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2月

魔のバレンタイン(入社4年目)

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「典久、ちょっと手伝ってくれない?」

夕方、圭吾先輩に話しかけられた。さっきまでKT会社の社長が来訪してたからか、どことなく疲れているように見える。そう言えばもともとあまり人と話すことが好きじゃないって言ってたな。

「はい。いいですよ」

「会議室の片づけを手伝ってほしいんだよね」

そう言ったあと、圭吾先輩が俺の耳元に顔を寄せ囁いた。

「その会議室、5階のアソコなんだ。そんなとこ典久としか行けないから。ごめんね」

「ああ、なるほど…」

"5階のアソコ"とは、あまり人が出入りしない5階の、一番奥にある狭い会議室だ。本来そこは他府県の支社とTV会議するために使う会議室なんだけど、人けが無く防音加工がされてるそこは、社員がよくこそこそセックスするのにつかわれている。だから通称ヤリ部屋なんて呼ばれている。

そんなところに圭吾先輩と誰かが入ったら…襲われるに決まってる、と言いたいんだろう。実際間違いなく襲われるだろうし。だから俺を誘ったと…。それほど信頼されていると思ってなかったからすごく嬉しかったけど、それがさらに俺の罪悪感を大きくした。でもだからって俺以外の人を連れて行かせたくなかったからもちろん手伝うことにした。

「さて、じゃあ片付けますか」

さきほどまで会議をしていたのだろう。それに長らく片付けられていなかったのか、機材や資料がごちゃごちゃと散らかっている。俺と圭吾先輩は黙々とそれを片付けた。

◇◇◇

「あ、やば。カギ閉めるの忘れてた」

「まじ?早く閉めないとまーたヤリ部屋として使われちゃうよ?さっさと閉めてきな」

「はーい。じゃあ先に戻ってて~」

「おっけー。まだオフィス戻ってからも会議あるんだから早く戻ってきてよ?遅刻厳禁」

「分かってるてば~」

先ほどまで会議に参加していた女性社員が慌てて5階へ戻る。慌てていたので中を確認せずに鍵を閉めてオフィスへ走って行った。

◇◇◇

カチャリ

「ん?」

「どうしたの典久?」

「なんか今鍵閉まった音しませんでした?」

「え"っ」

「確認します」

俺はそう言ってドアノブを回した。開かない。

「…閉まってますね」

「本当に?!…うわ、本当だ…」

圭吾先輩も確かめてため息をついた。この会議室は内側に鍵穴がない。外側からしか締めることも開けることもできなくなってる。つまり…閉じ込められてしまったってことだ。これは…かなりまずい。

「典久、スマホ持ってきてる?」

「持ってないです…すみません。すぐ戻ると思ってたんで…」

「僕も持ってきてない…。困ったな…」

「ど、どうしましょう…」

「今日はここで会議の予定はもうないからな…。誰かがここにシに来たら出られるね」

圭吾先輩が冗談っぽくそう言って苦笑いした。そんな冗談も完全にテンパってる俺は笑えず、ただアワアワとすることができなかった。そんな俺の肩を軽く叩いて圭吾先輩が安心させてくれる。

「大丈夫。夜になっても僕から連絡がなかったら、三人のストーカーが血眼で僕を捜すから。今日中にはきっと出られるよ」

三人のストーカーとはきっと夫と恋人のことだろう。彼らの圭吾愛は俺も知ってるからきっと捜し出してくれると信じることができた。

「ま、あがいたってしかたないからさ、ここで楽しく仕事サボろっか、典久」

先輩はそう言って椅子に腰かけた。隣の椅子をポンポンと叩く。俺も座れと言うことだろう。おそるおそるそこへ座ったけど、密室…しかもヤリ部屋に圭吾先輩と二人っきりって言うのは…俺の精神上まずすぎる。

(絶対に俺は襲わない。こんな…こんな絶好の機会だけど…俺は絶対に襲わないからな…。先輩には夫がいるし、俺は今の関係を壊してまで襲いたくない。だから…だから襲わない…。くそ…圭吾先輩から良い匂いする…。あんまり近づかないでほしい…)

「ちょっと典久どうしたの?顔色悪くない?」

「はぇっ?!い、いえ!べべべ別に!!」

「そう?」

「はい!!」

「はは。でっかい声」

テーブルに肘をついて頭を乗せている圭吾先輩。こっち向いて笑ってる。やばい。顔が良すぎるんだよな…。そりゃこんな笑顔見せられたらさぁ…好きになるよなぁ…。あー好きだわ俺…圭吾先輩のこと。

