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男子の女子大生誕生秘話
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「私は女子大学へ進みたいです」という木村樹里亜の言葉に、高校の進路指導主任でクラス担任でもある黒木は「なんだと」と語気を荒げた。
「おいおい、しっかりしてくれ。そんな冗談をいっている場合じゃないだろ」とぼやきながら、黒木は牛乳ビンの厚底のようなド近眼のメガネをかけ直すと、「俺は忙しいんだ」といわんばかりの勢いで、木村の模擬試験の成績が入力された端末の画面をにらみつけた。
「まぁ、お前の成績なら国立大学も夢じゃないかもしれん」といい、黒木は「どうする?」と尋ねてきたが、当の木村は同じ答えをくり返すだけだった。
「私は女子大学へ進みます」――そう、地元のおてんば女子大学へ。
「えーっ。なんだよ、じょ、女子大学だなんて、お前は一体何を‥‥」といいかけた黒木だったが、あまりにも真剣な木村の表情に気おされ、「そ、それって本気なのか」とあえぐのがやっとだった。
木村が通っている高校は、ひと昔前までは男子校として名を馳せた県内でも屈指の伝統校である。ちなみに木村の父親も、そのまた父親(祖父)も卒業生で、古くからバンカラ精神が宿っており、男女共学に生まれ変わった今でも質実剛健を校風としていた。教師生活二十五年の黒木にとって、男子生徒を女子大学へ送り込むのは、もちろん初めての経験である。ていうか、普通はあり得ない話。
高校球児としてならした男子の木村が、よりによって女子大学への入学を希望しているという噂は、あっという間に広まった。世間というか、学校なんて狭いもので、木村がクラス担任との進路面談にのぞんだのが午後の二時半ごろ。それから約一時間半後には、同じ野球部で苦楽をともにした青山と中村のふたりから、似たような内容の電話がほぼ同時にかかってきた。
「おい、ジュリー。お前まさか女子大学へ入るつもりかよ」と慌てふためく青山に対し、「うん、本気」とだけ答えると、木村はかすかな笑い声をもらした。「おてんば女子大学なんて、お嬢さんが行く大学じゃねえか。男子のジュリーがなんでまた‥‥」と戸惑う青山。
ジュリーというのは、もちろん木村のニックネームである。樹里亜の樹里をとってジュリー。混乱を避けるため、この小説の中で木村のことはジュリーで統一することにしよう。
「おい、しっかりしろって。またみんなで野球をやろうと思っていたのに、女子大生となんかできるかよ」と青山はかみついたが、ジュリーの意思が揺らぐことはなかった。
ジュリーにとって青山や中村は、ともに甲子園をめざした間柄だった。高校三年の最後の夏の大会。ジュリーらの高校は破竹の勢いで準決勝まで駒を進めた。
準決勝の相手は第一シードで甲子園の常連校だったが、エースの青山の力投によりスコアボードにはゼロが刻まれ、試合は延長戦へ。引きわけ再試合かと思われた十五回の表、ジュリーが技ありのタイムリーツーベースを放ち、貴重な一点を先制したが、十五回の裏に連投疲れの青山が四死球を連発し、押し出しで同点。最後はサードを守っていた中村のまさかのトンネルで、痛恨のサヨナラ負けを喫してしまった。
呆然自失とするふたりに対して「高校卒業後は、それぞれの道でガンばりましょう」となだめるジュリーだったが、その道がまさか女子大学を念頭に置いていたとは、誰が予想できただろう。
ジュリーが野球部に入ったのは、小ぶりな体つきながら運動神経がよかったのと、少しは男の子らしいことをして両親を安心させたいという気持ちがあったからである。ところが野球部を引退してからは、やはり自分に嘘だけはつきたくないという想いにかられていた。物心がついたころから、自分の心と体に違和感を覚えていたジュリーは、進路をうんぬんする前に、男女どちらの性別を選ぶかで、大きな岐路に立たされていたのである。
