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夏の章 中辛男子は結婚したい
6、過去の負け筋、未来への最適解
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休み明けの月曜日。
わたしは佐伯さんに連れられて、会社を出てすぐにあるイタリアンレストランに来ていた。少し相談があると伝えたら「じゃあお昼でも食べながらにしよう」って言われたんだ。
「あの……相談したいのは、選手のセカンドキャリアについてなんです」
そう切り出すと、佐伯さんは驚いた顔になった。
できるだけぼかしながら(といっても限度があるけど)おいちゃんと由加子ちゃんの直面している状況を伝える。
「なるほど……」
佐伯さんは唸りながら、まだ湯気をたてている夏野菜のミートソースを深刻そうに見つめた。
しまった、もっと食べ進めてから言えば良かった。完全に食事の流れを止めちゃった。
焦って「た、食べてください! あったかいうちに!」と促すと、佐伯さんは小さく微笑んで、パスタを巻き始める。それを見てから、わたしも自分の冷製パスタに手をつけた。トマトとサーモン、さらに大葉も散って彩りが豊か。夏の味って感じがする。
佐伯さんがパスタを上品に食べすすめていくのを見てから、わたしは「あの、前にもこういう話が出たことがありましたけど、その後の状況ってどうなんでしょうか?」とたずねてみる。
「それは──おととしの、日下部君の時のことだよね?」
ぎくり、と体がこわばった。
日下部さんは、4年前にチーム発足した時に入ってきた選手だ。元々個人大会での実績は十分にあったのだけれど、リーグ戦のシステムやプロとして見られることへのプレッシャーがあったのか、思うような成績が残せないままだった。
最初1年の勝率は25%、次の年は10%まで落ち込んでしまって──2年前、佐伯さんは契約を更新しないことを決断した。
随分迷ったと思う。あの頃の佐伯さんは目の下のクマが濃くて、ふとした時にため息をつくことが多かった。
今でも覚えてる。
東京にしては珍しく雪がちらついたあの日、佐伯さんは本社の会議室で日下部さんに契約終了のことを話した。苦渋の決断を語る佐伯さんに対して、日下部さんは冷静な対応をしてみせた。でも、面談が終わって、会議室を出てからは違った。
エレベーター前まで送るわたしを見て、日下部さんはこう言ったんだ。
「ていうか思ったんだけど、マネージャー、俺で良くない?」
びっくりして立ち止まるわたしに、日下部さんはにっこりと邪気のない笑みを浮かべる。キツネのような目が糸のように細くしなって、彼の感情が見えなかった。
「だって豊福さん、プレイヤーとしては大したことないじゃん? 俺の方がカード詳しいし、戦略とかも知ってるし。俺の方が役に立てる気がするなぁ」
当時、日下部さんは27歳、わたしは25歳。
その微妙な年の差と、日下部さんの追い詰められた状況が生んだ、彼なりの起死回生の言葉だったのかもしれない。苦し紛れだったのか、元から考えていたのか、それは今になってもわからない。
ただ──。
「元々、豊福さんのいる意味って、よくわかんなかったし」
『なんで俺はダメで、お前は良いんだよ』という、彼からの明確な悪意は感じた。それにわたしは、何も返せなかった。
あの時、佐伯さんが様子を見にきてくれなかったら、多分泣いていたと思う。
マネージャーとして頑張っていたつもりだった。かゆいところに手が届くような細かいケアを心がけていたけれど、それは全然意味がなかったことみたいに言われて、ただ悲しかった。
「豊福さん」
佐伯さんの声にハッと現実に引き戻される。そうだ、つい思い返してしまっていたけれど、今は佐伯さんとのランチ中だった。
「手が止まってる。──あの時のこと、思い出してた?」
そう問いかける佐伯さんの声は優しい。
あの時と同じ。わたしをとても労ってくれる──。
「はい。──でも、大丈夫です」
じわりとにじんでいた涙をまばたきでごまかして、わたしはパスタをくるくるとフォークに巻いた。ちょっと多めにして勢い良く口に運ぶ。美味しいものを食べると、心は少し落ち着く。
それに、目の前の佐伯さんは、ありがたいことにわたしの味方だ。
佐伯さんはまだ心配そうな目をしていたけれど「あの時の教訓から、一応俺の方でも色々動いてはいる。けれど、選手のセカンドキャリアについてはまだ手探りというのが現状かな」と話をすすめてくれた。
