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次期皇帝として Ⅲ
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「たとえばの話だって。まあ、陛下が直接話して下さるんじゃないかな」
「そうね」
自分達だけで色々邪推しても仕方ない。本人の口から聞くのが最も確実だろう。
「――それはともかく、ジョン。お前のその大剣、結局何の役にも立たなかったな」
デニスは先頭を走っているジョンの背負っている大剣に苦笑い。
「使う場面があればと思って、持ってきただけだ。使わないに越したことはないだろ?」
これを使う事態にならずに済んだのは、むしろ喜ばしいこと。リディアもそう思う。
――日が完全に沈んだ頃、三人はレーセル城に帰り着いた。
厩舎に馬を戻しに行ったところで、リディアは顔色を変えた。
「あら、やっぱり……」
厩舎では既に、父の愛馬である黒馬・シャンポリオン号が体を休めている。
「陛下、お帰りになっているようですね。では、俺はこれで失礼します」
ジョンは皇女にペコリと頭を下げ、宿舎の方へと引き上げていった。
「――リディアよ、今帰ったのか」
そこへ、よく通る中年男性の声がして、威厳たっぷりのガッシリ体型の男性が現れた。
金糸で刺しゅうが施された衣服の上に羽織っている赤いビロードのマント、そして頭に戴いている黄金の冠は、この帝国の主である証だ。
「お父さま、お帰りなさいませ。たった今、シェスタから戻って参りました」
「ふむ。そなたがシェスタに出向いていたことは、大臣から聞いていたよ。無事で何よりだった」
イヴァン皇帝は、一人娘が無事に帰ってきたことにホッとしているようだ。服装がどうであれ、そこは気にしないらしい。
「デニスもご苦労だったな」
「はっ。もったいないお言葉、ありがとうございます」
皇帝直々に労われ、デニスは深々と頭を下げた。
(なによ。わたしに対しての態度とは、ずいぶん違うじゃない!)
リディアは不満げだが、姫でも幼なじみの自分と国の主とでは違って当たり前なのかもしれない。
「さっきまで、ジョンも一緒でした」
リディアはシェスタ行きの経緯を、順を追って父に話した。そして、あの町で起きたことの顛末も。
「――というわけで、プレナを脅やかしていた海賊問題も、わたし達で解決してしまいました。お父さま、勝手なことをして申し訳ありません。あれはお父さまのお仕事でしたのに」
申し訳なさそうに詫びた娘を、イヴァンは「いやいや、構わぬ」と温和な表情で許す。
「そなたは次期皇帝として、自らの手で何とかしたいと思ったのであろう? ならば、立派な心がけだ。私に詫びる必要はあるまい」
「お父さま……。ですが、プレナからの使いの方が、まだレムルの町に滞在しているんです。このことを早く報告しなくては」
宿の名前は大臣に伝えてある、とリディアは父に言った。
「では大臣に、私の名代として伝えに行かせよう」
イヴァンは大臣を呼び、プレナの使者が滞在している宿に行ってくれるよう頼んだ。
「命じた」のではなく「頼んだ」のである。
「――ところで、お父さま。スラバットへはどういった理由で行かれたのですか?」
リディアは単刀直入に、気になっていたことを父に訊ねた。
「どのような、とは?」
「外交の目的です。わたしは何も聞かされていません。だから知りたいのです」
リディアが畳みかけると、父は何とも言いにくそうにやっと口を開いた。
「実はな、リディアよ。そなたに、スラバットの王子との縁談の話が出ていてな。それであちらへ赴いていたのだよ」
「えっ!? 縁談……」
リディアは嫌な予感が的中し、デニスと顔を見合わせる。
「どうしたのだ? リディア」
「あの、お父さま。わたしは縁談の話はお受けしたくありません。結婚する相手は、この国の人と決めているんです。ですから……」
