魔物の森のハイジ

カイエ

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#5

38 : Lynn

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「何をするつもりだ?」

 走りながらハイジがあたしの角を見て眉間に皺を寄せる。
 角を伸ばしても警戒しないでくれるのは嬉しいのだが、ちょっと言い辛い頼み事である。

「試してみたいことが二つあって……」
「やってみろ」

 内容も聞かずに即答である。
 信頼してくれるのなら、躊躇するのも失礼だ。

「一つは、集めた魔力をハイジに渡せないかなって」
「ふむ?」
「そしたら、肉体強化するのに魔力の節約がいらなくなる」
「速度を上げられるというわけか」

 それはいいな、とハイジは獰猛に笑う。
 だが、問題はもう一つの方である。

「それと、もう一つはちょっと言いづらいんだけど」
「今さらだな」
「治癒の練習をさせてもらえたらなって」

 思い切って言うと、ハイジは少し驚いた顔を見せた。

「なるほど、俺を傷つけて、それを癒せるかを試すというわけか」
「うん……自分の怪我が勝手に治るのは確認済みなんだけど、ノイエ君のところまで行っても治せないんじゃ仕方ないじゃない?」
「そういうことなら」

 そう言うや否や、ハイジは大剣グレートソードを抜いた。
 何をするのかと思えば––––いきなり自分の腕を切り落とした!

「ちょーーーーーーーーー!?」

 宙に舞うハイジの腕。
 パニックを起こしつつ、あたしはジャンプしてその腕を掴み取る。

「な、なななななーーーーっ!?」

 あたしが泡を食っているというのに、ハイジは平然と腕をこちらに向けた。

「よし、リン、治せ」
「バカなの?! バカなのね?! バカなんでしょう?! ちょっと傷つけるだけでいいのよ!!」
「だが、ノイエは腕を落とされてるんだぞ。同程度の怪我で試さなければわからないだろう」

 よーしわかった!
 この人頭おかしい!

治癒ヒール! 治癒ヒール治癒ヒール治癒ヒール!!」
「……口に出さないと駄目なのか、それは」
「うるさい! 気が散る! 治癒ヒール!!」

 ずる、ずるる、とつのが伸び、世界中から大量の魔力が集まる。
 視界は物理世界を無視して、すでに魔力世界に覆い隠されている。
 大量の光が集まっているが、まるでうろたえるようにハイジの怪我の周りを取り巻くばかりで、治癒には至らない。

(冗談じゃない!)
(それでなくとも、切り落としたらその部分の経験値がなくなるってのに!!)

治癒ヒール! 治癒ヒール! 治癒ヒール!」

(だめだ、埒が明かない!)

「ハイジ、剣! 貸して!」
「何をするつもりだ?」
「いいから!」
「そういうことなら」

 ハイジはそう言うと、腰に付けた細長い布袋から何かを取り出した。
 それは、剥き身のまま布でぐるぐる巻きにされた、愛用の細剣レイピアだった。

「鞘が無くなってしまったが、ほら、お前の細剣レイピアだ」
「ありがと、ちょっとそれを貸して!」

 受け取るなり、あたしも自分の腕を切り落とした。
 ハイジの目が驚愕で見開く。
 強烈な痛みに、めまいと吐き気に襲われる。
 
「うぐッ……!!!」
「リン?!」

 ハイジが叫んでいるが、自分だって同じことをやったばかりだろうに。

 自分の腕を切り落としながら、全速力のチーターみたいな速度で走る男女––––傍から見たら完全に狂気の世界である。
 だが。

「なんてことをする!」
「……うるさい……! 気が散る……!」

 あたしは自動的に治癒していく傷口を、魔力を通して観察する。
 気を失いそうな痛みが伴うが、もしノイエを救うことが出来ず、ヘルマンニを死なせ、英雄たちがバラバラになってしまったら、あたしはこれ以上の痛みに苛まれるだろう。

(死なせてたまるか! ハイジも、ヘルマンニも、ノイエ君も! それに、英雄たちは仲間なんだ! バラバラにしてたまるかッ! 治癒ヒールッ!)

