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怠惰の行く末
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公爵は13歳にもなって読み書きもまともにできず、ましてや計算すらできない王太子に完全に失望していた。密かに使いを出してその様子を定期的に報告させてはいたものの、その大半はこうして王妃と共に怠惰に過ごすばかりのようだった。
丁度同じ年頃をザールで過ごしたマルセルは、屋敷に引きこもってはいたものの周りが取り寄せた数々の本を隅から隅まで読みつくしその知識を蓄えていたのだからその差は歴然たるものがあった。
ロベールにしても同様だ。13歳と言えば体も大きく変化する時期で、ロベールはその前から騎士たちに鍛えられ剣や馬の練習に励んでもいた。
──情けない。これがこの国の次期王の姿か。
公爵はそれ以上は何も言わずに大げさにため息をつくと二人に背を向けた。
「あら、今来られたばかりだというのにもうお帰りですか?」
「……私は確かに忠告したからな。後はそちらの自由だ、勝手にするといい。」
「そうですね。ですが残念ですわ、公爵様。貴方のその頭の中には、結局私という存在は片隅にも置いて頂けない──そういう事なのでしょう?」
公爵はその場で静かに立ち止まると、呼び止める王妃をゆっくりと振り返った。
「私たちは初めから割り切った関係だったはずだ。それなのに子まで生して……むしろ約束が違うと言いたいのはこちらの方だ。自分でもこの状況に13年もの間よく耐えたと思う。」
「あら……そう。」
王妃は窓際に飾ってある大輪の薔薇に目を向けると眩しそうに眼を細めた。薔薇の陰に隠れるように挿してある小さな白い花が気に入らない。今すぐにでもその全てを引き抜いてやり直させようか……。
部屋の扉が音を立てて閉まると同時に、王妃の頬を涙が一粒伝い落ちた。
きっと時間をかけてやり直させたところで、自分はまたどこか気に入らないところを見つけては嘆くに違いない。
「手遅れだったのね──知っていたわ、とっくに。」
「母上?」
下から白く細い手が伸びて来てやんわりと王妃の顎に触れた。
「泣いているのですか?」
「そうね、ほんの少しだけ。勝手に涙がでたみたい。」
王太子はまだ眠たそうな顔でゆっくりと起き上がると、それでも一応母親を心配する様子で力なく微笑んだ。薄茶色の柔らかな髪をかき上げる仕草は公爵とそっくりだった。しかしその蒼色の瞳には公爵や国王のような鋭い知性の色が欠片も見られない。どこまでも柔らかく、甘いその眼差しがこの時王妃には何物にも代えがたい宝石のように思えた。
「手遅れと、今そう言われましたか?」
「いいえ、貴方の聞き間違いじゃないかしら?」
「そうですか。」
「貴方があんまり気持ちよさそうに寝ているものだから、欠伸がでてしまったのよ。きっとその涙ね。」
「することがなくて退屈なんですからしょうがない。でもさすがに寝すぎたのか、私も喉が渇きましたよ。」
「そうね、じゃあお茶にでもしましょうか。」
王太子は欠伸をしながらソファーから立ち上がると、大きく伸びをした。窓辺から見える王宮の中庭には噴水が煌めき、満開の薔薇があちこちで風に揺れているように見えた。
「今日は風が強いのでしょうか、花が揺れていますね。まぁ外に出なければ少々風が強くともこちらには関係ありませんが。」
王妃は侍女が用意した紅茶を王太子に勧めながら、先ほどまで王太子が立っていた窓辺へ入れ替わるように歩み寄った。
眼下には手入れの行き届いた王宮の庭園が見えるが樹木が風に揺れているような様子はない。それも当然の事だった。庭園の木々は庭師により丁寧に剪定されており、少しの風で揺れる様な枝葉を持っていないのだから。
噴水脇の薔薇の垣根にしてもそうだ。支柱にしっかりと固定された濃い緑の間に膨らみ始めた蕾が幾つか見えるがまだあれを花と呼ぶには早いだろう。
「花が風に揺れている?」
王妃は眉を顰めると王太子を振り返った。
「えぇ、満開の薔薇が風で揺れていませんでしたか?それとももう風は止んだでしょうか?」
「薔薇の蕾はまだ硬いままよ、咲いている花なんて一つも……。」
王妃は顔色をサッと変えると王太子の顔を食い入るように見つめた。
「貴方、もしかしてあの薬草をまだ飲んでいるの?」
「薬草?……母上、一体それは何の話でしょうか?」
王妃はソファーまで駆け寄ると、王太子の手をしっかりと握ってその瞳を覗き込んだ。王太子はやんわりとその手を離すと慌てたように目を逸らし、紅茶のカップに手を伸ばした。
「いつだったか夜眠れないと貴方が言った時に渡した薬草を、もしかしてまた密かに取り寄せたのではなくて?」
「……そんな事は知りません。」
「いいえ、おかしいと思わない?最近貴方は幾ら寝ても寝足りないと欠伸ばかりしている。おまけにさっきの言葉。視力が落ちているんじゃない?まさか幻覚が見えはじめているの?」
「違います!私には幻覚など見えていません!」
王太子は机の上に乱暴にティーカップを戻すと、鼻息も荒く部屋から出て行こうとした。
「続けて飲むのは良くないとあれ程言ったはずよ?それに自分では気が付かないうちに──」
「母上は私を信じて下さらないのですか?私はそんな薬など飲んでいないと、そう申し上げているんです!」
王妃は王太子を引き止めようと伸ばしていた手をゆっくりと下すと、立ち去る背中をただ茫然自失で見送った。