結果的にジュリーは男子でも入学できる女子大学を選択し、かつてのチームメイトでもある青山や中村とは、明らかに違う人生(みち)へ。ジュリーが受験しようとしているおてんば女子大学では、全国に先がけてジェンダーフリーを宣言し、身体的には男子でも、精神的には女子という学生の入学を来春から認めることになっていたのだ。
クラス担任との進路面談が引き金となって、突然のカミングアウトを果たしたジュリー。受験に向けた大切な時期に、同級生の間では予期せぬ混乱が続いた。
「できれば俺も女子大学へ行きたい」と冗談半分にいう輩が次つぎと現れたかと思えば、何を勘違いしたのか、休日のミニスカート姿のジュリーにひとめぼれをして、デイトを申込んでくる男子生徒までがのさばる始末。隣のクラスの男子から、大まじめに「つき合ってください」といわれたときは、どうしようかと思った。こう見えても男子だし、受験もあるし。お願いだから誰か助けて。
ジュリーのクラスの三割ほどは女生徒だったが、彼女らの間でもジュリーという存在は興味しんしんらしい。ここへきて「一緒に写真を撮ってほしい」という依頼が一気に増えたのだ。「ジュリーったら、かわいい」だなんて、野球部時代は一度もいわれたことがなかったのに。とある女子のクラスメイトから「ねえねえ、ジュリー。今度あたしのお家に泊まりにこない? 一緒にお風呂に入ろうよ」といわれたときは、なんていい返せばいいのか、皆目見当がつかなかった。
高校という模擬社会でカミングアウトすることが、こんなに大変だとは思わなかった。こうなったら残りの高校生活はギャルをめざすべく、しばしの慣らし運転にあてるしかないだろう。うちの高校って、女子の制服もかわいいしと胸を高鳴らせるジュリーだったが、校則の関係上、残念ながら女子の制服だけは認めてもらえなかった。
放課後や休日はほんのり化粧をして、女子高生ルックを楽しむようになったジュリー。後述するが、衣服の大半は近所で暮らすいとこのサッちゃんからのおさがりだった。サッちゃんはピンクが大好きで、おさがりのほとんどはピンクである。ピンクのスカート、ピンクのワンピース、ピンクのソックス。自らの頬までピンクに染めながら、年を追うごとに女子化していくジュリーのことを、嫌な顔ひとつせずに見守ってくれた両親には、ひたすら感謝する以外になかった。
翌年の春、晴れてめでたく女子大生となったジュリー。創立百三十年の歴史を誇るおてんば女子大学にあっては、記念すべき男子の入学生第一号だったが、入学前に思い描いていたような女子大生としての道は、決して平坦ではなかった。何しろ六千人近くいる在学生の中で、男子はジュリーだけ。一応男子トイレは設けられていたが、学生の中で利用するのはジュリーしかいなかった。なるべく気にしないようにはしていたが、女子の間から「単なる変態じゃん」という声が聞こえてくることがあった。「頭がおかしいのよ」とか「ばっかじゃないの」とか、明らかに陰湿な悪口を投げつけられたこともある。
教員の中には奇異の目を向けてくる者がいて、「君のあそこはどうなっている?」なんていう質問をされたこともあった。悔しいったら、ありゃしない。「それってセクハラでしょ」と思いながら、「先生と同じものがぶら下がっていますわ」とにらみ返してやりたかったが、こう見えてもレディー(と自分では思っている)のはしくれ、ぐっとこらえるしかなかった。
大学の警備員のおじさんからは、「元・高校球児が、今はミニスカートひらひらのお姉ちゃんかよ」とからかわれたりもしたが、「泣くのはトイレで」と自分にいい聞かせながら、波乱含みの女子大ライフをスタートさせたジュリー。一番堪えたのは近所の子どもたちから「きもい、きもい」とはやし立てられたことである。正直いって涙が出そうだった。誰にも迷惑なんてかけていないのに。ひとりの女子として青春がしたいだけなのに。「きも~」といいながら、子どもたちに追いかけられたときは、もう女子大生なんかやめて、普通の男子に戻りたいとマジで思った。
