44 / 44
第二章 開拓者たちは進展と出会いを得る。
第43話 それぞれの夜。
しおりを挟む
「ただいまー、ミリィー」
「ミリィちゃんただいまあ」
「マイカ様、アカリ様、おかえりなさいませなのです!」
一日の仕事を終えてうちに居候しているアカリと共に帰宅すると、ミリィが元気よく出迎えてくれる。
まずマイカに抱きついてくるミリィを抱き留めてその頭をうりうりと撫で、子どもっぽく「えへへへ」と笑う彼女に笑顔を返した。
「ミリィちゃん、私もお」
「はーい、アカリ様ー!」
ミリィは今度は手を広げてそう言うアカリに飛びつく。アカリがマイカたちの家で暮らすようになってからの、いつもの帰宅時の平和な光景だ。
「ご飯もできてるのです! 今日はデビルヴァイパーの肉とクレーベルで採れた野菜でシチューを作ったのです!」
自慢げなミリィに手を引かれて家に入り、防寒具を脱ぐ。
冬の間は魔物狩りはほぼ完全に休みなので、リオは毎日ゴーレムを使って森を切り開き、アカリも自身のゴーレム「ゴーちゃん」でそれを補助しながらゴーレムの扱いを学んでいる。
マイカはリオの従士たちと共にそれに付いていき、森から魔物が接近していないか「探知」で探るだけ。とはいえ今ではクレーベル付近まで魔物が来ることなんて滅多になく、ほとんどただ2人を眺めているだけの仕事ともいえない仕事をこなしていた。
「お2人とも、今日はお仕事はどうでしたか?」
「いつもと同じよ。リオとアカリが頑張って、私は周りを『探知』で見張ってただけ」
食卓を囲みながら聞いてくるミリィに、マイカは苦笑しながらそう答えてシチューを口に運ぶ。
開拓初期に初めてデビルヴァイパーの肉を口にしたときは「ヘビ肉を食べてしまった」と衝撃を受けたが、今ではそのクセのない味わいにハマっている。ホーンドボアやグレートボア、オークの肉よりも淡泊な感じが好きだった。
「リオくんってすごいねえ。私のゴーちゃんとリオくんのゴーレムたちじゃ動き方の効率が全然違ったもん。ゴーレム操作のコツも教え方が上手だよねえ」
ゴーレムに意識下で指示を出すにもちょっとしたコツがあるそうで、リオのゴーレムはアカリのものよりも明らかに機敏に動き、木の伐採にも手馴れた様子を見せていた。1年半の経験の差は大きいらしい。
また、その具体的なコツについて、惜しみなくアカリにも知識を伝授している。
「リオは頭もいいし努力家だからね。これまでもちょっとした気づきを試したりして少しずつ習熟してたから」
「そっかあ。すごいねえ」
「あれだけのゴーレムを最大限に活かせるのも本人の努力があってこそよね。あたしに同じギフトがあってもあそこまで上手くは使いこなせなかったと思うわ」
「……マイカ様は今日もリオ様のお話をいっぱいしてるですねえ」
「やっぱり好きな男の子のことはたくさん話したくなっちゃうよねえ」
まるで自分のことのようにリオを自慢するマイカに、ミリィとアカリが生暖かい微笑みを向けた。
「なっ、わ、悪かったわね……」
照れて不貞腐れたように目を逸らすマイカに、「構わないのですよお」「私たちでよければ聞くよお?」と2人が追い打ちをかける。
そう、マイカはリオが好きだ。
いつ頃からはっきり意識したかは覚えていない。
この世界に来た当初から同僚として長く接し、仕事では毎日顔を合わせ、ときには魔物から守ってもらい。
そんな日々を重ねているうちに、気づけば彼のことを好きだと思うようになっていた。
だけど本人には言えない。彼とカノンの仲睦まじさを思うと、自分が出る幕なんてないから。
だから、本人には絶対に気づかれないように、一緒にいるときも一瞬の隙も見せないようにしていた。ミリィには話していたし、アカリには何故か早々に気づかれてしまったが。
職場恋愛に失敗して死にたがっていた頃と変わらないな、と地球にいた頃のことをふり返りながら思う。
「この世界は一夫多妻も一妻多夫も自由なのです。リオ様はお金持ちで貴族なんだから、マイカ様が第二夫人になることも簡単にできるのです」
パンを頬張りながらミリィが当たり前のように言う。
「そうだけど……そうだけどお。あたしじゃカノンには敵わないわよ」
自分はリオが好きだが、カノンみたいに人生の全てを捧げたいと言い切れるかは分からない。彼女と比べたら、自分の感情はまだ「淡い好意」の範疇だろう。
そんな半端な状態で好きだなどと口にできるわけがない。