「ねえ、典久ってさあ」

「は、はい」

「βじゃん?」

「はい」

「今まで女の子と男の子、どっちと付き合ってたの?」

「ブフッ」

「あ、聞いちゃまずかった?」

「いえ、だ、大丈夫っす…。俺…、どっちでもいけます。女の子とも男の子とも付き合ったことあります」

「へー!そうなんだ。どっちの方が好きなの?」

「うーん…。俺、あんまり性別では判断してないです。好きになった人を好きになるだけなんで…。だから、男とか女とか、俺にとってはあんまり関係ないですね」

「へえ」

あ、俺答え方間違ったかな?急に興味を失くしたような返事をされて不安になった俺は、チラッと圭吾先輩の方を見た。圭吾先輩は俺の顔をじっと見て目じりを下げている。

「典久のそういうとこ、すごくいいと思う」

「っ…」

やばいですって…。圭吾先輩…。俺、勘違いしてしまいそうになりますよ…。

「け、圭吾先輩は…男の人だけですか?」

「そうだなあ。男の人だけって言うか…スルトとエドガーだけかな。あ、あとピーターもか」

「え?」

「僕、この二人としか付き合ったことないんだ」

「え!そうなんですか?!意外です!」

「はは。よく言われる」

「あの…こんなこと言うのすごく失礼だと思いますけど…。Ωの人って…経験が多いイメージなんで…」

「そうだよね。僕の知ってるΩもだいたいそんな感じ」

「ですよね…?」

「僕、スルトとは6歳の頃から付き合ってたし…」

「ろ、6歳?!」

「エドガーは18歳から付き合い始めたけど、それよりもずっと前から好きだったし。…ま、他の人たちに襲われたことはたくさんあるけどね。経験は…悲しいことに少なくはないよ」

「……」

返す言葉がなかった。俺が黙っていると、先輩は「僕のことはどうでもよくて!」と足をバタバタさせた。かわいい。

「典久の話を聞かせてよ!今は恋人いないって言ってたよね?前付き合ってた子はどんな子だったの?」

「えっと、前は男でしたね。大学で知り合った子で、Ωでした。甘えん坊でしたよ」

「へー!いいねいいね。僕がこんなこと言うのおかしいけど、Ωの子がβと付き合うなんて珍しい」

「はい。俺もそう思ってました。どうして俺なんだろうって疑問だったんですけど、なんのことはないです。ちゃんと本命のαがいたんですよね」

「え?」

「二股されてたっぽいです。その子とは3年くらい付き合ってたはずなんですけど…突然妊娠したから別れてほしいって言われまして…。そう言えば俺、その子の発情期の時に一緒にいたことなかったんですよね。いつも発情期のときは会ってくれなかったんです。たぶんαの人と…」

「ご、ごめん!いやなこと思い出させたね…」

「いいんです。俺こそすみません。気分悪い話しましたね」

「ううん…」

「…だから俺、先輩が…αとβの人と結婚してるって聞いて、ちょっと感動したんです。だって普通に考えたらαの人とだけ結婚して番になりません?それなのに先輩は、あえて番にならずに二人と結婚した。それって簡単にできることじゃないです」

「うーん…。でも僕だって二股してるようなものだしなあ…」

「一夫多妻、一妻多夫は認められてることですよ。二人のことを同じくらい好きなんでしょう?彗斗先輩と同じくらい、瑛弥先輩のことも好きだから、そういう道を選んだんでしょう?」

「うん…。どっちも同じくらい、す、すき、だよ」

「それってβにとってはすごく…嬉しいことです。だって、Ωの人がαとβを対等に見てるってことだから…」

「そっか。僕はスルト以外のαはあんまり好きじゃないからその感覚分からないけど…。一般的なΩはやっぱり、αの方が好きなんだね」

「それは間違いないです」

「ふーん。βの良さを分かってないなんてバカだなあ。βは穏やかで優しい人が多いから僕は一番好きだけどなー」

「はは。やっぱり圭吾先輩は変なΩです」

「む。それは褒めてるの?」

「褒めてます」

「本当かなあ?」

圭吾先輩はうりゃうりゃと俺の体を肘で小突いた。

先輩と話してて思った。俺は、もし先輩がΩじゃなかったとしても、きっと先輩のことが好きになってただろうなあって。

「ふっ…?!」

「?」

突然先輩の体がこわばった。椅子から落ちてうずくまり、肩で息をしている。

「せ、先輩…?」

「の…のりひさ…まずい…っ」

「ど、どうしました?!」

俺は慌てて先輩を抱き起こした。体が熱い。先輩は俺にしがみついて声を絞り出した。

「発情期…きた…」
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