そんな中、ジュリーの心のよりどころとなってくれたのが、二歳年上のいとこのサッちゃんである。サッちゃんは地元の商業高校を卒業し、今は市の商工会議所で働いていた。高校生のころはポニーテールがよく似合っていたが、社会人になってからは軽めのウェーブがお気に入りらしく、今どきのメイクもこなして、ぐんと大人っぽく見えた。サッちゃんが仕事で忙しくなってからは、一緒にいられる時間も半減してしまったが、ジュリーにとってはお姉さん代わりであり、サッちゃん自身、ジュリーのことを本物の妹のようにかわいがってくれた。
あれは幼稚園のころ。ふたりでおままごとをして遊んでいたとき、「やっぱりジュリーは女の子に生まれてくればよかったのに。早くこっちへおいで」といい、サッちゃんがギュッと抱きしめてくれた。女子への憧れ。恍惚とした気持ち。サッちゃんに対する恋心。そんな想いが長年にわたって降り積もり、ついには女子大生になることを決意したジュリー。「おてんば女子大学へ入りたい」という相談をしたときも、「人生のオーナーは自分なんだから、思い通り生きればいいのよ」と背中を押してくれた。いつも揺りかごのような言葉で、ジュリーのことを支えてくれるサッちゃんは、それこそ天使のような存在だったのである。
おてんば女子大学へ入学して二週間ほど経った日曜日の午後。ジュリーはサッちゃんのお部屋を訪ね、おやつのレモンケーキを食べながら、女子大生になってからの鬱屈した想いをぶちまけていた。外はあいにくの雨で、せっかくの満開の桜もしおれ気味だった。
大学ではみんなからの冷たい視線を浴びること。ときにバッシングさえ聞こえてくること。セクハラまがいの仕打ちまでがくり返されていること。「辛いよ、サッちゃん」といい、涙を浮かべるジュリー。目じりに涙がたまることで、せっかくサッちゃんに教わったアイラインも崩れてしまった。
しかしながら、久しぶりに会ったサッちゃんの口から返ってきたのは、心の天使とはほど遠い、女子の先輩としての喝の言葉だった。
「弱音なんか吐くんじゃないわよ」と強い語調でさとし始めたサッちゃん。
「男子のあなたが女子として生きていくと決めた以上、大変なのは当たり前でしょ。女子の世界だって甘くないんだから。ていうか、女子の方が陰湿だったりするしね。きついのは毎日よ、それぐらいの気持ちでいなくちゃ。だいたい『きもい』だの『あそこはどうなっている?』だの、いわれたからって、それがなんだっていうの。セクハラだろうが、なんだろうが、そんなのどんとこいだって。せっかく両親が入学金や学費を出してくれて、花の女子大生になれたんだから、自信をもって生きなさい。せっかく大学へ行かせてもらっているんだから、好きなことをいっぱいやって、いい女になるのよ、ジュリー」という愛情満点のメッセージに、ジュリーはカウンターパンチを食らった気分だった。
そういえばサッちゃんって、たしか本当はおてんば女子大学へ入りたかったんだ。ところが家庭の事情が立ちはだかって、大学進学は断念せざるを得なかったと聞いている。なのに、私ったら、不満たらたらで、ごめん。自分本位、わがまま。きっとそれが今の私だよね。女子大学へ入学し、女子大生としての歩みを始めた以上、もはや後戻りだけはできないとジュリーは痛感していた。
わかったわ、サッちゃん。私自身、もっと強くならないとね――というのがジュリーの出した答えだった。
よーし、こうなったら弱虫返上。ジュリーは自らのメンタルを鍛え直そうという想いから、大学の女子プロレスごっこ団体へ入団することを決めた。いつも正門でビラ配りをしている先輩―たしか涼子先輩っていったかな―の一生懸命さに魅かれたのは大きい。これは直感でしかないのだが、涼子先輩のまっすぐな姿勢は、どこかサッちゃんにも通じるものがあったのである。
涼子先輩いわく「明るく楽しく可憐に。プロレスで地域を元気にしましょう」だなんて、なんだかよくわからないけど、新しいやりがいが発見できるかもしれないとジュリーは考えていた。もちろん格闘技は未経験のジュリーだったが、プロレスではなく、プロレスごっこ(あくまでも“ごっこ”)というのが楽しそうだし、もし強い女子がいるとすれば、ぜひとも彼女らの生きざまにふれてみたかった。私自身もっとたくましくなって、自分のことを育ててくれた両親や、いとこのサッちゃんを安心させたい。ジュリー自身、そんなことを想像しながら、おてんばプロレスという未知なるフィールドで、新たなチャレンジの旅を続けることになったのである。
