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第1話 プロローグ。

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「ちょっ! 痛いって、痛いんだって!」

 痛いで済んでるあたりがおかしいんだけど。
 俺のどてっぱらには、化け物の歯が突き刺さってるんだ。
 もちろん背中にも。
 スローライフを送るつもりだったんだけど、いきなりこれだから対処しきれない。
 こうなる原因を作ったのは、あの適当な女性《ひと》のせいなんだけど。
 美味しいものが食べたいって言ったのに。
 美味しくいただかれてるのはなんでだよっ!

「痛い痛い痛い痛い!」

 こうなったのは、こんな経緯があったんだ。
 呪ってやりたい……。

 ▼▼

 俺が育ったのは雪深い片田舎だった。
 休みの日は近くにバス釣りで有名な湖があったから、よく連れて行ってもらったっけ。
 親父は兼業だったが、バスプロ(賞金トーナメントに出場するプロ)という一面も持っていた。
 たまに専門雑誌に顔を出すくらいそこそこ有名で、トーナメントにはお袋と一緒に応援に行ったっけな。

 ただ、そんな幸せは続いてくれなかったよ。
 俺が高校に入学した年、親父がとある病気で亡くなったんだ。
 翌年、後を追うようにお袋も同じ病気で亡くなった。
 残してくれた家と、両親の生命保険で生きていくに困らなかったよ。

 地元の大学を出て、俺は地元の有名な高級温泉旅館に就職した。
 フロント業務をこなしながらも毎日が忙しく、それでいて充実した毎日を過ごしていた。
 休みの日には、俺も親父のようにたまにトーナメントに出ていた。
 親父が残してくれた沢山の道具が形見になっていたし。
 俺自身の寂しさを紛らわすためだったかもしれない。

 俺は客商売が肌に合っていたんだろうな。
 三十になる前に、俺はその旅館の副支配人になっていた。
 だが俺は、数年前から入院している。
 世話になった女将さんにも迷惑かけちゃったな……。
 実の息子のように可愛がってくれたのに、申し訳なく思ってる。

 結局、ついてないんだよな。
 俺の病気は父と母と、全く同じだったよ。
 親子でここまで似るもんかね。
 ここ数か月、まともに固形物を口にしていない。
 なんか美味い物食べたいよな。
 ひとくちでいいんだ。
 口の中に広がる美味い物が食いたかった……。

 ▼▼

 ……俺の、さっきまで病院の病室にいたはずだよな?
 呼吸するのも苦しくなって、意識が遠くなっていったのを憶えている。

 目が覚めたら見知らぬ場所にいた。
 あれ?
 どこだここ。
 それに天井が真っ白。
 これってもしかして、小説で読んだことがある『知らない天井』ってやつか?
 俺は長い時間病室の天井を見てたから、天井にあった染みや傷の位置まで記憶していたはずだ。
 わけわかんねぇ。

 左手にあったはずの点滴の針がない。
 右手にも血圧計の腕帯がない。
 鼻には酸素の呼吸器、鼻カニュラと呼ばれていた透明のチューブがささってない。
 心電図のセンサーが胸にあちこち貼られて、心電図へのコードが何本も這っていたはず。
 頼りなくたまにテンポのずれる心電図からの音も聞こえない。
 股間から伸びていた、カテーテルのわずらわしさも全くない。
 もちろん、右手に届くところにあった、ナースコールのボタンもないな。
 それより何より、俺はベッドに寝ていなかった。
 白いもやがかかってる冷たい地面のような場所に寝てたみたい。

 手もまともに握る力も残っていないはずなのに。
 この手を握る力強さ。
 身体の軽さはどういうことだろう?
 ただひとつ、わかったことがある。
 これは夢なんかじゃない。
 『これは夢だ』と夢の中で判断することができないんだよ。
 そんな違和感に気づいて、俺は身体を起して辺りを見回した。

「ばりぼり、んくんく。……ぷはっ。うまっ。よし、いけっ。そこだ、やってしまえっ」

 何やらせんべいか何かを齧る音と、女性の声が聞こえてくる。
 すごく美味そうな音だったな。

 その音の方を向くと、一人の金髪の女性。
 横になっている時代劇にツッコミ入れてる。
 液晶のテレビが主流だったはずなのに。
 ブラウン管の、古めかしいテレビを見ている。
 おまけにボタンタイプじゃなく、捻るタイプのチャンネルじゃないか。

