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ヒリスの最後の願い⑤
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俺の生活はほぼこの部屋の中で完結している。
一人で起床し、一人で身支度をし、一人で食事をし、一人で寝る。
そして一日の殆どを本を読んで過ごしていた。それは母が生きていたころからずっと続いてる。
一度も他の家族と食事をしたことはないし、帝王がここを訪れることはなかった。
(俺にとっては気が楽でいい……)
ありがたいことに衣・食・住に関しては困らずに済んでいる。部屋の掃除やベッドのシーツ交換はしてくれるし、月に一度採寸する人が来るし、ちゃんとした食事を出してくれる。
(一度だけ酷い食あたりにあたったが)
いつだったか覚えていないが母の死後、大分経った頃ぐらいに、酷い食あたりにあたって暫く寝込んだことがあった。
昼食を終えた俺は以前図書館から持ち出してきたヴァルトス国の歴史の本を読んでいた。ここが小説の中だと分かって以来、時々この本を読み返してる。
ヴァルトス国は海と険しい山に挟まれた国で、大きな港と純度の高い魔石が採れる鉱山をいくつも持っていた。
(その国を帝王はずっと欲しがっていた……)
俺はある一ページに目を止めた。
そのページには海辺で漁師たちが網で魚を取っている様子や、漁船から魚介の入った木箱を下ろしている様子が描かれている。俺はモノクロの挿絵をそっと撫でた。
(この世界の海は一度も見たことがない……)
脳裏に前世の海が鮮明に浮かぶ。
群青色の海に薄黄色の砂浜。聞こえてくるさざ波の音と塩辛い海風の匂い。
……俺の心の拠り所だった場所。
不意に扉をノックする音が聞えた。
本を閉じて扉を少しだけ開けると、赤みがかった黒地の詰襟タイプの軍服に身を包んだ無表情の男が立っていた。
三番目の兄、アイザックだ。
黄金の髪は短く、赤い目をした彼は精鍛な顔立ちに体格のいい身体つきをしている。
「兄さんが呼んでいる」
アイザックはそれだけを告げると俺に背を向けた。俺は小さく息を吐き出し彼の後を追った。
人気のない長い廊下を歩く俺たちの間に会話などない。アイザックは寡黙な男だ。俺は彼の後ろ姿をじっと見た。
第二の妃セレスティーヌの子どもであり、ルシウスの忠犬と呼ばれた男。
ルシウスのような生まれ持った才能には恵まれなかったものの、強固な肉体に恵まれた彼は小さなころから厳しい鍛錬にも耐え剣術を磨いた。その並みならぬ努力の結果、彼はルシウスの右腕の座に付くことができた。
ヴァルトス国侵略の時もアイザックはルシウスに同行した。
(……確か小説では幼少期から母親に「ルシウスの腹心となれ」って言われていたな……)
自分の息子が次期帝王の座に付けぬなら、次期帝王となるルシウスの右腕となり彼の腹心になることを狙ったセレスティーヌ。
「あらっ!アイザックお兄様!」
前方から鈴を転がしたような声が聞こえ、俺はアイザックの背後からちらりと前方を見た。
そこに居たのは五番目の姉シルビィだった。
くすんだ薄紅色の髪に赤い目をした彼女は右腕にカゴをぶら下げ、愛らしい笑顔を浮かべながらアイザックの元に駆け寄ってきた。
が、アイザックの背後にいた俺の存在に気付くと彼女の顔から笑顔が消えた。でもそれは一瞬だけで彼女は俺から視線を外しアイザックに笑顔を向けた。
「これからどちらに?」
首を傾げるシルビィ。俺たちがどこに向かっているかなど彼女はすでに知っている。
「兄さんのところだ」
「まあ!ルシウスお兄様って本当に慈悲深い人ね!」
