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ヒーローになる時 ③
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――というわけで二日後(源一会長がお亡くなりになった日が友引だったのだ)、僕は黒のスーツに黒のネクタイを締め、篠沢商事二階の大ホールで営まれた源一会長の社葬に参列した。
葬儀は総務課が取り仕切っていて、司会進行は久保が行うことになった。もしもまだ総務課にいたら、僕もまた島谷課長にこき使われていたことだろう。
前日の夜に絢乃さんから電話があり、お通夜で公開された遺言書によって、彼女が正式に源一会長の後継者として指名されたと聞かされた。それに反発した親族によって、加奈子さんだけではなく絢乃さんまで敵視される事態になったことも。
それでも彼女は「大丈夫」と気丈におっしゃって、マイナスの言葉を決して吐き出そうとしなかった。
親族から目の敵にされることは怖かっただろうし、お父さまやご自身のことであることないこと言われるのは腹立たしいことだったろうに。内心では相当ストレスを溜め込んでいたことだろうと思う。
そんな彼女を守るために、僕は秘書になったのだ。それまでごく平凡に人生を送ってきたこんな僕が、ヒーローになる時がやってきたのだと、葬儀当日の朝、身支度を整えながら武者震いしたことを今でも憶えている。
受付で芳名帳に記入をして香典を渡すと、総務課時代の先輩だった女性が「桐島くん、ご苦労さま」と頭を下げてくれた。
「聞いたわよ。あなた、絢乃お嬢さまの秘書になったんだって?」
「はい、今日も絢乃さんのことが心配で来たんです。源一会長とはちょっとしたご縁もありましたし。――絢乃さんはもう中に?」
「うん。加奈子さまとお二人で、弔問客を出迎えてらっしゃると思う。……そういえばほんの少し前、お嬢さまのご友人だっていう女の子が来てたわ。背の高い、ボブカットの」
彼女が挙げた特徴から、その女性は里歩さんだろうと確信した。里歩さんとは一度お会いしただけだったが、彼女がとても親友想いな女性だということを僕も感じていた。そんな彼女なら、お父さまを亡くされてショックを受けておられた絢乃さんを慰めに葬儀にも参列されるだろうと僕は思った。
「それ、多分僕も知ってる方だと思います。ありがとうございます」
――ホールの中へ入っていくと、ブラックフォーマルのスーツに身を包んだ加奈子さんとシックな黒のワンピース姿の絢乃さん、そして大人っぽいダークグレーのワンピース姿の里歩さんを見つけた。
喪服というのは、着ている人の魅力を自然とアップさせるのだろう。この日の絢乃さんからは、十七歳とは思えない、何ともいえない色香が漂っているように見えた。
彼女の目に涙はなく、僕はその理由をすべくホール内を見まわし、考えを巡らせた。
まず気になったのが、そこに流れていた禍々しい空気。お電話でも聞かされていたが、絢乃さんたち親子に対する親族の憎悪は相当なものらしい。他人の僕でさえ不快に感じるほどだった。
そして、そんな悪意の目に晒されている絢乃さんを守るようにピッタリと側に寄り添う里歩さんの姿。彼女もきっと、葬儀会場とは思えないほど殺伐とした雰囲気に不快感を抱いていたに違いない。だからこそ、絢乃さんをその殺気立った空気から守ろうと睨みをきかせていたのだと思う。
そしてまた、絢乃さんご自身もこの人たちの前では泣かずにいようと心に決められていたのだろう。弱みを見せないことで、この人たちからご自身のメンタルを守ろうとして。……もちろん、理由はそれだけではないかもしれないが。
……なるほど。これじゃ絢乃さんも泣いていられないわけだ。――納得できた僕は、絢乃さんたちのすわっていらっしゃる親族席の方へと歩いていった。
「――桐島さん、ご苦労さま」
そんな僕に気づき、絢乃さんが声をかけて下さった。やっぱり彼女は無理をしているな、と僕は思い、心が痛んだ。本当は笑えるはずなんてないのに、うっすらと笑顔を張り付けていたからだ。こんな時は無理に笑顔を作らなくても、何なら真顔だって僕は別に構わなかったのに。
「絢乃さん、この度はご愁傷さまです。――ああ、里歩さんも来て下さったんですね。ありがとうございます」
僕は殊勝にお悔やみの言葉を述べ、小さく会釈して下さった里歩さんにも参列して下さったことへのお礼を言った。
里歩さんはどうやら、(もちろん、ご自身が参列したかったお気持ちもあっただろうが)中川家の代表としていらっしゃっていたようだ。彼女のご両親は経営コンサルタントの事務所を開いておられて、亡くなった源一会長とも仕事上のお付き合いがあったのだとクリスマスパーティーの日に絢乃さんから聞いていた。
「ああ、いえいえ。ウチの両親も絢乃のお父さんにはお世話になってましたから。桐島さん、絢乃の秘書になったそうですね」
里歩さんは真面目な顔で、僕にそう切り出した。が、どうして彼女がそのことをご存じなのか、僕は疑問に思った。絢乃さんからお聞きになったのだろうか?