「そこに関してはむしろカノンちゃんが珍しいのです。普通はあんなに覚悟を決められないのです。お金と多少の好意が揃えば結婚の材料としてはそれで十分なのです」
モゴモゴとパンを口に詰め込んで器用に喋りながら、男女の結婚の真理を突くミリィ。一体どこでそんな難しい言い回しを覚えてきたのか。
「結婚……結婚かあ」
第二夫人としてリオを支える自分、第一夫人のカノンと協力してリオに尽くす自分を想像してみる。
「ああ~、マイカちゃん顔赤いよお? どんな妄想してたのお?」
「えっ! なっ! べ、別に何も妄想なんてっ」
指摘されて気づくが、確かに言い逃れできないほど顔が赤いのが分かる。熱い。
「……リオとカノンの仲の良さを考えたら、好きなんて言えないわよ。少なくとも今は」
「じゃあ、いつかは伝えたいってことだよねえ?」
「その日に向けて今から少しずつ距離を縮めた方がいいのです。作戦を練るのです」
女子3人暮らしの夜はこうして更けていく。
――――――――――――――――――――
「……ふう」
夕食も済ませ、後は寝るだけとなった夜。フィリップ・ルフェーブルは温かいお茶を口にして息をついた。
最近の彼は忙しい。
以前は領の困窮を止めてただ現状維持をするために奔走していたので、その頃と比べれば、右肩上がりで発展していく領のために忙しく立ち回るのは幸せなことだと思う。
それでも、忙しいものは忙しいし、何より疲れる。肉体的にも精神的にも疲労は溜まる。自分は年を取ったというほどではないが、まだ若々しいと言えるほどでもないのだから。
フィリップが生まれる遥か前、もう70年も昔、ルフェーブル子爵領は亜竜という災厄に見舞われて大きな被害を被った。
経済的なダメージも含めれば領が取り潰されてもおかしくないほどの損害だったが、自分が生まれる前に死んでしまった祖父、そして今は隠居の身である父セドリックの尽力によってそれは防がれた。
そして自分の代になり、来訪者の召喚があったことでルフェーブル領は変わった。
日に日に人口は増え、開墾も進み、治安も経済も大きな改善を見せている。来訪者のおかげで大きな成功を遂げている代表的な領のひとつとして、王国内でも名前が知られているという。
自身も「ルフェーブル領中興の祖」などと呼ばれ始めているらしいが、そのほとんどはこの領に迎えた2人の来訪者と、北西部へ開拓に入った勇気ある者たちの力だろう。
自分が無能であるつもりはないが、領主貴族として特別優れているとは思えない。自分にできるのは、この領で新たに生まれた利益を守り、活用し、北西部で走り回ってくれる部下や民たちのためにも領の経済的地盤を固めていくことだけだ。
そう考えているからこそフィリップ・ルフェーブルは日々奔走している。
おまけに娘のアリソンは間もなく10歳を迎えようとしており、継嗣である息子パトリックも冬が明けたら留学を終えて王都から帰ってくる。
子どもたちの貴族としての将来のためにも色々と動かなければならない。春からはますます忙しくなるだろう。
そんな立場にいる彼にとって、祖父の代から受け継がれてきた趣味である物語本を読み耽り、お茶を片手に静かな時間を過ごす夜は貴重な息抜きのひと時だった。
気がつけばうつらうつらと頭を揺らし始める。
と、その肩にそっと手が置かれてフィリップは目を覚ました。
「あなた、そろそろお休みになられたら?」
「……ああ、そうだな。すまないモニカ」
本を棚に戻し、灯りの魔法具を消すと、フィリップは妻と寝室に移った。
――――――――――――――――――――
「ほら、また俺の勝ちだ」
「あーっ! ひでえッスよエッカートさん!」
「ばあか、賭けにひでえもクソもあるかよ!」
夜のクレーベルにはまだ遊べる場所が少ない。酒場も毎日通うような場所ではないし、残念ながら娼館はまだクレーベルにはない。
なので、エッカートとヴィクトルとイヴァンは暇をつぶすために、自分たちの宿舎――実質はただの一軒家だが――でよくカードを使った賭けに興じる。
リオ・アサカ名誉士爵の従士となった今では金には困っていないし、賭けるのは酒や煙草などのただの嗜好品。どれも大したものではない。それなのに、一番若いイヴァンは勝負のたびにやたらと大げさに一喜一憂する。
「にしてもよお、去年にも増してこの冬は暇だなあ。なまじ従士になって金が余るようになったから余計にクレーベルが退屈に感じるぜ」
