魔物の森のハイジ

カイエ

文字の大きさ
上 下
57 / 135
#4

しおりを挟む
「じゃあ、サーヤ様、とでも呼べばいい?」
「やめてよ、堅っ苦しいのは嫌い。様付けも余計だわ。同じ日本出身なのよ?」
「そう……じゃあ、あたしもサーヤって呼んでいいのかな」
「ええ、そう呼んでくれると嬉しいわ。リンちゃん」

 サーヤは、人の心に入り込むのが上手いらしい。するりと懐に入られてしまった。
 あたしの中の警戒心があっという間に解除されていく。
 さすがは貴族と言わざるを得ない。

「それで? あたしと会ってみたかったって言ってたけど、目的は果たせたかしら。ご期待に沿えてたらいいんだけど」
「もう、そんなに構えないで。ただ……うん、そうね。私もずっとハイジのことは情報を集めていたのだけれど、また『はぐれ』を拾ったらしいと聞いたときは驚いたわ」
「どんなヤツだろう、って思ったでしょう?」
「正直思った!」

 そう言ってサーヤは笑った。
 なんとも言えない魅力的な笑顔だった。

「私ね、彼のことが好きだったんだけど……一緒にいられなかったの。そのあたりの話は知ってる?」
「んー、少しだけ。でもほとんど知らないかも」
「そう。でもそうね、だからリンちゃんの存在を知ったときは、やきもちを焼いちゃった」
「やきもち?」
「だって……あたしじゃ彼の横には立てなかったから」

 そういうサーヤに、暗い印象はない。

「役に立てないって……何故?」
「戦えないからよ」
「やってみればよかったのに。ハイジは戦い方を教えるのが上手いよ?」
「私、体が弱いから。激しい運動をしたら、すぐに熱が出るし」
「ああ……それじゃあハイジのしごきには着いてこれないか……」
「それに、彼の負担になるのも嫌だったのよ。寂しの森での生活も厳しかったし」
「ふぅん……」
「だから、ある日、お義父さま––––ライヒ伯に養女として迎えたいって言われて、行こうって決めたの」
「なぜ? ハイジのことが好きだったんじゃないの?」
「好きだったからよ」

 サーヤは屈託なく笑う。

「彼って過保護じゃない?」
「まぁ、そうね」
「彼、もし自分が死んだら、そのあと私がどうなるかわからないって。私は一人では生きていけなかったし、もし彼が死んで残されたら、きっと貴族に攫われるか、下手をすると奴隷にされるかも、って言われてね」
「ああ……」
「あたしが貴族の一員になること彼が望んだから、あたしはそれを受けたんだ」
「そうだったんだ」
「戦う力があればまた違ったんだろうけどね。あたしでは、彼を支えることもできないでしょう?」
「ハイジはそんな事、求めないと思うけど」
「あたしが嫌だったのよ。それに、彼ってば、あたしのことを女だと思ってなかったのよ?」
「……あれ? ハイジって貴方のことが好きなんだと思ってたんだけど」
「うーん、それはないんじゃないかな。だってあの人、いつもしかめっ面で、あたしが寂しくなって甘えに行っても、いつも全然相手にしてくれなかったのよ?」

 ひどいと思わない? とサーヤが言う。
 いやぁ、それはハイジなりの配慮だったんじゃないかなぁ、とは口にしなかった。


 * * *


 それからあたしたちは、ハイジについて色々な話をした。
 どうやらハイジは、当時も今と変わらないデリカシー無し男だったらしい。
 ぶっちゃけた話、あたしがドン引きするようなエピソードが目白押しだった。

「やっぱりあの男、ただのバカなんじゃないの」
「わたしも何度そんなふうに思ったことか……」

 変な共通項のおかげで、妙な連帯感を得てしまった。

「あの頃、当時ライヒ伯は隣の領地の領主だったのよ。当時、この領地は別の領主が収めててね……ひどい有様だった」
「ハーゲンベック伯爵時代ね。話は聞いたことがある」
「餓死者は珍しくなかったし、身売りが横行したせいで、子供の数も激減してね……。わたしも目を付けられたわ」
「モテモテじゃないの」
「冗談じゃないわよ! あの男の愛人になるくらいなら魔獣に食い殺されたほうがいくらかマシ!」

