ヒリスの最後の願い

志子

文字の大きさ
上 下
6 / 30

ヒリスの最後の願い⑤

しおりを挟む
 俺の生活はほぼこの部屋の中で完結している。
 一人で起床し、一人で身支度をし、一人で食事をし、一人で寝る。
 そして一日の殆どを本を読んで過ごしていた。それは母が生きていたころからずっと続いてる。

 一度も他の家族と食事をしたことはないし、帝王がここを訪れることはなかった。

(俺にとっては気が楽でいい……)

 ありがたいことに衣・食・住に関しては困らずに済んでいる。部屋の掃除やベッドのシーツ交換はしてくれるし、月に一度採寸する人が来るし、ちゃんとした食事を出してくれる。

(一度だけ酷い食あたりにあたったが)

 いつだったか覚えていないが母の死後、大分経った頃ぐらいに、酷い食あたりにあたって暫く寝込んだことがあった。
 昼食を終えた俺は以前図書館から持ち出してきたヴァルトス国の歴史の本を読んでいた。ここが小説の中だと分かって以来、時々この本を読み返してる。

 ヴァルトス国は海と険しい山に挟まれた国で、大きな港と純度の高い魔石が採れる鉱山をいくつも持っていた。

(その国を帝王はずっと欲しがっていた……)

 俺はある一ページに目を止めた。
 そのページには海辺で漁師たちが網で魚を取っている様子や、漁船から魚介の入った木箱を下ろしている様子が描かれている。俺はモノクロの挿絵をそっと撫でた。

(この世界の海は一度も見たことがない……)

 脳裏に前世の海が鮮明に浮かぶ。
 群青色の海に薄黄色の砂浜。聞こえてくるさざ波の音と塩辛い海風の匂い。
 ……俺の心の拠り所だった場所。

 不意に扉をノックする音が聞えた。

 本を閉じて扉を少しだけ開けると、赤みがかった黒地の詰襟タイプの軍服に身を包んだ無表情の男が立っていた。
 三番目の兄、アイザックだ。
 黄金の髪は短く、赤い目をした彼は精鍛な顔立ちに体格のいい身体つきをしている。

「兄さんが呼んでいる」

 アイザックはそれだけを告げると俺に背を向けた。俺は小さく息を吐き出し彼の後を追った。 
 人気のない長い廊下を歩く俺たちの間に会話などない。アイザックは寡黙な男だ。俺は彼の後ろ姿をじっと見た。
 第二の妃セレスティーヌの子どもであり、ルシウスの忠犬と呼ばれた男。
 ルシウスのような生まれ持った才能には恵まれなかったものの、強固な肉体に恵まれた彼は小さなころから厳しい鍛錬にも耐え剣術を磨いた。その並みならぬ努力の結果、彼はルシウスの右腕の座に付くことができた。

 ヴァルトス国侵略の時もアイザックはルシウスに同行した。

(……確か小説では幼少期から母親に「ルシウスの腹心となれ」って言われていたな……)

 自分の息子が次期帝王の座に付けぬなら、次期帝王となるルシウスの右腕となり彼の腹心になることを狙ったセレスティーヌ。

「あらっ!アイザックお兄様!」

 前方から鈴を転がしたような声が聞こえ、俺はアイザックの背後からちらりと前方を見た。
 そこに居たのは五番目の姉シルビィだった。
 くすんだ薄紅色の髪に赤い目をした彼女は右腕にカゴをぶら下げ、愛らしい笑顔を浮かべながらアイザックの元に駆け寄ってきた。
 が、アイザックの背後にいた俺の存在に気付くと彼女の顔から笑顔が消えた。でもそれは一瞬だけで彼女は俺から視線を外しアイザックに笑顔を向けた。

「これからどちらに?」

 首を傾げるシルビィ。俺たちがどこに向かっているかなど彼女はすでに知っている。

「兄さんのところだ」

「まあ!ルシウスお兄様って本当に慈悲深い人ね!」

 シルビィは大袈裟に驚きながらちらりと俺に視線を向けた。汚物を見るかのような赤い目。

「お前はまた奴のところに行くのか?」

 アイザックがシルビィに問うと、彼女は途端に泣きそうな顔を浮かべた。

「だってセザール兄様が彼をいじめるのよ?可哀想だからやめてって言ってるのに、ちっともやめてくれないの。そのせいで彼、いつも傷だらけで……」

 シルビィの言葉に俺の肩が小さく跳ねた。彼女が持っている籠の中には傷薬や包帯などが入っているのだろう。

 そして……。

(四番目の兄セザール……)

 漆黒の髪に緑の目をした男で、ベルナルドに対し酷い劣等感を抱いていた。
 セザールとベルナルドは同年であり、共に王族の身でありながら二人の立場は天と地ほどの差があった。
 一方は王族の証を半分しか受け継げず、なんの才能に恵まれなかった男。もう一方は王族の証をしっかりと受け継ぎ、ありとあらゆる才能に恵まれ次期皇帝と呼ばれた男。
 聞こえてくるベルナルドの賛称の声に、セザールは一方的に苛立ちを募らせた。

(ベルナルドが捕虜になったことをいいことに、今までの鬱憤を晴らすかのように彼に暴行を働いた……)

 そしてシルビィはセザールに暴行され傷だらけになったベルナルドを甲斐甲斐しく世話をした。

(シルビィはずっとベルナルドに想いを寄せていた……)

 小説では王族同士の交流の場で当時十歳だったシルビィは二つ上のベルナルドに一目惚れをしたと書いてあった。
 だから彼女は傷だらけのベルナルドを見て見ぬ振りをすることは出来なかった。