「ここも早くシエールくらい遊べる場所が増えてほしいッスよねえ」
自分たちの仕えるアサカ閣下は定期的に連休をくれるし、今ではクレーベルとシエール間を乗合馬車の定期便が走っているので、休みの日には娯楽を求めてシエールまで足を運んでいる。
とはいえ、それも月に1、2回程度の話。普段のクレーベルでの日常は、ここの領都ケレンや東隣の領都ヴェルヒハイムをも知る彼らにとっては刺激が足りない。
「まずは娼館、あと賭博場、それから娼館、芝居小屋なんかもあればなあ……あと娼館」
「お前は娼館ばっかりじゃねえか」
「俺は若い男ですよ? 金もあるんだから、女遊びしたいに決まってるじゃないですか!」
「そうかよお……俺は嫁が欲しいな」
「ああ……」
「なんで憐れんだ目で見やがる!」
あくまで遊びの話をしていたところで、いい年の独身上司から「嫁が欲しい」という生々しい悩みを聞かされて同情を向けるイヴァン。
「お前は若えからいいがよ。俺たちにとってはけっこう切実なことなんだよ。なあヴィクトル?」
「……悪いがエッカートさん、俺はまだあんたほどは悩んでねえ」
「んなっ!?」
まだ20代後半のヴィクトルからすれば、30代も半ばに差しかかっているエッカートと同じ枠に入れられるのはさすがに納得がいかない。
「ちぇっ……はあ、俺は結婚できるんかなあ」
「俺たち、出会いがないッスもんね」
「おまけに定住してる身でもねえからなあ。こんな俺に付いて来てくれる女なんて……」
「クレーベルの酒場で働いてるアマンダちゃんはどうなんスか? エッカートさんのお気に入りの」
「ばあか、ただの客の俺を本気で相手してくれるわけねえだろ」
「でもエッカートさんは従士ッスよ? あっちからしたら玉の輿じゃないッスか」
「……まあ、確かにそうだけどよお」
イヴァンの「玉の輿」というのはやや言い過ぎだが、従士の家に嫁げるのは普通の平民としては成功の部類に入る。
「ちっと本気で口説いてみるか」
「エッカートさんの背中を押してあげたんスから、賭けで負けたのは免除ってことで……」
「ばあか、それとこれとは別だよ」
男同士だからこその明け透けな会話を(主にエッカートとイヴァンを中心に)交わしながら、独身従士たちの夜は過ぎていく。
――――――――――――――――――――
「ご主人様、お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとうカノン」
夕食も入浴も済ませた後、自宅のソファで読書に耽っていたリオの前のテーブルにお茶を置いたカノンは、自身もカップを持って彼の隣に座る。
カノンと並んで静かな時間を過ごす。リオにとって楽しみのひとつだ。
(……今年もあと1週間か。早かったなあ)
手探りの開拓をくり広げ、キュクロプスとの死闘という緊迫の出来事もあった去年と比べると、リオの来訪者としての2年目は平和だった。
自身の叙爵式、カノンとの結婚式、さらに新たな来訪者との出会いという大きなイベントはあったが、命の危機を感じたりする場面はなかった。
クレーベルも順調に発展し、日に日に活気づいて住みやすくなっていく。
全てが順調だと思う。
「……ご主人様」
読書もそこそこに感慨に浸っていると、カノンが肩に頭を乗せてきた。
そこに自分も頭を重ねる。しばらくそうして過ごす。
幸せだ、とリオは思う。
自分はもとの世界では弱かった、その結果、自分から不遇な人生に陥った。
この世界に来た初日、もとの世界の家族に胸を張れるような人生を送ろうと誓った。
今の自分は、その誓いをしっかり果たせていると思う。来訪者としても、貴族としても、一個人としても。
「……好きだよ、カノン」
何となくそう伝えたくなって、リオは呟いた。
「ミリィちゃんただいまあ」
「マイカ様、アカリ様、おかえりなさいませなのです!」
一日の仕事を終えてうちに居候しているアカリと共に帰宅すると、ミリィが元気よく出迎えてくれる。
まずマイカに抱きついてくるミリィを抱き留めてその頭をうりうりと撫で、子どもっぽく「えへへへ」と笑う彼女に笑顔を返した。
「ミリィちゃん、私もお」
「はーい、アカリ様ー!」
ミリィは今度は手を広げてそう言うアカリに飛びつく。アカリがマイカたちの家で暮らすようになってからの、いつもの帰宅時の平和な光景だ。
「ご飯もできてるのです! 今日はデビルヴァイパーの肉とクレーベルで採れた野菜でシチューを作ったのです!」
