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延宝七年 節分 米切手 裏
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石川新右衛門の話の真偽は半兵衛にはわからない。
とはいえ、彼にはそれを聞く当てが二人ほど居た。
その一人が半兵衛の雇い主である蓬莱弥九郎である。
「高田藩の米切手の滞り。
お前に言われて調べてみたが、ろくでもない事になっていた」
煙管の煙と共に蓬莱弥九郎は愚痴をこぼす。
不機嫌の極みではあるが、まだそれを愚痴として零せている程度には救いがあると半兵衛は思った。
人は本当にやばくなると、言葉にできないものなのだから。
「元々、高田藩がお家騒動で割れているという話はしただろう?
高田藩は地震で大きな被害を受けて藩の財政は大幅に悪化した。
それを立て直したのが、今の筆頭家老小栗美作だ。
この立て直しの際に、藩士に対してかなり締め付けを行ったらしい。
それに反発したのが次席家老荻田本繁や御一門の永見大蔵という訳だ」
なお、この騒動で荻田本繁や永見大蔵に組して脱藩した八百九十人の藩士たちは自らを『お為方』と呼び、小栗美作についた連中を『逆意方』と蔑むようになるのだが、それは別の話。
蓬莱弥九郎は煙管を吸い、煙を吐きながら続きを口にした。
「で、小栗美作と組んで藩の立て直しを行ったのが霊岸島の旦那こと河村十右衛門。
知っていたか?」
「まさか。お前に言われるまで知りもしなかったよ」
軽口で半兵衛は応じるが弥九郎の顔は渋いままである。
それが、この一件のやばさを物語っていた。
「ちなみに、仙台藩の米が江戸に運ばれる話、その船はほぼ霊岸島の旦那の息がかかっている。
あの早飛脚の件で盗賊改に訴える訳だ」
いつの間にか弥九郎の顔に冷や汗が浮かんでおり、同じように冷や汗が浮かんでいた半兵衛は手ぬぐいで己の顔を拭く。
疑問は、自然と口に出ていた。
「おかしくないか?
霊岸島の旦那がついていて、米切手に滞りが出るって?」
米切手とは蔵米の所有権を証する証明書であり、それを藩蔵に持って行くと、その額面分の米を引き取れる仕組みだ。
高田藩の米切手ではそれに滞りが出ている。つまり、高田藩の藩蔵には米切手の交換に応じるだけの米がないという事だ。
江戸随一の豪商と名高い河村十右衛門がついていながらそのような失態が起きるという事に、やっと半兵衛の胸中にも危機感が頭をもたげてきた。
「簡単な話だ。
お前が撃った元高田藩浪人の渡辺十九郎。
浪人にしては羽振りが良かっただろう?」
「ああ。霊岸島の旦那の手配とはいえ、吉原だから手出しはいくらでもある。
浪人で吉原遊びなんて普通はできんよ」
「そう。
そんな浪人連中の生活を支えていたのがこの米切手という訳だ」
蓬莱弥九郎の言葉に半兵衛は首を捻る。
高田藩の元浪人連中は小栗美作及び彼と組んだ河村十右衛門の敵である。
敵の生活もみてやるような人間が江戸随一の豪商なんかになれる訳もない。
半兵衛のひねった首を見ながら弥九郎は忌々しそうに種明かしをした。
「だから、次席家老荻田本繁が米切手を勝手に出していたんだよ。
滞りが出てから小栗美作や霊岸島の旦那も気づいて慌てている」
「うわぁ……」
天井を見上げてぼやく半兵衛を見ながら弥九郎も煙管を置いて同じように天井を見上げた。
大老酒井忠清に喧嘩を売る馬鹿とは思っていたが、だからこそなのか同じように江戸随一の豪商にも喧嘩を売るなんて誰が分かるだろうか。
「で、だ。
この話、まだ続きがある」
「まだあるのかよ」
げんなりとした顔を浮かべる半兵衛に対し、弥九郎は真剣な表情のままだ。
その様子に、半兵衛も思わず姿勢を改めると、弥九郎はとんでもない事を言った。
「お前、霊岸島の旦那の所で館林藩の柳沢某が堀田様を老中に座らせるための賄賂を頼んでたって言ったよな?