シルビィは大袈裟に驚きながらちらりと俺に視線を向けた。汚物を見るかのような赤い目。
「お前はまた奴のところに行くのか?」
アイザックがシルビィに問うと、彼女は途端に泣きそうな顔を浮かべた。
「だってセザール兄様が彼をいじめるのよ?可哀想だからやめてって言ってるのに、ちっともやめてくれないの。そのせいで彼、いつも傷だらけで……」
シルビィの言葉に俺の肩が小さく跳ねた。彼女が持っている籠の中には傷薬や包帯などが入っているのだろう。
そして……。
(四番目の兄セザール……)
漆黒の髪に緑の目をした男で、ベルナルドに対し酷い劣等感を抱いていた。
セザールとベルナルドは同年であり、共に王族の身でありながら二人の立場は天と地ほどの差があった。
一方は王族の証を半分しか受け継げず、なんの才能に恵まれなかった男。もう一方は王族の証をしっかりと受け継ぎ、ありとあらゆる才能に恵まれ次期皇帝と呼ばれた男。
聞こえてくるベルナルドの賛称の声に、セザールは一方的に苛立ちを募らせた。
(ベルナルドが捕虜になったことをいいことに、今までの鬱憤を晴らすかのように彼に暴行を働いた……)
そしてシルビィはセザールに暴行され傷だらけになったベルナルドを甲斐甲斐しく世話をした。
(シルビィはずっとベルナルドに想いを寄せていた……)
小説では王族同士の交流の場で当時十歳だったシルビィは二つ上のベルナルドに一目惚れをしたと書いてあった。
だから彼女は傷だらけのベルナルドを見て見ぬ振りをすることは出来なかった。
「そうか」
アイザックはそれだけを告げるとシルビィの横を通り過ぎていった。俺も彼の後を追ってシルビィの横を通り過ぎようとした……その時。
「いい気にならないでよ」
嫌悪に滲んだ小さな声が俺の耳に届いた。俺は決して彼女の方を見ずにそのまま横を通り過ぎて行った。
きっと彼女は忌々し気な目で俺のことを見ていただろう。
俺はそっと息を吐き出した。
一人で起床し、一人で身支度をし、一人で食事をし、一人で寝る。
そして一日の殆どを本を読んで過ごしていた。それは母が生きていたころからずっと続いてる。
一度も他の家族と食事をしたことはないし、帝王がここを訪れることはなかった。
(俺にとっては気が楽でいい……)
ありがたいことに衣・食・住に関しては困らずに済んでいる。部屋の掃除やベッドのシーツ交換はしてくれるし、月に一度採寸する人が来るし、ちゃんとした食事を出してくれる。
(一度だけ酷い食あたりにあたったが)
いつだったか覚えていないが母の死後、大分経った頃ぐらいに、酷い食あたりにあたって暫く寝込んだことがあった。
昼食を終えた俺は以前図書館から持ち出してきたヴァルトス国の歴史の本を読んでいた。ここが小説の中だと分かって以来、時々この本を読み返してる。
ヴァルトス国は海と険しい山に挟まれた国で、大きな港と純度の高い魔石が採れる鉱山をいくつも持っていた。
(その国を帝王はずっと欲しがっていた……)
俺はある一ページに目を止めた。
そのページには海辺で漁師たちが網で魚を取っている様子や、漁船から魚介の入った木箱を下ろしている様子が描かれている。俺はモノクロの挿絵をそっと撫でた。
(この世界の海は一度も見たことがない……)
脳裏に前世の海が鮮明に浮かぶ。
群青色の海に薄黄色の砂浜。聞こえてくるさざ波の音と塩辛い海風の匂い。
……俺の心の拠り所だった場所。
不意に扉をノックする音が聞えた。
本を閉じて扉を少しだけ開けると、赤みがかった黒地の詰襟タイプの軍服に身を包んだ無表情の男が立っていた。
三番目の兄、アイザックだ。
黄金の髪は短く、赤い目をした彼は精鍛な顔立ちに体格のいい身体つきをしている。
