魔物の森のハイジ

カイエ

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#4

幕間 : Heidi 4

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 #3 幕間 : Heidi 3 の続きで、若い頃のハイジの話になります。


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 師、傭兵『賢愚者』アゼム・ヒエログリードの下に預けられたハイジは、数年が過ぎてもまだ戸惑ったままだった。

 アゼムは厳しく、そしてとことん甘い男だった。
 戦い方を教える時はまるで悪鬼のようで、子供を相手に一切の容赦がない。子どもたちが「殺されるのではないか」と思ったことも数え切れない。
 しかし、訓練が終わると、バカみたいに子どもたちを甘やかす。むしろアゼムのほうが子供に甘えているような有様だ。
 怪我をすれば治療し、うまい飯を食わせ、笑い、時に戦い方以外の––––主に「幸せになるための知識」を教えようとする。

 ここにはハイジとヘルマンニ、それにもう一人、ヴィーゴ・エリメンタリ、通称ヨーコという少年が預けられている。
 ヨーコは背が高く、目が細くてどこか爬虫類じみた冷たい顔をしている。ヘルマンニと仲が良く、アゼムの目を盗んでよく悪さをしている。同世代との付き合い方がわからなかったハイジが巻き込まれるように加わると、まさに悪ガキ三人組といった風情だ。さらに何故か、本来ならそれを止めなくてはならない立場のはずのアゼムまでがそこに加わって、手に負えない男子バカが四人で遊び狂っているという有様だった。
 戦い方を教える時以外のアゼムはうるさいことは何も言わない男だったが、仲違いを極端に嫌うところがあった。喧嘩程度ならむしろ笑って囃し立てるくせに、後でしこりが残りそうだったり、お互いが納得行かず不仲が長く続きそうになると、すぐに仲裁に入った。
 特に人との付き合い方を知らないハイジはよく叱られた。

「仲良くする、好きでいるってことにも努力は必要だ」とアゼムは言う。
 何もしなくても仲良く居られるのは子供のうちだけで、大人になれば良い関係を続けるための努力が必要不可欠なのだと、何度も言い聞かせられる。どんなに戦い方が上手くても、人に嫌われていては幸せにはなれない。幸せを知らない人間が誰かを幸せにすることなどできない。そういった哲学めいた教育は、特にヘルマンニには響くらしい。ヨーコもそれなりに納得しているようだが、ハイジだけは「だからどうした」と思っている。
 ハイジには、幸せになりたいという熱意がない。むしろ、自分が幸せになることなど許されないと感じている。すでに死にたがりでこそなくなっていたが、いつも笑い声の絶えないこの環境に、ずっと違和感を覚えている。
 
 ここは『魔物の谷』とも呼ばれる魔物の領域で、人が生活するにはまったく不向きな土地だ。しかし、強くなるためにはうってつけということで、アゼムたちはあえて危険な谷近くに居を構えている。
 魔物の領域とは、要するに魔素が濃すぎる場所だ。それを浄化するために、そこで生きる生物が余分な魔素を吸って魔化するという。
 魔物の領域なら敵には事欠かない。さらに魔物の質が高い。倒せば大量の経験値が得られる。戦争で人間を殺すよりも、魔物の領域で魔獣を倒すほうが数倍、数十倍も効率がいい。
 
 そんな危険な場所であるにも関わらず、四人の少年(アゼムはとっくに中年だが、中身は少年ガキである)はいつもバカをやっては笑っている。魔獣との戦いも、食料や水の入手も、訓練というよりは冒険ごっこじみている。
 秘密基地のような生活拠点では、いつも誰が洗濯や食事の当番をするのかで賭け事が行われた。はじめ、一番弱かったハイジは毎日掃除や洗濯、料理当番などをやらされていたが、特に苦にした様子はなかった。むしろ、ヘルマンニやヨーコが料理当番になると嫌な顔をした。かつては死にたがりだった少年も、まずい料理には勝てないらしい。
 ハイジはめったに笑わないが、少しずつ打ち解けてはきている––––と、アゼムは感じている。少なくとも、ここに連れて来た時はいつ谷底に身を投げるんじゃないかとハラハラさせられたものだが、今はその様子はない。むしろ生き汚く戦うタイプだ。
 
 戦うことにストイックなハイジはメキメキと頭角を現していく。
 敵を殺すとは、すなわち魔素を奪うということである。魔化した生物に限らず、生物は必ず魔素を持っている。殺し合いとは魔素の奪い合いであり、魔素とはすなわち経験値だ。
 経験値は、自分を望んだ形へと変化させる。獣なら敵に狩られないように、素早く、獰猛かつ狡猾に変化する。そのうちに魔素に飲み込まれて理性を失うと、額から角が生えてくる。角が短ければ大したことはないが、途中でへし折れるほどの長い角を持った魔獣は要注意である。
 人間ならば、その経験値を選択的に利用できる。人間が魔化しないのはそうした理由だが、ハイジの場合はやや特殊だった。ほとんどの人間は速さや力強さといった部分に経験値を全振りするものだが、ハイジの場合、それに加えて体の大きさを望んだ。暇さえあれば魔獣を狩り、貪欲に経験値を稼いでは、速さ、強さ、器用さ、大きさをバランスよく調整していく。
 そのうちに、アゼムの背丈を超え、少女のようだった華奢な体躯はもはや見る影もない。

