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第2章 いざ異世界

2、再会、そして

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 人間、やる気になれば色々となんとかなるものらしい。

 オミの国にきて二週間たち、百花はなんとか当座の生活力をつけることに成功した。
 言語の問題は、毎朝オウルに魔法をかけてもらわなければクリアできないが、それ以外のこと──例えば料理だとか、掃除や洗濯などの家事全般──はなんとかこなせるようになった。
 
 ただこちらの世界では何をするにも魔法が元になる。

 かまどに火を起こすのも、トイレの水を流すのも、暗くなってランプに明かりをつける時も、とにかくありとあらゆる場面で魔法が必要なのだ。
 これにはまいってしまった。さすが異世界。価値観というか生活の根本が違う。

(でも魔力がなくても、できることはたくさんある)

 自分は自分にできることをするだけだ、一人で何度もうなずいて、百花はその日も店の厨房で下ごしらえを手伝っていた。今日の作業はハツ芋の皮むきだ。ハツ芋とはさつまいものように甘みの強い芋で、だんだんと寒くなって来たこの時期が旬だそうで、スープにすると絶品なのだ。

 もともと料理は嫌いじゃない。
 包丁でさっさか皮をむいて、芋を水につける。かごいっぱいの芋をむきおわったところで、オウルが「モモカ!」と興奮した様子で駆け寄ってきた。

「カイリが戻って来たよ!」
「嘘! 本当に!?」

(ついに……ついに帰って来た! 会えるんだ!!)

「あたしはカイリに食事作ってくるから、とりあえずモモカはカイリに会っておいで」
「うん! ありがとう!!」

 ナイフを置いてエプロンを取って髪の毛を少しだけなでつけて……百花は走ってホールへの扉をあけた。飛び込んで来たのは、中央のテーブルに座る懐かしい姿。カイリがそこにはいた。
 初めて会った時のようなシャツにベストを重ね、下は茶色いズボン、そして腰には短剣をさした姿は既視感たっぷりだ。

「カイリ!」

 百花は叫んで彼の元へと走った。カイリは目を見開いて、百花を見つめる。

「……会いたかったよ……。元気そうだね……よかった……」

 変わらないふわふわな髪の毛に、その下からのぞく青色の理知的な瞳。その目が細められーー。

「誰?」

 男性にしては少し高めの声が、無常な言葉を告げた。

「どこかで会ったことあったっけ?」

 重ねてたずねられ、百花は一歩後ずさった。目の前の景色が、カイリの姿さえも一気に色を失う。がくがくと膝が震え出して足元がおぼつかない。

「まさか……覚えてないの……?」

 カイリは改めて百花を上から下まで眺めて、彼なりに記憶を辿ってはくれたようだが、それでも迷いなく首を縦に振った。

「うん」
「嘘っ……嘘だーー!!」

 本能の赴くままに叫べば、カイリがぎょっとした様子で椅子に座りながらも身を引いた。

「モモカ!?」

 百花の大声に気づいて、厨房からオウルもやってくる。

「カイリがっ……わたしのこと、覚えてないって……なんにも……全部っ……」

 涙がこぼれそうだ。いや、もう多分こぼれている。
 だって、どんどん目の前がぼやけていく。
 百花がどんなにコントロールしようと息をつめても、目頭がすごく熱い。

「……カイリ、本当に覚えてないのかい? この子はあんたが異界渡りした先で世話になったはずの子なんだよ?」
「異界渡り? 僕が? そんなのしてないよ?」
「嘘! わたしの部屋に来たじゃん! 今みたいな格好して……」
「だって本当に覚えないし」

 カイリは嘘を言っていない。真面目な表情から、それはわかる。けれど理解できても、心が追いつかない。まさかカイリが自分を忘れているとは、夢にも思わなかったのだ。

「そういえば……異界渡りをして、その時の記憶をなくす可能性について記録にあった気がする。もしかしてカイリはそれなのかね……」
「そんなぁ……」

 がくりと百花は床にへたり込んだ。

 オウルが慌てる声がするが、身体の力が抜けてしまって立ち上がれない。はらはらと涙がこぼれてくる。百花のことを覚えているカイリならば、すぐに抱きしめてなだめてくれるのに、目の前のカイリはただ不思議そうに百花を見下ろすだけ。

