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君に贈る花
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翌日、目が覚めるとこの時期にしては気温が高く、日差しが眩しい朝だった。
シルヴィはいつものように今日一日の予定を頭の中に思い浮かべながらのろのろと起き上がった。
ゆっくりと自室を見渡すと、飾り気のないその様子になぜだかため息がでた。
いつしか習慣のようになっていた教会訪問はこれからも変わらず続けていくべきだろう、自分でもそう思っていた。しかし、そこで当たり前のように受け取っていた花束はもう──不要だ。
この一年、正確にはレオの婚約者になってからは数日置きに教会併設の施設へ行き、そこで子供たちが育てた花を受け取る習慣になっていた。そしてそれを手土産にそのまま侯爵家に挨拶に出向く。
挨拶に伺う相手は婚約者ではなくその母上、侯爵夫人だ。エマ夫人は堅苦しいところの一切ない女性だった。伯爵家のシルヴィに対してもすぐに打ち解けた様子で接してくれ、教育と称した茶会などの面倒事を強要されることはなかった。
最近では、ただ持参した花を飾って帰るだけという日も多くなっていた。
「エマ様には最後のご挨拶に伺うべきよね。だったらやっぱり先に教会に行って、ギーには申し訳ないけど花はもういらないって伝えとかないと……。」
シルヴィは教会併設の養護施設で花の世話をしている子どもたちの顔を思い浮かべた。ギーはその子どもたちを率いているリーダーのような存在だ。小さい頃に両親を事故で亡くしてから、ギーは教会でシスターの世話になって暮らしている。成人した今でも施設の手伝いをしていて、いずれは街に自分の店を持ちたいと夢を語っていた。
教会の敷地に入ると、早速どこから見ていたのか小さな女の子がシルヴィに手を振りながら駆け寄ってきた。
「シルヴィ様いらっしゃい!ギーが待ってるよ、ほら。」
何か作業の最中だったのか、濡れたままの冷たい小さな手がシルヴィの手をそっと引っ張った。
シルヴィは女の子の小さな手を両手で包むようにすると、ニッコリと笑いかけた。
「冷たい手。何か作業の途中だったんじゃないの?戻らなくて大丈夫?」
「あ!」
「ギーはいつものところにいるんでしょ?大丈夫よ。私、案内はいらないわ。」
「わかった、わたしもお仕事にもどらなきゃ。またね、シルヴィ様。」
少女はせわしなく手を振ると、建物の裏手に続く通路を慌てて駆けて行った。通路の向こうからは数人の子供が手招きをしているのが見える。
ここで子供たちが育てている花は加工され、商品としてさまざまな方面に納められていく。朝一番に収穫された花で作る花束は貴族や教会に集う人々から注文が多い人気商品で、その売上は寄付とともに施設の貴重な収入源となっているのだ。
シルヴィは小さな後ろ姿が建物に入っていくのを確認すると、ギーが作業をしている部屋に向うことにした。
玄関に面した部屋の窓越しにギーの姿が見える。ギーはシルヴィが来たことにいち早く気がつくと跳ねるように部屋から飛び出してきた。
「シルヴィ様いらっしゃい、花束できてるよ。今持ってくるから、ちょっと待っててね。」
ギーは両手でシルヴィの手をぎゅっと握ったかと思うと、シルヴィに話す間を与えずすぐさま建物の中へと消えていった。
シルヴィはその様子を見て、次回から花束は不要だと伝えるのはやめたほうがよさそうだと考え直した。
ギーは自分たちの育てた花がかわいくてしかたないのだろう。いつ来てもシルヴィはこうして熱烈に歓迎され、綺麗な花束を贈られる。
伯爵家としてこの教会に少なからぬ寄付をしているのは父親だ。シルヴィはいつも自分は何もしていないのに無償で花束を受け取っているようで、なんとも心苦しく感じていた。