「(あの)…………」

 声をかけようと思ったんだけど、声が出てくれない。

 あ、俺に気づいたみたいだ。
 ごろんと寝返りうって、こっちを見た。
 うわ。
 すっごい嫌そうな顔して睨んでるよ。
 物凄く綺麗な人なのにもったいない。
 右の目元の泣き黒子がとても印象的な、碧い目の残念美人さん。

 あ、またテレビの方にごろん。
 見なかったことにしやがった……。
 テレビと女性の間にあるちゃぶ台の上にあったせんべいに手を伸ばして。

 ぼりぼり。

 身体を起して、お茶を啜り、またごろん。
 あたまをぽりぽり掻いたと思ったら。

「ちっ……」

 舌打ちしてるよ。
 いくらあっち向いてるからって、あの綺麗な顔でこれかい。
 街で見かけたら絶対振り向いちゃうくらいに、魅力的な女性《ひと》なのに。
 まったく台無しだよ。

「……あーあー……きこえますか……あたなに……直接……呼びかけています……。あー、めんどくさいです」

 『頭に』とか『夢の中に』が抜けてるじゃん。
 それにわざわざそんな演出しなくても。
 ちゃんと聞こえてるのに。

「ちっ……。細かい人ですね」

 あれ?
 もしかして、俺の声。
 聞こえてるのか?

「聞こえてますよ。私、テレビ見て寛いでるんです。あなたもう、死んでしまったんですから、少しは静かにしててもらえませんか?」

 なんだ、聞こえてるんじゃな──
 って、えぇっ?
 俺、やっぱり死んじゃったんですか?

「自覚あるんですね、まったく性質が悪いですわ」

 いえ、状況がわからないから質問しようと思ったんですけど。
 ここはどこですか?
 あなたは、誰ですか?

「ここは賽の河原。私は三途の川の渡し守。姓は影屋、名は松五郎、つまらい流れ者でございやす」

 いやそれ、今映ってるテレビの番組ですよね?
 おまけに番組混ざってないですか?

 がちがちがちがち

 あぁあああ。
 そんなにがちがちチャンネル買えたら、スイッチばかになっちゃいますよ。
 その時代のやつ、壊れやすいんですから。
 そんなにいいドレス。
 横になってたら皺になっちゃいますって。

「……はぁ」

 ため息つかない方がいいいですよ?
 幸せが逃げるってよく言うじゃないですか。

「わ、悪かったですね。前もお見合いしっぱ。……いえ、なんでもないです」

 失敗したんですか。
 ご愁傷様です。

「ご愁傷様はあなたの方でしょう? 独身だったあなたにはわかりませんよっ」

 忙しかったんですよ。
 あと、俺。
 いつまでこうしていればいいんですか?

「仕方ないですね。……こほん。実は私、女神なんです。ご存知の通り、あなたは先ほど、お亡くなりになりました。理由は知ってますよね? 記憶あるはずですから」

 はい。
 主治医の先生からも、長くないと言われてましたし。

「あなたは若いころ不運だったようですね。ご両親を同じ病気で亡くしているようです。ずっと見ていましたからわかりますよ、うんうん」

 ちょっと。
 どこから持ち出したんですか、その最新鋭のタブレットは。
 さっきまで骨とう品のテレビ見てたくせに。
 それだけ最新だとか。
 見てましたって言ったけど、何やら資料見ながら言ってるだけじゃないですか。

「ちっ……。本当に細かい人ですね。……あら。そう……。ふぅん。三十歳までそうだった人って、魔法使いになると。四十前だったから賢者にはならなかったんですね……」

 何ですかそんな一部の人にしかわからない話は。

「早くテレビみたいので、あなたには選択をしてもらいます」

 わかりましたよ。
 さっさと終わらせてください。
 それで、どんなものでしょう?

「このまま輪廻の輪に戻るか、それとも私の言うことを聞いてあるところに行ってもらうか。好きな方を決めてもらえますか?」

 輪廻というと、また生まれ変われるんですか?
 女神様は、もう一度タブレットに目を通すと。

「ぷっ。……黒豚、みたいですね」

 はい?