「私に黙って侯爵領から取り寄せたのね。でも一体誰があの子にそんな事を吹き込んだというの?さっきの様子からすると公爵はこの事にまだ気付いていないようだった……。」
丁度同じ年頃をザールで過ごしたマルセルは、屋敷に引きこもってはいたものの周りが取り寄せた数々の本を隅から隅まで読みつくしその知識を蓄えていたのだからその差は歴然たるものがあった。
ロベールにしても同様だ。13歳と言えば体も大きく変化する時期で、ロベールはその前から騎士たちに鍛えられ剣や馬の練習に励んでもいた。
──情けない。これがこの国の次期王の姿か。
公爵はそれ以上は何も言わずに大げさにため息をつくと二人に背を向けた。
「あら、今来られたばかりだというのにもうお帰りですか?」
「……私は確かに忠告したからな。後はそちらの自由だ、勝手にするといい。」
「そうですね。ですが残念ですわ、公爵様。貴方のその頭の中には、結局私という存在は片隅にも置いて頂けない──そういう事なのでしょう?」
公爵はその場で静かに立ち止まると、呼び止める王妃をゆっくりと振り返った。
「私たちは初めから割り切った関係だったはずだ。それなのに子まで生して……むしろ約束が違うと言いたいのはこちらの方だ。自分でもこの状況に13年もの間よく耐えたと思う。」
「あら……そう。」
王妃は窓際に飾ってある大輪の薔薇に目を向けると眩しそうに眼を細めた。薔薇の陰に隠れるように挿してある小さな白い花が気に入らない。今すぐにでもその全てを引き抜いてやり直させようか……。
部屋の扉が音を立てて閉まると同時に、王妃の頬を涙が一粒伝い落ちた。
きっと時間をかけてやり直させたところで、自分はまたどこか気に入らないところを見つけては嘆くに違いない。
「手遅れだったのね──知っていたわ、とっくに。」
「母上?」
下から白く細い手が伸びて来てやんわりと王妃の顎に触れた。
「泣いているのですか?」
「そうね、ほんの少しだけ。勝手に涙がでたみたい。」
王太子はまだ眠たそうな顔でゆっくりと起き上がると、それでも一応母親を心配する様子で力なく微笑んだ。薄茶色の柔らかな髪をかき上げる仕草は公爵とそっくりだった。しかしその蒼色の瞳には公爵や国王のような鋭い知性の色が欠片も見られない。どこまでも柔らかく、甘いその眼差しがこの時王妃には何物にも代えがたい宝石のように思えた。
「手遅れと、今そう言われましたか?」
「いいえ、貴方の聞き間違いじゃないかしら?」
「そうですか。」
「貴方があんまり気持ちよさそうに寝ているものだから、欠伸がでてしまったのよ。きっとその涙ね。」
「することがなくて退屈なんですからしょうがない。でもさすがに寝すぎたのか、私も喉が渇きましたよ。」
「そうね、じゃあお茶にでもしましょうか。」
王太子は欠伸をしながらソファーから立ち上がると、大きく伸びをした。窓辺から見える王宮の中庭には噴水が煌めき、満開の薔薇があちこちで風に揺れているように見えた。
「今日は風が強いのでしょうか、花が揺れていますね。まぁ外に出なければ少々風が強くともこちらには関係ありませんが。」
王妃は侍女が用意した紅茶を王太子に勧めながら、先ほどまで王太子が立っていた窓辺へ入れ替わるように歩み寄った。
眼下には手入れの行き届いた王宮の庭園が見えるが樹木が風に揺れているような様子はない。それも当然の事だった。庭園の木々は庭師により丁寧に剪定されており、少しの風で揺れる様な枝葉を持っていないのだから。
噴水脇の薔薇の垣根にしてもそうだ。支柱にしっかりと固定された濃い緑の間に膨らみ始めた蕾が幾つか見えるがまだあれを花と呼ぶには早いだろう。
「花が風に揺れている?」
王妃は眉を顰めると王太子を振り返った。
「えぇ、満開の薔薇が風で揺れていませんでしたか?それとももう風は止んだでしょうか?」
「薔薇の蕾はまだ硬いままよ、咲いている花なんて一つも……。」
王妃は顔色をサッと変えると王太子の顔を食い入るように見つめた。
「貴方、もしかしてあの薬草をまだ飲んでいるの?」
「薬草?……母上、一体それは何の話でしょうか?」
王妃はソファーまで駆け寄ると、王太子の手をしっかりと握ってその瞳を覗き込んだ。王太子はやんわりとその手を離すと慌てたように目を逸らし、紅茶のカップに手を伸ばした。
「いつだったか夜眠れないと貴方が言った時に渡した薬草を、もしかしてまた密かに取り寄せたのではなくて?」
「……そんな事は知りません。」
「いいえ、おかしいと思わない?最近貴方は幾ら寝ても寝足りないと欠伸ばかりしている。おまけにさっきの言葉。視力が落ちているんじゃない?まさか幻覚が見えはじめているの?」
「違います!私には幻覚など見えていません!」
王太子は机の上に乱暴にティーカップを戻すと、鼻息も荒く部屋から出て行こうとした。
「続けて飲むのは良くないとあれ程言ったはずよ?それに自分では気が付かないうちに──」
「母上は私を信じて下さらないのですか?私はそんな薬など飲んでいないと、そう申し上げているんです!」
王妃は王太子を引き止めようと伸ばしていた手をゆっくりと下すと、立ち去る背中をただ茫然自失で見送った。
「私に黙って侯爵領から取り寄せたのね。でも一体誰があの子にそんな事を吹き込んだというの?さっきの様子からすると公爵はこの事にまだ気付いていないようだった……。」
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