「おいおい、しっかりしてくれ。そんな冗談をいっている場合じゃないだろ」とぼやきながら、黒木は牛乳ビンの厚底のようなド近眼のメガネをかけ直すと、「俺は忙しいんだ」といわんばかりの勢いで、木村の模擬試験の成績が入力された端末の画面をにらみつけた。
「まぁ、お前の成績なら国立大学も夢じゃないかもしれん」といい、黒木は「どうする?」と尋ねてきたが、当の木村は同じ答えをくり返すだけだった。
「私は女子大学へ進みます」――そう、地元のおてんば女子大学へ。
「えーっ。なんだよ、じょ、女子大学だなんて、お前は一体何を‥‥」といいかけた黒木だったが、あまりにも真剣な木村の表情に気おされ、「そ、それって本気なのか」とあえぐのがやっとだった。
木村が通っている高校は、ひと昔前までは男子校として名を馳せた県内でも屈指の伝統校である。ちなみに木村の父親も、そのまた父親(祖父)も卒業生で、古くからバンカラ精神が宿っており、男女共学に生まれ変わった今でも質実剛健を校風としていた。教師生活二十五年の黒木にとって、男子生徒を女子大学へ送り込むのは、もちろん初めての経験である。ていうか、普通はあり得ない話。
高校球児としてならした男子の木村が、よりによって女子大学への入学を希望しているという噂は、あっという間に広まった。世間というか、学校なんて狭いもので、木村がクラス担任との進路面談にのぞんだのが午後の二時半ごろ。それから約一時間半後には、同じ野球部で苦楽をともにした青山と中村のふたりから、似たような内容の電話がほぼ同時にかかってきた。
「おい、ジュリー。お前まさか女子大学へ入るつもりかよ」と慌てふためく青山に対し、「うん、本気」とだけ答えると、木村はかすかな笑い声をもらした。「おてんば女子大学なんて、お嬢さんが行く大学じゃねえか。男子のジュリーがなんでまた‥‥」と戸惑う青山。
ジュリーというのは、もちろん木村のニックネームである。樹里亜の樹里をとってジュリー。混乱を避けるため、この小説の中で木村のことはジュリーで統一することにしよう。
「おい、しっかりしろって。またみんなで野球をやろうと思っていたのに、女子大生となんかできるかよ」と青山はかみついたが、ジュリーの意思が揺らぐことはなかった。
ジュリーにとって青山や中村は、ともに甲子園をめざした間柄だった。高校三年の最後の夏の大会。ジュリーらの高校は破竹の勢いで準決勝まで駒を進めた。
準決勝の相手は第一シードで甲子園の常連校だったが、エースの青山の力投によりスコアボードにはゼロが刻まれ、試合は延長戦へ。引きわけ再試合かと思われた十五回の表、ジュリーが技ありのタイムリーツーベースを放ち、貴重な一点を先制したが、十五回の裏に連投疲れの青山が四死球を連発し、押し出しで同点。最後はサードを守っていた中村のまさかのトンネルで、痛恨のサヨナラ負けを喫してしまった。
呆然自失とするふたりに対して「高校卒業後は、それぞれの道でガンばりましょう」となだめるジュリーだったが、その道がまさか女子大学を念頭に置いていたとは、誰が予想できただろう。
ジュリーが野球部に入ったのは、小ぶりな体つきながら運動神経がよかったのと、少しは男の子らしいことをして両親を安心させたいという気持ちがあったからである。ところが野球部を引退してからは、やはり自分に嘘だけはつきたくないという想いにかられていた。物心がついたころから、自分の心と体に違和感を覚えていたジュリーは、進路をうんぬんする前に、男女どちらの性別を選ぶかで、大きな岐路に立たされていたのである。
結果的にジュリーは男子でも入学できる女子大学を選択し、かつてのチームメイトでもある青山や中村とは、明らかに違う人生(みち)へ。ジュリーが受験しようとしているおてんば女子大学では、全国に先がけてジェンダーフリーを宣言し、身体的には男子でも、精神的には女子という学生の入学を来春から認めることになっていたのだ。