 それに気づいたら、ますます泣けてきた。



 カイリは心底から覚えていないようだった。
 異界渡りをしたことはおろか、自分が病気だったことすら忘れている。

 百花は「嘘だ! 血まで吐いてたくせに!」と主張したが、カイリに睨まれてしまった。それならば薬学の方はどうだと「薬草図鑑! 持って帰ったでしょ!?」と聞いても「そんなの知らない」とにべもない。

 オウルは困った顔で「どうしたもんかねえ」と腕組みをしている。彼女にとっても予想外の展開だったようだ。けれどオウルはこの期に及んでもまだ百花の主張を信じてくれていて、百花を擁護してくれている。
 
 それに対して、カイリは真逆だった。

 人違いだと言い張って譲らない。
 万に一つの可能性すら認めない頑なな態度に百花は唖然とした。カイリはどちらかと言えば順応性が高く、柔軟な思考の持ち主だと思っていた。

(なのに、この頑固っぷりは一体……まじで別人!?)

 注意深く観察してみたが、ふわっとした髪も綺麗な青の瞳も、愛らしい外見も、やっぱりカイリに他ならない。そもそも声だってちゃんと覚えている。少し高めのかわいらしい声は、年月がたっても耳に残っている。

(いっそカイリの恥ずかしい秘密でも暴露してやろうか)

 お尻にホクロがあるとか、身長が伸び悩んでいることを気にしていたとか、その割に息子は割と大きめだったとか……。
 どれもがオウルの前で言えるようなものではなく、そしてカイリが聞けば聞いたで怒りそうなことばかりだ。

(だめだ。わたしがカイリを知っている証拠みたいなものが出せない!)

 それだから、どんなに話を重ねても百花とカイリの主張は交じらず、まさに平行線だった。しまいには沈黙がおちて、場の空気が重たくなっていく。見かねたオウルが助け舟を出した。

「ーーまあこの話はちょっと置いておくことにしようか。ところでカイリ、国境はどうだったんだい?」

 オウルに水を向けられ、カイリは「え? 今ここで話すの?」と戸惑いを表した。ちらりと百花の視線を送ったところを見ると『得体のしれない人間(百花)の前で話して良いの?』という心があるのだろう。カイリの中で百花は不審人物認定されているようだ。

「いいんだよ、モモカだって国の状況を知っておくにこしたことないだろ。しばらくはここで暮らしていかなきゃならないんだから」

 オウルは奥から世界地図を持って来て、テーブルに広げた。いくつもの大陸がある中で、卵のような縦長の形をした大陸の南部を指差し「ここがオミの国だよ」とまずは教えてくれる。そして北部が帝国だそうだ。この地図は国ごとに色分けしてあって、帝国はオミの国の三倍ほどの広大な面積を持つ国だった。二つの国の境目には山脈の絵が描いてあり、そこが国境で、現在の戦場だということだ。

 カイリはオウルが百花に地理関係を説明しているのを冷めた目で眺めていたが「それで?」とオウルに水を向けられると「今のところは膠着状態」と説明を始めた。

「国境は一応死守できてる。あと半月もすれば雪が降るだろうし、このまま冬ごもりに入るんじゃないかっていうのがおおかたの予想」
「まあ定石だね」
「ただ、この冬を越したら多分春はもうもたない。砦もだいぶいたんでるし、何より土着の民に被害が結構出てる。地の利を活かした戦いができなくなったら分が悪い。それに、帝国は今新しい兵器を開発してるらしい。それの完成がいつかはわからないけど、かなりの脅威になるんじゃないかな」
「新兵器、ねぇ……」

 オウルは眉間にしわを寄せて、厳しい表情をしている。カイリは平坦な表情だったが、オウルから「王様はなんて?」と聞かれて、口元を歪ませた。

「冬の間に砦を補修しろ、もっと徴兵しろ。だって」
「ここまできても、徹底抗戦のつもりなんだね……」
「王様にとって降伏は死よりも受け入れがたいものらしいからね。国と散るならば本望ってところなんじゃない?」