その金の出どころが多分この米切手だ」
一瞬だけ、半兵衛の思考は止まった。
だが、すぐに意識を取り戻すと半兵衛はその言葉を反駁する。
確かに、館林藩の柳沢保明が河村十右衛門に金を工面させて、若年寄堀田正俊を老中の座につけるように動いているのは見ている。
そして、幕閣にばら撒く賄賂ともなれば千両箱がいくらあっても足りない。
今、河村十右衛門が急いで沢山の千両箱を調達するとするならば、この米切手しかないだろう。
その米切手に滞りが出た。
「え? という事は、こいつら館林宰相様にも喧嘩を売っているのか?」
「そういう事だ。
まあ、そうなれば幕府としては手を打たざるを得んだろうな」
弥九郎は力なく笑う。
つまり、いずれそういう依頼が彼の所に来る訳で、そしてその依頼を受けるのは半兵衛である。
彼は、その現実から目を背けるかのように虚空を見つめた。
「おい、半兵衛。 お前、冬花を口説いて身請けを納得させろ」
「なんでだよ!?」
突然話が冬花の身請けに飛んで半兵衛の返事に怒気がこもる。
それに気づいた弥九郎だが、今はそれよりも大事な事がある。
次期将軍を巡る暗闘だ。
「こいつらがここまで馬鹿だとは思っていなかった。
酒井様を逆恨みしているこいつらは下手すれば浪人なのを良い事に、この店に討ち入りなんて事をしかねないぞ。
酒井様の屋敷ならまだ安全だ」
「風魔夜盗を使って焼こうとしていたのに!?」
半兵衛の悲鳴に近い質問に弥九郎の声は恐ろしく低い。
あるかもしれない可能性。それを予言のように言い切った。
「だからだよ。
直接乗り込むほど馬鹿ではない。
そして、そういう危ない事をする連中は江戸から今の所消えている。
大老酒井雅楽頭様の屋敷に討ち入るとは思えんが、この馬鹿どもは吉原遊郭蓬莱楼には討ち入る可能性は十分あるぞ」
とはいえ、彼にはそれを聞く当てが二人ほど居た。
その一人が半兵衛の雇い主である蓬莱弥九郎である。
「高田藩の米切手の滞り。
お前に言われて調べてみたが、ろくでもない事になっていた」
煙管の煙と共に蓬莱弥九郎は愚痴をこぼす。
不機嫌の極みではあるが、まだそれを愚痴として零せている程度には救いがあると半兵衛は思った。
人は本当にやばくなると、言葉にできないものなのだから。
「元々、高田藩がお家騒動で割れているという話はしただろう?
高田藩は地震で大きな被害を受けて藩の財政は大幅に悪化した。
それを立て直したのが、今の筆頭家老小栗美作だ。
この立て直しの際に、藩士に対してかなり締め付けを行ったらしい。
それに反発したのが次席家老荻田本繁や御一門の永見大蔵という訳だ」
なお、この騒動で荻田本繁や永見大蔵に組して脱藩した八百九十人の藩士たちは自らを『お為方』と呼び、小栗美作についた連中を『逆意方』と蔑むようになるのだが、それは別の話。
蓬莱弥九郎は煙管を吸い、煙を吐きながら続きを口にした。
「で、小栗美作と組んで藩の立て直しを行ったのが霊岸島の旦那こと河村十右衛門。
知っていたか?」
「まさか。お前に言われるまで知りもしなかったよ」
軽口で半兵衛は応じるが弥九郎の顔は渋いままである。
それが、この一件のやばさを物語っていた。
「ちなみに、仙台藩の米が江戸に運ばれる話、その船はほぼ霊岸島の旦那の息がかかっている。
あの早飛脚の件で盗賊改に訴える訳だ」
いつの間にか弥九郎の顔に冷や汗が浮かんでおり、同じように冷や汗が浮かんでいた半兵衛は手ぬぐいで己の顔を拭く。
疑問は、自然と口に出ていた。
「おかしくないか?
