3 / 31
君に贈る花
しおりを挟む
翌日、目が覚めるとこの時期にしては気温が高く、日差しが眩しい朝だった。
シルヴィはいつものように今日一日の予定を頭の中に思い浮かべながらのろのろと起き上がった。
ゆっくりと自室を見渡すと、飾り気のないその様子になぜだかため息がでた。
いつしか習慣のようになっていた教会訪問はこれからも変わらず続けていくべきだろう、自分でもそう思っていた。しかし、そこで当たり前のように受け取っていた花束はもう──不要だ。
この一年、正確にはレオの婚約者になってからは数日置きに教会併設の施設へ行き、そこで子供たちが育てた花を受け取る習慣になっていた。そしてそれを手土産にそのまま侯爵家に挨拶に出向く。
挨拶に伺う相手は婚約者ではなくその母上、侯爵夫人だ。エマ夫人は堅苦しいところの一切ない女性だった。伯爵家のシルヴィに対してもすぐに打ち解けた様子で接してくれ、教育と称した茶会などの面倒事を強要されることはなかった。
最近では、ただ持参した花を飾って帰るだけという日も多くなっていた。
「エマ様には最後のご挨拶に伺うべきよね。だったらやっぱり先に教会に行って、ギーには申し訳ないけど花はもういらないって伝えとかないと……。」
シルヴィは教会併設の養護施設で花の世話をしている子どもたちの顔を思い浮かべた。ギーはその子どもたちを率いているリーダーのような存在だ。小さい頃に両親を事故で亡くしてから、ギーは教会でシスターの世話になって暮らしている。成人した今でも施設の手伝いをしていて、いずれは街に自分の店を持ちたいと夢を語っていた。
教会の敷地に入ると、早速どこから見ていたのか小さな女の子がシルヴィに手を振りながら駆け寄ってきた。
「シルヴィ様いらっしゃい!ギーが待ってるよ、ほら。」
何か作業の最中だったのか、濡れたままの冷たい小さな手がシルヴィの手をそっと引っ張った。
シルヴィは女の子の小さな手を両手で包むようにすると、ニッコリと笑いかけた。
「冷たい手。何か作業の途中だったんじゃないの?戻らなくて大丈夫?」
「あ!」
「ギーはいつものところにいるんでしょ?大丈夫よ。私、案内はいらないわ。」
「わかった、わたしもお仕事にもどらなきゃ。またね、シルヴィ様。」
少女はせわしなく手を振ると、建物の裏手に続く通路を慌てて駆けて行った。通路の向こうからは数人の子供が手招きをしているのが見える。
ここで子供たちが育てている花は加工され、商品としてさまざまな方面に納められていく。朝一番に収穫された花で作る花束は貴族や教会に集う人々から注文が多い人気商品で、その売上は寄付とともに施設の貴重な収入源となっているのだ。
シルヴィは小さな後ろ姿が建物に入っていくのを確認すると、ギーが作業をしている部屋に向うことにした。
玄関に面した部屋の窓越しにギーの姿が見える。ギーはシルヴィが来たことにいち早く気がつくと跳ねるように部屋から飛び出してきた。
「シルヴィ様いらっしゃい、花束できてるよ。今持ってくるから、ちょっと待っててね。」
ギーは両手でシルヴィの手をぎゅっと握ったかと思うと、シルヴィに話す間を与えずすぐさま建物の中へと消えていった。
シルヴィはその様子を見て、次回から花束は不要だと伝えるのはやめたほうがよさそうだと考え直した。
ギーは自分たちの育てた花がかわいくてしかたないのだろう。いつ来てもシルヴィはこうして熱烈に歓迎され、綺麗な花束を贈られる。
伯爵家としてこの教会に少なからぬ寄付をしているのは父親だ。シルヴィはいつも自分は何もしていないのに無償で花束を受け取っているようで、なんとも心苦しく感じていた。
「シルヴィ様。はい、これ。」
考え事をしていると、目の前に大きな花束がさっと差し出された。いつの間にかギーが戻ってきたのだ。
今日の花束は緑と白の大きな花が一段と目を引き、シンプルだが見事なものだった。
「ありがとう。」
「どうですか?気に入ってもらえると思うんですが。」
「えぇ、とっても綺麗。」
シルヴィはギーから花束を受け取ると、そっとその香りを確かめた。ギーも隣から顔を寄せてクンクンと香りを確かめ、すぐさま満面の笑みを浮かべた。
「これならレオ様も問題ないでしょ?」
「えぇ、きっとそうね。でも……今までレオ様の好みに合わせてほしいってお願いしてたでしょ?これからはもうそういうの気にしなくていいから。」
「と言うと?」
「もう、花は贈らないの。」
「それって──?」
青い香りのする綺麗な花束を両手で抱えたまま、シルヴィとギーは目を合わせた。ギーの戸惑った顔がどこまでシルヴィに聞いていいものかと迷っているのがわかる。
シルヴィとしても、婚約を解消したなどとギーに詳細を説明するつもりはなかった。
「シルヴィ様?」