 カイリは軽い口調の中に蔑んだ響きを含ませ、小さく笑った。自国の王様にそんな嫌味な言い方をするんだ、と百花は再び衝撃を受けた。オウルは苦笑はしたものの、カイリをたしなめることはしなかった。きっと彼のそういう様子に慣れているんだろう。

「まあ大体わかったよ。ありがとうね」

 オウルはうなずき「何となくつかめたかい?」と百花にたずねた。おそらく百花が怖がらないように、不安がらないように、優しい表情を作ってくれている。

「なんとなくは。ーーでも、そもそもの話なんだけど、どうして戦争が始まったの?」

 百花の質問にカイリは「きっかけはうちの王様のおごりだよ」と吐き捨てた。カイリ、とオウルがたしなめるが、カイリは肩をすくめて「だってそうでしょ」と答える。

「帝国はもともと食料資源に乏しい国なんだ」

 オウルがカイリに代わって説明を始める。

「なのに天候不順で飢饉があって食料が不足した。それで農業が盛んなオミの国に、農作物の大量購入を申し入れて来たんだけど、国王がね……ちょっとまずい対応をしちゃったんだ」
「まずい対応?」
「普段の倍以上の関税をかけようとしたんだよ」
「え、なんで?」
「さあね。国の運営にお金が必要だったのかねぇ……。その時は帝国もそれをのんで、取引は一応平和的に済んだんだけど、その後もずっと高い関税をかけつづけてね、帝国も我慢ならなくなったのか攻め込んできたんだ」
「法外な金を払わせられるくらいなら、国ごと奪い取った方が容易いってことなんだろうな。帝国は食料資源はかつかつだけど、良い鉱山がたくさんあって、武器の類には強いんだ。強大な軍事力がある」
「なるほど……」
「ーーあなたも災難だね」

 カイリは百花に同情の眼差しを向けた。

「こんな時期にこの国にきちゃうなんてさ」
「……そんなことないよ」

 だってずっと会いたかったから。
 忘れたくても忘れられなかったから。
 戦争中という状況は確かにちょっと大変だとは思うし、カイリが自分を覚えていないショックは大きいけれど、それでも会いたい人に会えた喜びは何にも勝るものだった。

「どんな状況だとしても、わたしはずっとカイリに会いたかったから」
「……だから、僕は……」
「そうだ」

 カイリの言葉を遮って、オウルがパンと手を打った。

「カイリの家、空き部屋があるだろう? そこにモモカを住まわせてやったらどうかね?」

 さも良いことを思いついたというような、満面の笑みだった。胸を張って「一緒に過ごすことで、カイリも色々と思い出すかもしれないよ」と、今度はカイリの肩を叩いた。

 確かにオウルの言う通り、一緒に過ごすことで何か記憶が呼び起こされることがあるかもしれない。百花は目を輝かせたが、一方のカイリは真顔のまま「何言ってるの」と肩をすくめた。

「オウル、冗談も休み休み言ってよ」

 カイリはとりあうつもりはないらしく、苦笑してオウルをいなしている。

「冗談なんかじゃないさ。今モモカに使ってもらってる二階の部屋だって、相当狭いんだ。カイリの家なら店から近いし、ここよりずっと部屋も広い」
「だからってそれだけでーー」
「カイリ! わたしからもお願い!」
「はあ?」
「迷惑かけないようにするから! カイリの家に住みたい!」
「だから僕は……」
「今は覚えてなくても、これから思い出すかもしれない。わたしにチャンスをください!」
「はあ?」

 カイリは嫌そうな表情を隠しもせずに「そんなの迷惑だよ」とにべもない。
 それでも百花はしつこく食い下がって、オウルの援護射撃もあって、約三十分後(体感時間)には、カイリの首を縦に振らせることに成功した。向こう一年間オウルの店での飲み食いを無料にすると条件をつけたのが効いた。

 とは言ってもカイリは憮然とした表情で「しつこすぎ」と百花をにらんだ。

(うっ……第一印象は最悪かも……)

 親しみのかけらもない視線を受けて、凹むなんてものじゃない。でも、それでも──カイリに会えたことの幸せは、何よりも深くて強いものだった。
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