「シルヴィ様。はい、これ。」
考え事をしていると、目の前に大きな花束がさっと差し出された。いつの間にかギーが戻ってきたのだ。
今日の花束は緑と白の大きな花が一段と目を引き、シンプルだが見事なものだった。
「ありがとう。」
「どうですか?気に入ってもらえると思うんですが。」
「えぇ、とっても綺麗。」
シルヴィはギーから花束を受け取ると、そっとその香りを確かめた。ギーも隣から顔を寄せてクンクンと香りを確かめ、すぐさま満面の笑みを浮かべた。
「これならレオ様も問題ないでしょ?」
「えぇ、きっとそうね。でも……今までレオ様の好みに合わせてほしいってお願いしてたでしょ?これからはもうそういうの気にしなくていいから。」
「と言うと?」
「もう、花は贈らないの。」
「それって──?」
青い香りのする綺麗な花束を両手で抱えたまま、シルヴィとギーは目を合わせた。ギーの戸惑った顔がどこまでシルヴィに聞いていいものかと迷っているのがわかる。
シルヴィとしても、婚約を解消したなどとギーに詳細を説明するつもりはなかった。
「シルヴィ様?」
少し離れた教会の方からシルヴィを呼ぶ声がすると、二人は同時にはっと顔を上げた。シスターがこちらに向かって急ぎ足で来るのが見える。恐らくは来客が帰るところなのだろう──シスターの脇では一台の馬車がゆっくりと走り出したところだった。
「シスター、お久しぶりです。お客様はもう良かったのですか?」
「えぇ大丈夫、今お帰りになったところですよ。それよりもギー?あなたがシルヴィ様のお越しを今か今かと待っていたのは分かりますけれど、もう少し離れなさい。」
「え?あ、すみません。別にそんなつもりじゃ……。」
シスターが大仰な身振りでギーにその場から少し離れるよう促すと、ギーは慌てて両手をぱっと上げ、シルヴィの隣から大きく一歩後退った。
ギーの耳は赤くなっていたが、シルヴィの視線は通り過ぎる馬車を追っていてそれには気が付かないでいた。
シルヴィはいつものように今日一日の予定を頭の中に思い浮かべながらのろのろと起き上がった。
ゆっくりと自室を見渡すと、飾り気のないその様子になぜだかため息がでた。
いつしか習慣のようになっていた教会訪問はこれからも変わらず続けていくべきだろう、自分でもそう思っていた。しかし、そこで当たり前のように受け取っていた花束はもう──不要だ。
この一年、正確にはレオの婚約者になってからは数日置きに教会併設の施設へ行き、そこで子供たちが育てた花を受け取る習慣になっていた。そしてそれを手土産にそのまま侯爵家に挨拶に出向く。
挨拶に伺う相手は婚約者ではなくその母上、侯爵夫人だ。エマ夫人は堅苦しいところの一切ない女性だった。伯爵家のシルヴィに対してもすぐに打ち解けた様子で接してくれ、教育と称した茶会などの面倒事を強要されることはなかった。
最近では、ただ持参した花を飾って帰るだけという日も多くなっていた。
「エマ様には最後のご挨拶に伺うべきよね。だったらやっぱり先に教会に行って、ギーには申し訳ないけど花はもういらないって伝えとかないと……。」
シルヴィは教会併設の養護施設で花の世話をしている子どもたちの顔を思い浮かべた。ギーはその子どもたちを率いているリーダーのような存在だ。小さい頃に両親を事故で亡くしてから、ギーは教会でシスターの世話になって暮らしている。成人した今でも施設の手伝いをしていて、いずれは街に自分の店を持ちたいと夢を語っていた。
教会の敷地に入ると、早速どこから見ていたのか小さな女の子がシルヴィに手を振りながら駆け寄ってきた。
「シルヴィ様いらっしゃい!ギーが待ってるよ、ほら。」
何か作業の最中だったのか、濡れたままの冷たい小さな手がシルヴィの手をそっと引っ張った。
