言の葉縛り

紀乃鈴

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第四章

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 千代崎は昔、ここではない遠い町で家族四人で暮らしていた。二歳年上の姉とはとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいた。休日には家族揃って出かけ、両親の愛をたくさん受けながら大きくなっていった。そんな幸せな時間は千代崎が五歳になった時、父親が事故死したことによって唐突に終わりを告げた。父親が死んだことを知った時、千代崎はその意味が理解できない様子だった。そんなはずはない、きっとそのうち帰ってくる、と自分を言い聞かせて奮い立っていたよ。だが葬式で全く生気のない父親の白い顔を見た時、ようやく彼の中で、父親の死が現実のものとなったようだ。それ以降自分の殻に閉じこもってしまって、学校はおろか外出すらせず一日中引きこもるようになった。千代崎は暗い部屋の中でこう呟いていた。こんなに辛く悲しい思いをするなら、いっそのこと忘れてしまいたい。その願いが叶ったかのように、父親の死についての記憶が綺麗さっぱりなくなった――そうだ。君の言う通り、ここで千代崎は記憶操作の力に気付いたんだ。

 記憶を失ってからの千代崎は、かつての明るさを取り戻して、何もなかったかのように――記憶を消してしまったから当然なんだが――学校へ登校し始めた。だが家庭環境は今まで通りとはいかなかった。母親は幼い子供二人を育てるため、日夜働き続けた。家のことは何もできず、姉が母親の代わりに家事をして、千代崎もそれを手伝っていた。朝から晩まで働く母親は疲弊しきっていた。きっと拠り所が欲しかったのだろう。千代崎が八歳になった年のある日、母親は男を自宅に連れてきて、姉と千代崎に紹介した。男は母親の職場の同僚で、色々と相談に乗っていたみたいだ。そこからの展開は早かった。あれよという間に縁談が決まり、母親とその男は結婚した。最初のうちは新しい生活に馴染めていなかったが、それも徐々に薄れていって、男を父さんと呼ぶようになっていった。

 母親が結婚してから二年が経った頃――千代崎が十歳の時だな。千代崎の人生を変える大きな事件が起きる。ある日の深夜、千代崎はかすかな物音で目を覚ました。意識がはっきりとしない様子で、物音の出どころを探すと、それは隣の姉の部屋からだったことに気付いた。注意しようと姉の部屋に行こうとしたとき、姉の部屋のドアが少し開いていて、千代崎は怪訝な様子で、そのドアの隙間から中を見た。透視していて、寒気がしたよ。男が姉を凌辱していたんだからね。表情から察するに、君はきっと私と同じような感情を抱いていると思う。だが、千代崎は違った。いけないことだと分かってただろう。でも興奮していたんだ。それからの千代崎の行動は簡単に予想できる。君はどうしたと思う? ――そう、正解。千代崎は定期的に覗くようになった。罪悪感を抱きつつもね。反対に姉の方は衰弱していった。泣き続ける姉を見て千代崎は心配した。何か姉を助ける方法はないのか。男に行為をやめさせれば姉を助けることができる。だがそうすると自分の見たいものが見れなくなる。自分の部屋でそう呟きながら葛藤していた。考え続けた結果、何を消したかはわからないが自分の記憶を消した、ということを思い出して、ある結論に辿り着いた。姉の記憶を消してしまえば、苦しまなくて済むんじゃないだろうか、と。彼は実行した。行為が終わり姉が寝静まった時、毎回記憶を消していく。狙い通り、姉はその事で四六時中苦しむことはなくなった。

