魔物の森のハイジ

カイエ

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「ええーっ! リンちゃんは女の子だよ! そんなの無理無理無理!」

 ニコがあたしを庇うように抱きついて、トゥーリッキをキッと睨む。

(こらこら。その人副ギルド長だから。偉い人なんだから睨むのはよしなさい)

 ニコはトゥーリッキからあたしを庇いながら、フーッ! と威嚇している。
 可愛かったので、とりあえず頭をなでておく。
 トゥーリッキはそんなあたしたちを見ながら苦笑している。

「ニコさんはこう言っておられますが、リンさんはハイジ君の弟子なのでしょう? 怪我をさせないよう子供に稽古を付けるくらいのことはできるのでは?」
「そんな! 違います! リンちゃんはハイジさんの弟子なんかじゃなくて、えーっと、ほら、あれ! ただの恋人ですッ!」

 ブーと紅茶を吹き出す。

「ひゃああー! リンちゃんの口からお茶がぁ! あたしの頭にぃい!」
「……ニコ……」

 あたしはハンカチを取り出して口を拭きながら(ついでにリンの頭も拭いてやる)、誤解をはっきりと正しておく。

「あたしとハイジはそんな関係じゃない」
「ええーっ! だって、リンちゃんはハイジさんのことが好きで、ハイジさんもそんなリンちゃんを受け入れてるじゃない!」
「好きじゃない。師としては尊敬しているし、そういう意味ではもちろん彼のことは好きだけど、男女の関係ではないよ」
「うそだぁ」

 ニコの眉がハの字になる。

「嘘じゃないよ」
「だって、突然ハイジさんを追いかけて押しかけたって聞いてるよ」
「誰に?」
「ペトラに」
「……」

(ペトラめ)

 間違いではないだけに質が悪い……でも言い方に悪意があると思う。
 魔力を通して見たあのキラキラは、あたしの見間違いであったか。

「残念ながら、愛だの恋だのという意味では、彼とはなんとも無いよ、本当に」
「そんなぁ……絶対ラブラブなんだと思ってたのに……」

 何故残念そうなのか。

(まぁ、サウナじゃ裸の付き合をしてるけどね)
(あれは治療の一環だし、ノーカンでしょ)

 そこで「んんっ」というトゥーリッキーの咳払い。

「念の為に再確認しますが、リンさんとハイジ君は、恋人同士ではないのですね?」
「断じて違います」

 名誉にかけて、と片手を上げてみせた。

「なら、稽古のほうはどうでしょう? 引き受けてもらえないでしょうか」
「どうですか、と言われましても、あたしでは力不足です。それに、ペトラの店を手伝う約束もありますから、お断りします」
「随分きっぱりと断りますね」
「先約がありますから」
「ここを紹介したのが誰だったか、お忘れですか?」
「……」

(そういえば、ペトラの紹介だった)
(つまり、ペトラは了承してるということか)

 とはいえ、そんな大役はあたしには荷が重い。

「無理ですね。実力不足というのも本当なので」
「ハイジ君は「問題ない」と仰ってましたが?」

 ハイジが?

「お受けします」

 ハイジが言うのであれば、一も二もない。受ける。
 あたしがころっと意見をひっくり返したからか、ニコとトゥーリッキーはガクッとした。

「変わり身が早いですね」
「無駄が嫌いなので」

 結論がわかっていることを引き伸ばすような会話は好きではない。

「……あなた、ハイジ君の子供か何かではないのですよね?」
「そう見えますか? あんな熊男の子供だなんて、冗談じゃないです」
「見た目の話ではなくて…‥性格というか、性質というか……周りから似ていると言われませんか?」
「今のところは言われたことはないですね」
「では、私が栄えある一人目ですね」

 あなたたちはよく似ています、とトゥーリッキは断言する。

「リンちゃん……! そんな危ないことしちゃダメだよ!」
「危ない? 子供の相手が?」
「そうだよ! 危ないよ! 子供でも男の子なんだもん、乱暴だし、デリカシーはないし!」
「魔獣と比べたら、子猫みたいなもんだよ。大丈夫」
「ほほほ」

 トゥーリッキはおかしそうに笑う。
 クールで眼鏡なメアリポピンズも、笑うと人懐こいことを発見。

「とりあえず、今ちょうど、ギルド裏にハイジ君と子どもたちがいるはずです。顔を見せては如何でしょう」
「わかりました」
「同行は必要ですか?」
「不要です。……あ、トゥーリッキさん」
「何でしょう?」
「このお茶の葉ですが、分けてもらったりできますか?」

 魔力回復のハーブティは持ってきているが、あれは寝る前に飲むものじゃないのだ。この味なら、ミルクティにすると良さそうだ。

「快諾のお礼として、給料に上乗せする形で融通しておきましょう」

 トゥーリッキはそう請け負った。


 * * *


「やぁ!」「くそー!」「やぁああーー!!」

 カン、カン、カコン。

 ギルドの裏手に回ると、子どもたちの元気な声が聞こえる。
 見れば、いつもどおりハイジが子どもたちを虐待……否、稽古をつけていた。

「やぁーーっ!!」

(あ、ヤーコブ少年)
(驚いた、随分速くなってるね)