自慢げなミリィに手を引かれて家に入り、防寒具を脱ぐ。
冬の間は魔物狩りはほぼ完全に休みなので、リオは毎日ゴーレムを使って森を切り開き、アカリも自身のゴーレム「ゴーちゃん」でそれを補助しながらゴーレムの扱いを学んでいる。
マイカはリオの従士たちと共にそれに付いていき、森から魔物が接近していないか「探知」で探るだけ。とはいえ今ではクレーベル付近まで魔物が来ることなんて滅多になく、ほとんどただ2人を眺めているだけの仕事ともいえない仕事をこなしていた。
「お2人とも、今日はお仕事はどうでしたか?」
「いつもと同じよ。リオとアカリが頑張って、私は周りを『探知』で見張ってただけ」
食卓を囲みながら聞いてくるミリィに、マイカは苦笑しながらそう答えてシチューを口に運ぶ。
開拓初期に初めてデビルヴァイパーの肉を口にしたときは「ヘビ肉を食べてしまった」と衝撃を受けたが、今ではそのクセのない味わいにハマっている。ホーンドボアやグレートボア、オークの肉よりも淡泊な感じが好きだった。
「リオくんってすごいねえ。私のゴーちゃんとリオくんのゴーレムたちじゃ動き方の効率が全然違ったもん。ゴーレム操作のコツも教え方が上手だよねえ」
ゴーレムに意識下で指示を出すにもちょっとしたコツがあるそうで、リオのゴーレムはアカリのものよりも明らかに機敏に動き、木の伐採にも手馴れた様子を見せていた。1年半の経験の差は大きいらしい。
また、その具体的なコツについて、惜しみなくアカリにも知識を伝授している。
「リオは頭もいいし努力家だからね。これまでもちょっとした気づきを試したりして少しずつ習熟してたから」
「そっかあ。すごいねえ」
「あれだけのゴーレムを最大限に活かせるのも本人の努力があってこそよね。あたしに同じギフトがあってもあそこまで上手くは使いこなせなかったと思うわ」
「……マイカ様は今日もリオ様のお話をいっぱいしてるですねえ」
「やっぱり好きな男の子のことはたくさん話したくなっちゃうよねえ」
まるで自分のことのようにリオを自慢するマイカに、ミリィとアカリが生暖かい微笑みを向けた。
「なっ、わ、悪かったわね……」
照れて不貞腐れたように目を逸らすマイカに、「構わないのですよお」「私たちでよければ聞くよお?」と2人が追い打ちをかける。
そう、マイカはリオが好きだ。
いつ頃からはっきり意識したかは覚えていない。
この世界に来た当初から同僚として長く接し、仕事では毎日顔を合わせ、ときには魔物から守ってもらい。
そんな日々を重ねているうちに、気づけば彼のことを好きだと思うようになっていた。
だけど本人には言えない。彼とカノンの仲睦まじさを思うと、自分が出る幕なんてないから。
だから、本人には絶対に気づかれないように、一緒にいるときも一瞬の隙も見せないようにしていた。ミリィには話していたし、アカリには何故か早々に気づかれてしまったが。
職場恋愛に失敗して死にたがっていた頃と変わらないな、と地球にいた頃のことをふり返りながら思う。
「この世界は一夫多妻も一妻多夫も自由なのです。リオ様はお金持ちで貴族なんだから、マイカ様が第二夫人になることも簡単にできるのです」
パンを頬張りながらミリィが当たり前のように言う。
「そうだけど……そうだけどお。あたしじゃカノンには敵わないわよ」
自分はリオが好きだが、カノンみたいに人生の全てを捧げたいと言い切れるかは分からない。彼女と比べたら、自分の感情はまだ「淡い好意」の範疇だろう。
そんな半端な状態で好きだなどと口にできるわけがない。
「そこに関してはむしろカノンちゃんが珍しいのです。普通はあんなに覚悟を決められないのです。お金と多少の好意が揃えば結婚の材料としてはそれで十分なのです」
モゴモゴとパンを口に詰め込んで器用に喋りながら、男女の結婚の真理を突くミリィ。一体どこでそんな難しい言い回しを覚えてきたのか。
「結婚……結婚かあ」
第二夫人としてリオを支える自分、第一夫人のカノンと協力してリオに尽くす自分を想像してみる。
「ああ~、マイカちゃん顔赤いよお? どんな妄想してたのお?」
「えっ! なっ! べ、別に何も妄想なんてっ」
指摘されて気づくが、確かに言い逃れできないほど顔が赤いのが分かる。熱い。
「……リオとカノンの仲の良さを考えたら、好きなんて言えないわよ。少なくとも今は」
