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第一章

第三十三話 吽形さんの不思議

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 一八がスプーンでたっぷりかけたチリソースを絡めた蒸し海老。それを触手の先でつまむようにして口元へ運ぶ。

『はい、ありがとうござ――んーっ、これですこれ。海老の味を引き立てるためのソース。素晴らしいです。この酸味、辛み、甘み、複雑に絡んだ旨味のあと、最後に海老本来の味がもう、たまりません……』
(わかるなー。僕も海老は大好きだから。海老だけじゃなくてさ、他の料理も試してみようよ? ね? そうしよ? 吽形さん)
『あの、一八さん』
(うん。またチリソース? いいよいいよ)
『いえ、そうでなくてですね。この半生の海老なのですが、しっかり熱を通していただけると有り難いのですが』
(あ、うん。いいよ。すぐにやってあげる)
『ありがとうございます。そのほうが食感が良いものですから』

 一八は海老の入った耐熱ガラスボウルを持って電子レンジへ。

 ぴっぴっぴっ

 ものの一分ほどで、残りの海老も完全に熱が通った状態になっている。

 出てきた水気を切ってからテーブルに持ってくる。自分の分のエビチリをごはんの上に移動させて、残ったソースをスプーンであますところなくかき取るようにして、ボールに入れる。ある程度なじませてから、再度レンジへ。熱くないように外側が少し冷めるのを待ってから吽形のもとへ差し出した。

『……いいのですか?』
(うん。僕の分はほら、もう取ってあるから。僕にはちょっと辛いから、これでこれで十分なんだ)
『そうですか、ありがとうございます。では遠慮なく――んーっ、美味しいです。これはくせになりそうです』

 次はエビチリではなくエビマヨあたりにしてみよう。確か、スーパーに行ったときにエビマヨの素があったことを思い出していた。

『ごちそうさまでした。ここ何年のいえ、何十年、いえ、初めてと言っても良いほど満足感が溢れてきています』
「それはよか――あ」
『どうかされましたか?』
(そういえばさ、吽形さん)
『はい。何でございますか?』
(吽形さんさ、僕に触れていないのに何で話せるんだろう? って)
『あぁ、確かにおかしいですね。ワタシも不思議に思ったのですが、何分なにぶん、血の契約も、眷属を持つのも、ワタシにとって初めてなことでして』

 なかなか不思議な現象が起きているようだ。そもそも、契約を交わしたとはいえ、一八の身体に宿ることができるくらいだから、声くらいは届かせられても不思議ではないのだろう。

 一八は時計を見ると、二十一時半になっていた。そろそろ寝ていてもおかしくはない時間ではあるが、阿形と吽形に出会ってからは、そうではなかった。かなり遅い時間まで、疲れ切ってそれこそ、目がしょぼしょぼしてくるまで色々な話しを聞いていたからだ。

(とにかくね、僕ちょっと昨日のスーパー行ってくるから)
『それでしたら、ワタシに考えがあるのですが、試してみてもよろしいでしょうか?』
(うん、いいよ。僕はどうしたらいいの?)
『では、先日からのように、ワタシを手の上へ』
(うん)

 一八は左の手のひらを上にして、吽形を受け入れる。すると、まるで溶けていくかのように、手のひらへ消えていく。

『ではそのまま、そこにある姿見の前へ』
(うん)

 一八は吽形に言われた通り、壁にある姿見の前に立った。

『では、よろしいですか?』
(お願いします)
『もっとリラックスしてくださいね。では』

 すると、足下から徐々に一八の姿が消えていく。最後に首から上が消えて、そこには『誰もいない』という事実しかなくなってしまったのだ。

(なななな、何が起きたんですか?)
『あら? 思ったよりも冷静ですね。ワタシが見込んだだけはあります』

 目線が変わったわけでもない。触っても『そこに自分がいる』のも確認できる。ただ、視覚的に『そこにいないように見える』のである。

『水槽でのワタシたちを思い出してください』
(あ、そういえば)
『これが、ワタシたちの『隠形の術』です』

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