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マッチング
第一話
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都心部から少し離れたマンションから、満員電車に揺られること十五分。東京ド真ん中にそびえ立つビルが、俺が勤めている場所――いわゆる大企業と呼ばれる会社の本社――だ。そのビルの八階に俺が配属されている部署がある。
オフィスに入ると、社員たちが笑顔で挨拶してくれる。
「おはようございます、月見里(やまなし)さん!」
「おはよう」
「課長代理、おはようございます~!」
「その呼び方やめて。おはよう」
二十八歳という若さで〝課長代理〟なんてたいそうな役職をいただいてしまったものだから、ときどきこうしてからかわれる。
自分の席に座ると、斜め前に腰を下ろしている課長が朗らかに「おはよう」と言った。
「おはようございます、課長」
「相変わらず眩しいねえ」
「ブラインド閉めますか?」
「ううん。そういう意味じゃないんだよ」
「?」
「仕事はできるのに、そういうところは察しが悪いよねえ」
朝イチに貶された。それに、俺たちの会話を聞いていた社員たちがクスクス笑っている。
一人の女性社員が口を挟んだ。
「もう課長。そういうところがいいんですよっ」
「確かにそうだ。はっは」
課長を含めた社員たちは、こういったことをしばしば話している。よく分からないが、和やかな雰囲気から察するに悪い意味合いではないのだろう。
朝礼が始まる少し前、新入社員の女の子が泣きそうな顔で俺に声をかける。
「あ、あの。月見里さん……」
「ん? どうしたの?」
「あの、あのぉ……」
彼女の目尻にじわじわと涙が溜まっていく。
そして、勢いよく腰を九十度に曲げた。
「ごめんなさいぃぃぃぃ!! やらかしましたぁぁぁ!!」
この狼狽えよう、相当のやらかしだな。
俺は平常を務め、優しく聞こえるように言葉を選んだ。
「落ち着いて。とりあえずここに座って、ゆっくり説明してくれるかな?」
「はっ……はいぃぃ……」
「大丈夫。だいたいのことはなんとかなるから」
事情を聞いた俺は内心頭を抱えた。想像通り、相当なやらかしだった。だが、どうにもできない問題ではない。
俺は立ち上がり、課長に頭を下げる。
「課長。ちょっと外出ます」
「……いつも悪いね。頼むよ」
「任せてください。そのための課長代理ですから」
それから新入社員に同行するよう指示し、やらかしをカバーするべく迷惑をかけた取引先に頭を下げに行った。
火消作業を終えた頃には、夕方になっていた。
会社に戻る道中、車の中で新入社員が頭を下げる。今日一日だけでこの子の頭を下げた姿を見たのは何百回目になるのだろうか。
「ほんとにっ、ほんとうにっ! ありがとうございましたぁぁぁ……! ご迷惑をかけてごめんなさいぃぃ……っ!!」
「過ぎたことは気にしない。これから気を付けていけばいいから」
「やっ……月見里さぁぁぁん……!!」
運転しながら泣きじゃくる子をあやすのは、少しばかり大変だった。
帰社した俺たちを、課長をはじめ社員たちが労いをもって迎えてくれた。
「月見里くん、ご苦労様。よくやってくれた」
「さすが課長代理! よっ!」
「月見里さんってほんと頼りになるわあ」
などと、大げさすぎるほど俺を持ち上げる。
こんな感じで、俺と社員たちの仲は非常に良好だ。
ただ一人を除けば――
「はっ。やらかすまで新入社員を放ったらかしにしていた月見里が悪い。自業自得だろう」
背後から聞こえた声に、俺は舌打ちまじりに「あ?」と返した。
小鳥遊 弦(たかなし ゆずる)。俺の同期だ。新入社員の時代から顔見知りであり、出会ったその日からお互いが気に食わないと思った。
俺と小鳥遊は転勤族なのだが、本社で再会を果たす前に一度だけ同じ支社に配属されたことがある。そのときも折が合わずケンカばかりしていた。それは今も変わらない。
いわば犬猿の仲、というわけだ。
俺と小鳥遊が火花を散らしはじめたので、課長も社員たちもサッと目を背け、デスクワークに戻った。
俺は立ち上がり、小鳥遊を睨みつける。
「ああ、そうだな。俺に責任がある」
「そう思ってる顔には見えないけどなあ」
「お前に言われるのが腹立つだけだ」
「なるほどなるほど、課長代理サマは一社員の意見を聞く度量もない、と」
小鳥遊はわざとらしくメモを取る仕草をした。こいつの嫌味ったらしいところが大嫌いだ。
小鳥遊は俺と同期だが、今では俺が上司になった。それが余計に気に食わないのだろう。よくこうして突っかかってくるのだ。
認めたくはないが、小鳥遊は仕事のよくできるヤツだ。おそらく俺よりも要領が良いし、俺と同じくらいフットワークも軽い。能力だけで言えば俺よりも早く出世する人材だっただろう。
能力だけで言えば、だが。
なんせ小鳥遊は女グセが悪い。以前同じ支社で働いていたときは、社員の女子という女子を食い散らかしていた。
今の職場ではまだ一度もそういった話を聞いたことがないのだが、俺たちの耳に入っていないだけかもしれず確信は持てない。
いつ問題を起こしてもおかしくない危うさをはらんでいるため、なかなか出世させられない、と課長がこっそり教えてくれた。
俺にとっては、なんと愚かな人間なのだろうか、という感想しかないが。