「じゃあ、いつかは伝えたいってことだよねえ?」
「その日に向けて今から少しずつ距離を縮めた方がいいのです。作戦を練るのです」
女子3人暮らしの夜はこうして更けていく。
――――――――――――――――――――
「……ふう」
夕食も済ませ、後は寝るだけとなった夜。フィリップ・ルフェーブルは温かいお茶を口にして息をついた。
最近の彼は忙しい。
以前は領の困窮を止めてただ現状維持をするために奔走していたので、その頃と比べれば、右肩上がりで発展していく領のために忙しく立ち回るのは幸せなことだと思う。
それでも、忙しいものは忙しいし、何より疲れる。肉体的にも精神的にも疲労は溜まる。自分は年を取ったというほどではないが、まだ若々しいと言えるほどでもないのだから。
フィリップが生まれる遥か前、もう70年も昔、ルフェーブル子爵領は亜竜という災厄に見舞われて大きな被害を被った。
経済的なダメージも含めれば領が取り潰されてもおかしくないほどの損害だったが、自分が生まれる前に死んでしまった祖父、そして今は隠居の身である父セドリックの尽力によってそれは防がれた。
そして自分の代になり、来訪者の召喚があったことでルフェーブル領は変わった。
日に日に人口は増え、開墾も進み、治安も経済も大きな改善を見せている。来訪者のおかげで大きな成功を遂げている代表的な領のひとつとして、王国内でも名前が知られているという。
自身も「ルフェーブル領中興の祖」などと呼ばれ始めているらしいが、そのほとんどはこの領に迎えた2人の来訪者と、北西部へ開拓に入った勇気ある者たちの力だろう。
自分が無能であるつもりはないが、領主貴族として特別優れているとは思えない。自分にできるのは、この領で新たに生まれた利益を守り、活用し、北西部で走り回ってくれる部下や民たちのためにも領の経済的地盤を固めていくことだけだ。
そう考えているからこそフィリップ・ルフェーブルは日々奔走している。
おまけに娘のアリソンは間もなく10歳を迎えようとしており、継嗣である息子パトリックも冬が明けたら留学を終えて王都から帰ってくる。
子どもたちの貴族としての将来のためにも色々と動かなければならない。春からはますます忙しくなるだろう。
そんな立場にいる彼にとって、祖父の代から受け継がれてきた趣味である物語本を読み耽り、お茶を片手に静かな時間を過ごす夜は貴重な息抜きのひと時だった。
気がつけばうつらうつらと頭を揺らし始める。
と、その肩にそっと手が置かれてフィリップは目を覚ました。
「あなた、そろそろお休みになられたら?」
「……ああ、そうだな。すまないモニカ」
本を棚に戻し、灯りの魔法具を消すと、フィリップは妻と寝室に移った。
――――――――――――――――――――
「ほら、また俺の勝ちだ」
「あーっ! ひでえッスよエッカートさん!」
「ばあか、賭けにひでえもクソもあるかよ!」
夜のクレーベルにはまだ遊べる場所が少ない。酒場も毎日通うような場所ではないし、残念ながら娼館はまだクレーベルにはない。
なので、エッカートとヴィクトルとイヴァンは暇をつぶすために、自分たちの宿舎――実質はただの一軒家だが――でよくカードを使った賭けに興じる。
リオ・アサカ名誉士爵の従士となった今では金には困っていないし、賭けるのは酒や煙草などのただの嗜好品。どれも大したものではない。それなのに、一番若いイヴァンは勝負のたびにやたらと大げさに一喜一憂する。
「にしてもよお、去年にも増してこの冬は暇だなあ。なまじ従士になって金が余るようになったから余計にクレーベルが退屈に感じるぜ」
「ここも早くシエールくらい遊べる場所が増えてほしいッスよねえ」
自分たちの仕えるアサカ閣下は定期的に連休をくれるし、今ではクレーベルとシエール間を乗合馬車の定期便が走っているので、休みの日には娯楽を求めてシエールまで足を運んでいる。
とはいえ、それも月に1、2回程度の話。普段のクレーベルでの日常は、ここの領都ケレンや東隣の領都ヴェルヒハイムをも知る彼らにとっては刺激が足りない。
「まずは娼館、あと賭博場、それから娼館、芝居小屋なんかもあればなあ……あと娼館」
「お前は娼館ばっかりじゃねえか」
「俺は若い男ですよ? 金もあるんだから、女遊びしたいに決まってるじゃないですか!」
「そうかよお……俺は嫁が欲しいな」
「ああ……」
「なんで憐れんだ目で見やがる!」