 傷口に魔力が集まる。
 そして、見慣れたあたしの手を形作ると、それを目印にさらに膨大な魔力が注がれていく。

(…………治癒ヒールッ!)

 額の角から、バチ、バチと火花が散るような音がする。
 視界が妙に明るい。

(治れッ! 治癒ヒール!)

 ずるっ、と痛みが止まる感触とともに、腕が生えた。
 成功だ。
 なるほど、魔力の動きはこうなのか……!

「あ、腕」

 切り落とした腕がまだ残っているが、すでに両腕は揃っている。

「もう要らないわ」

 ポイと前の腕を放り投げる。
 ついでに拾っておいたハイジの腕をハイジに返す。

「リン、何をバカなことをしてるんだ!」
「何よ、ちゃんと治ったでしょう」
「治ってない!」
「ん? 何?」
「目が……獣の目になってるぞ」

(…………は?)

「瞳孔が縦長になっている! それに、犬歯が伸びて牙のようだぞ!」
「えっ、嘘っ!」

 鏡! 鏡はないの?!
 それに、黒山羊というのなら瞳孔は横長だろうに! 何で縦長なんだ!
 って、そういう問題じゃない!

 自分の見た目は気になるが、全部後でいい。

「くっ……今はいいわ! それより、ハイジ、傷口を見せて!」
「……こうか」
「行くわよ。––––治癒ヒール

 魔力がハイジの腕を形作る。
 どうやら、意識しなくとも元の形が何かに記憶されているようだ。

治癒ヒール!)

 あたしの腕が治ったのと、同じ工程を。
 そう意識して魔力を操る。
 バチチチ、と額から魔力が弾ける音がする。

「やめろ、もういい、リン、戻れなくなったらどうする!」
「意識ははっきりしてるわ」
「だが……」
「大丈夫––––あなたにあたしを殺させるような真似はさせないから」
「……そうか」

 あたしの言葉に、ハイジは満足したらしい。
 何しろ、あたしはこれ以上ないほどに理解している。
 大切に思う人をその手にかけなくてはならないことほど、残酷な仕打ちはないのだ。
 ハイジにもそれが理解できたなら……あたしが魔獣化してしまったことくらいはどうということはない。

 バチ、バチと角から音がする。
 視界はますます明るくなって、

「––––できた」

 ハイジの腕が元通りになった。

「……ふむ」

 ハイジは手を握ったり開いたりしながら、腕を観察する。
 そして、あたしと同じように、を放り捨てた。

「大したものだ」
「でも、ハイジ、経験値がもったなかったね」
「いや」

 ハイジ腕をぐるぐると回して言った。

「切った腕をつないだのとは違うな」
「そうなの?」
「ああ、おれも経験しているが、一度切り落とした腕は、もはや俺の腕とはいえない。だがこれは––––使い勝手も、力も、何もかもが元通りに思える」

 お前もそうなのではないか? とハイジは言う。
 ぐるぐる回して試してみる。

「確かに、違いがわからないわね」
「つまり……これが本当の治癒なのだろう。死んだ腕をつなげるようなその場しのぎではなく」
「なら……」
「ノイエの治癒にも期待できるな」


# Hermanni


あったまおかしいんじゃねぇのか、あいつら!?」

 二人の様子を見て、ヘルマンニが叫んだ。
 ちなみに頭のおかしい光景を見ながらキャーキャー金切り声を上げていたペトラは、とっくに失神している。
 ついでにヴィーゴも気分が悪くなったらしく、座り込んで眉間を指で揉みながら唸っている。

 ––––まともじゃない。
 ––––完全に狂人の所業だ。

「いや、俺たちのためだってのもわかる。むしろ俺のためってことも。でもよ……」

 普通切り落とすか?
 自分の腕だぜ?
 痛みだって、耐えられるはずもないはずだ。
 その上、うまくいかなかったら腕がなくなっちまうんだぞ?