 随分な嫌われようだ。
 まぁ、あたしでも同じことを思うだろうけど。

「彼はライヒ方に付いて勝利を収めたの。まぁ、要するに侵略したってわけね」
「うーん、まぁ……ハーゲンベックにとっては侵略ね、たしかに」
「侵略というと言葉は悪いけれど、この世界では領主が変わることなんて珍しくないし、良い領主に変わることが街の皆の生活にとって良いことでもあったのよ」
「確かに、今のこの街では、ホームレスでも生きていけるくらいね」
「へぇ……! すごいわ。当時とは雲泥の差ね。……でも、当時のライヒ領は弱くて、かなりの劣勢だったのよ。でも、彼はあたしのためにライヒ伯爵について……結果、ライヒ領はは拡大して今の形になったわ」
「だから、言うとおりに伯爵の養女に?」
「彼と伯爵の契約だったしね」

 つまり、ハイジは想い人のために、その想い人自体を交渉材料にしたわけだ。
 ミッラが言っていた「意外に交渉ごとなんかも得意」っていうのはこのことだったのかもしれない。

「でもねぇ……当時私ははまだ若かったし、彼と離れたくなくてね」

 サーヤはそう言って物憂げにため息をつく。

「今も十分若々しいでしょうに」

 実際、さほど年上にも見えない。人妻だというのが信じられないくらいには若々しくみえる。
 単純に日本人が童顔だというだけではないだろう。

「茶化さないでよ……。それで、ボディーガードとしてでいいから、って無理を言ってそばに居てもらったんだけど、それも長く続かなかったのよね」
「……なぜ?」
「我慢できずに、彼に告白したのよ、好きだ、愛してる、って」

 思わずヒュウ、と口笛を吹く。

「それで、ハイジはなんて?」
「その日のうちに消えちゃったわよ! 返事はただ一言、『聞かなかったことにする』って……!」
「うわぁ……」
「流石にちょっとないわよねぇ……まぁ、領主の養女が一傭兵に恋慕したとなると、スキャンダルになるとでも思ったのかもしれないけど……」
「いやぁ……それにしてももう少しなにかあっていいでしょ」
「わかってくれて嬉しいわ」

 二人して「それはない」と首を振った。

「……今もハイジのことが好き?」
「そりゃあもう! ……と言いたいところだけれどね。 今の好きは、当時の好きとは違うわ。恋愛感情ではなくて……そうね、父親みたいな感じかも? だってあたし、彼に出会ったのって12歳の時なのよ? それからずっと彼のことを父親がわりに頼って生きてきたんだから!」
「ははぁ、エディプス・コンプレックスみたいなものなのかな……。あれ? でもそれじゃ、感覚的にはほとんどにこちらの世界の人じゃないの? 日本に居た頃の記憶なんて殆ど無いんじゃない?」
「そうね。もう本当の両親の顔もおぼろげで、ハイジやペトラの顔のほうがくっきり思い出せるくらい!」
「それだと、貴族が求めたところであまり期待に添えなかったんじゃないの? ライヒ伯は『はぐれ』の優れた能力を期待してたんじゃないの?」
「……うふふ。これは秘密なんだけど……あたし、未来のことがわかるのよ。大きな出来事に限るんで使いづらい力なんだけど」
「おお!」

 ちょっとだけの未来だけどね、とサーヤは言った。

「……未来予知?」
「そう。悪い未来なら、回避方法もある程度わかるわね」
「それは……貴族が欲しがるわけだ」
「彼はずっと秘密にしてたけどね。ライヒ伯のことだけは信頼していて、売り込むために教えたみたい」

 サーヤの人生は、あたしとは比べ物にならないくらい波乱万丈だった。
 そして、ハイジへの想いの強さも、比較にならない。
 サーヤは「すでに恋じゃない」なんて言っているが、本当はきっと……。

「今は、ライヒを離れて隣のオルヴィネリに嫁いで、皇太子の妻として生きてるわ。信じられる? あたし、来年にはお妃さまなのよ。昔はあんな山小屋生活だったのに!」
「サーヤの部屋、まだ残ってるわよ。今はあたしが使わせてもらってるけど」

 ごめんね? と言うと、良いのよ、サーヤが笑う。

「それを言ったら、この部屋だって昔あたしが使ってたのよ」
「えっ? あっ、そりゃそうか。ここに預けられてたから……」

 なんだか何から何まで先を越されているようで、ちょっと悔しい。

「寂しくない?」
「ええ。心配しないで? 政略結婚ではあったけれど、やさしい旦那様なのよ? ……今は幸せよ」
「そう、良かった」
「でも……彼にはちゃんとお礼を言いたくて、ずっとそれが心残りだったの。だって、何度も手紙を出したり、遣いを出したりしたのに、一度も会ってくれなかったのよ!」