シルヴィは女の子の小さな手を両手で包むようにすると、ニッコリと笑いかけた。
「冷たい手。何か作業の途中だったんじゃないの?戻らなくて大丈夫?」
「あ!」
「ギーはいつものところにいるんでしょ?大丈夫よ。私、案内はいらないわ。」
「わかった、わたしもお仕事にもどらなきゃ。またね、シルヴィ様。」
少女はせわしなく手を振ると、建物の裏手に続く通路を慌てて駆けて行った。通路の向こうからは数人の子供が手招きをしているのが見える。
ここで子供たちが育てている花は加工され、商品としてさまざまな方面に納められていく。朝一番に収穫された花で作る花束は貴族や教会に集う人々から注文が多い人気商品で、その売上は寄付とともに施設の貴重な収入源となっているのだ。
シルヴィは小さな後ろ姿が建物に入っていくのを確認すると、ギーが作業をしている部屋に向うことにした。
玄関に面した部屋の窓越しにギーの姿が見える。ギーはシルヴィが来たことにいち早く気がつくと跳ねるように部屋から飛び出してきた。
「シルヴィ様いらっしゃい、花束できてるよ。今持ってくるから、ちょっと待っててね。」
ギーは両手でシルヴィの手をぎゅっと握ったかと思うと、シルヴィに話す間を与えずすぐさま建物の中へと消えていった。
シルヴィはその様子を見て、次回から花束は不要だと伝えるのはやめたほうがよさそうだと考え直した。
ギーは自分たちの育てた花がかわいくてしかたないのだろう。いつ来てもシルヴィはこうして熱烈に歓迎され、綺麗な花束を贈られる。
伯爵家としてこの教会に少なからぬ寄付をしているのは父親だ。シルヴィはいつも自分は何もしていないのに無償で花束を受け取っているようで、なんとも心苦しく感じていた。
「シルヴィ様。はい、これ。」
考え事をしていると、目の前に大きな花束がさっと差し出された。いつの間にかギーが戻ってきたのだ。
今日の花束は緑と白の大きな花が一段と目を引き、シンプルだが見事なものだった。
「ありがとう。」
「どうですか?気に入ってもらえると思うんですが。」
「えぇ、とっても綺麗。」
シルヴィはギーから花束を受け取ると、そっとその香りを確かめた。ギーも隣から顔を寄せてクンクンと香りを確かめ、すぐさま満面の笑みを浮かべた。
「これならレオ様も問題ないでしょ?」
「えぇ、きっとそうね。でも……今までレオ様の好みに合わせてほしいってお願いしてたでしょ?これからはもうそういうの気にしなくていいから。」
「と言うと?」
「もう、花は贈らないの。」
「それって──?」
青い香りのする綺麗な花束を両手で抱えたまま、シルヴィとギーは目を合わせた。ギーの戸惑った顔がどこまでシルヴィに聞いていいものかと迷っているのがわかる。
シルヴィとしても、婚約を解消したなどとギーに詳細を説明するつもりはなかった。
「シルヴィ様?」
少し離れた教会の方からシルヴィを呼ぶ声がすると、二人は同時にはっと顔を上げた。シスターがこちらに向かって急ぎ足で来るのが見える。恐らくは来客が帰るところなのだろう──シスターの脇では一台の馬車がゆっくりと走り出したところだった。
「シスター、お久しぶりです。お客様はもう良かったのですか?」
「えぇ大丈夫、今お帰りになったところですよ。それよりもギー?あなたがシルヴィ様のお越しを今か今かと待っていたのは分かりますけれど、もう少し離れなさい。」
「え?あ、すみません。別にそんなつもりじゃ……。」
シスターが大仰な身振りでギーにその場から少し離れるよう促すと、ギーは慌てて両手をぱっと上げ、シルヴィの隣から大きく一歩後退った。
ギーの耳は赤くなっていたが、シルヴィの視線は通り過ぎる馬車を追っていてそれには気が付かないでいた。
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