上 下
53 / 73

針路を北へ

しおりを挟む
 明るいカフェテラスのような資料室の一角で、リュカは戸惑った様子で向かいに座るロベールに笑いかけた。

「本気なのですか?」
「あぁ、もちろん。だが、お前はどうする?」
「そうですねぇ……。」

 リュカは窓の外に目を向け、遠くを眺めるような目をしてしばらく記憶を辿っているようだった。

「あと1ヶ月は臨時講師の授業を2つ受け持っているので行けそうにありません。それが終われば次の予定は入れていないのですが……。」
「1ヶ月か…。流石にそこまでは待てないかもしれないな。」
「お急ぎのようでしたら残念ですが今回は……。ですが、向こうに着いてからの案内役は私が手配しますよ?」
「案内役?」

 ロベールは顔を顰めて聞き返した。リュカの白い顔に午後の陽光が当たり更に眩しく見える。

「はい。ロベール様たちの乗った船が着いたら家の者に知らせが行くよう明日にでも手紙を書いておきます。」
「お前……。自分は帰らないのに他人の世話を押し付けたりして本当に大丈夫なのか?」
「はい?大丈夫ですが、何か?」
「いや……。」

 ロベールはリュカから顔を背けると窓の外を見た。テラスに幾つかあるテーブル席には人影もなく、その向こうに見える低木の茂みに茶色い小鳥が3羽辺りを警戒しながら歩いているのが見えた。

「マルセルがさ、言ってたんだよ。リュカは何か訳があって国を出たんじゃないかって。俺もそうじゃないかと思ってたからさ。」
「あぁ。ある意味それは正解ですね。確かに私はステーリアから逃げ出して今ここにこうしている訳ですがら。ですが家との関係性は決して悪くはありません。」

 リュカは任せてくれと言うようにロベールに向けてにっこりと笑いかけた。



※ ※ ※ ※ ※



 それから2週間後、ザールの港を密かに出発した一行は1ヶ月の船旅を経てステーリアに無事到着した。

 ロベールは船から降りると興奮を隠しきれない様子で周囲をきょろきょろと見回した。マルセルもロベール同様高揚する気持ちを抑えながらも控え目に周囲の様子を伺っていた。

「へ~!流石に国の大きさが違うと港も大きいな。大型船だってあんなに沢山いる。」
「ザールとは何から何まで規模が違うな。」
「確かに。ただザールでは港町に商店街があるが、この近くは倉庫だらけだよ。ほら、その先にある入国審査の門を潜ればその向こう側で街へ向かう馬車が拾える。」
「入国審査…か。」

 道行く人々の大部分が大きな荷物を持って右側の行列に並ぶように歩いて行く。
 一方で門の左手には従者を伴ったいかにも身分の高そうな一部の者のみが進んでいるようだ。

「大丈夫なのか?」
「荷物検査を受ける商人たちとそれ以外が分けられているだけだから大丈夫だ、問題ないと思う。」
「本当に大丈夫なのかよ?マルセルの身分がばれて厄介なことになったりしないだろうな?」

 入国審査の騎士にジャンが歩み寄ると、身振り手振りを加えてステーリア語で何かを説明しはじめた。少し離れた場所でそれを見守っていたロベールとマルセルにも、やがて騎士たちの表情が一変するのが分かった。
 三人いた騎士のうちの一人が慌てたように何処かへ走り去って行くと、残りの二人がにこやかな笑みを浮かべて一行を門の脇にある待機場所に来るよう促してくる。

「ジャン、これは一体どういうことなんだ?お前何を話した?」
「それが……。」

 ジャンは困惑した表情を見せると騎士たちともう一度言葉を交わし、再び苦笑を浮かべた。

「リュカの家の名を出した途端にこの通りです。こちらの騎士たちにも既に何か通達が来ていたようで。今から迎えの馬車が来るまで控え室で待っていて欲しいと……。」
「その通りです。ウォーレン公の客人が本日の便で到着される事は私たちにも既に知らされておりました。」

 入国審査の騎士のうちの一番年上と思われる一人が恭しく礼をしながら流暢なザール語でマルセルに向けて口を開いた。

「そうでしたか。」
「じゃあ少しここで待つとするか?」

 その時、門の向こう側に列をなして待機していた馬車の隊列がゆっくりと二手に別れると、その間をかき分けるようにして一際立派な馬車が姿を現した。
 その馬車は隊列の先頭まで来ると当然のようにそこで停車する。

「ロベール?」
「あぁ、分かってる。俺だって今すんごい嫌な予感してるし。」
「あれは?」
「ウォーレン公の次男アルノー様の馬車です。」
「次男?」

 ロベールは騎士の言葉に顔を強ばらせると馬車から華麗に降り立った紳士がこちらへ一直線に向かってきているのを見つめた。

「て事はリュカの兄貴か。だったら俺たちより随分年上のはずだよな?」
「もちろん。だが……ウォーレン公はステーリアでも王家にかなり近い方の血筋にあたるから──。」
「リュカも随分若く見えたが、兄貴の方もかなり若く見える。何ていうか──。」

 ロベールが言葉を選んでいるうちにその男は三人の元へ近付くと、迷うことなくマルセルの目の前で足を止めた。

「お待ちしておりました。リュカから話は聞いております。貴方がマルセル様ですね?」
「そうです。貴方はリュカの兄上でいらっしゃいますか?」
「ウォーレン公爵家二男、アルノー・ウォーレンと申します。はじめまして。」
「こっちが──」
「ロベール様とジャン様、ですね?」
「いや、何ていうか。様とか付けないで頂きたい……」

 苦笑を浮かべるロベールをチラッと見ると、ジャンが真面目な顔つきでアルノーに向かって騎士の礼をとった。

「ジャンと申します、アルノー様。お初にお目にかかります。」
「貴方は騎士学校を卒業したばかりだと聞いておりましたが、以前何処かでお見かけしたような……。」

 アルノーはリュカと同じ紺色の瞳を細めるとじっとジャンの顔を見つめた。ジャンは俯いたまま身動きもせず固まっている。

「騎士学校の卒業生も大勢おります。人違いでは?」
「いえ、確かに何処かで…。」

 アルノーは尚もジャンの顔を見つめて何かを思い出そうとしていたが、ふとジャンの腰にある剣に気が付くとポンと手を叩いた。

「御前試合だ!思い出しました。相手の剣を折った、あの歴史に残る名試合の騎士は貴方でしょう?だがあの時は確か黒髪の騎士だった気がしたのですが……」
「……」

 ジャンは黙ったままアルノーから顔を背けると、マルセルに向けて目配せをした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

私の知らぬ間に

豆狸
恋愛
私は激しい勢いで学園の壁に叩きつけられた。 背中が痛い。 私は死ぬのかしら。死んだら彼に会えるのかしら。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

そんなに妹が好きなら死んであげます。

克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。 『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』 フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。 それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。 そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。 イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。 異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。 何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……

処理中です...