あくまで遊びの話をしていたところで、いい年の独身上司から「嫁が欲しい」という生々しい悩みを聞かされて同情を向けるイヴァン。
「お前は若えからいいがよ。俺たちにとってはけっこう切実なことなんだよ。なあヴィクトル?」
「……悪いがエッカートさん、俺はまだあんたほどは悩んでねえ」
「んなっ!?」
まだ20代後半のヴィクトルからすれば、30代も半ばに差しかかっているエッカートと同じ枠に入れられるのはさすがに納得がいかない。
「ちぇっ……はあ、俺は結婚できるんかなあ」
「俺たち、出会いがないッスもんね」
「おまけに定住してる身でもねえからなあ。こんな俺に付いて来てくれる女なんて……」
「クレーベルの酒場で働いてるアマンダちゃんはどうなんスか? エッカートさんのお気に入りの」
「ばあか、ただの客の俺を本気で相手してくれるわけねえだろ」
「でもエッカートさんは従士ッスよ? あっちからしたら玉の輿じゃないッスか」
「……まあ、確かにそうだけどよお」
イヴァンの「玉の輿」というのはやや言い過ぎだが、従士の家に嫁げるのは普通の平民としては成功の部類に入る。
「ちっと本気で口説いてみるか」
「エッカートさんの背中を押してあげたんスから、賭けで負けたのは免除ってことで……」
「ばあか、それとこれとは別だよ」
男同士だからこその明け透けな会話を(主にエッカートとイヴァンを中心に)交わしながら、独身従士たちの夜は過ぎていく。
――――――――――――――――――――
「ご主人様、お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとうカノン」
夕食も入浴も済ませた後、自宅のソファで読書に耽っていたリオの前のテーブルにお茶を置いたカノンは、自身もカップを持って彼の隣に座る。
カノンと並んで静かな時間を過ごす。リオにとって楽しみのひとつだ。
(……今年もあと1週間か。早かったなあ)
手探りの開拓をくり広げ、キュクロプスとの死闘という緊迫の出来事もあった去年と比べると、リオの来訪者としての2年目は平和だった。
自身の叙爵式、カノンとの結婚式、さらに新たな来訪者との出会いという大きなイベントはあったが、命の危機を感じたりする場面はなかった。
クレーベルも順調に発展し、日に日に活気づいて住みやすくなっていく。
全てが順調だと思う。
「……ご主人様」
読書もそこそこに感慨に浸っていると、カノンが肩に頭を乗せてきた。
そこに自分も頭を重ねる。しばらくそうして過ごす。
幸せだ、とリオは思う。
自分はもとの世界では弱かった、その結果、自分から不遇な人生に陥った。
この世界に来た初日、もとの世界の家族に胸を張れるような人生を送ろうと誓った。
今の自分は、その誓いをしっかり果たせていると思う。来訪者としても、貴族としても、一個人としても。
「……好きだよ、カノン」
何となくそう伝えたくなって、リオは呟いた。
0
お気に入りに追加
531
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説
祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活
空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。
最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。
――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に……
どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。
顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。
魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。
こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す――
※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。
異世界召喚?やっと社畜から抜け出せる!