少し離れた教会の方からシルヴィを呼ぶ声がすると、二人は同時にはっと顔を上げた。シスターがこちらに向かって急ぎ足で来るのが見える。恐らくは来客が帰るところなのだろう──シスターの脇では一台の馬車がゆっくりと走り出したところだった。
「シスター、お久しぶりです。お客様はもう良かったのですか?」
「えぇ大丈夫、今お帰りになったところですよ。それよりもギー?あなたがシルヴィ様のお越しを今か今かと待っていたのは分かりますけれど、もう少し離れなさい。」
「え?あ、すみません。別にそんなつもりじゃ……。」
シスターが大仰な身振りでギーにその場から少し離れるよう促すと、ギーは慌てて両手をぱっと上げ、シルヴィの隣から大きく一歩後退った。
ギーの耳は赤くなっていたが、シルヴィの視線は通り過ぎる馬車を追っていてそれには気が付かないでいた。
シルヴィはいつものように今日一日の予定を頭の中に思い浮かべながらのろのろと起き上がった。
ゆっくりと自室を見渡すと、飾り気のないその様子になぜだかため息がでた。
いつしか習慣のようになっていた教会訪問はこれからも変わらず続けていくべきだろう、自分でもそう思っていた。しかし、そこで当たり前のように受け取っていた花束はもう──不要だ。
この一年、正確にはレオの婚約者になってからは数日置きに教会併設の施設へ行き、そこで子供たちが育てた花を受け取る習慣になっていた。そしてそれを手土産にそのまま侯爵家に挨拶に出向く。
挨拶に伺う相手は婚約者ではなくその母上、侯爵夫人だ。エマ夫人は堅苦しいところの一切ない女性だった。伯爵家のシルヴィに対してもすぐに打ち解けた様子で接してくれ、教育と称した茶会などの面倒事を強要されることはなかった。
最近では、ただ持参した花を飾って帰るだけという日も多くなっていた。
「エマ様には最後のご挨拶に伺うべきよね。だったらやっぱり先に教会に行って、ギーには申し訳ないけど花はもういらないって伝えとかないと……。」
シルヴィは教会併設の養護施設で花の世話をしている子どもたちの顔を思い浮かべた。ギーはその子どもたちを率いているリーダーのような存在だ。小さい頃に両親を事故で亡くしてから、ギーは教会でシスターの世話になって暮らしている。成人した今でも施設の手伝いをしていて、いずれは街に自分の店を持ちたいと夢を語っていた。
教会の敷地に入ると、早速どこから見ていたのか小さな女の子がシルヴィに手を振りながら駆け寄ってきた。
「シルヴィ様いらっしゃい!ギーが待ってるよ、ほら。」
何か作業の最中だったのか、濡れたままの冷たい小さな手がシルヴィの手をそっと引っ張った。
シルヴィは女の子の小さな手を両手で包むようにすると、ニッコリと笑いかけた。
「冷たい手。何か作業の途中だったんじゃないの?戻らなくて大丈夫?」
「あ!」
「ギーはいつものところにいるんでしょ?大丈夫よ。私、案内はいらないわ。」
「わかった、わたしもお仕事にもどらなきゃ。またね、シルヴィ様。」
少女はせわしなく手を振ると、建物の裏手に続く通路を慌てて駆けて行った。通路の向こうからは数人の子供が手招きをしているのが見える。
ここで子供たちが育てている花は加工され、商品としてさまざまな方面に納められていく。朝一番に収穫された花で作る花束は貴族や教会に集う人々から注文が多い人気商品で、その売上は寄付とともに施設の貴重な収入源となっているのだ。
シルヴィは小さな後ろ姿が建物に入っていくのを確認すると、ギーが作業をしている部屋に向うことにした。
玄関に面した部屋の窓越しにギーの姿が見える。ギーはシルヴィが来たことにいち早く気がつくと跳ねるように部屋から飛び出してきた。
「シルヴィ様いらっしゃい、花束できてるよ。今持ってくるから、ちょっと待っててね。」
ギーは両手でシルヴィの手をぎゅっと握ったかと思うと、シルヴィに話す間を与えずすぐさま建物の中へと消えていった。
シルヴィはその様子を見て、次回から花束は不要だと伝えるのはやめたほうがよさそうだと考え直した。
ギーは自分たちの育てた花がかわいくてしかたないのだろう。いつ来てもシルヴィはこうして熱烈に歓迎され、綺麗な花束を贈られる。
伯爵家としてこの教会に少なからぬ寄付をしているのは父親だ。シルヴィはいつも自分は何もしていないのに無償で花束を受け取っているようで、なんとも心苦しく感じていた。
「シルヴィ様。はい、これ。」
考え事をしていると、目の前に大きな花束がさっと差し出された。いつの間にかギーが戻ってきたのだ。
今日の花束は緑と白の大きな花が一段と目を引き、シンプルだが見事なものだった。
「ありがとう。」
「どうですか?気に入ってもらえると思うんですが。」
「えぇ、とっても綺麗。」
