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思い込みと誤算、そして ②
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――朝食を済ませてから、僕は家を出た。まずはいつも絢乃さん用のコーヒー豆を提供してもらっている、実家にほど近いコーヒー専門店へ。
「――いらっしゃい……あ、貢くん。おはよう。いつものでいいかな?」
「おはようございます、マスター。お願いします」
カフェ巡りの時、僕は決まってブレンドをオーダーする。それプラス店によってはたまにスイーツも。
ブレンドコーヒーには店それぞれのこだわりが表れていて、その店の味が出ていると思うからだ。ちなみに、絢乃さんに飲んで頂いているのもここのブレンド豆である。
「……いつ飲んでも美味いっすね、ここのブレンド。明後日の朝、また豆もらいに来ます」
「ありがとう。君のところのボスも、ウチのコーヒーを気に入ってくれてるんだって? 嬉しいねぇ」
五十代前半のマスターが目を細めた。絢乃さんもこの店のコーヒーのファンになってくれたことを、心から喜んでいるようだった。
「はい。って言っても、ここの豆だってこと、まだ会長には話してないんですけど。僕から宣伝しておきましょうか?」
「ありがとうね。それも嬉しいが、いつか彼女と二人で飲みにおいで」
「…………はい、一応考えておきます」
彼女には昨日嫌われたかもしれないのに、と思った僕はお茶を濁した。飲んでいたのはコーヒーだが。
――結局、朝までソワソワしながら待っていたが、絢乃さんからメッセージの返事は来なかった。既読がついていたのに、である。それを世間では「既読スルー」というのだが、されて当然のことをした自覚はあったので僕に怒る資格はなかった。
彼女は絶対に怒っているんだと、その時の僕は思っていた。そして、週明けに待っているであろう最悪の事態まで想像してひとりで勝手に震えあがっていた。
『桐島さん、貴方には会長秘書の任から外れてもらうから。要するに、秘書をクビってこと』
『貴方には失望した。そんな人だと思わなかった。サイテー』
よくよく考えれば、絢乃さんがそんなことを言うような人ではないと分かっていたのに。彼女から既読スルーをくらったせいで、勝手に失恋フラグどころかクビフラグまで立ってしまったと思い込んでいたのだ。
その後は都内のあちこちでカフェに立ち寄り、ランチも済ませ、フラリと映画館に入った。たまたま上映時間に間に合った恋愛映画のチケットを買って一人で観ていると、ふとこんな呟きが漏れた。
「絢乃さんも一緒に観られたらよかったなぁ……」
ものすごく勝手だが、一人でいると考えるのは絢乃さんのことばかりだった。コーヒーを飲むのも、映画も、彼女と一緒ならどれだけ楽しかっただろうと。
「……会いたいなぁ」
どの面さげてと言われそうだが、無性に彼女に会いたくなった。
僕がこんなにも心から惹かれた女性は、絢乃さんが本当に初めてだった。彼女に出会ってから、どんな時にも頭に浮かぶのは彼女の笑顔だけだった。
いくら女性不信だと口で言っていても、自分の心にウソはつけない。僕は絢乃さんのことなら信じられる……、いや、信じようと決めたのだ。彼女は僕が信用するに値する女性だから。心から愛せる人だから。
ただ、拒まれたらどうしようという恐怖心から、自分から連絡を取る勇気は出なかった。
* * * *
――そんな愛しの絢乃さんか電話がかかってきたのは夕方四時半ごろ、僕は市谷のカフェにいた頃だった。
「…………ん、電話? 絢乃さんから……マジか」
スマホの画面を確かめた僕は、信じられなくて思わず表示された名前を二度見した。
会長に就任されてから、絢乃さんとのやり取りは主にメッセージアプリだった。そんな彼女からの電話はレアだったが、レアだからこそ僕は不安を募らせた。
「まさか、クビ宣告の電話……とかじゃないよな」
もう僕の顔を見たくないから電話にしたとか? だとしたら最悪の事態である。が、常識で考えて、休日である土曜日にそんな連絡をするだろうか?