アルテミス
ファンタジー
第13回ファンタジー大賞に応募しました。応援してもらえると嬉しいです。
->最終選考まで残ったようですが、奨励賞止まりだったようです。応援ありがとうございました!
ーーーー
ヤンキーが勇者として召喚された。
社畜歴十五年のベテラン社畜の俺は、世界に巻き込まれてしまう。
巻き込まれたので女神様の加護はないし、チートもらった訳でもない。幸い召喚の担当をした公爵様が俺の生活の面倒を見てくれるらしいけどね。
そんな俺が異世界で女神様と崇められている”下級神”より上位の"創造神"から加護を与えられる話。
ほのぼのライフを目指してます。
設定も決めずに書き始めたのでブレブレです。気楽〜に読んでください。
6/20-22HOT1位、ファンタジー1位頂きました。有難うございます。
チート幼女とSSSランク冒険者
紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】
三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が
過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。
神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。
目を開けると日本人の男女の顔があった。
転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・
他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・
転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。
そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語
※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。
性格が悪くても辺境開拓できますうぅ!
エノキスルメ
ファンタジー
ノエイン・アールクヴィストは性格がひねくれている。
大貴族の妾の子として生まれ、成人するとともに辺境の領地と底辺爵位を押しつけられて実家との縁を切られた彼は考えた。
あのクソ親のように卑劣で空虚な人間にはなりたくないと。
たくさんの愛に包まれた幸福な人生を送りたいと。
そのためにノエインは決意した。誰もが褒め称える理想的な領主貴族になろうと。
領民から愛されるために、領民を愛し慈しもう。
隣人領主たちと友好を結び、共存共栄を目指し、自身の幸福のために利用しよう。
これはちょっぴり歪んだ気質を持つ青年が、自分なりに幸福になろうと人生を進む物語。
※小説家になろう様、カクヨム様でも掲載させていただいています
辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~
Lunaire
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。
辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。
しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。
他作品の詳細はこちら:
『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】
『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】
『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】
いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と
鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。
令嬢から。子息から。婚約者の王子から。
それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。
そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。
「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」
その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。
「ああ、気持ち悪い」
「お黙りなさい! この泥棒猫が!」
「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」
飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。
謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。
――出てくる令嬢、全員悪人。
※小説家になろう様でも掲載しております。
召還社畜と魔法の豪邸
紫 十的
ファンタジー
魔法仕掛けの古い豪邸に残された6歳の少女「ノア」
そこに次々と召喚される男の人、女の人。ところが、誰もかれもがノアをそっちのけで言い争うばかり。
もしかしたら怒られるかもと、絶望するノア。
でも、最後に喚ばれた人は、他の人たちとはちょっぴり違う人でした。
魔法も知らず、力もちでもない、シャチクとかいう人。
その人は、言い争いをたったの一言で鎮めたり、いじわるな領主から沢山のお土産をもらってきたりと大活躍。
どうしてそうなるのかノアには不思議でたまりません。
でも、それは、次々起こる不思議で幸せな出来事の始まりに過ぎなかったのでした。
※ プロローグの女の子が幸せになる話です
※ 『小説家になろう』様にも「召還社畜と魔法の豪邸 ~召喚されたおかげでデスマーチから逃れたので家主の少女とのんびり暮らす予定です~」というタイトルで投稿しています。
家庭菜園物語
コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。
その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。
異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
更新楽しみです。
応援しています!!
異世界転生は本当に数多くの作品がありますが、設定がちょいちょい独特で少し新鮮な気持ちで読めてます!
これからも楽しみにしてます!
ありがとうございます!
これからも楽しんでいただけるよう頑張ります!