相手がここにいるデニスだということは伏せて、リディアは自分の意志を父に伝えた。
「そなたの意志は分かった。だが、私は国賓として、スラバットのカルロス王子を招待したのだ。それは縁談とは別の話だ。それゆえそなたも、そのつもりでいてほしい」
「……はい」
リディアもよく理解している。外交をするうえで、国の代表として招待した国賓は重要な客人なのだ。個人的な事情から蔑ろにすることは、次期皇帝として失格だと。
あくまでも縁談の話は忘れ、国の代表として迎えれば何の問題もない。はずなのだが。
「おっと。これを預かっていたのを忘れていた。王子からそなた宛ての手紙だ」
「は……?」
父から一通の封筒を差し出されたリディアは、またも心乱された。
「カルロス王子の両親――つまり、先の国王夫妻は既に亡くなっていてな。現在は王子が国を治めているのだ。彼はそなたより二つ歳上なのだが、私がそなたの話をしたところ、えらくそなたのことを気に入ったようで」
「では、この縁談はお父さまではなく、王子のご希望で?」
父が頷く。ということは、父を恨むのは筋違いということになる。――ただ、彼女にとって迷惑であることに変わりはないのだが。
「王子が来られるのは、いつなのですか?」
「十日後だと聞いた。その手紙にも認めてあるとな」
十日後……。長いのか短いのか、微妙な日数である。
「――さて、じきに夕食だな。そなたは部屋に戻り、着替えてきなさい。デニスも昨日よりご苦労であったな。宿舎に戻って休むがよい」
「はい」
「では私は、先に食堂で待っている」
父がマントを翻して城内に入るのを見届けて、リディア自身も城内の自室に向かった。
****
父と久しぶりに摂る夕食は、リディアにとって楽しみだったはずなのだが、あまり食が進まなかった。
引っかかっていたのは、スラバットのカルロス王子との縁談のことと、彼からの手紙のことだ。
手紙は共通言語のレーセル語で綴られており、まだ一度も会ったことのないリディアへの情熱的な想いがビッシリと書かれていた。
『愛しいあなたにお会いできることを、心待ちにしております』……
(「愛しい」なんて書かれても、困るだけだわ)
リディアにはもう、デニスという恋人がいるのだから。
そういえば、デニスとの仲を父に打ち明けられなかったことも、リディアにとっては心苦しかったのだ。
皇女と一兵士が結ばれることは、いけないことなのだろうか? 父が知れば、デニスはどうなってしまうのだろう?
彼女は夕食後も、入浴時にもずっと一人でモヤモヤ考えていて、ベッドに入ってもなかなか寝つけず。
絹の寝間着の上からガウンを羽織り、リディアは中庭の四阿に来て、一人物思いに耽っていた。素足ではなく、室内履きを履いて。
――と、背後からコツコツ、とブーツの音がして……。
「……リディア? また眠れないのか?」
振り返ると、そこにいたのは――。
「……デニス。ああもう、驚かせないで!」
ランタンを手にしたデニスだった。安心したと同時になぜか怒りがこみ上げたリディアだが、その感情はすぐになりを潜める。
「あなた、宿舎を抜け出してきたの?」
「ああ。城から灯りを持った誰かが出てくるのが、部屋の窓から見えてさ。もしかしたらお前じゃないかと思って」
「そう」
リディアは頷いただけで、咎めることはしなかった。実は宿舎に暮らす兵士達の、夜の外出は自由なのだ。
「隣り、座ってもいいか?」
「ええ、どうぞ」
リディアが場所を譲り、デニスは彼女の隣りに座る。その長椅子の上で、彼はリディアをしげしげと眺めた。
「そういや、リディアが髪下ろしてるの、久しぶりに見た気がする」
「えっ? そうだったかしら?」
彼女の長い髪は、下ろすと腰の辺りまでの長さがある。蜂蜜色をしたその髪は、今は月明かりに照らされて濡れたように艶めいている。
自然に、デニスの指が伸びた。彼女の滑らかな髪を指先でいとおしそうに撫でる。