「はい。絢乃さんはこれから篠沢グループを背負って立つ人ですから、僕でお役に立てることがあればと思って」
僕がこう答えると、里歩さんの表情が厳しいものに変わった。ちょっと答え方を間違えてしまったかもしれない。
「桐島さん、ちょっと厳しいこと言いますけど。絢乃の秘書になるってことは、この子に自分の生活全部をささげるってことだって分かったうえで決めたんですよね? あたし、あなたにいい加減な気持ちでそんなこと軽々しく言ってほしくないんです」
その言葉に困惑されたらしい絢乃さんがすかさず「それは言い過ぎだ」と里歩さんを咎められたが、彼女の言葉は間違っていなかったし、僕には分かっていた。里歩さんはおそらく、僕の覚悟がどの程度なのかを問いたいのだと。絢乃さん思いの彼女らしいと僕は思った。
「いえ、いいんです。もちろん、僕もそのつもりでいますよ。絢乃さんのことは僕が全身全霊お守りすると決めましたから」
なので、僕は里歩さんに気を悪くすることなく、真正面から自分の覚悟を言葉にして伝えた。これで納得してもらえるかどうか自信はなかったが、これが僕の精一杯の覚悟だったから。
「……それならいいんです。ごめんなさい、偉そうなこと言っちゃって。絢乃のこと、これからよろしくお願いします。――絢乃、ホントごめん」
里歩さんは納得して下さったようで、僕に謝られた後、改めて絢乃さんのことを託された。
「ううん、いいよ。ありがと」
親友に謝られた絢乃さんは、これにも笑顔で応じられていたが、彼女のメンタルはきっと壊れるか壊れないかギリギリのバランスを保っていたのだろう。彼女はそれほどタフではないから。というか、父親を亡くしたばかりの十七歳の女の子がそんなに強いわけがないのだ。
だからこそ、僕が秘書として彼女を守らなければ――。平和主義者だし、格闘技なんかやったこともないし、頼りないヒーローで申し訳ないが。メンタルの強さにだけは自信がある。彼女が親族たちから集中砲火を浴びせられた時の盾くらいにはなれるだろう。
――会長の社葬は一般的な献花式で行われた。篠沢家は無宗教だからだそうだ。
出棺前になって里歩さんがお帰りになり、僕は自分の愛車で加奈子さんと絢乃さんを斎場までお連れすることにした。
「うん。桐島さん、よろしくお願いします」
「桐島くん、ありがとう。安全運転でよろしくね」
お二人を後部座席にお乗せすると、僕はハンドルを握って霊柩車のすぐ後ろをついていった。
葬儀は総務課が取り仕切っていて、司会進行は久保が行うことになった。もしもまだ総務課にいたら、僕もまた島谷課長にこき使われていたことだろう。
前日の夜に絢乃さんから電話があり、お通夜で公開された遺言書によって、彼女が正式に源一会長の後継者として指名されたと聞かされた。それに反発した親族によって、加奈子さんだけではなく絢乃さんまで敵視される事態になったことも。
それでも彼女は「大丈夫」と気丈におっしゃって、マイナスの言葉を決して吐き出そうとしなかった。
親族から目の敵にされることは怖かっただろうし、お父さまやご自身のことであることないこと言われるのは腹立たしいことだったろうに。内心では相当ストレスを溜め込んでいたことだろうと思う。
そんな彼女を守るために、僕は秘書になったのだ。それまでごく平凡に人生を送ってきたこんな僕が、ヒーローになる時がやってきたのだと、葬儀当日の朝、身支度を整えながら武者震いしたことを今でも憶えている。
受付で芳名帳に記入をして香典を渡すと、総務課時代の先輩だった女性が「桐島くん、ご苦労さま」と頭を下げてくれた。
「聞いたわよ。あなた、絢乃お嬢さまの秘書になったんだって?」
「はい、今日も絢乃さんのことが心配で来たんです。源一会長とはちょっとしたご縁もありましたし。――絢乃さんはもう中に?」
「うん。加奈子さまとお二人で、弔問客を出迎えてらっしゃると思う。……そういえばほんの少し前、お嬢さまのご友人だっていう女の子が来てたわ。背の高い、ボブカットの」
彼女が挙げた特徴から、その女性は里歩さんだろうと確信した。里歩さんとは一度お会いしただけだったが、彼女がとても親友想いな女性だということを僕も感じていた。そんな彼女なら、お父さまを亡くされてショックを受けておられた絢乃さんを慰めに葬儀にも参列されるだろうと僕は思った。
「それ、多分僕も知ってる方だと思います。ありがとうございます」
――ホールの中へ入っていくと、ブラックフォーマルのスーツに身を包んだ加奈子さんとシックな黒のワンピース姿の絢乃さん、そして大人っぽいダークグレーのワンピース姿の里歩さんを見つけた。
喪服というのは、着ている人の魅力を自然とアップさせるのだろう。この日の絢乃さんからは、十七歳とは思えない、何ともいえない色香が漂っているように見えた。