クラス担任との進路面談が引き金となって、突然のカミングアウトを果たしたジュリー。受験に向けた大切な時期に、同級生の間では予期せぬ混乱が続いた。
「できれば俺も女子大学へ行きたい」と冗談半分にいう輩が次つぎと現れたかと思えば、何を勘違いしたのか、休日のミニスカート姿のジュリーにひとめぼれをして、デイトを申込んでくる男子生徒までがのさばる始末。隣のクラスの男子から、大まじめに「つき合ってください」といわれたときは、どうしようかと思った。こう見えても男子だし、受験もあるし。お願いだから誰か助けて。
ジュリーのクラスの三割ほどは女生徒だったが、彼女らの間でもジュリーという存在は興味しんしんらしい。ここへきて「一緒に写真を撮ってほしい」という依頼が一気に増えたのだ。「ジュリーったら、かわいい」だなんて、野球部時代は一度もいわれたことがなかったのに。とある女子のクラスメイトから「ねえねえ、ジュリー。今度あたしのお家に泊まりにこない? 一緒にお風呂に入ろうよ」といわれたときは、なんていい返せばいいのか、皆目見当がつかなかった。
高校という模擬社会でカミングアウトすることが、こんなに大変だとは思わなかった。こうなったら残りの高校生活はギャルをめざすべく、しばしの慣らし運転にあてるしかないだろう。うちの高校って、女子の制服もかわいいしと胸を高鳴らせるジュリーだったが、校則の関係上、残念ながら女子の制服だけは認めてもらえなかった。
放課後や休日はほんのり化粧をして、女子高生ルックを楽しむようになったジュリー。後述するが、衣服の大半は近所で暮らすいとこのサッちゃんからのおさがりだった。サッちゃんはピンクが大好きで、おさがりのほとんどはピンクである。ピンクのスカート、ピンクのワンピース、ピンクのソックス。自らの頬までピンクに染めながら、年を追うごとに女子化していくジュリーのことを、嫌な顔ひとつせずに見守ってくれた両親には、ひたすら感謝する以外になかった。
翌年の春、晴れてめでたく女子大生となったジュリー。創立百三十年の歴史を誇るおてんば女子大学にあっては、記念すべき男子の入学生第一号だったが、入学前に思い描いていたような女子大生としての道は、決して平坦ではなかった。何しろ六千人近くいる在学生の中で、男子はジュリーだけ。一応男子トイレは設けられていたが、学生の中で利用するのはジュリーしかいなかった。なるべく気にしないようにはしていたが、女子の間から「単なる変態じゃん」という声が聞こえてくることがあった。「頭がおかしいのよ」とか「ばっかじゃないの」とか、明らかに陰湿な悪口を投げつけられたこともある。
教員の中には奇異の目を向けてくる者がいて、「君のあそこはどうなっている?」なんていう質問をされたこともあった。悔しいったら、ありゃしない。「それってセクハラでしょ」と思いながら、「先生と同じものがぶら下がっていますわ」とにらみ返してやりたかったが、こう見えてもレディー(と自分では思っている)のはしくれ、ぐっとこらえるしかなかった。
大学の警備員のおじさんからは、「元・高校球児が、今はミニスカートひらひらのお姉ちゃんかよ」とからかわれたりもしたが、「泣くのはトイレで」と自分にいい聞かせながら、波乱含みの女子大ライフをスタートさせたジュリー。一番堪えたのは近所の子どもたちから「きもい、きもい」とはやし立てられたことである。正直いって涙が出そうだった。誰にも迷惑なんてかけていないのに。ひとりの女子として青春がしたいだけなのに。「きも~」といいながら、子どもたちに追いかけられたときは、もう女子大生なんかやめて、普通の男子に戻りたいとマジで思った。
そんな中、ジュリーの心のよりどころとなってくれたのが、二歳年上のいとこのサッちゃんである。サッちゃんは地元の商業高校を卒業し、今は市の商工会議所で働いていた。高校生のころはポニーテールがよく似合っていたが、社会人になってからは軽めのウェーブがお気に入りらしく、今どきのメイクもこなして、ぐんと大人っぽく見えた。サッちゃんが仕事で忙しくなってからは、一緒にいられる時間も半減してしまったが、ジュリーにとってはお姉さん代わりであり、サッちゃん自身、ジュリーのことを本物の妹のようにかわいがってくれた。
