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第58話 大奥は再び咲く~出版 拾

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 八月を過ぎ、須磨の描き上がった絵を納品した高遠は安堵の息を吐いていた。
 全部を覚えていると言った須磨の言葉は嘘ではなく、どのシーンが挿画に相応しいかを見極めて描かれており、また、表紙のエロさの破壊力たるや、思わず神仏に祈る勢いだった。

 ――神よ、お須磨の方さまに命を授けてくださり、誠にありがとうございます。

 鶴屋の佐枝も申し分ない絵だとホクホク顔であり、予約も多く、発売の十月ギリギリまで刷ってくれと職人たちに拝み倒しているそうだ。
 特に、須磨の絵は絶賛で他の作家が絵を依頼したいと鶴屋に申し出するほどの人気だという。独占契約をしている鶴屋はこの時勢に他の追随ついずいを許さない勢いで売り上げを伸ばしていた。

 高遠も新しい作品のキャラ作りとプロットを練っている。
 呪詛じゅそをかけられた百万石の大大名が呪詛払いのため、仏の加護を受けたという小国の少年を娶る話で、大国に挟まれた少年の国はこの婚姻が成立すれば我が国は安泰だと、仏門に入るつもりであった息子を差し出し、政略結婚をさせてしまう。

 大大名も呪詛を祓ってくれればいいと少年を愛する気持ちなどなかったが、呪詛に苦しむ己のために健気に尽くす姿に次第に心惹かれ、少年もまた大大名の不器用な優しさに心を開き、唯一無二のつがいとして幸せになるという一万文字ていどのプロットを須磨に渡すと、

「愛のない政略結婚からの本気の恋。……次第に相手が気になって気になって仕方なくなる過程がもう……っ、もうっ、もどかしい。なにもかも手に入るのに、受けの心だけは手に入らない……っ、ああ、あああ尊い……っ」

 と、はぁはぁしていたので、この話で大丈夫だと確信できた。
 須磨は大人しいが、読み専として守備範囲が広い。この話でいくことを決めたが、高遠の本業は御年寄という仕事である。
 創作だけではなく、九月に行われる重陽ちょうようの節句の準備も抜かりなく進めていた。
 重陽の節句は『菊の節句』とも呼び、諸藩が多種の菊を育て、大奥に献上し、花を愛でながら菊の花を浸した酒を呑む宴だ。
 大奥内で行う行事なので、八朔の日よりずいぶんと気が楽だし、財政難を乗り切るノウハウのようなものが身に付いているので従来の方法に囚われず、必要なことを得られるならば、柔軟に対応する空気が大奥全体に生まれている。

 それに、贅沢品禁止の取り締まりが厳しくなったことで、大奥にとって有利な現象が起きていたのだ。
 酒や高級菓子、食材などが市中で売れなくなり、大奥御用達の店から大奥で買い取ってもらえないか? という申し出が多くなり、催事に必要なものが安く手に入るようになったのだ。
 価格が安いので物を買う者は増える、それにプラスして表使の手間賃も増えるで大奥内では質素倹約以前と遜色ない賑わいが戻りつつあったのだ。
 皮肉にも沢渡主殿頭さわたりとものかみの政策が、大奥を助ける結果となっていた。
 今日も献上された菊の花が女中たちの手により、慎重に飾り棚に並べられていく。

「まこと見事なものですね」
「本当に。この厚物あつものの菊など、どうです」
「こちらの管物くだものも繊細ですわ」

 と、口々に述べている顔は楽しそうだ。献上される菊は諸大名お抱えの花師が面子を賭けて育てるだけあって、大輪の花びらを広げている。他にも、お目見え以上の者たちは菊に合わせた色の着物を着て粋を競い合い、大奥を彩る一部になっている。

 高遠も橙を基調にした打掛を新調し、雇っている部屋の者たちへも値が張る料理と酒に力を入れ、多めの駄賃を渡す予定だ。評価と待遇をよくすれば、より誠実な心で働いてくれる。こういう金はケチってはダメだというのが高遠の矜持だ。
 鶴屋から文が届いたのは、そんなつかの間の休息のあいだのことだった。

 まさか、ほんが販売中止になったのでは? と慌てて急ぎ読む。――と、

「……え?」

 文に顔を近づけ、目を皿のようにして読み返した。
 しかし、内容は変わらない。

「――いや、待て。待ってくれ……本当にか?」
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