リディアはそれを、「心地いい」とさえ感じた。彼の肩に頭を預け、このままずっとやめないでほしいと思った。
「そうね」
自分達だけで色々邪推しても仕方ない。本人の口から聞くのが最も確実だろう。
「――それはともかく、ジョン。お前のその大剣、結局何の役にも立たなかったな」
デニスは先頭を走っているジョンの背負っている大剣に苦笑い。
「使う場面があればと思って、持ってきただけだ。使わないに越したことはないだろ?」
これを使う事態にならずに済んだのは、むしろ喜ばしいこと。リディアもそう思う。
――日が完全に沈んだ頃、三人はレーセル城に帰り着いた。
厩舎に馬を戻しに行ったところで、リディアは顔色を変えた。
「あら、やっぱり……」
厩舎では既に、父の愛馬である黒馬・シャンポリオン号が体を休めている。
「陛下、お帰りになっているようですね。では、俺はこれで失礼します」
ジョンは皇女にペコリと頭を下げ、宿舎の方へと引き上げていった。
「――リディアよ、今帰ったのか」
そこへ、よく通る中年男性の声がして、威厳たっぷりのガッシリ体型の男性が現れた。
金糸で刺しゅうが施された衣服の上に羽織っている赤いビロードのマント、そして頭に戴いている黄金の冠は、この帝国の主である証だ。
「お父さま、お帰りなさいませ。たった今、シェスタから戻って参りました」
「ふむ。そなたがシェスタに出向いていたことは、大臣から聞いていたよ。無事で何よりだった」
イヴァン皇帝は、一人娘が無事に帰ってきたことにホッとしているようだ。服装がどうであれ、そこは気にしないらしい。
「デニスもご苦労だったな」
「はっ。もったいないお言葉、ありがとうございます」
皇帝直々に労われ、デニスは深々と頭を下げた。
(なによ。わたしに対しての態度とは、ずいぶん違うじゃない!)
リディアは不満げだが、姫でも幼なじみの自分と国の主とでは違って当たり前なのかもしれない。
「さっきまで、ジョンも一緒でした」
リディアはシェスタ行きの経緯を、順を追って父に話した。そして、あの町で起きたことの顛末も。
「――というわけで、プレナを脅やかしていた海賊問題も、わたし達で解決してしまいました。お父さま、勝手なことをして申し訳ありません。あれはお父さまのお仕事でしたのに」
申し訳なさそうに詫びた娘を、イヴァンは「いやいや、構わぬ」と温和な表情で許す。
「そなたは次期皇帝として、自らの手で何とかしたいと思ったのであろう? ならば、立派な心がけだ。私に詫びる必要はあるまい」
「お父さま……。ですが、プレナからの使いの方が、まだレムルの町に滞在しているんです。このことを早く報告しなくては」
宿の名前は大臣に伝えてある、とリディアは父に言った。
「では大臣に、私の名代として伝えに行かせよう」
イヴァンは大臣を呼び、プレナの使者が滞在している宿に行ってくれるよう頼んだ。
「命じた」のではなく「頼んだ」のである。
「――ところで、お父さま。スラバットへはどういった理由で行かれたのですか?」
リディアは単刀直入に、気になっていたことを父に訊ねた。
「どのような、とは?」
「外交の目的です。わたしは何も聞かされていません。だから知りたいのです」
リディアが畳みかけると、父は何とも言いにくそうにやっと口を開いた。
「実はな、リディアよ。そなたに、スラバットの王子との縁談の話が出ていてな。それであちらへ赴いていたのだよ」
「えっ!? 縁談……」
リディアは嫌な予感が的中し、デニスと顔を見合わせる。
「どうしたのだ? リディア」
「あの、お父さま。わたしは縁談の話はお受けしたくありません。結婚する相手は、この国の人と決めているんです。ですから……」
相手がここにいるデニスだということは伏せて、リディアは自分の意志を父に伝えた。
「そなたの意志は分かった。だが、私は国賓として、スラバットのカルロス王子を招待したのだ。それは縁談とは別の話だ。それゆえそなたも、そのつもりでいてほしい」