 ハイジを追って街を出ると決めたあの日以来、あたしはヤーコブ少年のことは完全に忘れていた。
 一時的とはいえ、一緒に同じ敵(ハイジ)に立ち向かった戦友だと言うのに、我ながら薄情なことだ。

「ひっ」

 腰にしがみついているニコが覚えた声を出す。
 ニコって、おバカで可愛いとは思ってたけど、運動も苦手なのか。

(ペトラに拾われてよかったね)

 ニコは性格もいいし働き者で可愛い。
 だからおバカでも運動音痴でもいいのだ。ぜひ幸せになってほしい。

 そんなことを考えていると、空からヤーコブ少年が振ってきた。
 ニコをかばってヒョイと避けると、ヤーコブ少年はかろうじて体勢を変えて足から着地。
 あたしと目が合った。

「よっ」
「……久しぶりね」

 そっけない再開の挨拶。
 どうやらヤーコブ少年はあたしのことを覚えていたらしい。

「何なに? リンちゃんの知り合いなの?」
「あぁ? 誰だよそいつ?」

 あたしの影に隠れて怯えるニコを、ヤーコブ少年が威嚇する。

「女性に向かって『そいつ』はないでしょ?」
「……ちっ、うっせぇな」

 そう言ってヤーコブ少年は背中を向ける。

(若いなぁ)

 って、これではあたしがおばさんみたいではないか。

(まだ十八歳だっての。……あれ? もしかしてもう十九?)

 そんな事を考えていると、ハイジがいきなりこちらに木刀を投げつけてきた。

「うわっ!」
「ひゃああああ!」

 木刀はくるくると結構な勢いで飛んできて、ヤーコブ少年とニコが驚いて悲鳴を上げるが、あたしはそれをパシッと受け取る。

「ええっ……! リンちゃん! すごいっ!」
「ありがと」

 そんな大したことはしていない。時間を『加速』してやれば、飛んでくる木刀を受け止めるくらいのことはできる。
 誇ることでもないのでニコに適当に称賛のお礼を言いつつ、ハイジに「なに?」と首をかしげてみせる。
 ハイジは、クイッと首を動かして「あとはお前がやれ」と言外に伝えると、くるりと背を向けた。
 そのままスタスタ歩き出す。

「「「えっ?!」」」

 木刀を投げたと思ったら、いきなり帰ろうとするハイジに、子どもたちが声を揃えて驚いた。

(そりゃまあ、驚くわな)
(だから、言わなきゃ伝わらないっての、バカハイジ)

 まぁいい。あたしはもう「引き受けた」のだ。言うなれば、魔獣を前に「Go」の口笛が鳴ったようなものだ。躊躇する時間がもったいない。
 あたしはニコを引き剥がし、スタスタとハイジがいた場所まで移動し、子どもたちにクイッ、と「かかってこい」ポーズで挑発してみせた。

「はぁ?」

 なめた態度で動かないヤーコブ少年と、事態についてこれずにオロオロする他の子供2人。

「何? どうしたの? かかってきなさい? それか……怖いのなら帰っていいわよ」
「はぁっ!? お前、なめてんのか?!」
「……あら、口喧嘩がしたいの?」
「ちっ」

 ヤーコブ少年は舌打ちして、やる気が無さそうに歩いてきて、あたしの目の前に立つ。
 顔を歪めて下から睨みつけてくるヤーコブ。
 なんだか、ヤンキー漫画みたいだ。
 読んだこと無いけど。

「だからお前、なめてんの? なんでお前がハイジの代わりにここに立ってんだよ。……邪魔。どけ」
「……あっそ」

 いちいち言葉にするのも時間の無駄だと思ったあたしは、ヤーコブ少年を蹴っ飛ばして転がした。
 ニコの「リンちゃん?!」という悲鳴が聞こえてきたが、とりあえず今は自分の役割が優先だ。

「イッテェな! てめぇ何すんだ!」

 ヤーコブ少年はゴロリと転がって起き上がると激昂。フシャーと威嚇する。
 威嚇してる時間があれば攻撃すればいいのに。

「遅い」

 あたしは「加速」してヤーコブ少年をふっとばす。
 一応は怪我をしないように、足から着地できるようにはしたけれど、この動きでは「寂しの森」ではやっていけないだろうな、とヤーコブの評価を一段階下げた。

「てめぇ!」

 着地したヤーコブ少年は、そのまま突っ込んでくるが、あたしはそれを難なく迎撃。
 カツンと木刀を叩き落として、そのまま足の間に突っ込んで転がしてやる。

「ギャッ」と無様な声を上げて転がるヤーコブ少年。
 あわてて起き上がり、あたしを睨みつける。
 どうやらようやく想像よりもヤバい相手だと気がついたらしい。
 悠長なことだ。