でもボスからの電話だから出ないわけにもいかず、そして僕自身が彼女と話したいという気持ちもあったので、僕は通話ボタンをスワイプした。
「――はい。絢乃さん、どうされたんですか? お電話なんて珍しいですね」
どんな用件か予想がつかずにビクビクしていたので、僕の声は若干震えていたかもしれない。
『桐島さん、お休みの日にごめんね? 今、どこで何してるの?』
そう言った彼女の声は穏やかで、どう聞いてもクビ宣告をする悪魔の声には聞こえなかった。どうやら僕が怯えすぎていただけだったらしく、ホッとした。
「今は……市谷ですかね。今日は朝から都内のカフェ巡りをしていたんです。ちなみに、僕が会社でお出ししているコーヒーの豆も、実家近くのコーヒー専門店から仕入れてるんですよ。……っと、長々と失礼しました」
安心した僕はつい熱く語ってしまい、ついでのように実家近くのコーヒー専門店の宣伝までしてしまった。これで何度、好きになった女性や歴代彼女にドン引きされたことか。
そんなことよりも、前日の暴挙について詫びるべきじゃないのかと思ったが、電話で謝ったとて誠意が伝わらないだろうと思い直した。
「それはともかく、絢乃さんは今どちらに?」
電話の向こうは何だか騒がしくて、彼女はもしかしたら外にいらっしゃるんじゃないかと思った。
そういえば、僕は絢乃さんが休日にどんな過ごし方をしていらっしゃるのか知らなかった。彼女は料理やお菓子作りが好きだということは知っていたが、それ以外の趣味の話を伺ったことはなかった。彼女が僕のことをあまりご存じなかったように。
それに、学校がお休みなら里歩さんにどこかへ連れ出されている可能性もあった。あんなことが起きた翌日だったのだから、絢乃さんが親友である彼女と連絡を取っていらっしゃらないわけがないと思ったのだ。
『わたしは今、新宿にいるの。里歩と一緒にランチして、ボウリングして、別れた後貴方のお兄さまに声かけられてね。ついさっきまで一緒だったの』
里歩さんとボウリング……と納得しかけた僕は次の瞬間、絢乃さんの口から思いがけない名前が飛び出して卒倒しかけた。兄貴と!? ウソだろ!? っていうかなんで!?
電話に出る時、店のエントランスまで出ていたからよかった。もしコーヒーを飲みながら聞いていたら、コーヒーを噴き出して店の人にそれはそれは迷惑をかけていたかもしれない。
僕が「えっ、兄にですか!? それってナンパじゃ……」と言うと、「ナンパじゃないよ。仕事帰りに偶然見かけたから声をかけられただけ」という呑気なお答え。偶然ならナンパじゃないのか、と僕は首を傾げた。
『そんなことより、わたしが今日電話したのはね、貴方と話がしたくて。電話じゃなくて、直接会って話したいの。あと、昨日の既読スルーについても弁解させてほしい。だから……、今から会えないかな? 新宿まで来られる?』
前日あんなことをしでかしてしまった僕に「会いたい」と言ってもらえたことは意外だった。そして彼女も、メッセージを既読スルーしてしまったことを気にされているのだと知って正直驚いた。そのおかげで、僕の中の悪い予感がすべてふっ飛んだのは言うまでもない。
「そこは〝謝りたい〟じゃなくて〝弁解させてほしい〟なんですね」
僕もお人好しよく言われるが、彼女もたいがいお人好しだよなぁと僕は思った。この時笑ったのはそれが理由である。彼女に謝る必要なんてなかったのだ。むしろ謝るべきは僕の方だった。
彼女に「あと十分くらいで着けると思います」と言い、通話を終えると僕は店を出た。セルフ式の店だったし、コーヒーはすでに飲み終えていたから。
ふと電話で、絢乃さんの服装について訊くのを忘れたことを思い出したが、僕は彼女がどんな服装をしていても見分ける自信があったので必要なかった。