あれは幼稚園のころ。ふたりでおままごとをして遊んでいたとき、「やっぱりジュリーは女の子に生まれてくればよかったのに。早くこっちへおいで」といい、サッちゃんがギュッと抱きしめてくれた。女子への憧れ。恍惚とした気持ち。サッちゃんに対する恋心。そんな想いが長年にわたって降り積もり、ついには女子大生になることを決意したジュリー。「おてんば女子大学へ入りたい」という相談をしたときも、「人生のオーナーは自分なんだから、思い通り生きればいいのよ」と背中を押してくれた。いつも揺りかごのような言葉で、ジュリーのことを支えてくれるサッちゃんは、それこそ天使のような存在だったのである。
おてんば女子大学へ入学して二週間ほど経った日曜日の午後。ジュリーはサッちゃんのお部屋を訪ね、おやつのレモンケーキを食べながら、女子大生になってからの鬱屈した想いをぶちまけていた。外はあいにくの雨で、せっかくの満開の桜もしおれ気味だった。
大学ではみんなからの冷たい視線を浴びること。ときにバッシングさえ聞こえてくること。セクハラまがいの仕打ちまでがくり返されていること。「辛いよ、サッちゃん」といい、涙を浮かべるジュリー。目じりに涙がたまることで、せっかくサッちゃんに教わったアイラインも崩れてしまった。
しかしながら、久しぶりに会ったサッちゃんの口から返ってきたのは、心の天使とはほど遠い、女子の先輩としての喝の言葉だった。
「弱音なんか吐くんじゃないわよ」と強い語調でさとし始めたサッちゃん。
「男子のあなたが女子として生きていくと決めた以上、大変なのは当たり前でしょ。女子の世界だって甘くないんだから。ていうか、女子の方が陰湿だったりするしね。きついのは毎日よ、それぐらいの気持ちでいなくちゃ。だいたい『きもい』だの『あそこはどうなっている?』だの、いわれたからって、それがなんだっていうの。セクハラだろうが、なんだろうが、そんなのどんとこいだって。せっかく両親が入学金や学費を出してくれて、花の女子大生になれたんだから、自信をもって生きなさい。せっかく大学へ行かせてもらっているんだから、好きなことをいっぱいやって、いい女になるのよ、ジュリー」という愛情満点のメッセージに、ジュリーはカウンターパンチを食らった気分だった。
そういえばサッちゃんって、たしか本当はおてんば女子大学へ入りたかったんだ。ところが家庭の事情が立ちはだかって、大学進学は断念せざるを得なかったと聞いている。なのに、私ったら、不満たらたらで、ごめん。自分本位、わがまま。きっとそれが今の私だよね。女子大学へ入学し、女子大生としての歩みを始めた以上、もはや後戻りだけはできないとジュリーは痛感していた。
わかったわ、サッちゃん。私自身、もっと強くならないとね――というのがジュリーの出した答えだった。
よーし、こうなったら弱虫返上。ジュリーは自らのメンタルを鍛え直そうという想いから、大学の女子プロレスごっこ団体へ入団することを決めた。いつも正門でビラ配りをしている先輩―たしか涼子先輩っていったかな―の一生懸命さに魅かれたのは大きい。これは直感でしかないのだが、涼子先輩のまっすぐな姿勢は、どこかサッちゃんにも通じるものがあったのである。
涼子先輩いわく「明るく楽しく可憐に。プロレスで地域を元気にしましょう」だなんて、なんだかよくわからないけど、新しいやりがいが発見できるかもしれないとジュリーは考えていた。もちろん格闘技は未経験のジュリーだったが、プロレスではなく、プロレスごっこ(あくまでも“ごっこ”)というのが楽しそうだし、もし強い女子がいるとすれば、ぜひとも彼女らの生きざまにふれてみたかった。私自身もっとたくましくなって、自分のことを育ててくれた両親や、いとこのサッちゃんを安心させたい。ジュリー自身、そんなことを想像しながら、おてんばプロレスという未知なるフィールドで、新たなチャレンジの旅を続けることになったのである。
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