見知らぬ君がつく優しい嘘

ゆみ

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大切な人

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 ジョエルはどんなに問いただされようが、相手の名前を頑として口にしない。

 いい加減代わり映えのしないやりとりにうんざりしてきたシルヴィは指輪を渡す代わりに自分も連れて行くようジョエルにした。──決して脅した訳ではない。



 根負けしたジョエルによって連れて行かれたのは街外れにある小さな家だった。周囲には大きな畑と農道があるものの、畑で農作業をしている人影が遠くに幾つか見えるだけの静かな所だ。
 シルヴィは相変わらず無鉄砲な自分の行動に呆れると共に、ロジェがどこか見えない所で怒鳴り声をあげているような気がして落ち着かなかった。


 馬車が家の前で止まると、待ち構えていたであろう人影が小屋から顔を出した。
 栗色の短く刈った髪と健康的な小麦色の肌。その右腕には包帯が巻かれている。おそらく年齢はジョエルと同じくらいだろう──シルヴィの知らない男だった。


「ジョエル……話が違うじゃないか。」
「すまない。どうしても指輪だけを渡す訳にはいかないと言われて。」
「とりあえず馬車を隠して来い。」

 包帯の男は自らをエドモンと名乗ると、シルヴィに小屋へ入るよう促した。

「こんな所で申し訳ありませんがあまり人目につきたくないので。狭いですけど、どうぞ。」

 警戒しているシルヴィを置いてエドモンはさっさと先に小屋の中に入っていく。
 入ってすぐの部屋には簡素な机と椅子が2脚だけ置いてあるのが見えた。エドモンは壁際の椅子に自ら腰掛けると、シルヴィを待った。

 ジョエルが戻るのを待つべきか……シルヴィが小屋の入り口で迷っていると、エドモンが腕の包帯を顎で示しながら苦笑した。

「安心してください。利き腕はこの通り、満足に動きませんから。」
「……貴方も北方に行っていたの?」
「はい。雪崩に巻き込まれた時にちょっと怪我を。」

 シルヴィは仕方なく椅子を引き寄せると、出入り口に近い方へ腰を下ろした。
 エドモンは包帯が巻かれた右手を擦っている。シルヴィが想像していたよりも随分と細く華奢な指だ。


「それで、エドモン。どうして貴方に指輪を渡さないといけないの?そもそも、何故貴方は指輪の存在を知っているの?」
「それは……その指輪は貴女の為に作られた物ではないからです。」


 シルヴィは背中に悪寒が走るのを感じた。エドモンがこの指輪のことを詳しく知っているのは明らかだ。一体彼は何者なのだろうか?

「それはレオがの為に作った初めての指輪です。返していただきたい。」


──レオが大切な人の為に作った……初めての指輪?


 一気に飛び込んできた情報量を処理しきれず、シルヴィはエドモンの顔をじっと見つめた。
 エドモンはひるむ様子もなく、強い意思を持った眼差しでこちらを見返してくる。


「私は遠征に出るまでの長い間ガレルで職人をしていました。レオには3年程前から宝飾品の作り方を教えております。」
「職人?レオ様は3年も前からそんな事をしていらしたの?」
「そうです。だから知っているんです。その指輪を作ったのはレオが貴女と婚約をする前でした。」
「私の為に作った指輪でない事は分かっています。」
「そうでしょうね。」

 エドモンは鼻でふっと笑うとジョエルが戻ってきたのを確認した。
 ジョエルは小屋の外で待機するつもりなのかエドモンに向かって静かに頷くと、入り口の扉を閉めた。


「レオ様の大切な人というのは……もしかしてロジェ様の事ですか?」

 エドモンは黙ったままシルヴィに再び目を向けた。一瞬睨むようなその鋭い眼差しが、どこかロジェを思わせるようでシルヴィははっとした。
 思わずエドモンの左手を確認するが、そこには指輪ははまっていないようだ。


「その大事な指輪に貴女の名を刻むように指示されたのはです。」
「ちょっと待って。どういうことかよく分からないわ。」
「私だってあの方が何を考えてそんな事をなさったのか分かりません。だからそれはレオに返していただきたい。」

 シルヴィはバッグをぐっと握りしめた。

 婚約破棄の手紙を受け取った翌日、真紅の小箱を開けた瞬間に気がついていた。この指輪は明らかに大きい──男性用だ。それなのに内側にはシルヴィの名前が刻まれている。
 それが何を意味するのか、あの時も今もシルヴィには全く分からなかった。
 侯爵家に指輪を返しに行った時、侯爵は箱から指輪を取り出してしっかりと確認していた。恐らく侯爵は男性用だと気が付いたはずだ。にも関わらず、指輪はシルヴィのものだと言って返してくれた。
 あの時に迷わず聞くべきだったのに、そうしなかった事が今頃になって悔やまれる。



 しかし今本当にこの男の言う事を信じて指輪を差し出していいものだろうか?
 シルヴィが悩んでいると、扉の外でジョエルが何かを叫んでいるのが聞こえた。

「駄目です!今は──」
「ロジェだろ?いいから……」

 静止するジョエルを強引に押しのけて入り口に姿を見せたのはレオだった。
 レオはすぐ近くに座っているシルヴィの姿を見つけると、驚いてその場で固まった。

「あれ、女の子?邪魔したかな?」
「レオ……お前今日は来ない約束じゃ?」
「昨日またアイツから注文を受けたんだ、急ぎで。こちらは?エドの知り合い?」
「こちらは……シルヴィ様。」
「あぁ。」

 レオはホッとしたように破顔すると小屋の中に入ってきた。

「そう、わざわざ来てくれたんだ。話はロジェから聞いてるよ。それでエド、サイズはもう測ったの?」
「サイズ?何の事だ?」
「急ぎで指輪を頼まれたって今言っただろ?指のサイズに決まってる。」

 レオは一旦奥の方に引っ込むと、ジャラジャラと音を鳴らしながら戻って来た。その手には複数の輪(リング)がある。
 レオは優雅な仕草でシルヴィの前に跪くと、失礼と言いながらシルヴィの左手をとった。香水だろうか、ふわっと白百合のような香りが辺りに漂う。

──何これ。私……夢、見てる?


 レオは美しく微笑みながら、シルヴィの左手に冷たい輪をそっとはめた。
 優しい声がシルヴィに聞えるか聞こえないかというくらい小さく囁く。


「おめでとう。よかったね、シルヴィ。」


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