「――いらっしゃい……あ、貢くん。おはよう。いつものでいいかな?」
「おはようございます、マスター。お願いします」
カフェ巡りの時、僕は決まってブレンドをオーダーする。それプラス店によってはたまにスイーツも。
ブレンドコーヒーには店それぞれのこだわりが表れていて、その店の味が出ていると思うからだ。ちなみに、絢乃さんに飲んで頂いているのもここのブレンド豆である。
「……いつ飲んでも美味いっすね、ここのブレンド。明後日の朝、また豆もらいに来ます」
「ありがとう。君のところのボスも、ウチのコーヒーを気に入ってくれてるんだって? 嬉しいねぇ」
五十代前半のマスターが目を細めた。絢乃さんもこの店のコーヒーのファンになってくれたことを、心から喜んでいるようだった。
「はい。って言っても、ここの豆だってこと、まだ会長には話してないんですけど。僕から宣伝しておきましょうか?」
「ありがとうね。それも嬉しいが、いつか彼女と二人で飲みにおいで」
「…………はい、一応考えておきます」
彼女には昨日嫌われたかもしれないのに、と思った僕はお茶を濁した。飲んでいたのはコーヒーだが。
――結局、朝までソワソワしながら待っていたが、絢乃さんからメッセージの返事は来なかった。既読がついていたのに、である。それを世間では「既読スルー」というのだが、されて当然のことをした自覚はあったので僕に怒る資格はなかった。
彼女は絶対に怒っているんだと、その時の僕は思っていた。そして、週明けに待っているであろう最悪の事態まで想像してひとりで勝手に震えあがっていた。
『桐島さん、貴方には会長秘書の任から外れてもらうから。要するに、秘書をクビってこと』
『貴方には失望した。そんな人だと思わなかった。サイテー』
よくよく考えれば、絢乃さんがそんなことを言うような人ではないと分かっていたのに。彼女から既読スルーをくらったせいで、勝手に失恋フラグどころかクビフラグまで立ってしまったと思い込んでいたのだ。
その後は都内のあちこちでカフェに立ち寄り、ランチも済ませ、フラリと映画館に入った。たまたま上映時間に間に合った恋愛映画のチケットを買って一人で観ていると、ふとこんな呟きが漏れた。
「絢乃さんも一緒に観られたらよかったなぁ……」
ものすごく勝手だが、一人でいると考えるのは絢乃さんのことばかりだった。コーヒーを飲むのも、映画も、彼女と一緒ならどれだけ楽しかっただろうと。
「……会いたいなぁ」
どの面さげてと言われそうだが、無性に彼女に会いたくなった。
僕がこんなにも心から惹かれた女性は、絢乃さんが本当に初めてだった。彼女に出会ってから、どんな時にも頭に浮かぶのは彼女の笑顔だけだった。
いくら女性不信だと口で言っていても、自分の心にウソはつけない。僕は絢乃さんのことなら信じられる……、いや、信じようと決めたのだ。彼女は僕が信用するに値する女性だから。心から愛せる人だから。
ただ、拒まれたらどうしようという恐怖心から、自分から連絡を取る勇気は出なかった。
* * * *
――そんな愛しの絢乃さんか電話がかかってきたのは夕方四時半ごろ、僕は市谷のカフェにいた頃だった。
「…………ん、電話? 絢乃さんから……マジか」
スマホの画面を確かめた僕は、信じられなくて思わず表示された名前を二度見した。
会長に就任されてから、絢乃さんとのやり取りは主にメッセージアプリだった。そんな彼女からの電話はレアだったが、レアだからこそ僕は不安を募らせた。
「まさか、クビ宣告の電話……とかじゃないよな」
もう僕の顔を見たくないから電話にしたとか? だとしたら最悪の事態である。が、常識で考えて、休日である土曜日にそんな連絡をするだろうか?
