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夏の章 中辛男子は結婚したい

8、幸せのカップケーキ

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 その後、中堅のおいちゃんが勝利、大将のコオリ君が敗北。ステファンゲーミングは、後期リーグ戦の初戦を白星で飾れなかった。

「まだこれからが長い。切り替えて、次に行こう」

 着替えや挨拶などを済ませて試合会場のビルから出てから、佐伯さんはそうまとめて、解散を言い渡した。先に輪から離れた佐伯さんを見送って、わたしはみんなの顔を見渡す。

「はー、今日はなんかグッときたなぁ」

 ノイ君は空を見上げて、大きく伸びをした。その表情はいつもと違って険しい。
 コオリ君とおいちゃんが何かフォローをしてたけれど、ノイ君は力なく笑うだけだった。あれは確かに痛恨のミスだった。しかも相手が響選手だったこともショックだったんだろうな。

 ノイ君は「ちょっと一人で試合見返すわ」と言葉少なに帰って行った。勝っても負けても試合の後は「みんなでごはん行こうよー」と言う彼が珍しい。

 心配だったけれど、声をかけるにも何も浮かばない。
 追いかけようか迷ったけれど、一人でいたいという彼の邪魔にはなりたくなかった。

 時刻は午後3時を過ぎたばかりで陽も高い。(お昼開始の試合だったから、早めに終わった)場所も新宿だし、わたしもいつもなら少し街をぶらついたりもするんだけれど、今日はまっすぐ帰ろうと決めた。

「じゃあ俺たちも帰ろうか」

 ノイ君が新宿の雑踏にまぎれて見えなくなってから、おいちゃんが言った。行き先は同じだけれど彼のあとをすぐに追わなかったのは、多分気を遣ったから。

 わたしもコオリ君もうなずいて、いつもよりゆったりとしたスピードで駅まで歩いた。新宿駅からは、わたしとおいちゃんは山手線。コオリ君は中央線だ。
 駅の改札でコオリ君と別れるなり、おいちゃんが「……ちょっと寄りたいお店があるんだけど、いいかな?」と言って、山手線とは逆の方向を示した。

「もちろんいいよ。どこ?」
「この先にあるスイーツ通り」
 
 新宿エキナカのショッピングモール内には、国内外の美味しいスイーツのお店が並ぶエリアがある。そこは『スイーツ通り』なんて言われていて、わたしもたまに甘いものが欲しくなった時に寄ったりもする場所だ。

 そういえばおいちゃんて、試合の日は勝っても負けても由加子ちゃんにお土産買って帰るんだよね。
 スイーツ通りにあるお店は数も多いし、よりどりみどりだ。

 おいちゃんは目当ての店を決めているみたいで、スイーツ通りにさしかかっても足取りは変わらなかった。そして、カップケーキ専門店の前でぴたっと止まる。

「今日はここで買おうと思って」

 動物モチーフのかわいいケーキから、少しシックにコーティングされたケーキまで、幅広い種類のカップケーキがショーケースには並んでいる。
 彩りがとてもきれいで、どれも美味しそう。

「かわいい……! わたしも買って帰ろうかな」

 普段、ごほうびスイーツには縁のないわたしだけれど、せっかく目の前に広がるケーキを前にして、心がときめく。
 りんごシナモンのカップケーキが特に気になる。秋のおいもカップケーキも気になるけど、2つ買ってもあれだしな……。

 悩むわたしの隣で、おいちゃんは蜂蜜レモンとかぼちゃのカップケーキを注文している。
 そのやり取りの間にわたしも心を決めて、りんごシナモンに決めた。

「おいちゃんって、由加子ちゃんへのお土産はいつも違うお店で買うの?」

 2人でお揃いのロゴが入った紙袋をぶら下げながら、ホームまでの道を歩く。おいちゃんは紙袋を眺めて「そうだなぁ……違うところが多いかも」と答えてくれた。

「よっぽど気に入ったらリピートもするけど……」
「試合のたびに買ってるんでしょ? そのうちこのあたりのスイーツは制覇できそうだね」
「確かに」

 ふっと笑みをこぼすおいちゃんの柔らかい雰囲気が、わたしにも浸透していく。おいちゃんが由加子ちゃんのことを大事にしてるのが伝わってきて、あたたかい気持ちになる。

「……おいちゃんと由加子ちゃんって、ほんっと仲良しだよね」

 わたしの素直な気持ちに、おいちゃんは「由加子のおかげだよ」と返した。

「向こうが俺にはもったいないくらいにいい子だから……」

 そう言えるおいちゃんもだよ。と、わたしは思う。
 だっておいちゃんから由加子ちゃんの愚痴なんて聞いたことないもんね。いつ話に出ても、やれ料理が美味しいとか、かわいいとか……。
 そんなおいちゃんだから、由加子ちゃんもベタ惚れで、結婚したいと思うんだろうなぁ。
 理想的な2人だよ、ほんと……。

