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87.におひもあえず

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「出さないでまた嫌味を言われるのはあゆたさんですからね」
「わかった、てば。そんなに言うなら、お前から手渡してくれ」
「今夜は僕が食事会があるので、また明日予定を確認して会えそうだったら渡します」

 信夫は窮屈そうにタイの結び目を緩めた。当主代行で何やら会合があるらしい。昼と同じ装いだと不都合なのだという。まだ十六歳なのに、まるで大人のようなスケジュールだ。

(信夫は跡継ぎだもんな……)

 信善などは固執しているが、当主という立場に重責しか感じないあゆたは、時折忙しい信夫が気の毒になる。本人は当たり前のことだと淡々として、苦にしていないので口にしないが。あゆたは甥の頭を撫でた。

「よしよし」
「なんです、急に」
「ううん、いつも頑張ってる信夫を労いたくなった」

 信夫は一瞬、虚を突かれたように無表情になった。

(信夫……?)

 どうかしたかと尋ねる前に、信夫の白い手がぬっと目の前に来た。

「いたーっ」

 信夫の長い指が強烈なでこぴんをしてきたのだ。額をさするあゆたに信夫はつんとして流し目をくれた。

「大きなお世話ですよ。僕は楽しくやってますんで」
「そうだけど……」

「労いたいなら、他のお願いを聞いて欲しいです」
「お願い? いいよ。バイト代入ったらなんか食いにいくか?」
「馬鹿おっしゃい」

 せせら笑いながら、信夫はポケットから鍵を出した。

「……それに、僕の欲しいものはお金では手に入りません」

 独り言の調子だった。
 その目に切実な光が過ぎったような気がした。
 
 思わず確かめるように信夫の横顔を見ると、いつもの微笑んでいるようなすまし顔に戻っている。玄関をがちゃがちゃ開けて、あゆたの背中に手を添えるようにして中へ入れた。

「お茶でも飲んでくか?」

 わかりにくいがわざわざ心配して顔を見に来たのだろう信夫を、そのまま返すのも忍びない。

「なんかお茶請けのせんべいとかあると思う」

 怪我する前に親方からお裾分けしてもらったおやつが水屋にあるはずだ。
 あゆたの察しの悪さをくさすように信夫は首を振った。

「馬鹿ですか。これから会食があるのに食べるはずないでしょう」
「そういえば、そうだな」
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