でもボスからの電話だから出ないわけにもいかず、そして僕自身が彼女と話したいという気持ちもあったので、僕は通話ボタンをスワイプした。
「――はい。絢乃さん、どうされたんですか? お電話なんて珍しいですね」
どんな用件か予想がつかずにビクビクしていたので、僕の声は若干震えていたかもしれない。
『桐島さん、お休みの日にごめんね? 今、どこで何してるの?』
そう言った彼女の声は穏やかで、どう聞いてもクビ宣告をする悪魔の声には聞こえなかった。どうやら僕が怯えすぎていただけだったらしく、ホッとした。
「今は……市谷ですかね。今日は朝から都内のカフェ巡りをしていたんです。ちなみに、僕が会社でお出ししているコーヒーの豆も、実家近くのコーヒー専門店から仕入れてるんですよ。……っと、長々と失礼しました」
安心した僕はつい熱く語ってしまい、ついでのように実家近くのコーヒー専門店の宣伝までしてしまった。これで何度、好きになった女性や歴代彼女にドン引きされたことか。
そんなことよりも、前日の暴挙について詫びるべきじゃないのかと思ったが、電話で謝ったとて誠意が伝わらないだろうと思い直した。
「それはともかく、絢乃さんは今どちらに?」
電話の向こうは何だか騒がしくて、彼女はもしかしたら外にいらっしゃるんじゃないかと思った。
そういえば、僕は絢乃さんが休日にどんな過ごし方をしていらっしゃるのか知らなかった。彼女は料理やお菓子作りが好きだということは知っていたが、それ以外の趣味の話を伺ったことはなかった。彼女が僕のことをあまりご存じなかったように。
それに、学校がお休みなら里歩さんにどこかへ連れ出されている可能性もあった。あんなことが起きた翌日だったのだから、絢乃さんが親友である彼女と連絡を取っていらっしゃらないわけがないと思ったのだ。
『わたしは今、新宿にいるの。里歩と一緒にランチして、ボウリングして、別れた後貴方のお兄さまに声かけられてね。ついさっきまで一緒だったの』
里歩さんとボウリング……と納得しかけた僕は次の瞬間、絢乃さんの口から思いがけない名前が飛び出して卒倒しかけた。兄貴と!? ウソだろ!? っていうかなんで!?
電話に出る時、店のエントランスまで出ていたからよかった。もしコーヒーを飲みながら聞いていたら、コーヒーを噴き出して店の人にそれはそれは迷惑をかけていたかもしれない。
僕が「えっ、兄にですか!? それってナンパじゃ……」と言うと、「ナンパじゃないよ。仕事帰りに偶然見かけたから声をかけられただけ」という呑気なお答え。偶然ならナンパじゃないのか、と僕は首を傾げた。
『そんなことより、わたしが今日電話したのはね、貴方と話がしたくて。電話じゃなくて、直接会って話したいの。あと、昨日の既読スルーについても弁解させてほしい。だから……、今から会えないかな? 新宿まで来られる?』
前日あんなことをしでかしてしまった僕に「会いたい」と言ってもらえたことは意外だった。そして彼女も、メッセージを既読スルーしてしまったことを気にされているのだと知って正直驚いた。そのおかげで、僕の中の悪い予感がすべてふっ飛んだのは言うまでもない。
「そこは〝謝りたい〟じゃなくて〝弁解させてほしい〟なんですね」
僕もお人好しよく言われるが、彼女もたいがいお人好しだよなぁと僕は思った。この時笑ったのはそれが理由である。彼女に謝る必要なんてなかったのだ。むしろ謝るべきは僕の方だった。
彼女に「あと十分くらいで着けると思います」と言い、通話を終えると僕は店を出た。セルフ式の店だったし、コーヒーはすでに飲み終えていたから。
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