彼女の目に涙はなく、僕はその理由をすべくホール内を見まわし、考えを巡らせた。
まず気になったのが、そこに流れていた禍々しい空気。お電話でも聞かされていたが、絢乃さんたち親子に対する親族の憎悪は相当なものらしい。他人の僕でさえ不快に感じるほどだった。
そして、そんな悪意の目に晒されている絢乃さんを守るようにピッタリと側に寄り添う里歩さんの姿。彼女もきっと、葬儀会場とは思えないほど殺伐とした雰囲気に不快感を抱いていたに違いない。だからこそ、絢乃さんをその殺気立った空気から守ろうと睨みをきかせていたのだと思う。
そしてまた、絢乃さんご自身もこの人たちの前では泣かずにいようと心に決められていたのだろう。弱みを見せないことで、この人たちからご自身のメンタルを守ろうとして。……もちろん、理由はそれだけではないかもしれないが。
……なるほど。これじゃ絢乃さんも泣いていられないわけだ。――納得できた僕は、絢乃さんたちのすわっていらっしゃる親族席の方へと歩いていった。
「――桐島さん、ご苦労さま」
そんな僕に気づき、絢乃さんが声をかけて下さった。やっぱり彼女は無理をしているな、と僕は思い、心が痛んだ。本当は笑えるはずなんてないのに、うっすらと笑顔を張り付けていたからだ。こんな時は無理に笑顔を作らなくても、何なら真顔だって僕は別に構わなかったのに。
「絢乃さん、この度はご愁傷さまです。――ああ、里歩さんも来て下さったんですね。ありがとうございます」
僕は殊勝にお悔やみの言葉を述べ、小さく会釈して下さった里歩さんにも参列して下さったことへのお礼を言った。
里歩さんはどうやら、(もちろん、ご自身が参列したかったお気持ちもあっただろうが)中川家の代表としていらっしゃっていたようだ。彼女のご両親は経営コンサルタントの事務所を開いておられて、亡くなった源一会長とも仕事上のお付き合いがあったのだとクリスマスパーティーの日に絢乃さんから聞いていた。
「ああ、いえいえ。ウチの両親も絢乃のお父さんにはお世話になってましたから。桐島さん、絢乃の秘書になったそうですね」
里歩さんは真面目な顔で、僕にそう切り出した。が、どうして彼女がそのことをご存じなのか、僕は疑問に思った。絢乃さんからお聞きになったのだろうか?
「はい。絢乃さんはこれから篠沢グループを背負って立つ人ですから、僕でお役に立てることがあればと思って」
僕がこう答えると、里歩さんの表情が厳しいものに変わった。ちょっと答え方を間違えてしまったかもしれない。
「桐島さん、ちょっと厳しいこと言いますけど。絢乃の秘書になるってことは、この子に自分の生活全部をささげるってことだって分かったうえで決めたんですよね? あたし、あなたにいい加減な気持ちでそんなこと軽々しく言ってほしくないんです」
その言葉に困惑されたらしい絢乃さんがすかさず「それは言い過ぎだ」と里歩さんを咎められたが、彼女の言葉は間違っていなかったし、僕には分かっていた。里歩さんはおそらく、僕の覚悟がどの程度なのかを問いたいのだと。絢乃さん思いの彼女らしいと僕は思った。
「いえ、いいんです。もちろん、僕もそのつもりでいますよ。絢乃さんのことは僕が全身全霊お守りすると決めましたから」
なので、僕は里歩さんに気を悪くすることなく、真正面から自分の覚悟を言葉にして伝えた。これで納得してもらえるかどうか自信はなかったが、これが僕の精一杯の覚悟だったから。
「……それならいいんです。ごめんなさい、偉そうなこと言っちゃって。絢乃のこと、これからよろしくお願いします。――絢乃、ホントごめん」
里歩さんは納得して下さったようで、僕に謝られた後、改めて絢乃さんのことを託された。
「ううん、いいよ。ありがと」
親友に謝られた絢乃さんは、これにも笑顔で応じられていたが、彼女のメンタルはきっと壊れるか壊れないかギリギリのバランスを保っていたのだろう。彼女はそれほどタフではないから。というか、父親を亡くしたばかりの十七歳の女の子がそんなに強いわけがないのだ。
だからこそ、僕が秘書として彼女を守らなければ――。平和主義者だし、格闘技なんかやったこともないし、頼りないヒーローで申し訳ないが。メンタルの強さにだけは自信がある。彼女が親族たちから集中砲火を浴びせられた時の盾くらいにはなれるだろう。
――会長の社葬は一般的な献花式で行われた。篠沢家は無宗教だからだそうだ。
出棺前になって里歩さんがお帰りになり、僕は自分の愛車で加奈子さんと絢乃さんを斎場までお連れすることにした。
「うん。桐島さん、よろしくお願いします」
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