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決意 ④

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「――そんなことより、ちょっと不謹慎な質問をしてもいいですか?」

 僕の訊ね方のせいか、絢乃さんはちょっと戸惑いながら「うん……別にいいけど」と答えた。僕にはそんなつもりはなかったのだが……、ちょっと反省。

「お父さまに万が一のことがあった場合、後継者はどなたになるんでしょうか」

 彼女にお父さまの死を意識させないよう、あえて言葉を選び、オブラートに包んだ質問のしかたをした。でも、そんな僕の気遣いを察して下さったようで、彼女は不愉快な様子もなく少し考えてから答えて下さった。

「う~んと、順当にいけばわたし……ってことになるのかなぁ。ママは経営にたずさわる気がないみたいだし、わたしは一人っ子だから」

 絢乃さんの祖父が会長職を引退された時、加奈子さんも後継者の候補に入っていたらしいという話は僕の耳にも入っていた。その当時、僕はまだ入社前だったので、聞かされたのは入社後に小川先輩からだったが。
 加奈子さんも一人娘だったため、親族たちは加奈子さんが継がれるものだと思っていたらしい。が、彼女は教師という職を捨てる気がなく、彼女の婿だった源一氏が後継者となったのだという。
 それでも、加奈子さんが「篠沢家」という経営者一族の現当主であることに違いはなく、経営に関わらずともその権力は絶大だった。教師としての威厳もプラスされていたのだろう。
 絢乃さんの祖父がこの世を去られたのは、それから一年ほど後のことだった。引退を決意されたのも、心臓を悪くされていた奥さまに先立たれ、体調を崩されたからだそうだ。

 ただ、そんな彼女ではなく入り婿の源一氏が会長に就任したことに、親族たちからの強い反発もあったようで。

「親戚の中には、パパが後継者になったことをよく思ってない人たちも少なくなかったなぁ。まためることにならなきゃいいんだけど」

 ウンザリとジャケットの襟元をいじりながらそう言った絢乃さんに、僕も同感だった。 
 資産家の一族による後継者問題、いわゆる〝お家騒動〟というものは古今東西どこにも存在する。小説や映画、TVの二時間ドラマのテーマとして扱われることも多々あるが、こんな身近なところにまで転がっているとは(失礼!)思ってもみなかった。

「名門一族って、どこも大変なんですね……」

「うん……、ホントに」

 彼女の頷きには、ものすごく実感がこもっていた。そりゃそうだろう。彼女は間もなく、その〝お家騒動〟のド真ん中に放り込まれるのだから。
 だからこそ、僕はそんな彼女の力になりたいとこの時心に誓ったのだ。そのためには、もっと彼女のために動きやすい部署に異動しなければ――。

 それよりも、この時の僕は彼女の表情が冴えないことが気になった。お父さまが倒れてすぐだったので仕方のないことだが、僕はできることなら、大好きな彼女に笑顔でいてほしかった。

「――絢乃さん、一人っ子だとおっしゃってましたよね? ご結婚される時はどうなるんですか?」

 なので、唐突にそんな質問をブッかましてみた。もちろん彼女に笑ってもらうための冗談だったが、彼女は一瞬ポカンとなった後、真剣に答えて下さった。

「やっぱり、相手に婿入りしてもらうことになるんじゃないかなぁ。パパの時みたいに」

「じゃあ……、僕もその候補に入れて頂くことは可能ですか?」

 これは半分、僕の本心からの願望でもあった。が、絢乃さんが変に気を遣わないよう表向きはこれも冗談ということにした。

「…………えっ!? ……うん、多分……大丈夫だと思うけど」

 彼女は戸惑いながらもそう答えてくれた。が、正直僕はこれも彼女の社交辞令ではないかと内心疑っていた。彼女は優しい人だから、僕に「無理だ」とは言えない、と思ったのではないかと。
 彼女のような良家のご令嬢に、僕のような家柄も収入も平凡な(「年収が平凡」ってどんなんだ)男は釣り合わないと思っていた。お似合いの相手はもっといい家柄で、高収入で、僕よりイケメンなどこかの御曹司のはず(……ってこんな歌詞、何かの歌で聴いたことあったな)。
 なので、僕は「冗談ですからお気になさらず」と言って肩をすくめたのだが、彼女が満更でもなさそうだったのは気のせいだろうか? いや、待て待て、俺。期待したってまた裏切られるだけだぞ。
 
 ――その後、恵比寿えびすのあたりで絢乃さんのスマホに加奈子さんから電話がかかり、それを終えた彼女と不意に目が合った。
 ちょっとドキドキしながら「何ですか」と訊ねると、彼女は僕にお母さまと彼女自身の「ありがとう」を言った。

「いえ……」

 お礼を言われるようなことは何もしていないつもりだった。ひとりパーティー会場に残されて心細い思いをしていた十代の女の子に寄り添ってあげたいというのは、一人の大人として当然の行動だったし、ぶっちゃけて言えば自分でも認めがたい下心のようなものもあった。
 でも、彼女はそんな僕の一連の言動を厚意だと受け取ってくれたらしい。彼女の純粋すぎる性格に感動しつつも、彼女はもし他の男に同じようなことをされたらコロッとだまされそうだなと心配にもなった。

 ――もうすぐ自由が丘。絢乃さんの家に着いてしまう。彼女との楽しかった時間ももうすぐ終わり、僕はまた課長にこき使われる現実に戻ってしまう。まるで童話のシンデレラのように、魔法が解けてしまうのだ――。
 ……俺はこのまま、何のアクションも起こさずに彼女との接点を失ってしまうのか? 元々はセレブ一家に生まれ育った彼女と、普通よりちょっとばかりいい家に育った僕とでは住む世界が違った。この夜の出会いは、奇跡のようなものだったのだ(だからといって、僕にこの出会いをもたらした島谷氏に感謝する筋合いはなかったのだが)。
 だからせめて、彼女と連絡先の交換くらいはしておかなくては。源一会長の病状も気になっていたし、情報交換のためにもそれくらいは許されるはずだ。……彼女がそれに快く応じて下さるかどうかは別として。

 絢乃さんをクルマから降ろしたら、僕の方から切り出そうと思っていた。

「今日はお疲れでしょう。ゆっくり休んで下さいね」

「うん、ありがとう。――あ、桐島さん。あの…………」

 でもなかなか言い出せず、半ば「もう無理だ」と諦めながら運転席に戻ろうとしていると、彼女の方から引き留められた。

「連絡先……、交換してもらえないかな…………なんて」

 まさかの展開に気持ちが逸り、僕は食いぎみに「いいですよ」と答えてしまった。期待していたと思われたらどうしよう? 彼女、引くかもしれない……。
 でも、そんな僕の心配はゆうだったようで、彼女は嬉しそうにスマホを取り出して僕との連絡先交換を済ませてしまった。
 絢乃さんはその後も「ウチでお茶でも」と誘って下さったが、「明日も仕事があるので失礼します」とお断りした。これ以上期待してはいけない、裏切られた時のダメージが大きいから。
 それなのに、僕は「連絡、お待ちしています」とポロッと言ってしまった。それは、お茶を断られた彼女が落胆しているように見えたからだ。でも、この言葉にはうろたえながらも嬉しそうに頷いて下さった。

 クルマに乗り込んだ僕は、しばらくシートの上でスマホを見つめていた。――もう女性を信用しないと決めた。けれど。

「もう一度、信じてみようかな……。せめて絢乃さんのことは」

 初々しく頬を染めながら、嬉しそうに僕とアドレスを交換してくれた彼女にはそれだけの価値があるのかもしれない、と僕は思ったのだった。
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