「兄さんが呼んでいる」
アイザックはそれだけを告げると俺に背を向けた。俺は小さく息を吐き出し彼の後を追った。
人気のない長い廊下を歩く俺たちの間に会話などない。アイザックは寡黙な男だ。俺は彼の後ろ姿をじっと見た。
第二の妃セレスティーヌの子どもであり、ルシウスの忠犬と呼ばれた男。
ルシウスのような生まれ持った才能には恵まれなかったものの、強固な肉体に恵まれた彼は小さなころから厳しい鍛錬にも耐え剣術を磨いた。その並みならぬ努力の結果、彼はルシウスの右腕の座に付くことができた。
ヴァルトス国侵略の時もアイザックはルシウスに同行した。
(……確か小説では幼少期から母親に「ルシウスの腹心となれ」って言われていたな……)
自分の息子が次期帝王の座に付けぬなら、次期帝王となるルシウスの右腕となり彼の腹心になることを狙ったセレスティーヌ。
「あらっ!アイザックお兄様!」
前方から鈴を転がしたような声が聞こえ、俺はアイザックの背後からちらりと前方を見た。
そこに居たのは五番目の姉シルビィだった。
くすんだ薄紅色の髪に赤い目をした彼女は右腕にカゴをぶら下げ、愛らしい笑顔を浮かべながらアイザックの元に駆け寄ってきた。
が、アイザックの背後にいた俺の存在に気付くと彼女の顔から笑顔が消えた。でもそれは一瞬だけで彼女は俺から視線を外しアイザックに笑顔を向けた。
「これからどちらに?」
首を傾げるシルビィ。俺たちがどこに向かっているかなど彼女はすでに知っている。
「兄さんのところだ」
「まあ!ルシウスお兄様って本当に慈悲深い人ね!」
シルビィは大袈裟に驚きながらちらりと俺に視線を向けた。汚物を見るかのような赤い目。
「お前はまた奴のところに行くのか?」
アイザックがシルビィに問うと、彼女は途端に泣きそうな顔を浮かべた。
「だってセザール兄様が彼をいじめるのよ?可哀想だからやめてって言ってるのに、ちっともやめてくれないの。そのせいで彼、いつも傷だらけで……」
シルビィの言葉に俺の肩が小さく跳ねた。彼女が持っている籠の中には傷薬や包帯などが入っているのだろう。
そして……。
(四番目の兄セザール……)
漆黒の髪に緑の目をした男で、ベルナルドに対し酷い劣等感を抱いていた。
セザールとベルナルドは同年であり、共に王族の身でありながら二人の立場は天と地ほどの差があった。
一方は王族の証を半分しか受け継げず、なんの才能に恵まれなかった男。もう一方は王族の証をしっかりと受け継ぎ、ありとあらゆる才能に恵まれ次期皇帝と呼ばれた男。
聞こえてくるベルナルドの賛称の声に、セザールは一方的に苛立ちを募らせた。
(ベルナルドが捕虜になったことをいいことに、今までの鬱憤を晴らすかのように彼に暴行を働いた……)
そしてシルビィはセザールに暴行され傷だらけになったベルナルドを甲斐甲斐しく世話をした。
(シルビィはずっとベルナルドに想いを寄せていた……)
小説では王族同士の交流の場で当時十歳だったシルビィは二つ上のベルナルドに一目惚れをしたと書いてあった。
だから彼女は傷だらけのベルナルドを見て見ぬ振りをすることは出来なかった。
「そうか」
アイザックはそれだけを告げるとシルビィの横を通り過ぎていった。俺も彼の後を追ってシルビィの横を通り過ぎようとした……その時。
「いい気にならないでよ」
嫌悪に滲んだ小さな声が俺の耳に届いた。俺は決して彼女の方を見ずにそのまま横を通り過ぎて行った。
きっと彼女は忌々し気な目で俺のことを見ていただろう。
俺はそっと息を吐き出した。
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