しばらくつまらない言い合いをしていた俺たちを、課長が宥める。
「はい。今日はそこまでにしとこうね」
「あっ。すみません」
「ほんと、仲が良いんだから」
課長の目は節穴なのだろうか。俺たちのどこが仲良く見えるんだ。
オフィスに入ると、社員たちが笑顔で挨拶してくれる。
「おはようございます、月見里(やまなし)さん!」
「おはよう」
「課長代理、おはようございます~!」
「その呼び方やめて。おはよう」
二十八歳という若さで〝課長代理〟なんてたいそうな役職をいただいてしまったものだから、ときどきこうしてからかわれる。
自分の席に座ると、斜め前に腰を下ろしている課長が朗らかに「おはよう」と言った。
「おはようございます、課長」
「相変わらず眩しいねえ」
「ブラインド閉めますか?」
「ううん。そういう意味じゃないんだよ」
「?」
「仕事はできるのに、そういうところは察しが悪いよねえ」
朝イチに貶された。それに、俺たちの会話を聞いていた社員たちがクスクス笑っている。
一人の女性社員が口を挟んだ。
「もう課長。そういうところがいいんですよっ」
「確かにそうだ。はっは」
課長を含めた社員たちは、こういったことをしばしば話している。よく分からないが、和やかな雰囲気から察するに悪い意味合いではないのだろう。
朝礼が始まる少し前、新入社員の女の子が泣きそうな顔で俺に声をかける。
「あ、あの。月見里さん……」
「ん? どうしたの?」
「あの、あのぉ……」
彼女の目尻にじわじわと涙が溜まっていく。
そして、勢いよく腰を九十度に曲げた。
「ごめんなさいぃぃぃぃ!! やらかしましたぁぁぁ!!」
この狼狽えよう、相当のやらかしだな。
俺は平常を務め、優しく聞こえるように言葉を選んだ。
「落ち着いて。とりあえずここに座って、ゆっくり説明してくれるかな?」
「はっ……はいぃぃ……」
「大丈夫。だいたいのことはなんとかなるから」
事情を聞いた俺は内心頭を抱えた。想像通り、相当なやらかしだった。だが、どうにもできない問題ではない。
俺は立ち上がり、課長に頭を下げる。
「課長。ちょっと外出ます」
「……いつも悪いね。頼むよ」
「任せてください。そのための課長代理ですから」
それから新入社員に同行するよう指示し、やらかしをカバーするべく迷惑をかけた取引先に頭を下げに行った。
火消作業を終えた頃には、夕方になっていた。
会社に戻る道中、車の中で新入社員が頭を下げる。今日一日だけでこの子の頭を下げた姿を見たのは何百回目になるのだろうか。
「ほんとにっ、ほんとうにっ! ありがとうございましたぁぁぁ……! ご迷惑をかけてごめんなさいぃぃ……っ!!」
「過ぎたことは気にしない。これから気を付けていけばいいから」
「やっ……月見里さぁぁぁん……!!」
運転しながら泣きじゃくる子をあやすのは、少しばかり大変だった。
帰社した俺たちを、課長をはじめ社員たちが労いをもって迎えてくれた。
「月見里くん、ご苦労様。よくやってくれた」
「さすが課長代理! よっ!」
「月見里さんってほんと頼りになるわあ」
などと、大げさすぎるほど俺を持ち上げる。
こんな感じで、俺と社員たちの仲は非常に良好だ。
ただ一人を除けば――
「はっ。やらかすまで新入社員を放ったらかしにしていた月見里が悪い。自業自得だろう」
背後から聞こえた声に、俺は舌打ちまじりに「あ?」と返した。
小鳥遊 弦(たかなし ゆずる)。俺の同期だ。新入社員の時代から顔見知りであり、出会ったその日からお互いが気に食わないと思った。
俺と小鳥遊は転勤族なのだが、本社で再会を果たす前に一度だけ同じ支社に配属されたことがある。そのときも折が合わずケンカばかりしていた。それは今も変わらない。
いわば犬猿の仲、というわけだ。
俺と小鳥遊が火花を散らしはじめたので、課長も社員たちもサッと目を背け、デスクワークに戻った。
俺は立ち上がり、小鳥遊を睨みつける。
「ああ、そうだな。俺に責任がある」
「そう思ってる顔には見えないけどなあ」
「お前に言われるのが腹立つだけだ」
「なるほどなるほど、課長代理サマは一社員の意見を聞く度量もない、と」
小鳥遊はわざとらしくメモを取る仕草をした。こいつの嫌味ったらしいところが大嫌いだ。
小鳥遊は俺と同期だが、今では俺が上司になった。それが余計に気に食わないのだろう。よくこうして突っかかってくるのだ。
認めたくはないが、小鳥遊は仕事のよくできるヤツだ。おそらく俺よりも要領が良いし、俺と同じくらいフットワークも軽い。能力だけで言えば俺よりも早く出世する人材だっただろう。
能力だけで言えば、だが。
なんせ小鳥遊は女グセが悪い。以前同じ支社で働いていたときは、社員の女子という女子を食い散らかしていた。
今の職場ではまだ一度もそういった話を聞いたことがないのだが、俺たちの耳に入っていないだけかもしれず確信は持てない。
いつ問題を起こしてもおかしくない危うさをはらんでいるため、なかなか出世させられない、と課長がこっそり教えてくれた。
俺にとっては、なんと愚かな人間なのだろうか、という感想しかないが。
しばらくつまらない言い合いをしていた俺たちを、課長が宥める。
「はい。今日はそこまでにしとこうね」
「あっ。すみません」
「ほんと、仲が良いんだから」
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