「でも──そうだな。そろそろ動き出さないといけない時期ではある」
「……ありがとうございます」
「こちらこそありがとう。豊福さんは選手からの信頼があるから、こうして彼らの状況が把握できるんだ。助かるよ」
「いえ、そんな──」
わたしなんて、まだまだで……と言いそうになったけれど、佐伯さんになんとなく目線でさとされて、口をつぐむ。大丈夫、と言ってもらった気がした。
◆
その次の週のチームミーティングの日。本社に選手達を呼んで、もうすぐ始まる後期リーグ戦に向けての打ち合わせをした。最近、新たなカードが追加されていたから、その評価やどんなデッキを作るかなど。
まだみんな手探りの状態で、あれこれと可能性を試していたら、あっと言う間に2時間ほど経過してしまった。それがひとまず落ち着いたところで、佐伯さんが「そうだ、これを」と一人に一つずつ封筒を渡した。
「君たちのセカンドキャリアについてのアンケートが入ってる」
佐伯さんの言葉に、みんな目を瞬かせた。彼らにとっては突然の話題だったんだろう。みんな戸惑っている。
見本と言って、佐伯さんが机の上にそれを広げた。
「君たちとは2年の契約を結んでいるが、もしもその契約が成立しない時に選べる道があったとしたら、どうしたいのか。それを聞きたい」
そこには、いくつかの選択肢が書いてあった。
他チームに移籍するか。
チームに残り、サポート業務を担当するか。
ステファンフーズ株式会社に社員として入社するか(ただし、完全にカードゲームからは離れて、一般の社員と同じ業務をする)
外部の会社に転職活動するか。
そして、選手の自由記入欄もある。
「このアンケートを元に、それぞれ個人面談をしたいと考えている。これから忙しい時期に入るが、30分ほど時間をもらえると助かる」
「あの──これって、契約解除の前触れってやつじゃないですよね?」
ノイ君が自分の封筒からアンケートを取り出して、じっくりと眺めてから、質問した。
佐伯さんは「もちろんだ」と彼らを安心させるようにうなずく。
「来期の契約については、確かに今はまだ何も言えない。けれど、これはいつかきた時の根回しのためだ。もっと長いスパンで見てほしい」
そろそろ動くって言ってたのは、このことだったんだ。
きっとこれが第一歩になる。佐伯さんが選手たちの未来への道を作ろうとしてくれるのがわかって、光が差した気がした。
わたしは佐伯さんに連れられて、会社を出てすぐにあるイタリアンレストランに来ていた。少し相談があると伝えたら「じゃあお昼でも食べながらにしよう」って言われたんだ。
「あの……相談したいのは、選手のセカンドキャリアについてなんです」
そう切り出すと、佐伯さんは驚いた顔になった。
できるだけぼかしながら(といっても限度があるけど)おいちゃんと由加子ちゃんの直面している状況を伝える。
「なるほど……」
佐伯さんは唸りながら、まだ湯気をたてている夏野菜のミートソースを深刻そうに見つめた。
しまった、もっと食べ進めてから言えば良かった。完全に食事の流れを止めちゃった。
焦って「た、食べてください! あったかいうちに!」と促すと、佐伯さんは小さく微笑んで、パスタを巻き始める。それを見てから、わたしも自分の冷製パスタに手をつけた。トマトとサーモン、さらに大葉も散って彩りが豊か。夏の味って感じがする。
佐伯さんがパスタを上品に食べすすめていくのを見てから、わたしは「あの、前にもこういう話が出たことがありましたけど、その後の状況ってどうなんでしょうか?」とたずねてみる。
「それは──おととしの、日下部君の時のことだよね?」
ぎくり、と体がこわばった。
日下部さんは、4年前にチーム発足した時に入ってきた選手だ。元々個人大会での実績は十分にあったのだけれど、リーグ戦のシステムやプロとして見られることへのプレッシャーがあったのか、思うような成績が残せないままだった。
最初1年の勝率は25%、次の年は10%まで落ち込んでしまって──2年前、佐伯さんは契約を更新しないことを決断した。
随分迷ったと思う。あの頃の佐伯さんは目の下のクマが濃くて、ふとした時にため息をつくことが多かった。
今でも覚えてる。
東京にしては珍しく雪がちらついたあの日、佐伯さんは本社の会議室で日下部さんに契約終了のことを話した。苦渋の決断を語る佐伯さんに対して、日下部さんは冷静な対応をしてみせた。でも、面談が終わって、会議室を出てからは違った。
エレベーター前まで送るわたしを見て、日下部さんはこう言ったんだ。