「輪廻の輪に戻るなら、あなたは黒豚として生まれ変わります。すごいですよねー。ぶらんどぶたですよー」

 なんですかその棒読みは。

「勿論、育ったら屠畜場《とちくじょう》逝きですけどね。美味しくなって欲しいものです。ほんと、運が悪いんですね……」

 食肉ですかっ!
 運が悪いって、そんなこと書いてあるんですか?

「いえ、私は見ていたから知っているのです」

 見ていたからって、いまタブレット見ながら言ってますよね?

「……それは気のせいです。あなたね、人間に生まれ変わるなんて、数万分の一の順番なんですよ? そう都合のいい話があるわけないではないですか。それが輪廻というものなのです」

 はぁ。
 もし人間に生まれ変わるとしたら、どれくらいかかるんでしょうか?

「そうですね。早くて数千年? そのとき地球がいまの状態かは保証できかねますが」

 ながっ。
 女神様ならなんとかならないんですか?

「それ、私の管轄ではないもので。女神になる前に少しだけ。そう、少しだけそのセクションにいたことはあります。毎日のように、転生先の空き枠の書類が目の前に山積みになっていて。それの入力業務に追われる毎日でした……。辛かったですね、あれは……。それにあそこは他の女神が決定権をもっています。ですので、どうにもできません。同じように、前にも駄々をこねた人、いたんですよ……」

 いえ、……まぁそうですよね。
 豚はちょっと嫌だなぁ。
 それでしたら、もう一つの方はどのような?

「異世界って知ってますか?」

 はい。
 小説で読んだことはあります。

「そこに行ってもらいます。そこであれば、人間として連れて行っても影響はないと思います。地球ほど飽和していないですからね。あ、『ちーとをください』とか『勇者ですよね? そうですよね?』とか言わないでくださいね。とってもウザいですから」

 前にもいたんですね……。

「結構いましたね。考えてもみてください。あなたたちは『物語の主人公』ではないのです。無理に決まってます。そう思いませんか?」

 はい。
 確かにそうですね。

「それにね、『勇者なんて、召喚した悪い王城様とかに、ころっと騙されるかわいそうな人』ではないですか。『奴隷ように騙されて、こき使われて。いらなくなったら殺されちゃうかもしれない』。そんな生き地獄味わうだけの存在に、よくなりたいなんていいますよね。感謝されるのは物語の勇者だけだというのに」

 それって、身も蓋もない話ですね。
 ですが、俺がそのままそちらの世界に行って。
 あっさり死んじゃったりしませんか?

「もちろん、私の加護はお貸ししますよ」

 あぁ。
 それなら安心ですね。

「どんな加護をお望みですか? あまり無茶なものは駄目ですよ? 『極大魔法でどーん!』とできるとか。若くてイケメンや美少女になりたいとか。身の程を知りなさいって言いたいですね。そんなリア充、もげてしまえばいいんです……」

 あははは。
 ……そうですね、お察しの通り、父も母も俺と同じ病気で亡くなったんです。
 俺としては、また病気で死んだりはしたくないですね。
 ずっと入院していて、栄養は点滴の期間が多かったので、もっと美味しいものを食べられる健康な身体が欲しいです。
 せんべいとか、いいですよね。
 歯ごたえのあるもの食べたいです……。

「あげませんよ? でも、その程度でいいのですか? 難しくはないと思います。設定にもありますから。死にたくないって、……長生きしても面白くないというのに」

 なんですか?
 その意味深な言葉は。

「では、私が適当に見繕ってあげますね。あなたが生きてきた世界とは違って、そこそこ過酷なところもありますし」

 もしかして、異世界だから魔獣が出るとか。
 危険な場所だったりしませんよね?

「……さてと、ちゃっちゃと転移の設定を始めますね」

 ちょっと、話終わってませんって。
 設定ってなんですか?
 何やらタブレット画面フリックしてるし。
 加護ってチェックボックスか、ラジオボタンで設定。
 みたいな適当なものなんですか?

「美味しいもの食べたいというなら強靭な顎、と。あとは適当に。あら? ちょっと。……おかしいわね。えいっ。あら? この『不幸』のパラメーター。いくらやってもラジオボタンがオフのならないわ。きっと変更できないのね」

 何ですかそのパラメーターって?
 ゲームのキャラクター設定じゃないんですから。
 やっぱりラジオボタンでオンオフしてるですか。
 なんて適当な設定……。
 ……あ、あれ?
 瞼が重くなって……。

「これをこっちに、と。死んだりしたくない。んー。面倒ですから『不死』でいいですよね……。これをオンにして、と。これなら『不幸』がオフにできなくても。死んだりしないわよね」

 ちょっとなんですかそれ。
 やばっ。
 なんだか眠くなってきた。
 今さらっと危険なキーワードを。
 『不死』とか、それってチートじゃないんですか?
 面倒だからとか。
 あ……。

「あなた一人くらい死なないからって、世界に影響はほとんどありませんよ。……これをセットして。転送ボタンをぽちっとな。……ふぅ。これで放っておいても無事に転移できるでしょう。はい、終わり終わり。さーてと、続き続き。いいところで邪魔するんだから。あ、暴れん坊漫遊記、終わっちゃったじゃないの……」

 暗転する瞬間、女神様の素の状態に戻っていたみたいだ。
 やっぱり残念な人だったんだ……。
 だめだ、もう、ねむい……。

 ▼▼

 ……ん?
 あ。
 おぉ。

 多少曇ってるけど、綺麗な空が見える。
 さわやかな草木の緑の香り。
 あたたかな日差し。
 一呼吸ごとの、空気の美味さ。
 これが異世界ってやつか?

 身体を起してみた。
 うん、身体痛くない。
 手首から脈をとってみた。
 とくん、とくんと。
 すげぇ、健康な人みたいなリズムを刻んでるよ。

 いつ止まってもおかしくない壊れた心臓だったのにな。
 そっか。
 三十八歳であっちの俺は終わっちまったんだな。
 それでも心機一転。
 女神様は健康な体をくれたんだ。
 ここは素直に喜んでおくべきだろう。
 女神様、とりあえずありがとう。
 よしっ、美味しいものを食べて、まったりとスローライフを送るぞっ。

 ……ところでここはどこなんだ?
 針葉樹のようなそれほど太くない、それでいて背の高い木々が生い茂る林の中みたいだ。
 お。
 病院指定の寝間着じゃない。
 あれって下半身、紙おむつなんだよな。
 最初は屈辱の日々だったよ。
 そのうち慣れたけど。

 ちょっと地味だけど、黒っぽい生地の作業着風の上下。
 そんなちょっとファンタジーっぽい服装と。
 靴もちゃんと履かせてもらってる。
 手荷物ないけど、腰にはポーチがついてた。
 開けてみると、数枚の金貨?
 こっちの通貨か。
 これはありがたいわ。

 そういや女神様の名前聞き忘れてた。
 ほんと、顔だけは綺麗な人だったよなぁ。
 性格は最悪だったけど……。
 あれで舌打ちしない、もう少しまともな性格だったら、お見合いなんて余裕だろうに。
 おっと、誰か来たようだ、ってなったりしないよな?
 危ない危ない。
 危うくフラグ立てちまうところだったよ。
 ただでさえ『不幸』パラメーター持ってるんだもんね。

 立ち上がって屈伸。
 まだ会社で働けていた頃と同じくらいに身体も軽い。
 ちょっとその場を跳ねてみた。
 腰のポーチからチャリンチャリンと音。
 これはまずいな。
 カツアゲにあったりしたら、バレちまう。
 ……って、そんな心配いらないか。

 ん?
 林を抜けたあっちに海?
 それとも湖か?
 潮の香がしないから、きっと湖なんだろう。
 ちょっと行ってみるか。

「……あー。うんうん。よかった。声も出るわ」

 湖に沿って、舗装はされていないが、街道のような感じの道が続いている。
 これをどっちかに行けば、町に行けるのかな?

「いや、それにしても。綺麗な湖だな。最後に見たのはどこだっけ? 中禅寺湖だったかな? 日光に湯治に行ったっけ。十年以上前だもんなぁ……」

 静まった湖面。
 心地よい風が吹き抜ける。
 ブラックウォーターが流れ込んでいるような水。
 小魚も沢山いるように思え、水草も豊富のようだ。
 釣れそうなシチュエーションだな。
 あ、釣り具お願いすればよかったな。

 ブラックウォーターといえば。
 代表的な川でいえば、アマゾン川なんかがそれだ。
 枯れ葉などが底に堆積していて、他の川の水よりも栄養が豊富。
 俺は釣りをしてたことがあり、そういうウンチクならちょっとだけ詳しい。
 神様と呼ばれる日本の有名な釣り師の番組とか、よく見てたもんな。

「アマゾンとかと同じ水質なら、いろんな魚もいるんだろうな。いつか釣りでもゆっくりしてみても面白いか」

 だが、こんなところだ。
 アマゾン川みたいにワニとかいたりしないだろうな?
 いやまずい。
 これはフラグになる。

「……あ、いやがんの」

 遠くに見える黒っぽい色の水に浮かんだもの。
 それと二つの浮き上がった目。
 湖面とは違う、不気味な違和感。
 見れば見るほどワニそっくり。
 いやきっとワニなんだろう。

 まぁ、ここの足場から湖面まで三メートルはあるし、伊東にあったバナナワニ園みたいなものだろう。
 行ったことないけどね。
 切り立った崖みたいになってるし、簡単には上がってこないだろう。

 そのワニのような生き物は、こちらへ徐々に近づいてくる。
 泳ぐの速いな。
 って、ちょっと待て。
 なんだあのでかさ。
 あ、止まったと思ったその瞬間。
 とんでもない水しぶきがあがった。

 うえぇ、水浸しじゃねぇかよ。
 ……あれ?
 ワニ、どこいった?

 俺の後ろで『ズンッ』という地響きがした。
 さっきまで陽が差してたのに、薄暗くなったような気がする。
 と、思ったら。
 俺の頭上から唸り声が。
 恐る恐るその方向を見ると。

「なんじゃこりゃぁあああっ」

 俺は身長が百八十くらいはある。
 その俺が首が痛いくらいに上げないといけないくらいに。
 そいつは馬鹿げた大きさだった。

 三階建てのマンションよりも大きい。
 パトなんとかっていう、パトカーの配色の警棒や拳銃持ったロボットよりでかいサイズだぞ?
 ブラックウォーターに紛れていて、違和感があったくすんだ草の色。
 ライトオリーブグリーンって言えばわかるか。
 俺の身長よりも大きそうな頭。
 電柱よりも太く短い前足。
 その電柱を三、四本束ねたような物凄い太い後ろ足で立ち上がってるもんだから。
 ワニっていうより竜だろうよ……。

 そいつの表情のない目が俺を見てるよ。
 湖面の高さからかなりあっただろう?
 それをひとっ飛びだぞ?
 ビビらない方がおかしい。
 危うくちびるところだったよ。

 こんな化け物と見つめ合いたくないわっ。
 しかし、視線を外したら絶対に襲ってくる。
 俺はやせ我慢しながら、そのワニの化け物を睨みつけたまま。
 じわりじわりと後ずさる。
 俺は腰辺りをまさぐったけど。
 武器、なんて。
 そんなものはなかった。

 俺は無神論者だから、目で見たものしか信じない性質だった。
 まぁ、女神様は会っちまったから信じるけどさ。
 祈りはしないけど、恨み言くらいは言いたくなる。
 もうちょっと安全なところに転移させてくれよ。
 そんなにいい加減だから、見合い失敗するんだよっ!
 もしかして女神様が言ってた、変更できない不幸のパラメーターのせいか?

 さて、どうしたものか。
 走って逃げたからって、追い付かれそうだし。
 国民的怪獣映画をハリウッドで再現したときのドキュメントを、入院中に見たっけ。
 数億年前に生きていた恐竜なんかが現存してたら。
 その速度はとても速く、とても人間が逃げられるものではないだろうって。

 水浸しになって身体が冷えたのか。
 鼻の奥がむずがゆくなる。

「えっくしっ!」

 ……あ、視線外しちゃったよ。
 もう目の前には。
 大口開けて俺に喰いつこうとするそいつが迫ってるし。
 こりゃ、詰んだな……。
 ちーん……。
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