「せめて、ちょっとくらい躊躇しろ!」

 あまりのことに我慢できずに叫ぶも、ヴィーゴは言った。

「……諦めろ、ヘルマンニ。あれが『番犬ハイジ』と『黒山羊リン』だ。奴らがいる場所は、すでに俺たちの考えが及ぶ領域じゃないんだろう」
「……本心は?」
「とっとと終わらせて、あのバカどもを俺の前に引っ張ってこい! 師匠のかわりに俺がぶん殴ってやる!」


# Heidi


「では、次は肉体強化か」
「……コツはわかった。多分行けると思う。順序が逆になっちゃったけど……怪我の功名ね、読んで字のごとく」
「笑えない冗談だ」
「……視界が変わるから気をつけて」

 あたしは自分の中に巡回する魔力を、そっくりそのままコピーしてハイジに注ぎ込む。

「––––時間、停止ッ!」

 パシュッ、と視界が切り替わった。
 全ての音が停止し、走るあたしたちも静止状態になる。
 風に吹かれて舞い散る木の葉が、空中にピタリと止まっている。

 じわじわとしか動けないスローモーションの世界で、あたしたちは時間の膜を破るかのように、世界を置き去りにして世界を飛び出す。
 静止した世界を行動できるようになった。
 極端な時間の流れの速さの変化について行けず、思わず転げそうになるのをなんとか持ち直す。
 同じくつんのめったハイジだが、さすがは英雄、すぐに耐性を立て直した。

 時間停止と言っても、完全に止まっているわけではない。ただの超超加速である。
 この世界では、元の時間の流れの中と比べて、やや薄暗く、視界はややピントが甘いくなる。全体的に色が浅く、どこか無彩色に近い、とした世界だ。

「これが、リンの見ている世界か」

 ハイジが興味深そうにあたりを見回す。

「……通常の時間の一時間足らずで到着するはずよ」
「凄まじいな。これではおれでも、お前とやり合えばただでは済まないだろう」
「やり合わなきゃいいじゃないの。というか、もうあたし、あなたと戦うのは嫌よ。訓練ならともかく」
「尤もだ」

 ほとんど止まった時間の中では、色んな部分で通常の時間の流れとは異なった見え方がする。
 例として……かなり遠くまで、ベタッとピントが同じなのだ。
 焦点はやや甘いが、その分はるか遠くまで見通すことができる。

「……ノイエ君、まだ生きてるかな」
「生きていてもらわねば困る。それに、もし何かあればヘルマンニから連絡が入るだろう」
「……無理だと思うけど」
「……ああ、なるほど」

 この時間の流れの中にいる限り、ヘルマンニも声をかけることは出来ないだろう。
 なにせ、何十分の一の速度でしか時間が流れていないのだ。

「ならば、今この世界には、おれとお前しか居ないのと同じだな」
「……随分ロマンチックな事を言うのね、ハイジ」
「ロマンチック? 師匠にも言われたことがあるな。自分ではわからないのだが……」
「でも、確かににハイジの言う通りね」

 この世界には、あたしとハイジしかいない。
 同じ時間に、たった二人だけ。

 クス、と思わず笑う。

「どうした?」
「ねぇ、ハイジ、試しにロマンチックなことを言ってみてよ」

 無茶振りをしてみる。

「今なら、誰にも聞かれることはないよ? ほら、何か言ってみて」
「……と言われてもな」

 こちらは半分からかうつもりで言っているのだが、どうやらハイジは真面目に受け取ってしまったらしい。
 何やら悩んでいるようだ。

 と。

「リン」
「何?」
「ロマンチックは、全てが終わってからだ。期待して待っていてくれ」
「?!」

(うわぁあああああああああ)
(そのセリフがすでに十分ロマンチックなんですけどーーーーー?!)
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