「ていうか思ったんだけど、マネージャー、俺で良くない?」
びっくりして立ち止まるわたしに、日下部さんはにっこりと邪気のない笑みを浮かべる。キツネのような目が糸のように細くしなって、彼の感情が見えなかった。
「だって豊福さん、プレイヤーとしては大したことないじゃん? 俺の方がカード詳しいし、戦略とかも知ってるし。俺の方が役に立てる気がするなぁ」
当時、日下部さんは27歳、わたしは25歳。
その微妙な年の差と、日下部さんの追い詰められた状況が生んだ、彼なりの起死回生の言葉だったのかもしれない。苦し紛れだったのか、元から考えていたのか、それは今になってもわからない。
ただ──。
「元々、豊福さんのいる意味って、よくわかんなかったし」
『なんで俺はダメで、お前は良いんだよ』という、彼からの明確な悪意は感じた。それにわたしは、何も返せなかった。
あの時、佐伯さんが様子を見にきてくれなかったら、多分泣いていたと思う。
マネージャーとして頑張っていたつもりだった。かゆいところに手が届くような細かいケアを心がけていたけれど、それは全然意味がなかったことみたいに言われて、ただ悲しかった。
「豊福さん」
佐伯さんの声にハッと現実に引き戻される。そうだ、つい思い返してしまっていたけれど、今は佐伯さんとのランチ中だった。
「手が止まってる。──あの時のこと、思い出してた?」
そう問いかける佐伯さんの声は優しい。
あの時と同じ。わたしをとても労ってくれる──。
「はい。──でも、大丈夫です」
じわりとにじんでいた涙をまばたきでごまかして、わたしはパスタをくるくるとフォークに巻いた。ちょっと多めにして勢い良く口に運ぶ。美味しいものを食べると、心は少し落ち着く。
それに、目の前の佐伯さんは、ありがたいことにわたしの味方だ。
佐伯さんはまだ心配そうな目をしていたけれど「あの時の教訓から、一応俺の方でも色々動いてはいる。けれど、選手のセカンドキャリアについてはまだ手探りというのが現状かな」と話をすすめてくれた。
「でも──そうだな。そろそろ動き出さないといけない時期ではある」
「……ありがとうございます」
「こちらこそありがとう。豊福さんは選手からの信頼があるから、こうして彼らの状況が把握できるんだ。助かるよ」
「いえ、そんな──」
わたしなんて、まだまだで……と言いそうになったけれど、佐伯さんになんとなく目線でさとされて、口をつぐむ。大丈夫、と言ってもらった気がした。
◆
その次の週のチームミーティングの日。本社に選手達を呼んで、もうすぐ始まる後期リーグ戦に向けての打ち合わせをした。最近、新たなカードが追加されていたから、その評価やどんなデッキを作るかなど。
まだみんな手探りの状態で、あれこれと可能性を試していたら、あっと言う間に2時間ほど経過してしまった。それがひとまず落ち着いたところで、佐伯さんが「そうだ、これを」と一人に一つずつ封筒を渡した。
「君たちのセカンドキャリアについてのアンケートが入ってる」
佐伯さんの言葉に、みんな目を瞬かせた。彼らにとっては突然の話題だったんだろう。みんな戸惑っている。
見本と言って、佐伯さんが机の上にそれを広げた。
「君たちとは2年の契約を結んでいるが、もしもその契約が成立しない時に選べる道があったとしたら、どうしたいのか。それを聞きたい」
そこには、いくつかの選択肢が書いてあった。
他チームに移籍するか。
チームに残り、サポート業務を担当するか。
ステファンフーズ株式会社に社員として入社するか(ただし、完全にカードゲームからは離れて、一般の社員と同じ業務をする)
外部の会社に転職活動するか。
そして、選手の自由記入欄もある。
「このアンケートを元に、それぞれ個人面談をしたいと考えている。これから忙しい時期に入るが、30分ほど時間をもらえると助かる」
「あの──これって、契約解除の前触れってやつじゃないですよね?」
ノイ君が自分の封筒からアンケートを取り出して、じっくりと眺めてから、質問した。
佐伯さんは「もちろんだ」と彼らを安心させるようにうなずく。
「来期の契約については、確かに今はまだ何も言えない。けれど、これはいつかきた時の根回しのためだ。もっと長いスパンで見てほしい」
そろそろ動くって言ってたのは、このことだったんだ。
きっとこれが第一歩になる。佐伯さんが選手たちの未来への道を作ろうとしてくれるのがわかって、光が差した気がした。
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