58 / 69
第58話 大奥は再び咲く~出版 拾
しおりを挟む
八月を過ぎ、須磨の描き上がった絵を納品した高遠は安堵の息を吐いていた。
全部を覚えていると言った須磨の言葉は嘘ではなく、どのシーンが挿画に相応しいかを見極めて描かれており、また、表紙のエロさの破壊力たるや、思わず神仏に祈る勢いだった。
――神よ、お須磨の方さまに命を授けてくださり、誠にありがとうございます。
鶴屋の佐枝も申し分ない絵だとホクホク顔であり、予約も多く、発売の十月ギリギリまで刷ってくれと職人たちに拝み倒しているそうだ。
特に、須磨の絵は絶賛で他の作家が絵を依頼したいと鶴屋に申し出するほどの人気だという。独占契約をしている鶴屋はこの時勢に他の追随を許さない勢いで売り上げを伸ばしていた。
高遠も新しい作品のキャラ作りとプロットを練っている。
呪詛をかけられた百万石の大大名が呪詛払いのため、仏の加護を受けたという小国の少年を娶る話で、大国に挟まれた少年の国はこの婚姻が成立すれば我が国は安泰だと、仏門に入るつもりであった息子を差し出し、政略結婚をさせてしまう。
大大名も呪詛を祓ってくれればいいと少年を愛する気持ちなどなかったが、呪詛に苦しむ己のために健気に尽くす姿に次第に心惹かれ、少年もまた大大名の不器用な優しさに心を開き、唯一無二の番いとして幸せになるという一万文字ていどのプロットを須磨に渡すと、
「愛のない政略結婚からの本気の恋。……次第に相手が気になって気になって仕方なくなる過程がもう……っ、もうっ、もどかしい。なにもかも手に入るのに、受けの心だけは手に入らない……っ、ああ、あああ尊い……っ」
と、はぁはぁしていたので、この話で大丈夫だと確信できた。
須磨は大人しいが、読み専として守備範囲が広い。この話でいくことを決めたが、高遠の本業は御年寄という仕事である。
創作だけではなく、九月に行われる重陽の節句の準備も抜かりなく進めていた。
重陽の節句は『菊の節句』とも呼び、諸藩が多種の菊を育て、大奥に献上し、花を愛でながら菊の花を浸した酒を呑む宴だ。
大奥内で行う行事なので、八朔の日よりずいぶんと気が楽だし、財政難を乗り切るノウハウのようなものが身に付いているので従来の方法に囚われず、必要なことを得られるならば、柔軟に対応する空気が大奥全体に生まれている。
それに、贅沢品禁止の取り締まりが厳しくなったことで、大奥にとって有利な現象が起きていたのだ。
酒や高級菓子、食材などが市中で売れなくなり、大奥御用達の店から大奥で買い取ってもらえないか? という申し出が多くなり、催事に必要なものが安く手に入るようになったのだ。
価格が安いので物を買う者は増える、それにプラスして表使の手間賃も増えるで大奥内では質素倹約以前と遜色ない賑わいが戻りつつあったのだ。
皮肉にも沢渡主殿頭の政策が、大奥を助ける結果となっていた。
今日も献上された菊の花が女中たちの手により、慎重に飾り棚に並べられていく。
「まこと見事なものですね」
「本当に。この厚物の菊など、どうです」
「こちらの管物も繊細ですわ」
と、口々に述べている顔は楽しそうだ。献上される菊は諸大名お抱えの花師が面子を賭けて育てるだけあって、大輪の花びらを広げている。他にも、お目見え以上の者たちは菊に合わせた色の着物を着て粋を競い合い、大奥を彩る一部になっている。
高遠も橙を基調にした打掛を新調し、雇っている部屋の者たちへも値が張る料理と酒に力を入れ、多めの駄賃を渡す予定だ。評価と待遇をよくすれば、より誠実な心で働いてくれる。こういう金はケチってはダメだというのが高遠の矜持だ。
鶴屋から文が届いたのは、そんなつかの間の休息のあいだのことだった。
まさか、ほんが販売中止になったのでは? と慌てて急ぎ読む。――と、
「……え?」
文に顔を近づけ、目を皿のようにして読み返した。
しかし、内容は変わらない。
「――いや、待て。待ってくれ……本当にか?」
全部を覚えていると言った須磨の言葉は嘘ではなく、どのシーンが挿画に相応しいかを見極めて描かれており、また、表紙のエロさの破壊力たるや、思わず神仏に祈る勢いだった。
――神よ、お須磨の方さまに命を授けてくださり、誠にありがとうございます。
鶴屋の佐枝も申し分ない絵だとホクホク顔であり、予約も多く、発売の十月ギリギリまで刷ってくれと職人たちに拝み倒しているそうだ。