霊岸島の旦那がついていて、米切手に滞りが出るって?」
米切手とは蔵米の所有権を証する証明書であり、それを藩蔵に持って行くと、その額面分の米を引き取れる仕組みだ。
高田藩の米切手ではそれに滞りが出ている。つまり、高田藩の藩蔵には米切手の交換に応じるだけの米がないという事だ。
江戸随一の豪商と名高い河村十右衛門がついていながらそのような失態が起きるという事に、やっと半兵衛の胸中にも危機感が頭をもたげてきた。
「簡単な話だ。
お前が撃った元高田藩浪人の渡辺十九郎。
浪人にしては羽振りが良かっただろう?」
「ああ。霊岸島の旦那の手配とはいえ、吉原だから手出しはいくらでもある。
浪人で吉原遊びなんて普通はできんよ」
「そう。
そんな浪人連中の生活を支えていたのがこの米切手という訳だ」
蓬莱弥九郎の言葉に半兵衛は首を捻る。
高田藩の元浪人連中は小栗美作及び彼と組んだ河村十右衛門の敵である。
敵の生活もみてやるような人間が江戸随一の豪商なんかになれる訳もない。
半兵衛のひねった首を見ながら弥九郎は忌々しそうに種明かしをした。
「だから、次席家老荻田本繁が米切手を勝手に出していたんだよ。
滞りが出てから小栗美作や霊岸島の旦那も気づいて慌てている」
「うわぁ……」
天井を見上げてぼやく半兵衛を見ながら弥九郎も煙管を置いて同じように天井を見上げた。
大老酒井忠清に喧嘩を売る馬鹿とは思っていたが、だからこそなのか同じように江戸随一の豪商にも喧嘩を売るなんて誰が分かるだろうか。
「で、だ。
この話、まだ続きがある」
「まだあるのかよ」
げんなりとした顔を浮かべる半兵衛に対し、弥九郎は真剣な表情のままだ。
その様子に、半兵衛も思わず姿勢を改めると、弥九郎はとんでもない事を言った。
「お前、霊岸島の旦那の所で館林藩の柳沢某が堀田様を老中に座らせるための賄賂を頼んでたって言ったよな?
その金の出どころが多分この米切手だ」
一瞬だけ、半兵衛の思考は止まった。
だが、すぐに意識を取り戻すと半兵衛はその言葉を反駁する。
確かに、館林藩の柳沢保明が河村十右衛門に金を工面させて、若年寄堀田正俊を老中の座につけるように動いているのは見ている。
そして、幕閣にばら撒く賄賂ともなれば千両箱がいくらあっても足りない。
今、河村十右衛門が急いで沢山の千両箱を調達するとするならば、この米切手しかないだろう。
その米切手に滞りが出た。
「え? という事は、こいつら館林宰相様にも喧嘩を売っているのか?」
「そういう事だ。
まあ、そうなれば幕府としては手を打たざるを得んだろうな」
弥九郎は力なく笑う。
つまり、いずれそういう依頼が彼の所に来る訳で、そしてその依頼を受けるのは半兵衛である。
彼は、その現実から目を背けるかのように虚空を見つめた。
「おい、半兵衛。 お前、冬花を口説いて身請けを納得させろ」
「なんでだよ!?」
突然話が冬花の身請けに飛んで半兵衛の返事に怒気がこもる。
それに気づいた弥九郎だが、今はそれよりも大事な事がある。
次期将軍を巡る暗闘だ。
「こいつらがここまで馬鹿だとは思っていなかった。
酒井様を逆恨みしているこいつらは下手すれば浪人なのを良い事に、この店に討ち入りなんて事をしかねないぞ。
酒井様の屋敷ならまだ安全だ」
「風魔夜盗を使って焼こうとしていたのに!?」
半兵衛の悲鳴に近い質問に弥九郎の声は恐ろしく低い。
あるかもしれない可能性。それを予言のように言い切った。
「だからだよ。
直接乗り込むほど馬鹿ではない。
そして、そういう危ない事をする連中は江戸から今の所消えている。
大老酒井雅楽頭様の屋敷に討ち入るとは思えんが、この馬鹿どもは吉原遊郭蓬莱楼には討ち入る可能性は十分あるぞ」
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