 そう言って、サーヤはあたしを見つめて、満足そうに笑った。

「だから、リンちゃん。貴方から伝えて。彼に、ただ、ありがとうと」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

風のフルーティスト -Canary-

蒼乃悠生
恋愛
 ——私は音に恋をした。  ——でも、恋の音とは、どんなものかわからない。  結婚をしていない三十三歳の女、眞野しほり(まのしほり)。  甘えたがりの性格から、元彼から「甘えるな」と言われ続け、人に甘えてはいけないと考えている。  母親から彼氏はいるのか、結婚はまだかと責められる中、会社の先輩奈良栄楊(ならさかやなぎ)に優しくされる。  ある日、〝練習〟の帰り道、後ろを付いてくる人影が。  実は落とし物を届けにきてくれた、高校生の福岡湊(ふくおかそう)だった。  親友の日野和夏希(ひのわなつき)と一緒にフルートとピアノのコンサートを開く予定だったが、ある人物に大切なフルートと夏希を傷つけられ、開催が困難な状況へ。  音を通して、改めて音楽と、高校生という年の差がある湊への気持ちを見つめ直す、音の恋愛物語。 「ずっとそばにいたい」 「湊くん、好きになって……ごめんなさい」 「年齢差の壁は、高いなぁ」 「私、嘘をつきたくない」 表紙:神葉あすと様(@kanburst) 私の突然の申し出に対応いただき、ありがとうございました!! 当作品は、「風のフルーティスト」の改稿版です。 内容、キャラクターの容姿、口調、性格の微調整、文章などを訂正しました。

『ラノベ作家のおっさん…異世界に転生する』

来夢
ファンタジー
『あらすじ』 心臓病を患っている、主人公である鈴也(レイヤ)は、幼少の時から見た夢を脚色しながら物語にして、ライトノベルの作品として投稿しようと書き始めた。 そんなある日…鈴也は小説を書き始めたのが切っ掛けなのか、10年振りに夢の続きを見る。 すると、今まで見た夢の中の男の子と女の子は、青年の姿に成長していて、自分の書いている物語の主人公でもあるヴェルは、理由は分からないが呪いの攻撃を受けて横たわっていた。 ジュリエッタというヒロインの聖女は「ホーリーライト!デスペル!!」と、仲間の静止を聞かず、涙を流しながら呪いを解く魔法を掛け続けるが、ついには力尽きて死んでしまった。 「へっ?そんな馬鹿な!主人公が死んだら物語の続きはどうするんだ!」 そんな後味の悪い夢から覚め、風呂に入ると心臓発作で鈴也は死んでしまう。 その後、直ぐに世界が暗転。神様に会うようなセレモニーも無く、チートスキルを授かる事もなく、ただ日本にいた記憶を残したまま赤ん坊になって、自分の書いた小説の中の世界へと転生をする。 ”自分の書いた小説に抗える事が出来るのか?いや、抗わないと周りの人達が不幸になる。書いた以上責任もあるし、物語が進めば転生をしてしまった自分も青年になると死んでしまう そう思い、自分の書いた物語に抗う事を決意する。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子様と過ごした90日間。

秋野 林檎 
恋愛
男しか爵位を受け継げないために、侯爵令嬢のロザリーは、男と女の双子ということにして、一人二役をやってどうにか侯爵家を守っていた。18歳になり、騎士団に入隊しなければならなくなった時、憧れていた第二王子付きに任命されたが、だが第二王子は90日後・・隣国の王女と結婚する。 女として、密かに王子に恋をし…。男として、体を張って王子を守るロザリー。 そんなロザリーに王子は惹かれて行くが… 本篇、番外編(結婚までの7日間 Lucian & Rosalie)完結です。

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

あなたの推し作家は私

石田空
現代文学
BL小説を書いて、のらりくらりと結婚の話をかわし続けている野々子。しかし周りはなにかと言ってきてうるさい。 そんな中、隣のサラリーマンの浜尾が落としたものを拾ったときに、自分の小説を見つけてしまった……。 「あ、それ。私の本です」 人間嫌いのBL小説家と、訳あり腐男子サラリーマンが、ひょんなことから一緒に同居しながら人生を見つめ直す。 *人のトラウマを刺激するシーンが予告なしに出ますので、体調が悪い方は閲覧をお控えしますようお願いします。

処理中です...