「てめぇ……確かリンっつったか」
「名前覚えてくれてたのね。ありがと」
「生意気な女だな……俺たちは、ハイジから習いたいんだよ、引っ込んでろよ」
「そのハイジがあたしに任せたんだから、あたしとの稽古がハイジとの稽古よ」
「は? ……え? ……なんだそれ? 意っ味わっかんねぇ……」

 聞いてねえよ、と怒り出すヤーコブ少年。
 というか。

(何を悠長におしゃべりしているのだ)

「で、あんたは何? ペラペラくっちゃべってないでかかってきなよ」
「何だとっ!? 俺はお前を認めねぇって言ってんだよ! 聞けよ!」
「口数が多い」

 とりあえず、加速してヤーコブ少年を転がす。

「なっ……! 何なんだお前は! 女のくせに!」
「はぁ?」

(まだ喋り足りないのかしら)

「バカなの? 」
「なんだとっ!?」
「あんたは魔獣を前に、まず性別を確認するの? それで? 敵が雌なら黙って殺されてくれるとでも?」
「ぐっ……」
「……魔獣をなめるな」

 強い意志を込めて、ヤーコブ少年を睨みつけると、十分な威圧になったようだ。
 ヤーコブ少年が脂汗を流し始める。
 他の二人も(あとニコも)、固まって動けなくなっている。

「……かかってこないの?」

 挑発するが、木刀を拾う様子はない。
 あたしはため息をついて、ヤーコブ少年に背を向ける。

「そう。アンタは口喧嘩がしたいだけで、強くなりたいわけじゃないのね。じゃ、あたしじゃ役に立てないわ。帰っていいよ」

 せいぜい口喧嘩の練習頑張って、と手をヒラヒラしてやる。

「……待てよ!」
「あんたは、逃げる魔獣にお願いするの? 『待ってください』って?」
「なっ……くそっ!」

 口で何を言っても無駄だと悟ったらしく、ヤーコブ少年は木刀を拾って立ち上がる。
 そして、背を向けたあたしに突進してくる。
 ようやくやる気のようだ。
 あたしは、この時すでに時間を伸長、加速に備えている。

「リンちゃんっ?!」

 ニコの悲鳴が聞こえる。
 そしてヤーコブ少年の木刀があたしの背を捉える瞬間に加速––––ヤーコブ少年の後ろに立ち、首筋にヒタリと木刀を添えた。

「はい、これであんたは一度死んだ」
「なっ……?! 今、お前、消えて……何をした……?」
「さあね。知りたいなら何度でもかかってきていいよ。心配しなくても、死んだり後遺症が残ったりしないように、優しくしてあげる」
「……くそっ! ……わーったよ……!」

 ヤーコブ少年は木刀を下ろし、しぶしぶ頷いた。
 うむ、ようやくヤーコブ少年の頑なな心も解きほぐされたようだ(棒)。

(認めてもらえたようで何より)

 ヤーコブ少年ばかりにかまけているわけにもいかないので、隅っこで震えている見知らぬ少年二人にも声をかけた。

「そこにいる二人も」
「「は、はははいっ!!」」
「そんなに怖がらなくていいから」

 あたしは苦笑して、

「ハイジの頼みだからね。大丈夫。ちゃんと強くしてあげるから、安心して?」

 あたしの態度が柔らかくなったので、二人はホッと顔を見合わせる。

「それで、あんたたち名前は?」
「……シモです」
「ヨセフです」
「そう。あたしはリン。よろしく」
「よ、よろしく」「よろしくです」
「それでね、シモ、ヨセフ。これからはハイジが街にいる時だけじゃなく、毎日欠かさず稽古をしましょう」
「……毎日?」
「ええ。訓練は毎日続けないとあまり意味がないから。でも、そうね、週に一度くらいは休んでいいわ」
「わ、わかった」「わかりました」
「いい子ね。……そうだ、シモ、ヨセフ。あとそれからヤーコブも」
「……何だよ?」
「サボらずに一週間続けることができたら、その都度、お菓子を買ってあげる」
「えっ! 本当に?!」
「ええ。約束する」
「やった!」
「お菓子だって!」
「それって、甘いやつ限定? 肉とかでも良いのかな」

 子どもたちが飛び上がって喜ぶ。
 うん、ハイジの訓練って、鞭しかないからね。子供には飴だって必要だ。

「とりあえず、残りは軽く流すくらいにしましょう。三人とも、いつでもかかっておいで」

 優しく笑ってやると、子どもたちは頷きあって、あたしに向かって攻撃し始める。
 笑顔に釣られた子どもたちを、あたしは容赦なく転がした。

 こうして、あたしには3人の弟子ができた。
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