シルヴィはギーから花束を受け取ると、そっとその香りを確かめた。ギーも隣から顔を寄せてクンクンと香りを確かめ、すぐさま満面の笑みを浮かべた。
「これならレオ様も問題ないでしょ?」
「えぇ、きっとそうね。でも……今までレオ様の好みに合わせてほしいってお願いしてたでしょ?これからはもうそういうの気にしなくていいから。」
「と言うと?」
「もう、花は贈らないの。」
「それって──?」
青い香りのする綺麗な花束を両手で抱えたまま、シルヴィとギーは目を合わせた。ギーの戸惑った顔がどこまでシルヴィに聞いていいものかと迷っているのがわかる。
シルヴィとしても、婚約を解消したなどとギーに詳細を説明するつもりはなかった。
「シルヴィ様?」
少し離れた教会の方からシルヴィを呼ぶ声がすると、二人は同時にはっと顔を上げた。シスターがこちらに向かって急ぎ足で来るのが見える。恐らくは来客が帰るところなのだろう──シスターの脇では一台の馬車がゆっくりと走り出したところだった。
「シスター、お久しぶりです。お客様はもう良かったのですか?」
「えぇ大丈夫、今お帰りになったところですよ。それよりもギー?あなたがシルヴィ様のお越しを今か今かと待っていたのは分かりますけれど、もう少し離れなさい。」
「え?あ、すみません。別にそんなつもりじゃ……。」
シスターが大仰な身振りでギーにその場から少し離れるよう促すと、ギーは慌てて両手をぱっと上げ、シルヴィの隣から大きく一歩後退った。
ギーの耳は赤くなっていたが、シルヴィの視線は通り過ぎる馬車を追っていてそれには気が付かないでいた。
0
お気に入りに追加
95
あなたにおすすめの小説
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
【完結】捨てられ正妃は思い出す。
なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」
そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。
人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。
正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。
人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。
再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。
デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。
確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。
––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––
他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。
前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。
彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
帰らなければ良かった
jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。
傷付いたシシリーと傷付けたブライアン…
何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。
*性被害、レイプなどの言葉が出てきます。
気になる方はお避け下さい。
・8/1 長編に変更しました。
・8/16 本編完結しました。
婚約者の心の声が聞こえるようになったが手遅れだった
神々廻
恋愛
《めんどー、何その嫌そうな顔。うっざ》
「殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
婚約者の声が聞こえるようになったら.........婚約者に罵倒されてた.....怖い。
全3話完結
私が死んだあとの世界で
もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。
初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。
だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる