上 下
38 / 255
第二章 急発展と防衛戦

第37話 移住ラッシュと小間物商

しおりを挟む
 2月も下旬に入ると、気候は初春へと変わってくる。空気は少しずつ暖かくなり、街道の行き来も再び始まる。

 季節が春へと移っていく中で、アールクヴィスト士爵領は大きな変化を迎えていた。移住ラッシュである。

 昨年にノエインが撒いた「アールクヴィスト領は難民を受け入れている」という噂の種が、冬明けを待っていたかのように急速に芽吹き始めたのだ。

 数日おきに新たな難民がやって来て、冬明けから数週間で領都ノエイナの人口は70人を超えようとしていた。

「移住してきて早々に忙しくさせてごめんね、ドミトリ」

「なんの、むしろいきなり思う存分仕事をさせてもらえてありがたいくらいですぜ。金もしっかりもらってやすからね」

 屋敷の執務室で家屋建設の進行具合の報告を受けながら、ノエインは大工のドミトリとそう言葉を交わしていた。

 レトヴィクで所属していた建設業商会を辞め、冬明け早々に領都ノエイナに移住して新たな商会を立ち上げた彼は、早速新たな家屋の建設に勤しんでいる。

 ノエインは移民の増加を見越してあらかじめ多くの家屋を発注してきたが、このペースだといずれ足りなくなりそうなほどに移住希望者が多いのだ。

「にしても、移民の全世帯に家と農地をやっちまうなんて、また随分と太っ腹なこって。俺まで立派な家と作業場をもらっちまいやしたし」

「ラピスラズリ鉱脈のおかげでうちの領は規模のわりに予算が潤沢だからね。移民たちがすぐさま生活を安定させて働き始められるようにした方が、発展の速度が上がって長い目で見てお得だと判断したんだよ」

 実際に、アールクヴィスト領にやって来た難民たちは、移住して数日後には与えられた農地で春植えのジャガイモを中心に農作物を育て始めている。受け入れた難民が即座に労働力へと転換されることで、ノエイナの農業生産力も急速に拡大中だ。

 今のところ、ノエインは少なくとも最初の100世帯の移住者には家と農地を、商人や職人がいれば店舗や作業場となる建物を与えるつもりでいる。これは「今アールクヴィスト領に行けばすぐに新生活を始められる」という噂が広まることも狙ってのことだ。

「そういうことなら、俺も張り切って家を建てさせてもらいやすぜ」

「うん。よろしくね」

 ドミトリとの話し合いを終えたノエインは、建設費用の記録の整理をアンナに頼むと屋敷の外に出た。今日は執務室に籠って机仕事ばかりしていたので、これから休憩も兼ねた村内の視察だ。

 ノエインの隣にはマチルダも控えている。まだ詳しい素性の分かっていない新移民も多いので、彼女は副官としてだけでなくノエインの護衛も兼ねて屋敷の外では常に同行していた。

 冬の前の時点でも移住者用の空き家がいくつも建ち並んでいた領都ノエイナは、そこへ住む領民が増えたことで、より活き活きとした村へと進化を遂げている。

「やあエドガー、お疲れ様」

「ああ、ノエイン様。ありがとうございます」

 家屋の集まる中心部を抜け、農地へと足を運ぶと、この領の農業担当として農作業を監督する従士エドガーと顔を合わせた。

「作付けは順調みたいだね」

「はい。人手も増えましたからね。あらかじめノエイン様が整地されていた土地も新しく開墾して、農地として活用する予定です。牛も使えるようになりましたし」

 農作業の進行ペースが上がっていることを嬉しそうに報告するエドガーに、ノエインも「そうか、よかった」と微笑んで答える。

 アールクヴィスト領に増えたのは人間だけではない。冬の前には家畜は鶏しかいなかったが、今では食肉用の豚の飼育と、農作業を手伝わせるための牛の飼育も行われていた。

 牛の扱いは村長家の出身であるエドガーが心得ており、豚に関しては新移民の中に養豚を生業としていた者がいたために叶ったことだ。

 このペースで人口が増えていくと、領都ノエイナ周辺の魔物狩りだけでは肉が不足するのは必至だった。今のうちに領内で養豚を始められたのは幸いだとノエインは思う。

 また、牛のおかげでゴーレムに有輪犂を引っ張らせて土地を開墾する作業からノエインが解放されたのも大きかった。

 エドガーと話した後も領都ノエイナの中を適当に歩き回り、視察という名の散歩に励むノエイン。彼を見た領民たちは恭しく頭を下げて挨拶し、ノエインもにこやかに手を振った。

「楽しいね、マチルダ」

「はい、ノエイン様。領都ノエイナが日に日に発展していく様を肌で感じられます」

 領都ノエイナのことを呼ぶときは「領都」と頭に付けるのが従士や領民たちの間でいつの間にか通例となっていた。

 これはノエインとノエイナの区別が紛らわしいので言い間違いを防止するという意味に加えて、「自分たちの新天地を都市と呼べる規模にまで発展させるのだ」という彼らの意気込みも込められていた。

 だからこそ、まだ小さな村としか言えない規模の現段階から、誰もが口々に「領都ノエイナ」と呼ぶのである。これは従士や領民たちのアールクヴィスト領への期待の表れであり、ノエインへの信頼の表れでもあった。

・・・・・

 別の日、行商人が領都ノエイナの広場まで来ているという報告を受けたノエインは、財務担当であるアンナと護衛のマチルダを伴って自ら広場に向かった。

「こんにちは、フィリップさん」

「これはアールクヴィスト士爵様。領主様から直々にご挨拶いただけるとは光栄です」

「いえ、わざわざこんな田舎領まで行商に来てもらってるんですから、せめて挨拶くらいは」

 広場で小さな荷馬車をロバに牽かせ、その荷馬車に積んだ品々をノエイナの領民たちへと手売りしている青年に声をかける。

 このフィリップという若い商人は、冬が明けてから時おり領都ノエイナまで行商に訪れていた。扱っているのは針や糸、布、蝋燭、石鹸、ナイフ、酒や香辛料、櫛や化粧品、さらにはちょっとした薬までさまざま。いわゆる小間物商と呼ばれる存在だ。

 商店が置かれるほどではない小村での個人消費は、こうした小間物商によって成り立っている。フィリップはこの春から、他の小間物商に先駆けてアールクヴィスト領で儲けようと半日かけて行商にやって来ているのである。

「本日は何かご入用のものはございますか?」

「僕は屋敷の消耗品までは把握してないので……具体的な買い物の話はアンナとお願いします」

「それは失礼しました。それでは早速」

「はい、買わせていただきたいものを読み上げますね」

 アンナが買い物リストにある品と必要な数を言い、フィリップはそれを準備していく。

 領主が絶対的なトップである貴族領では、領の財政はそのまま領主の家計とも結びついている。そのため領内唯一の財務担当であるアンナは、ノエインの屋敷の生活上の収支まで把握・管理していた。

 つまり、屋敷のお財布は彼女が握っているのである。こうした日用品の買い足し作業も彼女の領分である。

「以上で、締めて850レブロになります」

「分かりました。どうぞ」

「……はい、確かに」

 アンナから受け取った8枚の銀貨と5枚の大銅貨を確認し、フィリップは頷いた。これで取引は完了だ。

「うちの領での商売はどうですか?」

「それはもう、おかげさまで多くの利益を上げさせていただいています。領都ノエイナの皆さんは生活に余裕もあるようですので」

「あはは、まあ、うちには仕事も農地もありますからね」

 領都ノエイナの食料自給率が高まるに連れて、ラピスラズリ原石の採掘や開拓作業といった賦役の報酬は現金で支給されることが多くなっていた。そのため、アールクヴィスト領の領民たちは一般的な村落の農民よりも多くの現金を持っており、多少の嗜好品を買える程度の余裕もある。

「近頃は東西の隣国との紛争が経済にも少しずつ響いて来ていますから、ここの豊かさは羨ましい限りです」

「やっぱり紛争の影響は大きいですか?」

「ええ。特に西では冬が明けてランセル王国がまた攻勢をかけているそうで……本格的な戦争に発展しないといいのですが」

「まったくです。平和であるに越したことはありませんね」

 ここ最近の難民の増加ぶりを見ても紛争が収まっていないのは予想できていたが、商人としての情報網を持つ人間からこうした領外の正確な情勢を聞ける機会は逃せない。しばらく世間話がてら、フィリップの知る情報を教えてもらうノエインだった。

 やがて適当なところで話を切り上げると、フィリップも今日は商売を終えてレトヴィクへ帰るという。

 ケーニッツ子爵領へと続く街道を去っていくフィリップをノエインが見送りがてら眺めていると、領内の治安維持担当であるペンスが近づいてきた。

「……ノエイン様、あの小間物商ですが」

「分かってるよ。多分ケーニッツ子爵の間諜だよね」

「えっ」

 一応は領外の人間であるフィリップの見張りを務めていたペンスが言うと、ノエインはそれに先駆けて答えた。

 2人の話を聞いていたアンナが驚いたような声を上げる。温厚で親しみやすい笑顔を浮かべていたフィリップがスパイだというのだから無理もない。

 ちなみに、マチルダは以前ノエインからこの話を聞いていたので驚かない。

「フィリップさんは私がレトヴィクに住んでいたときも何度か会ったことがありますけど、普通の商人さんですよ?」

「そうだろうね。間諜というのは言い方が悪かったな。行商人としてうちの情報をケーニッツ子爵への売り物にしてるんだと思うよ」

 小間物商が村を訪れるのはごく普通のことだ。何の違和感もなく村内に入り込める。

 なので、おそらくケーニッツ子爵はフィリップに小金を握らせて、アールクヴィスト領がどのような様子か、発展のペースはどれくらいかなどを報告させているだろう。

 別にこれはケーニッツ子爵に敵対の意思があるわけではなく、隣領の状況確認のためにそうしているだけのはずだ。

 領主貴族ならこれくらいの情報収集はやって当たり前である。現に、ノエインも買い出し担当のバートにはレトヴィクの状況変化をしっかり観察するよう指示しているし、時には自らレトヴィクに足を運んでいるのだから。

「……でも、それじゃあ普通に領内に入れちゃっていいんですか?」

「こっちもそれを分かった上で、重要なことは探られないように話してるから大丈夫だよ。行商人なら情報収集なんて誰でもやってるだろうし。表面的な観察くらいは好きにさせておくさ。だけど彼が不穏な動きをしないか一応は見張っててほしいな」

「了解でさあ」

 アンナに説明しつつノエインがペンスを振り返って言うと、ペンスは街道を帰っていくフィリップの背を鋭い目で見ながらそう答えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界転移したけど、果物食い続けてたら無敵になってた

甘党羊
ファンタジー
唐突に異世界に飛ばされてしまった主人公。 降り立った場所は周囲に生物の居ない不思議な森の中、訳がわからない状況で自身の能力などを確認していく。 森の中で引きこもりながら自身の持っていた能力と、周囲の環境を上手く利用してどんどん成長していく。 その中で試した能力により出会った最愛のわんこと共に、周囲に他の人間が居ない自分の住みやすい地を求めてボヤきながら異世界を旅していく物語。 協力関係となった者とバカをやったり、敵には情け容赦なく立ち回ったり、飯や甘い物に並々ならぬ情熱を見せたりしながら、ゆっくり進んでいきます。

転生貴族のスローライフ

マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である *基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします

【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する

雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。 その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。 代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。 それを見た柊茜は 「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」 【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。 追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん….... 主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します

ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い

平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。 ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。 かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。

異世界無知な私が転生~目指すはスローライフ~

丹葉 菟ニ
ファンタジー
倉山美穂 39歳10ヶ月 働けるうちにあったか猫をタップリ着込んで、働いて稼いで老後は ゆっくりスローライフだと夢見るおばさん。 いつもと変わらない日常、隣のブリっ子後輩を適当にあしらいながらも仕事しろと注意してたら突然地震! 悲鳴と逃げ惑う人達の中で咄嗟に 机の下で丸くなる。 対処としては間違って無かった筈なのにぜか飛ばされる感覚に襲われたら静かになってた。 ・・・顔は綺麗だけど。なんかやだ、面倒臭い奴 出てきた。 もう少しマシな奴いませんかね? あっ、出てきた。 男前ですね・・・落ち着いてください。 あっ、やっぱり神様なのね。 転生に当たって便利能力くれるならそれでお願いします。 ノベラを知らないおばさんが 異世界に行くお話です。 不定期更新 誤字脱字 理解不能 読みにくい 等あるかと思いますが、お付き合いして下さる方大歓迎です。

5歳で前世の記憶が混入してきた  --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--

ばふぉりん
ファンタジー
 「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は 「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」    この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。  剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。  そんな中、この五歳児が得たスキルは  □□□□  もはや文字ですら無かった ~~~~~~~~~~~~~~~~~  本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。  本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。  

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

処理中です...