「……はい」
リディアもよく理解している。外交をするうえで、国の代表として招待した国賓は重要な客人なのだ。個人的な事情から蔑ろにすることは、次期皇帝として失格だと。
あくまでも縁談の話は忘れ、国の代表として迎えれば何の問題もない。はずなのだが。
「おっと。これを預かっていたのを忘れていた。王子からそなた宛ての手紙だ」
「は……?」
父から一通の封筒を差し出されたリディアは、またも心乱された。
「カルロス王子の両親――つまり、先の国王夫妻は既に亡くなっていてな。現在は王子が国を治めているのだ。彼はそなたより二つ歳上なのだが、私がそなたの話をしたところ、えらくそなたのことを気に入ったようで」
「では、この縁談はお父さまではなく、王子のご希望で?」
父が頷く。ということは、父を恨むのは筋違いということになる。――ただ、彼女にとって迷惑であることに変わりはないのだが。
「王子が来られるのは、いつなのですか?」
「十日後だと聞いた。その手紙にも認めてあるとな」
十日後……。長いのか短いのか、微妙な日数である。
「――さて、じきに夕食だな。そなたは部屋に戻り、着替えてきなさい。デニスも昨日よりご苦労であったな。宿舎に戻って休むがよい」
「はい」
「では私は、先に食堂で待っている」
父がマントを翻して城内に入るのを見届けて、リディア自身も城内の自室に向かった。
****
父と久しぶりに摂る夕食は、リディアにとって楽しみだったはずなのだが、あまり食が進まなかった。
引っかかっていたのは、スラバットのカルロス王子との縁談のことと、彼からの手紙のことだ。
手紙は共通言語のレーセル語で綴られており、まだ一度も会ったことのないリディアへの情熱的な想いがビッシリと書かれていた。
『愛しいあなたにお会いできることを、心待ちにしております』……
(「愛しい」なんて書かれても、困るだけだわ)
リディアにはもう、デニスという恋人がいるのだから。
そういえば、デニスとの仲を父に打ち明けられなかったことも、リディアにとっては心苦しかったのだ。
皇女と一兵士が結ばれることは、いけないことなのだろうか? 父が知れば、デニスはどうなってしまうのだろう?
彼女は夕食後も、入浴時にもずっと一人でモヤモヤ考えていて、ベッドに入ってもなかなか寝つけず。
絹の寝間着の上からガウンを羽織り、リディアは中庭の四阿に来て、一人物思いに耽っていた。素足ではなく、室内履きを履いて。
――と、背後からコツコツ、とブーツの音がして……。
「……リディア? また眠れないのか?」
振り返ると、そこにいたのは――。
「……デニス。ああもう、驚かせないで!」
ランタンを手にしたデニスだった。安心したと同時になぜか怒りがこみ上げたリディアだが、その感情はすぐになりを潜める。
「あなた、宿舎を抜け出してきたの?」
「ああ。城から灯りを持った誰かが出てくるのが、部屋の窓から見えてさ。もしかしたらお前じゃないかと思って」
「そう」
リディアは頷いただけで、咎めることはしなかった。実は宿舎に暮らす兵士達の、夜の外出は自由なのだ。
「隣り、座ってもいいか?」
「ええ、どうぞ」
リディアが場所を譲り、デニスは彼女の隣りに座る。その長椅子の上で、彼はリディアをしげしげと眺めた。
「そういや、リディアが髪下ろしてるの、久しぶりに見た気がする」
「えっ? そうだったかしら?」
彼女の長い髪は、下ろすと腰の辺りまでの長さがある。蜂蜜色をしたその髪は、今は月明かりに照らされて濡れたように艶めいている。
自然に、デニスの指が伸びた。彼女の滑らかな髪を指先でいとおしそうに撫でる。
リディアはそれを、「心地いい」とさえ感じた。彼の肩に頭を預け、このままずっとやめないでほしいと思った。
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