「そうか」

 アイザックはそれだけを告げるとシルビィの横を通り過ぎていった。俺も彼の後を追ってシルビィの横を通り過ぎようとした……その時。

「いい気にならないでよ」

 嫌悪に滲んだ小さな声が俺の耳に届いた。俺は決して彼女の方を見ずにそのまま横を通り過ぎて行った。
 きっと彼女は忌々し気な目で俺のことを見ていただろう。
 俺はそっと息を吐き出した。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

メインキャラ達の様子がおかしい件について

白鳩 唯斗
BL
 前世で遊んでいた乙女ゲームの世界に転生した。  サポートキャラとして、攻略対象キャラたちと過ごしていたフィンレーだが・・・・・・。  どうも攻略対象キャラ達の様子がおかしい。  ヒロインが登場しても、興味を示されないのだ。  世界を救うためにも、僕としては皆さん仲良くされて欲しいのですが・・・。  どうして僕の周りにメインキャラ達が集まるんですかっ!!  主人公が老若男女問わず好かれる話です。  登場キャラは全員闇を抱えています。  精神的に重めの描写、残酷な描写などがあります。  BL作品ですが、舞台が乙女ゲームなので、女性キャラも登場します。  恋愛というよりも、執着や依存といった重めの感情を主人公が向けられる作品となっております。

皇帝の立役者

白鳩 唯斗
BL
 実の弟に毒を盛られた。 「全てあなた達が悪いんですよ」  ローウェル皇室第一子、ミハエル・ローウェルが死に際に聞いた言葉だった。  その意味を考える間もなく、意識を手放したミハエルだったが・・・。  目を開けると、数年前に回帰していた。

ただの悪役令息の従者です

白鳩 唯斗
BL
BLゲームの推し悪役令息の従者に転生した主人公のお話。 ※たまに少しグロい描写があるかもしれません。

表情筋が死んでいる

白鳩 唯斗
BL
無表情な主人公

拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件

碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。 状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。 「これ…俺、なのか?」 何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。 《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て運命の相手を見つけるまでの物語である──。》 ──────────── ~お知らせ~ ※第5話を少し修正しました。 ※第6話を少し修正しました。 ※第11話を少し修正しました。 ※第19話を少し修正しました。 ──────────── ※感想、いいね大歓迎です!!

攻略対象者やメインキャラクター達がモブの僕に構うせいでゲーム主人公(ユーザー)達から目の敵にされています。

BL
───…ログインしました。 無機質な音声と共に目を開けると、未知なる世界… 否、何度も見たことがある乙女ゲームの世界にいた。 そもそも何故こうなったのか…。経緯は人工頭脳とそのテクノロジー技術を使った仮想現実アトラクション体感型MMORPGのV Rゲームを開発し、ユーザーに提供していたのだけど、ある日バグが起きる───。それも、ウィルスに侵されバグが起きた人工頭脳により、ゲームのユーザーが現実世界に戻れなくなった。否、人質となってしまい、会社の命運と彼らの解放を掛けてゲームを作りストーリーと設定、筋書きを熟知している僕が中からバグを見つけ対応することになったけど… ゲームさながら主人公を楽しんでもらってるユーザーたちに変に見つかって騒がれるのも面倒だからと、ゲーム案内人を使って、モブの配役に着いたはずが・・・ 『これはなかなか… 面白い方ですね。正直、悪魔が勇者とか神子とか聖女とかを狙うだなんてベタすぎてつまらないと思っていましたが、案外、貴方のほうが楽しめそうですね』 「は…!?いや、待って待って!!僕、モブだからッッそれ、主人公とかヒロインの役目!!」 本来、主人公や聖女、ヒロインを襲撃するはずの上級悪魔が… なぜに、モブの僕に構う!?そこは絡まないでくださいっっ!! 『……また、お一人なんですか?』 なぜ、人間族を毛嫌いしているエルフ族の先代魔王様と会うんですかね…!? 『ハァ、子供が… 無茶をしないでください』 なぜ、隠しキャラのあなたが目の前にいるんですか!!!っていうか、こう見えて既に成人してるんですがッ! 「…ちょっと待って!!なんか、おかしい!主人公たちはあっっち!!!僕、モブなんで…!!」 ただでさえ、コミュ症で人と関わりたくないのに、バグを見つけてサクッと直す否、倒したら終わりだと思ってたのに… 自分でも気づかないうちにメインキャラクターたちに囲われ、ユーザー否、主人公たちからは睨まれ… 「僕、モブなんだけど」 ん゙ん゙ッ!?……あれ?もしかして、バレてる!?待って待って!!!ちょっ、と…待ってッ!?僕、モブ!!主人公あっち!!! ───だけど、これはまだ… ほんの序の口に過ぎなかった。

真冬の痛悔

白鳩 唯斗
BL
 闇を抱えた王道学園の生徒会長、東雲真冬は、完璧王子と呼ばれ、真面目に日々を送っていた。  ある日、王道転校生が訪れ、真冬の生活は狂っていく。  主人公嫌われでも無ければ、生徒会に裏切られる様な話でもありません。  むしろその逆と言いますか·····逆王道?的な感じです。

異世界転生して病んじゃったコの話

るて
BL
突然ですが、僕、異世界転生しちゃったみたいです。 これからどうしよう… あれ、僕嫌われてる…? あ、れ…? もう、わかんないや。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 異世界転生して、病んじゃったコの話 嫌われ→総愛され 性癖バンバン入れるので、ごちゃごちゃするかも…

処理中です...