし」
「さて、何のことを言っているのか僕にはわかりかねるがね」
 いっそ見事なほど白々しい笑顔の応酬をする青年と少年を、静かに佇みながら微笑まし気に老人が見守る。
 一見穏やかでありながら、実態はもはや何から言及すればよいのかわからぬ光景に目眩を感じながらも相棒に帰宅を促すべくラズが席を立つ。
 自宅まで送ろうと伯爵が提案するが、外はまだ明るいからと子供たちが揃って遠慮する。満面の笑みからは、これ以上疲労を増やしてたまるかという真意が透けて見えるが、大人たちは礼儀正しくみなかった振りをして小さな客人たちを見送るために廊下へと歩を進めた。


 玄関先まで見送ってくれた伯爵と家令に改めて礼と別れを告げて踵を返す少年二人の背に、老人がお待ちをと声をかける。
「失礼致しました。私としたことが大旦那様よりのご伝言を忘れておりました」
「伯爵のおじいさんからぼくに?」
 会ったこともない筈の人物からの伝言と言われ首を傾げるファルに、似たようなものだからと会釈をして咳払いをひとつ。
「気づいたのならば、心行くまで突き詰めることをお勧めする。きっと楽しめるであろう」
 柔らかな笑顔で続けられた時間を越えた言葉に、告げられた子供達が問い返す間もなく扉は閉ざされた。
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