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第三章 社交と結婚

第78話 娘さんを僕に?①

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 盗賊騒ぎと北西部閥の晩餐会を経て、ノエインとアルノルド・ケーニッツ子爵の関係は大きく変化した。

 それまでは利害関係を一致させて手を取り合いつつも一定の距離を保ってきた両者だったが、今は急速に距離を縮め、貴族家として繋がりを深めている。

 歩み寄っているのは、主にアルノルドの側だ。自領の利益のためにはアールクヴィスト士爵領と緊密な関係を築くことが最良と判断したアルノルドは、貴族としての格も年齢も下であるノエインの機嫌を取り、懐柔しようと試みていた。

「……とても美味しいお茶ですね」

「そうか、気に入ってもらえて何よりだ。それは王国南西部の名産として知られている珍しいお茶なのだよ。帰りに土産としていくらか持たせよう」

 冬明け以降、ノエインは定期的にアルノルドからお茶やら食事やらに招待されるようになった。今日も「珍しいお茶が手に入ったから是非一緒に」という誘いを受けて子爵家の屋敷に招かれている。

 ノエインとしては急に優しくしてくるアルノルドを調子がいいとも思うが、相手は一応は王国北西部の重鎮。関係を深めるのはこちらにとってもメリットが大きいわけで、これも領主貴族の仕事と思って誘いには毎回応じていた。

「そういえば、お売りしたクロスボウの量産はその後どうですか?」

「あれか。私の領では順調に進んでいるよ。何せ完成品を職人に分析させて真似るだけだからな。細かな精度ではアールクヴィスト領で作られた製品に及ばない部分もあるようだが、ひとまず実戦に堪えうるものを量産できている」

「そうですか……それは何よりです」

「ベヒトルスハイム閣下の方でも量産が進んでいるそうだ。他の貴族領も同じく。この調子なら、北西部閥が軍事力の点で他の派閥を一歩抜きん出ることさえできるだろう」

 王国各地の地域閥は、縄張りや利益を巡って他の派閥とぶつかることも多い。軍事的な強靭さは「舐められない」ためにもあって損はないものだ。

「それに、ジャガイモの効果も馬鹿にできん。麦よりも栽培効率がよく、おまけに多少荒れた地でも育つというじゃないか。この話が本当なら、今年から北西部は食糧事情が大きく改善するぞ」

「紛争の関係で麦の価格が少しずつ高騰していますからね……他に主食となり得る作物を増やせるのは大きな利点でしょう」

「まったくだ。貴殿が他の派閥ではなく、この北西部閥に近い場所に領地を賜って本当によかったよ」

 ノエインは自分の立場を強めるためにも、現段階ではひとまず他の派閥は無視して北西部閥だけにクロスボウとジャガイモを広めている。

 そこに属するアルノルドとしては、そのおかげで他派閥に先駆けて領地の情勢を改善させられるのだから、ノエインの隣人になれた幸運を神に感謝するしかない。

「私も、ケーニッツ閣下のようにお優しい方が隣領の領主でよかったですよ」

 と、アルノルドがノエインをお茶や食事に誘う際は、こうして近況の情報交換をしつつ穏やかに話すのが常だった。今日もこうして無難に交流し、適当なところでお暇すればいいだろうとノエインは考えていた。

 しかし、この日はそれだけでは終わらなかった。

「ところでアールクヴィスト卿。君は今年で何歳になるかね?」

「は……ちょうど成人の年に領地を賜りましたので、3年目の今年で17歳になります」

 不意打ちの質問を食らって、ノエインはきょとんとしながらも答える。

「そうか。貴族家の当主としては、そろそろ妻を迎えてもおかしくない年齢だな」

 ああ、ついにこの話か。とノエインは思った。

 王国北西部で将来有望な若手貴族として名前が知れ渡ったノエインは、そろそろ自分に「うちの娘を妻に」という誘いが舞い込むことを予想していた。

 この世で貴族の絆を作るものは二つ。利益と血縁だ。特に血縁関係は、状況によって変化する利益とは違い、家と家を強固に繋ぐ絆とされている。アールクヴィスト士爵家とあわよくば親戚になりたい貴族家は、今の北西部閥には多いことだろう。

 その誘いの一番手がノエインにもっとも近しい貴族であるケーニッツ子爵家だったというのも、意外でも何でもない話だ。

「そこでだ、前にも話したと思うが、うちの末の娘……四女も未だに未婚で相手も決まっていなくてな。歳もちょうど貴殿と同じ17歳なので、ぴったりではないかと思ったのだが。どうかね? まずは婚約者からということで」

 ノエインの予想を一ミリも外さない提案をしてきたアルノルド。「どうかね?」と言われても、ノエインとしてはまだ返答のしようがない。

「ケーニッツ閣下、その、私の事情についてはご存じでしょうか?」

 ノエインは自身の斜め後ろに立つマチルダへ目をやりながら言う。マチルダは無表情を保ち、身じろぎもしていない。

「ああ、知っているさ。貴殿がいつも連れているその獣人奴隷を”とても可愛がっている”ということはな。だがな、貴殿は領地を持つ貴族だ」

「もちろん、私も貴族家当主としての役割は理解しているつもりです。貴族の妻としてふさわしい立場の女性を妻に迎え、子を成して、次代の領の安寧を守る。それは貴族の義務だと思っていますが……逆に言えば、私は結婚を義務、つまり仕事だと考えているということです」

 自分はあくまでも貴族の義務として妻を迎えることになる、とノエインは示す。

「私が妻として迎え入れることができるのは、私のこの考えを理解し、受け入れてくれる女性だけです。そして、このマチルダのことも受け入れてもらわなければならない。その点だけはどうかご理解いただきたい」

「ああ、それは言われなくても想像できていたさ……もちろんそれを踏まえた上で提案したのだ。娘にもアールクヴィスト卿の人となりは話して納得させている」

 納得させている、というアルノルドの言い方にノエインは顔をしかめる。貴族の令嬢でありながら、既に獣人奴隷を愛している男のもとに喜んで嫁ぎたい女性はそうそういないだろう。

「それは……差し出がましいことを申し上げますが、閣下のお嬢様がいささか不憫なのでは? 私は結婚を仕事のうちと考えてはいますが、あまりにも相手方の本意に反する婚姻を交わすのは本望ではありません」

「その点は心配ない。娘は四女という立場もあって社交の場に出る機会も少なく、貴族社会に染まっていなくてな。奴隷や獣人に対しても殊更に嫌悪を抱くような気質ではないんだよ。むしろ、貴族の令嬢としては珍しいほど身分差や種族差に寛容なはずだ」

 娘を政略結婚の道具として見過ぎではないのか、と遠回しにノエインが聞くと、アルノルドはそう返す。

 そもそも獣人に寛容な北西部で、普段からマチルダを連れるノエインに嫌悪を見せないアルノルドが言うのなら、その末娘も確かにそうなのだろう。

「それに、私も娘は可愛いし、不自由なく幸せに過ごしてほしいと思っているさ。アールクヴィスト卿なら妻となった女性をできる限り大切に接してくれるだろうと考えているし、娘にもそう伝えて安心させている。そのように期待してよいのだろう?」

「それはもちろん、その通りですが……」

 ノエインはひねくれた性格をしてはいるが、部下や領民には甘い。それなりに領民思いの領主だと評価されているアルノルドから見ても、甘すぎると感じるほどに。

 そんなノエインが、政略結婚の結果とはいえ自身の妻となった者を軽んじるはずもない。アルノルドとしては、領地が隣で貴族としての将来性もあり、人格も確かなノエインは、可愛い末娘の結婚相手として最善と言える選択肢だ。

「……私がアールクヴィスト士爵家とできるだけ親密な関係を築きたいと考えているのは、貴殿も察しがついているだろう? これは私の方から見せる最大限の誠意だと思ってほしい」

 アルノルドはノエインを真っすぐ見据えて話し続ける。

「貴殿が私の娘と結婚すれば、以降は私は全面的にアールクヴィスト家の味方になる。それに、私なら貴殿の貴族らしくない振る舞いも全て許容する。そして、アールクヴィスト領に面倒ごとが向かわないよう、私が政治的な盾として立ち回ろう。娘の嫁入り先には平穏であってほしいからな」

「……」

 ノエインは考える。確かにアルノルドの提案は魅力的だった。

 ケーニッツ子爵領は、位置的にもアールクヴィスト士爵領から見て最後の防壁と言えるような存在であり、そこの領主貴族が「親戚だから」という大義名分のもとで全面的な味方になるのは心強い。

 それに、ノエインが獣人奴隷のマチルダをいつも傍に置くことについて「妻の実家」から苦言を呈されない確約があるのも嬉しい話だ。

「ついでに言えば、親のひいき目を抜きに見ても娘は美人だぞ?」

 それは別にどうでもいいが、と思いつつも口には出さない。

「……分かりました。一度お嬢様とお会いしてみなければお約束はできませんが、婚約を結ばせていただくつもりでぜひ前向きに考えたいと思います」

 どうせいつまでも独身貴族ではいられない。このあたりが潮時だろう。

 そう思ってノエインはアルノルドの申し出を受け入れる。

「そうか、それはよかった……では、今から娘に会うかね?」

「へっ? い、今からですか?」

 さらなる不意打ちを受けて、ノエインの口から奇妙な声が漏れた。
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