特に、須磨の絵は絶賛で他の作家が絵を依頼したいと鶴屋に申し出するほどの人気だという。独占契約をしている鶴屋はこの時勢に他の追随を許さない勢いで売り上げを伸ばしていた。
高遠も新しい作品のキャラ作りとプロットを練っている。
呪詛をかけられた百万石の大大名が呪詛払いのため、仏の加護を受けたという小国の少年を娶る話で、大国に挟まれた少年の国はこの婚姻が成立すれば我が国は安泰だと、仏門に入るつもりであった息子を差し出し、政略結婚をさせてしまう。
大大名も呪詛を祓ってくれればいいと少年を愛する気持ちなどなかったが、呪詛に苦しむ己のために健気に尽くす姿に次第に心惹かれ、少年もまた大大名の不器用な優しさに心を開き、唯一無二の番いとして幸せになるという一万文字ていどのプロットを須磨に渡すと、
「愛のない政略結婚からの本気の恋。……次第に相手が気になって気になって仕方なくなる過程がもう……っ、もうっ、もどかしい。なにもかも手に入るのに、受けの心だけは手に入らない……っ、ああ、あああ尊い……っ」
と、はぁはぁしていたので、この話で大丈夫だと確信できた。
須磨は大人しいが、読み専として守備範囲が広い。この話でいくことを決めたが、高遠の本業は御年寄という仕事である。
創作だけではなく、九月に行われる重陽の節句の準備も抜かりなく進めていた。
重陽の節句は『菊の節句』とも呼び、諸藩が多種の菊を育て、大奥に献上し、花を愛でながら菊の花を浸した酒を呑む宴だ。
大奥内で行う行事なので、八朔の日よりずいぶんと気が楽だし、財政難を乗り切るノウハウのようなものが身に付いているので従来の方法に囚われず、必要なことを得られるならば、柔軟に対応する空気が大奥全体に生まれている。
それに、贅沢品禁止の取り締まりが厳しくなったことで、大奥にとって有利な現象が起きていたのだ。
酒や高級菓子、食材などが市中で売れなくなり、大奥御用達の店から大奥で買い取ってもらえないか? という申し出が多くなり、催事に必要なものが安く手に入るようになったのだ。
価格が安いので物を買う者は増える、それにプラスして表使の手間賃も増えるで大奥内では質素倹約以前と遜色ない賑わいが戻りつつあったのだ。
皮肉にも沢渡主殿頭の政策が、大奥を助ける結果となっていた。
今日も献上された菊の花が女中たちの手により、慎重に飾り棚に並べられていく。
「まこと見事なものですね」
「本当に。この厚物の菊など、どうです」
「こちらの管物も繊細ですわ」
と、口々に述べている顔は楽しそうだ。献上される菊は諸大名お抱えの花師が面子を賭けて育てるだけあって、大輪の花びらを広げている。他にも、お目見え以上の者たちは菊に合わせた色の着物を着て粋を競い合い、大奥を彩る一部になっている。
高遠も橙を基調にした打掛を新調し、雇っている部屋の者たちへも値が張る料理と酒に力を入れ、多めの駄賃を渡す予定だ。評価と待遇をよくすれば、より誠実な心で働いてくれる。こういう金はケチってはダメだというのが高遠の矜持だ。
鶴屋から文が届いたのは、そんなつかの間の休息のあいだのことだった。
まさか、ほんが販売中止になったのでは? と慌てて急ぎ読む。――と、
「……え?」
文に顔を近づけ、目を皿のようにして読み返した。
しかし、内容は変わらない。
「――いや、待て。待ってくれ……本当にか?」
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝
糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。
播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。
しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。
人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。
だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。
時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
第一機動部隊
桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。
祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる