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第五章 初めての大戦争
第99話 王国南部
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アールクヴィスト領を立ったノエインの軍は、一度ケーニッツ子爵領のレトヴィクに入り、ケーニッツ子爵領軍と合流してから共に南下することになる。
レトヴィクから南西部の集結地点まではおよそ2週間。ケーニッツ領軍100人とアールクヴィスト領軍30人、そしてケーニッツ子爵家の寄り子である小規模領主たちの手勢が集まって、計200人ほどの大所帯で街道を進む。
高級な武具を身に着けた貴族は盗賊の絶好の獲物だ。治安が悪化している南西部を移動する際に、士爵や準男爵などの小勢だけでは危険が大きい。アールクヴィスト領軍にはゴーレム使いのノエインがいるとはいえ、見通しの悪い森などで奇襲でも受けたら絶対に安全とは言えない。
そのため、こうして上級貴族の大きな軍と一緒にまとまって移動するのだ。
「――というわけで、それなりの軍勢を連れている私のような上級貴族はともかく、小勢の君たちは主戦場から外れた配置になるだろう」
隊の中央あたりで馬を並べて進みながら、ノエインはアルノルドから今回の戦争についての見通しを教えられていた。ユーリによる根気強い指導の甲斐あって、ノエインも今では行軍するのに問題ない程度に馬を操れる。
「では、僕たちが置かれるのは要塞地帯のあたりでしょうか?」
「おそらくな。そうなると、砦に籠って敵の侵攻を食い止めるのが君たちの役割となる……華のない役だが、死ぬ危険性は野戦を務める主力と比べると遥かに小さいだろう」
ランセル王国との国境は、北から南に進むにつれてベゼル大森林、平原と森が混在する地域、広い平原が広がる地域へと地形が変化する。
このうち、平原と森が混在する地域は砦がいくつも並ぶ要塞地帯となっており、森の間を縫ってランセル王国軍が攻めてくるのを防いでいた。
南側の広い平原で敵味方の主力がぶつかる間、味方の主力が挟撃などされないように誰かが要塞地帯を守らなければならない。それがおそらく、ノエインのような小勢を率いる下級貴族の役目になるという。
守りに徹するだけなので武功を挙げる機会は少ないかもしれないが、よほどの無茶をしなければ戦死の可能性は低いポジションだ。ノエインはそのことに安堵して息をついた。
「……やはり変わっているな、君は。武功を挙げる機会がないと言われたら、普通の貴族は肩を落とすか、納得できんと怒り出すものなのだがな」
「僕はそもそも戦争が好きではありませんから。戦いは貴族の務めと理解しているつもりですし、自領と国を守るために必要とあらば勇んで戦いますが、個人的な名声のためだけに命を危険にさらしたいとは思えません」
「まあ、君はそういう人間だろうな……貴族の中にも君のような者がもう少し増えるといいのだが」
戦争で派手な手柄を立てて、名声や国王からの報奨を手に入れたい貴族は多い。そのため、誰の軍が「美味しい役割」を務めるかで揉めるのは戦場では日常茶飯事だという。
「今回は仲の悪い南西部貴族と北西部貴族が入り混じるからな。味方同士で露骨に対立することはないと思いたいが……多少の嫌がらせくらいはあるかもしれん。君も野営地で行動するときは気をつけろよ。南部で獣人奴隷を連れているんだからな」
「……心に留めておきます」
貴族としての大先輩であり、義父であるアルノルドからの助言を、ノエインは素直に受け入れた。
・・・・・
レトヴィクを発っておよそ2週間後。ケーニッツ子爵領軍を中心とする一行は、ランセル王国との国境に面するガルドウィン侯爵領へたどり着いた。
道中にある小都市に入る一行。ここに滞在して休息を取り、数日後には国境のほど近くに作られた野営地で本隊と合流するのだ。
上級貴族であるアルノルドはこの都市の太守の館へ、ノエインのような下級貴族は貸し切られた宿屋へ、その他の兵士たちは空き家や倉庫などを借りて泊まることになり、ノエインはユーリとペンスに領軍兵士たちを任せて別れた。
「……酷いね」
「はい、目に余る荒れ具合です」
久しぶりの都市部への滞在だが、街の中はとても休息を楽しめそうな状況ではなかった。
路上には痩せ細った浮浪者や孤児と思われる子どもたちが座り込み、広場の露店はまばらで、商品も少ない。大通りの商店街も、閉まっていたり既に潰れていたりする店舗が目立つ。
街自体に活気がなく、ぱっと見渡しただけでも治安や経済状況がひどく悪化しているのは明らかだ。
紛争の影響がまだ少ない北西部の、豊かなアールクヴィスト領で暮らしていたノエインたちとしては、同じ国内でもここまで情勢に差があるのかと驚くほどだった。
そんな惨状の中を通り抜け、ノエインとマチルダは他の下級貴族たちとともに宿屋へ向かう。貸し切りとなった宿屋に入り――ノエインは王国南部らしい洗礼を受けることとなった。
「失礼、獣人奴隷を連れ込まれては困ります」
宿屋に話は通っていたので他の下級貴族たちはすんなりと入ることができたものの、マチルダを連れたノエインだけは入り口で止められる。
「彼女は僕の護衛ですが、それでも駄目ですか?」
「申し訳ありませんが……うちの宿は普人と亜人しか泊められません。馬小屋ならお貸しできますので、その奴隷はそちらへ」
貴族であるノエインに対して腰は低く、しかしはっきりと言う宿屋の主人。
「私たちはこの地を守るために北から軍を出してるんだぞ、それなのに何事だ!」
「これは私たちの寄り親であるケーニッツ子爵閣下に対する無礼と同じだぞ!」
「皆さん、お気持ちは嬉しいのですがここは彼の店ですから……」
仲間として怒ってくれる他の下級貴族たちをなんとか宥めると、ノエインは主人に向き直った。
「今は戦争前の非常時ということで……これでどうにか入れてくれませんか」
そう言いながら、彼の手に大銀貨を一枚握らせる。
「こ、これは……」
不景気の只中にある南西部で、大銀貨の心付けなど普通ならまずあり得ない。主人は金欲しさと差別感情の間で揺れ動く。
「不足ですか? ではこれでは?」
「ど、どうぞお入りください!」
ノエインが大銀貨をもう一枚乗せると、宿屋の主人は媚びるような笑みを浮かべて迎え入れてくれた。
階段を上がり、宛てがわれた部屋にマチルダと入り、扉を閉めて一息つく。
「……ふう。これが王国南部か。ごめんねマチルダ、嫌な思いをさせたね」
「私は平気です……ただ、久しくこういう扱いを受けていなかったので、昔を思い出して少し懐かしくなりました」
自嘲して小さく笑ったマチルダに、ノエインも苦笑を返す。「君はアールクヴィスト領に残っていた方がよかったのでは」という言葉が出かかるが、それを言うとマチルダの覚悟を傷つけることになるので飲み込んだ。
「アルノルド様が『気をつけろ』って言ってた意味が分かったね。街の宿屋でさえこれだ。南西部貴族がひしめく野営地を思うと今から気が滅入るよ……マチルダは片時も僕の傍を離れないようにね。僕を守るためにも、僕が君を守るためにも」
「分かりました。一瞬たりともノエイン様から離れません」
アールクヴィスト領を、そして王国北西部を出たら、ノエインの価値観も権力も知名度も通じない。ロードベルク王国南部は、獣人を差別し、雑に扱っても構わないという考えが深く根付く土地なのだ。
そのことをあらためて痛感させられ、これから始まる戦争を思って憂鬱になるノエインだった。
レトヴィクから南西部の集結地点まではおよそ2週間。ケーニッツ領軍100人とアールクヴィスト領軍30人、そしてケーニッツ子爵家の寄り子である小規模領主たちの手勢が集まって、計200人ほどの大所帯で街道を進む。
高級な武具を身に着けた貴族は盗賊の絶好の獲物だ。治安が悪化している南西部を移動する際に、士爵や準男爵などの小勢だけでは危険が大きい。アールクヴィスト領軍にはゴーレム使いのノエインがいるとはいえ、見通しの悪い森などで奇襲でも受けたら絶対に安全とは言えない。
そのため、こうして上級貴族の大きな軍と一緒にまとまって移動するのだ。
「――というわけで、それなりの軍勢を連れている私のような上級貴族はともかく、小勢の君たちは主戦場から外れた配置になるだろう」
隊の中央あたりで馬を並べて進みながら、ノエインはアルノルドから今回の戦争についての見通しを教えられていた。ユーリによる根気強い指導の甲斐あって、ノエインも今では行軍するのに問題ない程度に馬を操れる。
「では、僕たちが置かれるのは要塞地帯のあたりでしょうか?」
「おそらくな。そうなると、砦に籠って敵の侵攻を食い止めるのが君たちの役割となる……華のない役だが、死ぬ危険性は野戦を務める主力と比べると遥かに小さいだろう」
ランセル王国との国境は、北から南に進むにつれてベゼル大森林、平原と森が混在する地域、広い平原が広がる地域へと地形が変化する。
このうち、平原と森が混在する地域は砦がいくつも並ぶ要塞地帯となっており、森の間を縫ってランセル王国軍が攻めてくるのを防いでいた。
南側の広い平原で敵味方の主力がぶつかる間、味方の主力が挟撃などされないように誰かが要塞地帯を守らなければならない。それがおそらく、ノエインのような小勢を率いる下級貴族の役目になるという。
守りに徹するだけなので武功を挙げる機会は少ないかもしれないが、よほどの無茶をしなければ戦死の可能性は低いポジションだ。ノエインはそのことに安堵して息をついた。
「……やはり変わっているな、君は。武功を挙げる機会がないと言われたら、普通の貴族は肩を落とすか、納得できんと怒り出すものなのだがな」