 アゼムは酒飲みだった。訓練が終わり、夜になるといつも強い香りのする黍酒ラムを飲んで管を巻いた。内容はだいたいが下らないもので、昔惚れていた女に振られて泣いた話や、「オレはお前たちが大好きだー!」などという、弟子たちからすればあまりオッサンから聞きたいものではないものだったりしたが、師匠が弟子とイチャつきたがっているのだから、それに付き合うのも弟子の仕事と割り切っている。
 そのうちに年長だったヨーコも酒に手を出すようになり、すぐにヘルマンニも酒の味を覚えた。三人の酔っぱらいを前にハイジだけは途方に暮れていたが、ここで自分まで酔っ払っては、魔獣の格好の餌食になってしまう。しかたなく全員をずるずる引きずって寝袋に放り込み、ついでに意識を落とさずに周りを警戒しながら眠るという器用な特技を身に着けた。
 
 
 ▽

 
 谷からほど近い場所にある白樺の森に、白樺の枝を入手しに行くことがある。
 森は、谷よりもさらに魔窟である。魔物の谷を拠点としているアゼムですら「魔物の森で暮らすなんて正気じゃない」と言うのだから相当だ。
 白樺なら谷の近くでもいくらでも生えているが、見た目は変わらなくとも、魔物の森の白樺は魔化している。その魔化した白樺の枝が狙いである。
 
 戦闘訓練では、怪我をすることは日常茶飯事だ。
 小さな怪我なら放っておけばいい。しかし、痛くて動けないほどの捻挫や後遺症の残りそうな怪我、あるいは骨折などは、訓練に差し支える。何日も寝て過ごせば、あっという間に力も技術も衰える。
 そんな時は、アゼムはサウナを組み立てる。サウナは小型のテントに薪ストーブが置かれたようなものだ。谷底の川沿いに設置して、ストーブに薪をガンガン焚べて湯を沸かすと、テントの中はもうもうと煙りはじめる。
 ハイジが初めて大怪我をした時、アゼムはすぐに訓練を取りやめてサウナを沸かすと、ハイジを裸にひん剥いてサウナに放り込んだ。何をされるのかと戦々恐々としていたが、魔化した白樺を束ねたもの––––後にそれを『ヴィヒタ』と呼ぶことを知った–––で、バシバシと乱暴に叩かれた。
 そもそもが自分の安全に無頓着なハイジは、意味がわからないまま叩かれていたが、酷く腫れていた足首や、顔や肩に負った深い疵がみるみる治癒していくことに気づいた。
 これはいいものだ。どんなに怪我をしようが死にさえしなければすぐに治る。ならば、ますます遠慮なく戦える。もっと鍛えることができる。ハイジはそう考えた。


 ▽


 夜になれば酒盛りが始まる。
 ハイジの背丈は師であるアゼムを当に超えている。酔っ払ったアゼムに「こんなにでっかくなっちまって、どっちが親でどっちが子だかわからねぇじゃねぇか!」と言って抱き着かれたりするが、そもそも親でも子でもない。あくまで師匠と弟子である。鬱陶しくなったハイジはアゼムをベリリと剥がし、焚き火のそばに転がした。

 ハイジは自分の手を見つめる。その手は、すでに敵を憎むだけで何もできなかった頃の面影はない。
 強くなった自覚はある。まだまだアゼムには手も足も出ないが、たまに谷に訪れるラハテラなどの兵士や傭兵(こいつらが来ると、酒盛りが長引くのでハイジは嫌がっていた)曰く、アゼムの弟子は三人ともすでに傭兵としては十分に一人前で、ハイジに至っては、そろそろ強者の仲間入りができそうだという。
 しかしハイジは少しも満足していない。自分は一対一で戦って勝つことしかできない。ハイジもすでに子供ではないのだ。ハーゲンベックを打倒するには、腕っぷしだけでは足りないことくらいは理解している。しかし、ハイジにはまだどうすることもできない。
 もっと強くなりたい。もっと勉強して、政治的な力をも身につけたい。
 
(まるで、戦うために産まれてきたみたいだ)

 ハイジはそんなことを思う。
 彼は元来、戦うことが好きなわけではないのだ。どちらかといえば穏やかな質で、できれば日々の生活のちょっとしたことを楽しみながら、ひっそりと静かに行きていきたい。それなのに、いつの間にか敵を殺すことだけが生きる目的となっている。今では、ハーゲンベックを打倒すること。それすなわち戦うとこと、つまりそれこそが生きるいうことである。

 ハイジはすっかり『戦う者』に生まれ変わっていた。
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