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高校生編 6月
心の蓋
しおりを挟む誰かが、私の頭を撫でている。
カイお兄ちゃん?
よくこうして、頭を撫でてもらっていた。
心地よくて、一番安心できた。
両親に存在を知られてはいけないという非常識な日常に、不安でいっぱいだったから、カイお兄ちゃんの存在は、とても大きかった。
今思えば、カイお兄ちゃんは命綱みたいなものだったんだ。
その命綱がなくなった今、私の存在を支えているのは、私の手足だけ。
不安定で、グラグラ揺れて、風が吹けば落ちてしまいそう。
帰ってきてよ、カイお兄ちゃん。
「ソラ。」
名前を呼ばれて瞼を持ち上げる。
白い天井と、私をのぞき込んでいるレオ先輩。
「あ・・・」
カイお兄ちゃんじゃ、なかった。
「泣かないで下さい。」
軽く眉をよせ、長い指で頬に触れられ、初めて自分が泣いていたことに気付いた。
「すみません・・・」
謝ると、先輩の指が離れていって少しホッとする。
そうだ、私、レオ先輩に・・・
思い出すけど、頭がボーッとしていてなんだかどうでもよくなった。
考えるのは、後にしよう。
そんな私の投げやりな考えを知ってか知らずか、先輩の二本の腕が私の背中に回って、そのまま引き寄せられた。
抱きしめられてる・・・
そう分かったけど、抗う気力もない。
なんでだろう、頭を撫でられただけで、カイお兄ちゃんを思い出してしまうなんて。
こうして抱きしめられている時も、カイお兄ちゃんのことを思い出す。
会いたいよ。
包み込まれるような感覚に、どこか安心する。
先輩の顔が見えないから、なんとなく落ち着く。
始終見つめられているのも、居心地が悪い。
「いくつか、質問をしても?」
後ろから問いかけられ、私は頷いた。
「あなたの協力者を教えて下さい。今まで光陰部内にいる協力者なしでその能力を隠してこれたとは思えません。」
ああ、やっぱりこの先輩、頭良いな。
考えるのが馬鹿らしくって、正直に答える。
「カイお兄ちゃんと、紫月先輩です。」
何も考えずに答えたから、カイお兄ちゃんといつものように呼んでしまったけれど、まあいいか。
どうせ教えなくちゃいけないんだから。
「・・・二人との関係性を教えて下さい。」
数秒の沈黙の後、詳しい説明を求められた。
「私の本当の名前は、朱雲 蒼来です。カイお兄ちゃんの妹で、朱雲 蒼羽くんは、私の双子の弟らしいんですけど、この前初めて存在を知りました。私は・・・覚醒してすぐに、カイお兄ちゃんの家に逃げたんです。だから私の存在は、秘密にされているんです。」
ざっくりと説明する。
いくつか逃亡について、それからその後の生活について質問をされ、その一つ一つに答えていった。
「それから紫月先輩は、屋上で力を暴走させているのを見つけて、安定させるのを手伝ったんです。それで正体を知られちゃったんですけど、協力、してくれて・・・」
王のことについても話そうかどうか、迷ったけど、説明するのが面倒くさくて、何も言わないことにした。
「そうですか・・・」
フッと、体を離される。
真正面から顔をのぞき込まれ、やがて先輩は納得したように頷いた。
「確かに、会長やソウくんに似ていますね。」
それ、紫月先輩にも言われた。
そんなに似てるかな。
似ていたら私の素性がばれやすくなるからダメなのに、なぜだかこしょばゆい気持ちになる。
二人に似てる、と言われて悪い気はしない。
嬉しさを隠すように、胸の辺りに揺れていた銀の髪に指を絡ませて遊ぶ。
でも、考えてみれば私、ソウくんと話したことないんだよね。
本当は関わらない方が良いのに、やっぱり話しかけたいって思ってしまう。
・・・いつか、仲良くなれたらいいな。
でも今は、ソウくんよりも、カイお兄ちゃん。
やっぱり、会いたい。
側にいるのが普通だった、今までは。
だから今、急にその普通が崩されてしまって、どうすればいいのか分からない。
カイお兄ちゃんが離れていって、沢山の人と知り合ってしまう。
知り合うことは、悪いことじゃないはず。
なのに、どんどん増えていく知り合いが、今までとは違うんだって示していて、たまに辛くなる。
今まで私の世界はとっても狭くて、そこだけで完結していたのに。
急に大きな世界に放り出されて、色んな人が私の世界に入ってくる。
それだけでどうすればいいのか分からないのに、今までずっと支えてくれていた人が、突如離れていってしまう。
誰を信じていいのかも、分からなくなる。
「どうして、そんな顔をしているのですか?」
「ひゃっ!」
急に顔に手を添えられて、情けない声が出てしまう。
朱雲 蒼来になってからあまり人と関わってきたから、初対面の人との適切な距離がよく分からないけど、桐谷 弥生としての記憶をたどれば、今の私と先輩との距離は明らかに近すぎる。
「あの、離れて下さい。」
先輩の胸をグイッと押して距離をとる。
どうすればいいのか分からない。
誰を信頼すればいいのか分からない。
そんな状況に私はいて、そして、私は答えを出した。
「どうか、お願いします。誰にも、言わないで下さい。」
自分しか、信じないようにしよう。
カイお兄ちゃんがいないことへの寂しさは、もちろんある。
きっと、ずっと消えてくれないと思う。
でも、そんな弱い私じゃダメなんだ。
本当は、家から逃げた時に決意しなきゃいけなかったんだ。
「もちろんです。誰にも、言いませんよ。」
一人で生きていかなきゃいけない。
誰かの力を借りるのはいい。
でも、心を許しちゃダメ。
心を許したら、いつか傷つく。
表面上では誰かを頼っても、心の中で誰かに頼ってはいけない。
以前、カイお兄ちゃんが私に蒼羽くんのことを秘密にしていたのを知った時に決めた、誰も信じてはいけないと。
自分だけを、信じる。
でも私は、なんだかんだ言って、周囲と距離をとるのが辛くて、決意をうやむやにして、自分を誤魔化していた。
その結果が、カイお兄ちゃんとの別居。
それによって、私はこんなに傷ついて、また新しく光陰部の人に洗いざらい秘密を吐いている。
もう、誤魔化せない。
本当に、覚悟を決めなければ。
私がした覚悟は、一つの防衛本能だったのかもしれない。
これ以上、傷つかないようにするための。
私ができることは、これしかないから。
「そのかわり、またこうして話してくれると嬉しいです。」
懇願するような響きの声に、私は先輩を見据えた。
心までは呑まれないように、蓋をして。
「もちろんです、先輩。」
そう言って、心を許した者に向けるような笑顔の仮面を被った。
「いつか、君がそんな顔をする理由を解き明かしたいな。」
ふっと近づいて来た先輩が耳元で低く囁いた言葉は、敬語じゃなくて、一瞬、ゾワッと鳥肌がたった。
「何のことですか。」
でも、蓋をした心までは届かない。
この蓋は、一生、開けるつもりはない。
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