 これでうまくいくんじゃないか、と千代崎は喜んでいたが、今度は別の問題が発生した。いつものように千代崎が覗いていると、男が姉をいきなり殴り始めた。これは推測だが、姉が何も覚えていないことに対して男が苛立ちを募らせていたんだろう。男の暴力は回数を重ねるごとにエスカレートしていき、千代崎もまた男に対する恐怖と姉を助けられない自分への嫌悪感で、負の感情を貯め込んでいった。自分が見たいもののために、姉は殴られ痛い思いをする。記憶操作で心の痛みは消せても、物理的な痛みは消すことができない。男に対する憎悪の感情に支配されてしまうのはあっという間だったよ。千代崎は男がいつものように姉を殴り始めたタイミングで、部屋に侵入し男に記憶の改ざんを試みた。しかし男に抵抗され、中途半端な形で記憶を操作してしまったようだ。どんな操作をしたのかは私はわからないが、男は雄たけびを上げながら姉を執拗に殴り、姉を殺してしまった。騒ぎを聞いて起きてきた母親が姉の部屋に入ってきて、姉の腫れ上がった顔を見て駆け寄ろうとしたが、母親もまた男に殴られた。本当に酷かった。ボコボコだったよ。母親は部屋から飛び出し、リビングの方へ向かっていった。きっと刃物で抵抗しようとしたんだろうな。男もまた母親を追いかけていき、その場で放心していた千代崎も後を追った。リビングに入った時、ちょうど男が母親をから包丁を奪い、刺そうとするところだった。母親は千代崎に逃げて、と叫んでいたが、千代崎は動かなかった。というより、動けなかったんだろうな。母親の悲鳴と真っ直ぐ心臓に突き刺さった包丁。衝撃的な光景だったよ。やはり人が死ぬ瞬間は、何度見ても慣れないな。男が包丁を抜くと母親の胸から血が噴き出して、周りと男を血まみれにした。千代崎は顔を真っ青にしながらも、虚ろな目で母親を見る男に近寄り、再度記憶操作を行った。すると男は突然泣き喚きながら、その手に持つ包丁で自らの胸を貫いた。その場にへたり込んだ千代崎はようやく我に返ったようで、自分の過ちに気付いて号泣していたよ。そりゃそうだろうね。自分の欲を優先して、そのために能力を使った結果が家族全員死亡、なんだからな。最後に千代崎は耐えられなくなったみたいで、この事件を「強盗に襲われた」という記憶に改ざんしていたよ。それからの展開は近所の人が警察を呼んだみたいで、駆け付けた警官に保護されて母方の祖父母に引き取られ、今現在の千代崎の家に住むようになるって感じだったな。

 さて。だいぶ長くなってしまったけど、この辺で止めておくかい? 一家惨殺のあたりから顔色が悪いよ――いい根性だ。じゃああと少しだけ話そうか。祖父母に引き取られてからの千代崎は中学、高校、大学と順当に進学していったよ。祖父の趣味だった資産運用に興味も持ってね。かなり熱心に勉強していた。ただ、先ほど話した事件の時から、千代崎は闇に堕ちてしまっていた。学校の女子生徒を犯しては記憶を消し、また他の女子生徒を犯しては記憶を消し。その連続だ。学生の有り余る性欲というものは本当に怖いな。常に闇の感情に囚われている状態だった。大学生になってからは更にエスカレートしていった。気に入った女の子を見つけると自分と付き合っているという記憶にすり替えて、自宅に連れ込むようになった。女の子を取っ替え引っ替え自宅に連れてくる千代崎に対して、祖父母はきつく注意していた。それでも全くやめず、とうとう祖父母と激しく衝突した。千代崎は感情のままに能力を使い、祖父母までをも自殺に追い込んだ――自殺と言っても、世間的には車を運転中ハンドル操作を誤って対向車線に飛び出し、トラックと正面衝突したとなっているけどな。ずっと闇の感情に支配されていた千代崎は、祖父母が死んだことを受けて流石に正気に戻った。今までの流れからすればわかるだろうが、今回もまた千代崎は記憶を消した。ただ唯一違っていたのは、長い闇の支配の間に行ってきた凌辱行為と、祖父母を死に追いやったという事実から、記憶操作能力のことやその使い方も自分の記憶から消した方が良い、という結論に達したことだ。

 それからの千代崎はまさしく善良な青年だったよ。大学卒業後は大手の証券会社に就職し、精力的に働いた。上司の評価はうなぎのぼりだった。だがそれをよく思わない人もいて、社員から嫌がらせを受けるようになった。それが原因で二十五歳の時に退職。祖父母の残した莫大な財産を運用することで、生計を立てようとし始めた。そんな時だ。町中で磯山を見かけたのは。私も最初に千代崎の姉を見た時びっくりしたんだが、磯山は千代崎の姉にそっくりでね。姉が犯されていた時の興奮を思い出したと共に、千代崎は自分の記憶に違和感を持ってしまった。必死に思い出そうとしても思い出せずに、ずっと考え込んでいた。次第に千代崎は苛立ち初めて、頭を抱えてしまった。その時に記憶操作の能力が発動し、記憶が全て戻ってしまった。と同時に記憶とともに封印されていた闇の感情が解き放たれて、すぐに千代崎は支配されてしまった。そこからは君も知っての通り、連続少女誘拐事件につながっていくんだ。だいぶ長くなってしまったが、これが私の見た千代崎の過去だ。
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