「僕はそもそも戦争が好きではありませんから。戦いは貴族の務めと理解しているつもりですし、自領と国を守るために必要とあらば勇んで戦いますが、個人的な名声のためだけに命を危険にさらしたいとは思えません」
「まあ、君はそういう人間だろうな……貴族の中にも君のような者がもう少し増えるといいのだが」
戦争で派手な手柄を立てて、名声や国王からの報奨を手に入れたい貴族は多い。そのため、誰の軍が「美味しい役割」を務めるかで揉めるのは戦場では日常茶飯事だという。
「今回は仲の悪い南西部貴族と北西部貴族が入り混じるからな。味方同士で露骨に対立することはないと思いたいが……多少の嫌がらせくらいはあるかもしれん。君も野営地で行動するときは気をつけろよ。南部で獣人奴隷を連れているんだからな」
「……心に留めておきます」
貴族としての大先輩であり、義父であるアルノルドからの助言を、ノエインは素直に受け入れた。
・・・・・
レトヴィクを発っておよそ2週間後。ケーニッツ子爵領軍を中心とする一行は、ランセル王国との国境に面するガルドウィン侯爵領へたどり着いた。
道中にある小都市に入る一行。ここに滞在して休息を取り、数日後には国境のほど近くに作られた野営地で本隊と合流するのだ。
上級貴族であるアルノルドはこの都市の太守の館へ、ノエインのような下級貴族は貸し切られた宿屋へ、その他の兵士たちは空き家や倉庫などを借りて泊まることになり、ノエインはユーリとペンスに領軍兵士たちを任せて別れた。
「……酷いね」
「はい、目に余る荒れ具合です」
久しぶりの都市部への滞在だが、街の中はとても休息を楽しめそうな状況ではなかった。
路上には痩せ細った浮浪者や孤児と思われる子どもたちが座り込み、広場の露店はまばらで、商品も少ない。大通りの商店街も、閉まっていたり既に潰れていたりする店舗が目立つ。
街自体に活気がなく、ぱっと見渡しただけでも治安や経済状況がひどく悪化しているのは明らかだ。
紛争の影響がまだ少ない北西部の、豊かなアールクヴィスト領で暮らしていたノエインたちとしては、同じ国内でもここまで情勢に差があるのかと驚くほどだった。
そんな惨状の中を通り抜け、ノエインとマチルダは他の下級貴族たちとともに宿屋へ向かう。貸し切りとなった宿屋に入り――ノエインは王国南部らしい洗礼を受けることとなった。
「失礼、獣人奴隷を連れ込まれては困ります」
宿屋に話は通っていたので他の下級貴族たちはすんなりと入ることができたものの、マチルダを連れたノエインだけは入り口で止められる。
「彼女は僕の護衛ですが、それでも駄目ですか?」
「申し訳ありませんが……うちの宿は普人と亜人しか泊められません。馬小屋ならお貸しできますので、その奴隷はそちらへ」
貴族であるノエインに対して腰は低く、しかしはっきりと言う宿屋の主人。
「私たちはこの地を守るために北から軍を出してるんだぞ、それなのに何事だ!」
「これは私たちの寄り親であるケーニッツ子爵閣下に対する無礼と同じだぞ!」
「皆さん、お気持ちは嬉しいのですがここは彼の店ですから……」
仲間として怒ってくれる他の下級貴族たちをなんとか宥めると、ノエインは主人に向き直った。
「今は戦争前の非常時ということで……これでどうにか入れてくれませんか」
そう言いながら、彼の手に大銀貨を一枚握らせる。
「こ、これは……」
不景気の只中にある南西部で、大銀貨の心付けなど普通ならまずあり得ない。主人は金欲しさと差別感情の間で揺れ動く。
「不足ですか? ではこれでは?」
「ど、どうぞお入りください!」
ノエインが大銀貨をもう一枚乗せると、宿屋の主人は媚びるような笑みを浮かべて迎え入れてくれた。
階段を上がり、宛てがわれた部屋にマチルダと入り、扉を閉めて一息つく。
「……ふう。これが王国南部か。ごめんねマチルダ、嫌な思いをさせたね」
「私は平気です……ただ、久しくこういう扱いを受けていなかったので、昔を思い出して少し懐かしくなりました」
自嘲して小さく笑ったマチルダに、ノエインも苦笑を返す。「君はアールクヴィスト領に残っていた方がよかったのでは」という言葉が出かかるが、それを言うとマチルダの覚悟を傷つけることになるので飲み込んだ。
「アルノルド様が『気をつけろ』って言ってた意味が分かったね。街の宿屋でさえこれだ。南西部貴族がひしめく野営地を思うと今から気が滅入るよ……マチルダは片時も僕の傍を離れないようにね。僕を守るためにも、僕が君を守るためにも」
「分かりました。一瞬たりともノエイン様から離れません」
アールクヴィスト領を、そして王国北西部を出たら、ノエインの価値観も権力も知名度も通じない。ロードベルク王国南部は、獣人を差別し、雑に扱っても構わないという考えが深く根付く土地なのだ。
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