「──だからさ、今の俺みたいな不安定なやつが彼女の人生をもらっていいのかって思ったんだよね」

 二人の並ぶ姿を想像して癒されていたわたしは、思わず立ち止まった。その言葉の真意が気になって、おいちゃんを見つめると、彼は悲しそうに微笑む。

「由加子が色々言ったみたいだね。心配かけてごめん」

 すぐにピンときた。
 1ヶ月前の個人大会の時のことだ。あれから由加子ちゃんには会ってないし、おいちゃんにも何も聞いていない。だからわたしの中の情報は、あの配信で聞いたおいちゃんの「35歳で結婚」からアップデートされないまま。
 でもおいちゃんから切り出したってことは、何か続きがあるんだろう。

 おいちゃんに促されて、止まっていた足を動かし始める。本当はゆっくり歩いてじっくり聞きたいのに、駅構内の人の流れはそれを許してくれない。
 まわりと同じようにせかせかと歩きながら、それでもおいちゃんの口調がは普段通りゆったりしたまま。なんかそれが妙に悟りをひらいた人みたいに見えて、胸騒ぎがする。

「俺自身は、プロとして挑戦してみたいって希望が叶って、今の自分の状況にはすごく満足してる。……でもそれに由加子を付き合わせ続けるのはどうかって、実はずっと思ってたんだ」

 え……今の言葉、なんかものすごくひっかかるんですけど。おいちゃん、そんなこと考えてたの? ずっと? まさかプロになった時から?
 急に心臓がばくばく言い始める。この先を聞くのが怖いのは、なんで。
 このお土産、由加子ちゃんに買ってるのに。さっきあんなに優しい顔をしてたのに。この後帰ったら2人で仲良く食べるんだよね……?

「だから、由加子から結婚の話が出た時に、潮時かもしれないって思ったんだ」
「えええっ!?」

 叫んだ声は、すぐにまわりの賑わいにかき消された。誰もわたしたちに気を止める人はいない。また足が止まりそうになったけれど、ちょうどエスカレーターについたから、そのまま乗って。

「う、嘘だよね? おいちゃん……」
「嘘じゃないよ。だってそうでしょ? 由加子はかわいいし、性格もいい。俺じゃなくたって、幸せにしてくれる男はたくさんいると思う」
「そんなこと……」

 あるわけない。
 由加子ちゃんが幸せにしてほしいのは、一緒にいたいのは、おいちゃんだけだ。だから勇気を出して結婚の話をしたんだろう。
 言いたいことがたくさん浮かぶのに、混乱して目頭が熱くなってしまって、声にならない。

 おいちゃんはそんなわたしを見ることなく「でも、こないだのアンケートと佐伯さんとの面談で、もしかしたら諦めなくてもいいのかもしれないって思って」と続けた。

 早鐘を打っていた心臓が、ひゅーっと落ち着いていく。ぐっと胸を抑えて深呼吸をしているわたしに、ここでようやくおいちゃんが気づいた。

「あれ? ふくちゃん、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! ほんっとびっくりしたんだから!」
「え? 何が?」

 心底不思議そうなおいちゃんに「由加子ちゃんと別れちゃうのかと思った!」と叫んだ。その興奮のせいでホーム階についたことに気づかなくて、足がつんのめる。
 それをおいちゃんが腕を引っ張って支えてくれて「あ、ごめん。俺、話す順番間違った?」と困った顔になる。

 完全に間違ったよ! ──いや、間違ってないかも!? でも間は絶対にとりすぎ!
 そう文句を言おうかと思ったけれど、おいちゃんの人の良さそうな顔を見たらしぼんでしまう。

 そうだ。大事なのは、おいちゃんと由加子ちゃんの未来に希望が見えたこと。
 ようやくそのことを思い出して「つまり──おいちゃんは、由加子ちゃんと結婚することにしたってこと?」と聞いた。

 今度はそれにおいちゃんが「ええっ!?」と驚く。

「いや、そこまではまだ決心つかないけど──」
「つけようよ! 大丈夫だよ、おいちゃんなら! 佐伯さんだって、おいちゃんならもし本社勤務になってもそつなくこなせそうだよねって言ってたよ!」
「ありがとう」

 おいちゃんは微笑んだ。

「由加子はさ、俺がいつかここをクビになっても大したことないって言ってくれるんだ。その時の自分の気持ちを大事にして、仕事も探したらいいって。でも俺としては結婚するなら、もっとちゃんとビジョンが欲しかったから」

 由加子ちゃんの言うことも、おいちゃんの言うことも、正しいしそうだなって思う。
 お互い違う主張だけれど、根本にあるものは同じ。相手のことを好きで大事だってこと。

「だから──あのアンケートと面談は、すごくありがたかった。ありがとう。ふくちゃんが佐伯さんを動かしてくれたんでしょ?」
「え?」

 そんなことはない。佐伯さんに相談はしたけれど、そもそも佐伯さんだって選手達のセカンドキャリアについては考えていたから──。
 あわてて否定するわたしの言葉に、おいちゃんは首を振った。 

「佐伯さん本人が言ってたよ。ふくちゃんの熱意に後押しされたって。だから、やっぱりありがとうでいいんだよ」

 おいちゃんの心からの感謝が感じられて、わたしは──必死で涙をこらえてうなずいた。
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